桂香の元カレ   作:サルガシラン

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 桂香の初恋は、将棋。



桂香とカレシ

 

 

「くかぁ~……」

「うぅ~……」

「…………やい……ちぃ……」

「……川の字じゃなくて上の字、かな?」

 

 家の縁側で、万丈くんと八一くんと銀子ちゃんの三人が一緒になって寝ていた。

「スダコウルフ」Tシャツのお腹を八一くんが枕にして、その八一くんを枕に銀子ちゃんが眠る姿は、何も知らない人なら仲の良い兄妹のお昼寝だと判断する光景だった。

 

 傍にある七寸盤を考慮すれば、指し疲れて一度お昼寝を始めた塩梅だろう。横にある自由帳に書かれた棋譜を見るとこれは八一くんが勝ったようだった。

 片付け忘れられた盤上をみんなが起きないように静かに整頓する。まったく、師匠がこれを知ったら激怒どころじゃ済まな――。

 

「……?」

 

 一瞬、なにかがおかしい気がしてなぜか手が止まる。けれど盤上に変なところはない。実力の近い棋士同士が真正面から殴り合ったのが解る盤面だった。

 感じた違和感の正体がつかめず、気のせいかなと首を傾げてそのまま駒を袋にしまった。

 

「みんなよく寝てるな~……」

 

 銀子ちゃんの顔を覗き見ればすごく幸せそうな寝顔をしている。代わりに八一くんはうなされているようだ。寝てるときにお腹が何かで圧迫されると嫌な夢を見るというし、万丈くんのお腹は枕にするには硬いので寝づらいだろうな。私も枕にしたらゴツゴツして辛かったし。

 

「……私は仲間外れなの?」

 

 だらしない寝顔をする万丈くんの頬を抗議を込めてつつくと、くすぐったいのか更にほにゃっと緩むのが悪戯心をくすぐった。

 

 私たちの交際が認められてから、万丈くんは家に結構な頻度で出入りするようになった。

もちろん私に会うため、のはずだがこうも八一くんたちとの仲の良さのを見せられると本当は二人に会いに来てるんじゃないかと疑わしくなる。

 

「……」

 

 なんとなくキョロキョロと周りを見回す。父は今向こうの部屋にいるから、当たり前だけど他に誰もいない。三人はぐっすり眠っている。

 

 静かに深呼吸。

 そして眠る彼の耳に口を近づける。

 すこし躊躇してから、意を決して……。

 

「好きだよ~……」

 

 囁くと、万丈くんがビクッと動いた。こっちもビクッと硬直する。

もしかして狸寝入り? と息を呑むけれど頭を見れば髪が落ち着いたままで寝息も続いていた。ただタイミング悪く動いただけだと胸を撫で下ろす。

 

「…………ん~っ……」

 

 ……私はなにをやってるんだろう。安心して我に返るとだいぶ恥ずかしいことをしているのを自覚してしまった。なんだか暑くってパタパタと両手で顔を扇ぐ。

 今ので八一くんたちが起きちゃってないかと誤魔化すように視線を巡らせると。

 

「――――」

 

 銀子ちゃんと、目が合った。

 

 パッチリ開いた目と赤面した顔が私に向けられている。醜態を目撃されたのは間違いなかった。

 

「……し~……」

 

 唇に指を当てて笑って誤魔化すしかできなかった。

その後、銀子ちゃんはわかってくれた。おやつ代が地味に痛手。

 

 交際を認められて、結構な日々を重ねたある日のこと。

 

 彼と別れることを決める、ほんの少し前の出来事だった。

 

 

「八方先輩、付き合ってください!」

「……悪ぃ。俺、彼女一筋なんだ」

「ウソ言わないでください、その人に今もフラれ続けてるんですよね!」

「ウソじゃねぇよ!? 今はちゃんと付き合えとるわ!?」

 

 交際がスタートしてから、なぜか万丈くんはモテるようになった。

友達に原因を聞いてみた。付き合い出して落ち着き「清滝桂香の前だとウザくて気持ち悪い」という目立つ欠点がなりを潜めていいところだけが浮き彫りになりだした、らしい。

 

 なにをいってるんだろうか。万丈くんの欠点がその程度なら私もう少し楽だよ?

交際後の初デートを頭おかしい服を着て来るし筋肉だしせっかく作ってきたお弁当を嫌いなものだけ器用に残すのにすごく美味しそうに食べるし手を繋いでないとすぐ迷子になったり手が思ったより大きくて男の子なんだと違いを見せてくるし筋肉だし将棋はどんどん強くなるし気を抜けばプロテインだし返信マメだし交友関係が広すぎてほったらかしにされるしでも頼ると安心できるし弱ってると優しく抱きしめてくる筋肉だし。

 

 ちょっと近くで見ていれば山ほどの欠点が目に付くのに、そんなことも知らずこの男を好きになってしまう娘は正直気の毒だと同情してしまう。ちょっと嫉妬するかもと懸念してたけど、そんなことはなかった。うん、ちっともなかった。

 

「万丈くん、モテモテだねー」

「勘弁してくれよ……はっ、不安にさせたならまた何度でも告白を……」

「……ふふ。もう一生分聞いたからいらな~い」

「勘弁してくれよ…………」

 

 おまけに丸一年の告白とごめんなさい合戦がほとんどの生徒に知られているせいで、私たちが彼氏彼女の関係となったのがクラスメートにすらイマイチ信用されてなかった。

彼の彼女は私ですよー。

 

 

「お邪魔しまー……」

「あかん!! こんな温い手で満足して強くなれると思うな!!」

『はい師匠!』

「……お邪魔だから帰りま~す」

「万丈! 丁度ええからお前もこいつらと三面打ちしろ!」

「お、俺じゃ指導の邪魔に……」

「こいつとの二面ならええ感じに思考が乱されるやろ。それに負けんようわしと指せ!」

「お邪魔キャラ扱いだ!?」

 

 家族旅行のお土産を持って来た万丈くんを巻き込んで、師匠が私や八一くんたちの指導をする。

 

 私は父に、師匠に正式な弟子入りをした。

万丈くんとの交際がバレると同時に再び将棋を始めていたこともバレたからだ。本当はとっくにバレていたらしいけど。

 それを機に女流棋士になりたいことも伝えた。当然反対されたけれど粘って押し通して、師匠の方が折れてくれた。例えダメでも誰かさんみたいにどれだけかかっても粘るつもりだったけど。

 

 

「ほれ、おかゆ持って来たぞ~。舌ヤケドすんなよ」

「バンジョー、ごめん迷惑かけて……コホっ」

「……」

「風邪っぴきが何言ってんだよ。こういうときはしっかり甘えとけ!」

「でも今日は……」

「……実は今日予約してた映画な、今朝レビューみたら評判最っ悪だったんだ」

「……は?」

「桂香さんと見に行ってたらどうなってたことか……マジで助かった。風邪ひいてくれてありがとよチビども!」

「……治ったら将棋でボコボコにしてやる……!!」

「なら、変な気ぃ使ってないでとっとと風邪治しな。へっへっへ」

「ぐぬぬ……」

「……ふん」

 

 貴重になったデートの日に八一くんと銀子ちゃんが揃って風邪をひいて看病で行けなくなると、文句も言わずに手伝ってくれた。

 

 

「……」

「……」

「……行くぞ」

「……どっ、うぞ?」

「…………」

「…………ぁ……」

「………………でっ……け」

「………………おっきぃ……」

 

 恋人らしいことも、した。きもちよくしたし、すごくきもちよかった。

 

 

 

 付き合う日々は幸せだった。

 

 彼と過ごす日々は刺激的で私の知らない楽しいことが沢山あった。普通はそうはならないでしょと笑わさせれた。今まで友達とやっていたことがもっと楽しくなった。ケンカをしてとことん言い合っても最後には仲直りできた。辛いときに一緒にいてくれた。

 

 手間のかかる子供みたいだと思っていたら、ふとした時に頼りになる男らしさを魅せられて不覚にもドキドキさせられて。

 

 ずっとこのまま一生を共にできたらと思うぐらいには幸せだった。

 

 

 

「……あ、りま、せん」

「桂香さん……?」

 

 

 ただ一つ不幸があったとすれば。

 彼が、私を遥かに超えて強くなってしまったこと。

 

 

 その日はいつものように指していただけだった。いつものようにお互い本気で指していた。

彼が蟹ムシャムシャ食ってたら思いついたーと挑んてきたのが始まりだった。最初はなにそれと笑えていた。序盤はまた変な戦型になったと楽しかった。

 中盤で笑みが引いて、終盤は血の気が引いた。目の前の男も似たような状態だった。

 

 圧倒的な実力差。いままで全力で並走していた相手が、突然バイクにでも変身して私を置いていったようだった。

 

「ありません」

 

 それを認めたくなくてもう一度挑む。完敗だった。

 

「あ、りません」

 

 師匠の指導によって以前より明確に強くなる。また完敗だった。

 

「……ありま、せん」

 

 これまでの彼との棋譜を並べて徹底的に研究した、その次の対局も。

 

「ありません……!」

 

 その次の次の次も。いくらやっても勝ち筋が全く見えなかった。

 

 この男が、プロ棋士を目指していたのならどんなに悔しくたって納得できた。

 この男が、ただ棋界の門の狭さと年齢を理由にプロ棋士になるのを諦めていたなら理解できた。

 この男が、好きなものを聞いて迷わず将棋をあげる人なら妥協もできた。

 

 でもそうじゃない。彼にとって将棋はあくまでも数ある得意な遊びの一つでしかない。

 

 誰より彼と指してきた私には解ってる。この男が将棋を指すのは私と対局するためだけ。

 将棋が好きな私と本気で指すため。将棋が好きなんじゃない。ただ私が好きなだけなんだ。

 

 腹が立った。妬ましかった。なにより情けなかった。

 

 そのまま彼を嫌いになれたならまだよかった。

気持ちが、積み重ねてきた短くも濃い思い出が拒む。

手も足も出ない才能を持つライバルに棋士としての自分が荒れ狂う。

決して手加減をしないでくれる非情な優しさが嬉しかった。

まるで参考にならない成長方法が理不尽過ぎて心をかきむしられた。

彼のことを嫌いになりたくなかった。

 

「ぁっ……あり、ま……ぁ、ああ……!」

 

 完敗。彼へのあらゆる感情が渦巻いてぐちゃぐちゃに濁る。あたまがおかしくなりそうだった。

 

 

「私、本気で女流棋士になりたいの」

 

 

 だから別れた。逃げたのだ。

そう告げて崩れ落ちながら受け入れてくれた彼から、その後の憔悴にも目を逸らして逃げたのだ。

 

 そして将棋に没頭した。心が乱れなくなって前より良い手が指せるようになった。

師匠はなにか言いたげだったけれど、結局なにを言うでもなく厳しく私を鍛えた。八一くんたちも察してくれたらしく万丈くんのことを話題に出すことは無かった。すこし寂しそうな顔からも目を逸らした。

 

 別れてからは将棋に打ち込む時間は増えて、研修会でも順調に勝ち星を稼いだ。

二ヶ月も経つ頃にはとっくに心は切り換えられていた。もっとたくさん指したい。もっと強くなりたい。研修会の年下の子たちともうまくやれているし問題なんてない。

 すぐに女流棋士になるのは流石に難しいけれど、きっと二十歳になるころには資格申請ができるようになるだろう。

 

 将棋は好きだし苦しくて楽しい。勝っても負けても熱く焦がれる感覚が心地いい。自分より強くて才能がある相手に会っても、悔しい勝ちたい強くなりたい以上のことはなにも感じない。

 

 でも。でもなぜか。

 

 ジッと見つめてくる黒くて哀しいモノに背を向ける罪悪感と、真っ暗でどこまでも伸びる長い道を独り走り続ける孤独が何時までもモヤモヤと胸の奥に残り続けた。

 

 

 

「俺、やっぱり桂香さんが好きだ」

 

 万丈くんがまた告白をしてきた。夏休み明けだった。

 

 始業式が終わってすぐ、千絵たちから離れたわずかな時間の渡り廊下。夏休み前の弱った彼の姿はなく、前よりも大きな筋肉と自信に満ちた顔つきが日に焼けて雄々しく私を見据えている。

ただ目の下の深いクマと石鹸のニオイに微かに混じる磯臭さは気になった。

 

 別れたのに迷惑。フッたのは私なんだよ。夏休みに危ない目に遭わなかった?

前のように条件反射で断れれば良かったのに、唇が重しを付けられたみたいに開けなかった。

口を閉ざしたままでいると彼は複雑に微笑んで、続ける。

 

「返事はいらねぇんだ。ただ……その、応援してるって伝えたかった」

 

 勝手なこと言って悪い、とばつが悪そうに頭を掻く。

彼ことだ、夏の間は立ち直るために普通じゃない経験をしたに違いない。夏服のままでは、頭を掻く腕や首元に走る見覚えのない傷跡を隠しきれていなかった。

 

「……俺が告白すんのはこれで最後だ」

 

 なにも答えられず黙る私を寂しさが混ざる優しい眼差しのまま見つめて。

 

「桂香さんならなれるぜ、女流棋士。俺が保証する」

 

 そうクシャっと笑って、満足したように私を横切って赤羽くんたちの方へ歩いていく。

 

 なんだ、それは。それがカッコイイとでも思ってるのか。いつかやってきた壁ドンより引くような真似をしている自覚はないのだろうか。自分の言いたいことだけ言ってやりたいことだけやって私を置き去りにしていく。そういうところが、そういうところが……。

 

 背中に手を伸ばすこともなく、彼が友達と共に曲がり角に消えていくのを見送った。

 夏が終わっても暑さは容赦なく肌に纏わりついて、湿気のある熱風に肺が焦がされているようだった。ここから見える空は嫌味なくらいに青く広がって、空に引きずりこまれそうだった。

 

 

 

「けいかさん、だいじょうぶ? どこかいたいの?」

 

 その日、家で晩御飯の準備をしていると銀子ちゃんが心配そうな顔で私の服の裾を引っ張った。

 

「え……突然どうしたの?」

 

「だって、ないてる」

 

「え?」

 

 驚いて頬をぬぐってみる。

 指先が、濡れていた。

 

「あ」

 

 気づいて。それが手遅れだと思いだして、涙があふれだした。

 

「そっか……そ……っかぁ」

 

 オロオロしている銀子ちゃんにもはばからず、その場でしゃがみ込んで嗚咽しながら泣いた。慰めてくれる銀子ちゃんに甘えて、もっと泣いた。

 

 

 ああ、そっか。

 

 私、自分で思ってたよりずっとずっと、かれのことがすきだったんだ。

 

 





 次回「元カレと思春期八一のエロ本事情」
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