胡蝶の夢   作:泥人形

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潜入

 

 ろくに整備はされておらず、人の姿が見当たらないような寂れた道を伊佐那としのぶは歩いていた。

 横並びに、気軽に話しながら進むその様子は二人のことを知らない者であれば恋仲だと勘違いするかもしれない。

 そのくらい二人は互いの歩幅やペースを把握していて、意識することなく互いに合わせていた。

 とはいえ、そんなことを本人達が言われれば猛烈に否定するだろうが。

 実際、伊佐那はしのぶのことを可憐だとは思っているが、そういう目で見たことは無かった。

 

「それにしても、伊佐那さんは随分と働き者なんですねぇ」

「そう思うか?」

「えぇ、朝方も任務に出ていたのでしょう? それでまた、お昼からもう一件だなんて」

「言うほど珍しいことでもないだろう……ここ一週間で立て続けに三人、俺と同じ地区を担当していた隊士が死んだ、これから行くのはその尻拭いだ」

「……そういうことでしたか」

「あぁ、その内二人は戌、一人は丙だった。となると相手の鬼は──」

「十二鬼月の可能性もある、ですか」

「そうだ、だから一応覚悟はしておいた方が良い」

「了解です」

 

 少しだけ考えるような素振りは見せたものの、問題なくそう返したしのぶを見て伊佐那は「流石だな」と思う。

 しのぶの階級は伊佐那と同じ『甲』だ、つまりは相当の強者。

 けれどもしのぶと組んで戦うというのは伊佐那にとっては随分と久し振りのことだった。

 それこそ最後に組んだのは鬼殺隊に入ったばかりの頃で、当然ながら当時の階級はどちらも『癸』である。

 風の噂や世間話なんかでしのぶの強さは耳にはしていたが、実際の実力はまだ見たことがない。

 あの頃からどれだけ成長したのかが、伊佐那は少し楽しみだった。

 十二鬼月の名に少しも慄かないくらいだ、期待はしても良いだろう。

 

「伊佐那さんは怖くないのですか?」

「鬼がか?」

「はい」

「そうだな……死んだ三人は、全員同僚でもあって友でもあった。担当地区が同じだったから、それなりに顔を合わせたし、月に一度くらいは集まってご飯を食べた。

 だから思うんだ、彼らは死ぬ時どれくらいの恐怖を味わったんだろうかって。どれくらいの苦しみを味わったんだろうかって。

 考えれば考えるほど、腹の底で何かが蠢くし、逆に頭は冷や水をかけられたみたいに冷たくなる。

 そうなるとさ、あー、怖がってる場合じゃないなぁってなるんだよな」

「復讐心ですか」

「そうかもしんない、でもそんな難しいものじゃないような気もする。いや、怒ってはいるんだよ、確かに。でも怒ってるから鬼を殺すとか、仇を取るんだとかは多分、ちょっと違う。

 あいつらはさ、結構みんないいやつだった。人を守るために刀を取ったと胸を張って言えるようなやつらだった。

 でも死んだんだ、守れなかったし、これから誰かを守ることはできない。そうなったらあいつらは不安になるんじゃないのかなって思うんだ。

 あの鬼にもっとたくさんの人が殺されるんじゃないかって。だから、俺がそいつを殺して、俺がいるからここは大丈夫だって教えてやりたい……んだと思う」

「相変わらず、伊佐那さんは優しいんですねぇ。その優しさをもうちょっと自分自身に向けてくだされば言うことは何もないのですが……」

「またそれか、俺は俺にかなり甘い方だ、だからほら、嫌いなものは食べないようにしてる」

「あのですねぇ、私は本気で言ってるんですよ?」

 

 嘆息を一つ、それからしのぶは伊佐那を見た。

 気付いてないとでも思ってるんですか? としのぶは言った。

 

「貴方が薬を飲まないは、蝶屋敷に寄り付かないのは、薬が嫌い、病院が嫌い、それだけの理由では──」

「しのぶ」

 

 伊佐那が、吐き出すような強さでしのぶを言葉を断ち切った。

 しのぶは不満げに伊佐那の顔を見て、それから苦笑いした。

 踏み込み過ぎたか、と息を吐く。

 

「もう村が見えてきた、その話はまた今度な」

「はいはい、わかりましたよぉ」

 

 少しだけ歩みを速めた伊佐那にしのぶもまた、追いつくように地を蹴った。

 

 

 夕暮れ時に二人がやってきたのは、随分と人気の無い小さな町だった。

 特徴的なものは何もなく、精々が奥に寺らしき建物があるくらいだ。

 かなり寂れているようで、町と言うよりは村と言った方が正解かもしれないな、と伊佐那は思う。

 それは単にここの人口が少ないからなのか、それとも鬼のせいなのかは分からない。

 遠くから見て分かるのはそのくらいだけだ、これ以上は直接入って調査をしてみないと分からないなと伊佐那は結論付け、しのぶも異存はないようだった。

 

「当然ですね……ところで、なのですが」

「ん?」

「このような格好をする必要はあったのでしょうか?」

 

 そう言ったしのぶの服装は、いつもの鬼殺隊の黒い制服では()()

 今の彼女は袴──白と紫に彩られた矢絣袴というやつを身に着けていた。

 矢羽根のような図案が縦に並び、それをが二列おきに逆方向に並んだ図柄のものだ。

 それに加えてしのぶは頭に鞠のようなデザインの簪を刺し、黒の編み込みブーツを履いている。

 この時代──大正時代はこれまでも入ってきていた洋装と、定着していた和装が織り交ざる形のものが流行りつつあった。

 しのぶの今の姿はそれに沿ったものだ、もう少し先の時代の言葉で言うのであれば、ハイカラというやつだろうか。

 それに対して伊佐那もまた、制服ではなく袴姿だった。

 こちらは誰もが着ていそうな無難な袴の上に、黒のトンビコートを羽織っているだけだ。

 

「あの村に入った隊士が三人も死んでいる、死んだってことは戦ったってことだろ。そこに同じ服装をしたやつが来たら仲間だと思われるに決まってる。あっちに先手を取られる要素はなるべく排除したい」

「理屈としてはもっともなのは分かるのですが……」

 

 彼女とてまだ十四歳の少女だ、こういう服装が嫌いなわけではない。けれどもしのぶは鬼を殺すと誓いその道を邁進し続ける剣士でもある。

 基本的に時間があれば鍛錬や、薬や毒の精製に励むような模範的な隊士でありお洒落といったものにほとんど縁がない。精々が姉の手によって幾らか着せ替え人形にさせられたくらいだ。

 しのぶは不満げに履き慣れないブーツの爪先でトントンと地を叩いた。

 

「まぁ安心しろよ、その格好も似合ってんぞ」

「なっ!? そ、そういうことは聞いていません!」

「え、今のそんなに怒るところあった? 女子、分からなすぎるな……」

 

 若干引き気味に伊佐那はそう呟いて、それから適当な宿屋の扉を開けた。

 ここまで誰とも出会っていないことに不信感を覚え、一応の警戒をしながら開けたその先は、特に何の変哲もない受付だ。

 気だるそうにしている女性が、俺達の顔を見て驚いたように口を開けた。

 

「あらまぁ、若いお客さんとは珍しいね、ここは宿屋ですけど、泊まりですか?」

「あぁ、俺と連れの分で二部屋貸してください」

「何泊で?」

「んー……」

 

 伊佐那がしのぶを見て、小さく首を傾げながら指を一本立てる。

 そうすればしのぶは少しだけ口元に手を当てて、それから指を二本立てた。

 伊佐那が「了解」と頷いた。

 

「一先ず二泊お願いします」

「はいどうもぉ、こんな辺鄙なところで二泊だなんて、アンタ達も変わってるねぇ、何するんだい?」

「ん、これでも一応仕事でして、地質鉱物学の先生の助手してるんですよ。その関係でこっちの地質だったり地理を調べに来たんです」

「あら、その歳で立派じゃないの、頑張ってね」

「はは、ありがとうございます」

 

 そう言って渡される鍵と引き換えに幾らかの銭を渡す。

 部屋は上だから、番号間違えないでね、と受付の女性は上に繋がる階段を指さした。

 伊佐那としのぶは揃って頭を下げてから上がる。

 ギシギシと踏むたびに鳴る階段は、ここが古い建物だと証明しているようだった。

 

「嘘を吐くのがお上手なんですねぇ」

 

 渡された一〇二と一〇三の鍵の内、一〇二の部屋に入ればしのぶがクスクスと面白そうに笑いながらそう言った。

 

「嫌味な言い方するなよな、必要だったから身に着けた、それだけだ」

 

 ()()と変わんねぇよ、と伊佐那は呟いてからベッドへと座る。

 しのぶが「申し訳ありません」と嬉しそうに笑いながら隣に座った。

 

「これからどう動くかは決めていましたか?」

「今日のところはもう休んでいいかと思ってた。時間も時間だし、調べるなら明日の方が都合が良いだろう」

「それもそうですね、ただ夜は──」

「分かってる、片方が寝てる間は片方が起きてる、それで良いだろう」

「はい、それなら私も異存ありません──あぁでも」

「うん?」

「夕餉はどういたしましょうか?」

 

 まだ何かあったか? と横を向いた伊佐那が「あー」と困ったような顔をする。

 伊佐那は結構……いや、かなり不健康的な生活を過ごしている人間だ。

 一日一食や二食で済ませることもあり、事実、伊佐那は「今日は晩飯抜きで良いな」などと考えていた。

 いつもならそれで良かっただろうが、しかし今回は事情が違う。

 他の人間であれば「俺は良いから食べてきな」くらいは言うだろうがことしのぶにだけは通じない。

 三食毎日食べてくださいとあれほど言いましたよね? とニコニコしながら言われるに違いないだろう。流石に一日二回も説教されるのは勘弁したいところだ。

 

「この宿屋ので良いだろう、それとも何が食べたいとかあったか?」

「いえ、私の方は特には。ただ何も食べないとか言い出したらどうしようかと思いまして」

 

 そこはちゃんとしているようで良かったです、としのぶが笑うのを見て伊佐那は「危なかったな……」と一人冷や汗をかいていた。

 どうやらこの選択は正解だったようだ、命拾いしたぜ、と伊佐那が思えばしのぶは跳ねるように立ち上がって伊佐那の方へと振り返る。

 

「では行きましょうか」

「もうか?」

「午後六時と言えば夕餉を取るには一般的な時刻だと思うのですが、もしかして──」

「あぁはいはいはいはい、俺が悪かったってば。ちょっと時間把握できてなかっただけだから」

 

 行くってば、と立ち上がればしのぶがよろしいと言わんばかりに表情を和らげた。和らげると同時に「くきゅるるる」と可愛らしい音が彼らの部屋に響いた。

 数秒の沈黙、伊佐那がしのぶを凝視して、しのぶは顔を背けた。しのぶの顔が少しだけ朱に染まる。

 紳士であれば、そうでなくともデリカシーのある人間であれば聞こえなかった振りでもするかもしれない。

 いつもの伊佐那であればそうしたかもしれない、だが今の彼は緊張させられた理由がそれかよ、という呆れたような感情の方が上回っていた。

 

「お前……腹減ってたんならそう言えよな」

「~~~~っ!!!」

「ちょ、まっ、いたっ、痛い痛い! 痛いから蹴んな!」

 

 

 

「まったく、伊佐那さんは気遣いというものを知らないのでしょうか」

「や、だから俺が悪かったって言ってるだろ……ここは俺が出すから、それで勘弁してくれ」

「仕方ないですねぇ」

 

 今回だけですよ、としのぶが薄く笑う。

 どうやら許されたようだ、と伊佐那は安心してほっと息を吐いた。

 二人は今、宿屋の一階にある食堂らしき場所に対面で腰を掛けていた。

 彼らの他に客はいないようで、ここの従業員も今のところあの受付の人しか見ていない。

 少し不気味だな、と伊佐那は思うがしかし、同時に鬼の気配を感じることができていないのもまた事実であった。

 一応刀は布に隠して持ってきているからいざと言う時は対処できるだろうが、常に緊張にさらされる状況というのはストレスだ。

 少なくとも警戒しやすい部屋に戻りたいな、と伊佐那が思っていれば先ほどの女性がおぼんを手に持ってきた。

 そこから伊佐那達の前に並べられたのほかほかの白飯に焼き魚、それから豆腐の味噌汁だ。

 

「それではごゆっくりどうぞ」

 

 と立ち去った女性を見ながら、やっぱりここは受付の人しかいないのだろうか、と伊佐那は思う。

 だがこれだけ小さな町だ、彼女一人でも切り盛りするのは可能だろう。彼女が自分で言っていた通り、ここはあまり人が来るようなところではない。

 そう考えれば特に不思議なことではないのだが、いかんせんここには鬼がいると聞いて来ているだけに何もかもが怪しく見えてしまうな、と伊佐那は思った。

 

「大丈夫ですよ、伊佐那さんに何かあっても今回は私がいますから」

 

 そんな伊佐那を見かねてか、しのぶは安心させるような笑みでそう言った。

 伊佐那がそれもそうだな、と小さく笑う。

 鬼殺隊の隊士が今の二人のように、数人でチームを組んで任務にあたるというのはそう珍しいことではない。

 だが伊佐那はこれまでの戦いはほとんど一人で駆け抜けてきていた。誰かと組んで戦ったのも、新人の頃にしのぶ達と組んだくらいだ。

 だから、こういうようなやり取りは新鮮だなと思う。

 伊佐那はいつもよりは幾分かリラックスできていた。

 

「さて、いただきましょうか」

「あぁ、そうだな」

 

 手と手を合わせて「いただきます」と言ってから食べていく。

 そういえば米を食べるのは何日振りだろうか、と己の乱れた食生活を思いながら咀嚼し、飲み込む。

 後はもうその繰り返しだ、伊佐那はご飯を食べている間はあまり喋らないタイプの人間だった。

 ごはん中は静かに、そして出されたものは何であろうが残さない、それが伊佐那の所謂個人ルールというやつだった。

 ご飯は素早く、美味しく平らげる。それが伊佐那の流儀とでも言うべきものだった。

 

「……?」

 

 だが、前触れもなくそれはやってきた。

 先ほどまで明確に回っていたはずの思考が突然鈍くなり、目の前にいるはずのしのぶの姿がどこかぼやける。

 必死に目を開けようとしても、そこだけ重力が強くなったかのような瞼の重さだ。

 意識を集中してみるが、どうにも身体がだるい。まるで朝起きた時ような、まるでしのぶから貰った痛み止めを飲んだ時のような──。

 そこまで考えて伊佐那はようやく「あ、これ眠気だ」と気付いた。

 そう、今伊佐那の身体は強烈な眠気に襲われていた、

 徐々に徐々に音が遠くなっていく、その中でこれは自然なものではないという本能からの警鐘だけが伊佐那の意識を繋ぎとめていた。

 

(これ、かなりヤバイ)

 

 そう察すると同時にガクンと頭が落ちて肘をつく。

 

「伊佐那さん!?」

 

 驚いたようにそうしのぶは叫ぶ、どうやらしのぶは眠気に襲われていないらしい。

 伊佐那より食べる速度が遅かっただろうか、だがこの場においてそれはラッキーだ。

 渾身の力で卓上の皿たちを薙ぎ払い、そして伊佐那は掠れたような声で叫んだ。

 

「薬だ……!」

 

 その一言だけで、しのぶはすべてを察する。

 同時に片手で持ってきていた刀を布から解いて──そして。

 声が降りかかってきた

 

「お味の方はいかがでしょうか──あれ? お嬢さん、もしかしてお口に合いませんでしたか? それはもう、()()()()()()()()美味しかったと思うのですが」

 

 受付の女性が、怪しく笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もしかしたら五話では終わらんかもです。

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