蝶屋敷には胡蝶姉妹のほかに大勢の隊士が滞在しており、そのほとんどが非戦闘員だ。
そう、非戦闘員。
鬼殺隊は伊佐那のように鬼と直接殺し合う戦闘員ばかり目立ちがちだが、中にはそれをサポートする隊士が二種類存在する。
それが隠と治療隊員だ。
鬼殺隊に入ったものの、鬼と戦うのを恐れてしまった者。
戦う才能がなかったもの。身体が弱かったもの、まだ幼いもの。
理由はそれぞれであるが、鬼が憎くとも戦えない、もしくは戦わない者達を中心に彼らは構成されている。
鬼殺隊は戦うための組織であることから、一見戦闘員の方が大変のように見えるかもしれないがそれは大きな間違いだ。
いつの世も、たった一つの職種で成り立つような組織は存在しない。
戦闘の華々しさ、もしくは血生臭さに隠れているが、当然どちらもなければ鬼殺隊は続かない。
例えば隠の仕事なんかは戦闘員に比べれば恐ろしいほど多岐にわたる。
鬼殺隊内の情報伝達から始まり各地に散らばる鬼たちの噂集め、情報収集、人員配置、全隊士の給料計算から戦闘後の後処理、負傷者の運搬、死傷者の埋葬……など数え上げればキリがないほどで、その一つが欠けようものなら鬼殺隊は時間をかけて崩壊するだろう。
戦闘員を車と例えるならば、彼らはいわばガソリンだ。
鉄の塊たる自動車が動くために必要な燃料となり、全力で戦闘員を後押しをする者たち。
では治療隊員は何に当たるかと言えばそれは当然整備士だろう。
負傷をすればそれを治し、病にかかればそれを癒す。身体に不具合が出る度に全力を尽くして万全に持ち直させる整備士達だ。
こちらは戦闘員や隠と比べ、女性の比率がやや多く、そのほとんどが蝶屋敷で活動をしている。
これは治療隊員のトップがしのぶであるからという理由に尽きる、彼女の元で活動した方が彼ら彼女ら自身のスキルアップにもなるし、何より鬼殺隊の負傷者が運び込まれるのは主にここだ。
鬼殺隊の戦闘員は死傷者も多ければ負傷者も多い、お陰で蝶屋敷はいつだっててんてこ舞いで、今日も慌ただしくたくさんの隊士たちが屋敷内を駆けまわっていた。
「きよぉー! これ洗濯お願い!」
「はぁーい! なほ、後藤さんにこのお薬持ってって!」
「わかったぁ!」
姦しく、まだ小さな女の子たちがタオルだったりご飯だったり、薬だったりを持ってあっちに行ったりこっちに来たりを繰り返す。
その様子を伊佐那もまた、布団に寝かされながら呆けたように見ていた。
というか、呆けたようにして見ることしか、今の伊佐那にはできなかった。
あの夜の戦い、下弦の壱を討伐した日に伊佐那はほとんど外傷を受けることは無かったが、代わりにその身に薬を盛られていた。
当初は酷い眠気から伊佐那は睡眠薬と断定していたが、その中身はもっと酷い──言ってしまえば毒である。
眠気を誘発させるほかに全身を弛緩させ、指の一つも動かせなくなるような麻痺を起こす毒。
そういったものをもろに喰らってしまっていた伊佐那は現在、元より患っているモノのこともあり縛り付けるような形で布団にぶち込まれていた。
比喩ではない、ガチだ。
今現在、彼の胴と敷布団がは一体化するように紐が巻き付けられていた。
紐が通っているのは腰辺りだから、多少の自由は効くが「絶対に逃げるんじゃねぇぞ」という強い意志が目に見える形でここに現れていた。
伊佐那の複数に渡る脱走が切欠で始まったこれは、最初は戸惑っていた一般の隊士たちも今ではずっかり見慣れたものである。
とはいえ紐は紐だ、普通に身をよじれば抜けられるし伊佐那ほどの筋力であれば普通に切れる。
だがそうしていないのは伊佐那の「流石にこれ以上は面倒くさいな」という気持ちと、「これを切ったら次は本当に全身拘束されてしまいそうだ」という気持ちが出した結論であった。
(まぁどちらにせよ身体は怠いし、お館様にまで話が行ったせいで任務は来ないから暇だし良いんだが)
薬は抜けたが、それすら分からないくらい──というか盛られた薬が麻痺やらなんやらの効果があったことも分からなかったくらい、もうずっと前から付き合っている身体の気怠さにため息を吐く。
ゴロリ、と気軽に寝返りも打てないことに若干不便さを感じながら伊佐那は天井を眺めた。
考えるのは、しのぶのことだ。
あの日血鬼術によって腹を貫かれたしのぶは、しかし今はもう当たり前のように医者としてこの屋敷で活動を行っていた。
彼女曰く「急所は外しましたし、直ぐに処置もしましたので」とのことだ、あとは多分痛み止めも飲んでいるのだろう、と伊佐那はあたりを付けていた。
だがそれでも傷を負っていることに変わりはない、それでも休まないのは……休めないのは、この屋敷で最も医療について知識があるのがしのぶだからであろう。
他の隊士たちも日々研鑽を重ねているが、しのぶにはやはり数歩劣る。
柱制度もそうだが、個々人の強さに鬼殺隊は頼り過ぎなんだよな、と考え始めれば「きゅるる」という音が伊佐那の腹から鳴った。
「ん、もう昼か」
いつもであればそう思う前に皿を持ってこられるものだが今日は随分と忙しいらしい。
であれば自ら取りに行くべきなのだが、生憎布団を背負って移動するなんて趣味は伊佐那にはなかった。
伊佐那は上半身を起こしてふむ、と数秒だけ考える。
「まぁ一食くらいは良いか」
「あらあら~、ダメよ? そんな不健康なこと言ってたらまたしのぶに怒られちゃうわ」
数秒だけ考えた伊佐那が結論を出したのと同時に、女性の声が響くのは同時のことだった。
しのぶに少しだけ似ていて、けれどももう少しだけおっとりしていてゆっくりめな、高い声。
「カナエさん……お久しぶりですね」
「そうねぇ、もう二か月ぶりくらいかしら? しのぶが全然来ないって怒って大変だったんだから」
早く来ないかしらって思ってたんだけど、まさか二人揃ってフラフラになって来るとは思わなかったわ、と笑った女性の名は胡蝶カナエ。
胡蝶しのぶの姉であり、花の呼吸を扱う剣士──花柱。
「何か気付いたら時間経ってたんですよ」
「もう、ちゃんとお医者様の言うことは聞かなくちゃダメなのよ?」
ふわふわと、見ようによって能天気にも見える彼女が伊佐那は嫌いではない。
物腰柔らかで、いつも笑顔で人々を落ち着かせるような女性、けれどもその実力は想像以上で、かつ強か。
伊佐那は、そんな胡蝶カナエという人をその優しさという点において誰よりも信頼していた。それこそ、彼女の妹であるしのぶよりも。
「良いんですよ、どうせもう、そう長くない」
「──また、頻度が上がったのね」
「えぇ、最近は三日に一度くらいになりましたかね。前までは一週間に一度だったから、もうそろそろかな、と」
「対抗策は──」
「最近までは結構頑張って探してましたけど、諦めました。もうダメなんです」
力なく笑った伊佐那を前に、カナエは眉を下げ、困ったように、悔しそうに顔を歪めた。
──そう、伊佐那を身を蝕むものは決して未知の病なんていうものではなかった。
それは、今の彼らにとってなすすべは無く、ただ眺めることしかできない災害のようなもの。
「個人的な見立てだと、あと半年も保たないと思います。あぁ、心配しないでください、お館様にはもう伝えてあるので、後のことはバッチリ」
「そういう問題じゃないでしょう!」
カナエが伊佐那の両肩を掴んで、叫ぶようにそう言った。
クシャリと布が歪み、彼女の白く細い指が伊佐那の肩に痛みが無い程度に食い込む。
「まだ、何か手はあるかもしれないわ。そうよ、だってしのぶの薬に関する知識は飛び抜けているし、それに他の子たちだって──」
「カナエさん」
左肩にかかったカナエの手を、伊佐那はゆっくり外し握り込むように、優しく握りしめる。
カナエの薄紫の瞳を覗き込むように見た。
「ありがとうございます、でももう良いんです。全部こうなる運命だった、それだけのことなんですよ」
「でも、そんなのって、あんまりじゃない。何で、どうして伊佐那くんがこんな……」
「良い行いしてようが、悪い行いしてようが案外関係ないってことなんじゃないですかね。そもそもこの世に鬼なんてものが蔓延ってるんですから、神なんてものは無慈悲なものなんですよ。無慈悲に、運命は与えられる。そういうものなんです、多分」
「──ッダメよ、そんなのダメ、ダメ! いけないわ、諦めるのだけは、絶対に」
カナエは握られていた左手を強く握り返した。
己を宥めるように見ていた伊佐那に、発破をかけるように。
「まだ、半年はあるんでしょう? その間に見つければ良いだけじゃない、やっぱりもっと多くの人に伝えて……」
「ダメですよ、カナエさん」
だが、伊佐那は首を横に振る。
それだけはダメだと、認められないと静かに。
「これ以上しのぶに負担はかけられない、ただでさえ医者と鬼狩りを並行してやってるんですから、これ以上は過労死させちゃいます。それに他の隊士たちもそうです、ただでさえ命がけなのに、俺なんかの為に時間を割いてもらうのはあまりにも、申し訳ない」
「そんなことは──」
「あります、ていうかもう柱の人たちにも、お館様にも散々手伝ってもらったじゃないですか。その上で手立ては何も見つからなかった、そうでしょう? まぁ、一部の人以外には秘密にしてるって点はちょっと申し訳ないけれども、俺が死んだ後にお館様の方から伝えてくださいますから、ね? 気に病まないでください」
「……嫌よ」
「へ?」
「そんなの嫌に決まってるじゃない、認められないに決まってるじゃない……」
ポロリと一滴、彼女の瞳から涙があふれ、頬を伝って落ちた。
だがそれを無理矢理抑え、カナエは勢いよく伊佐那を抱き留めた。力強く、けれども優しく。
「何よりも嫌なのは、伊佐那くんがもう、諦めてしまっていること。もっと生きようとしてよ、死にたくないって、そう言ってよ、ねぇ」
「言ったところで何かが変わるのなら! ……言ってるんですよ、でも何も変わらない、変わる訳がない。言葉だけでは何も変わりはしない、でも動いてもダメだった。色んな人を頼り、全国の医者を当たって、それでもダメだった。じゃあもう仕方ないじゃないですか」
「それでも、希望を持ってさえいればもしかしたら──」
言葉を止めるのに、伊佐那は言葉を使わなかった。
抱き寄せられていたのを、抱き寄せ返す。
「その気持ちだけで充分です……ていうか、これでも生きようと思って戦ってこれたのは、貴女達姉妹……カナエさんとしのぶのお陰なんですよ。
事情を知っているカナエさんは俺の為にってあちこちまで足を運んでくれて、俺を支えてくれた。
しのぶも、言わなくとも多分アイツは病気なんかじゃないってもう気付いてて、その上で解き明かそうとしてくれた。その事実だけで随分と助けられました」
だから、もう良いんですよ。と伊佐那は笑みを浮かべた。
指で少しでも押せば、直ぐにでも崩れそうな虚勢から生まれた笑顔。けれども本人にとっては精一杯の笑みだ。
カナエにそれは、突き崩せなかった。
彼女はもう「でも」を口には出せない、彼の覚悟も想いも知ってしまったから。
一度抑えたはずの涙をもう、止められない。
「ごめ、んなさい。こんなつもりじゃなかったの、伊佐那くんを困らせるつもりは無くて、ただ、ただ──」
「分かってますよ、カナエさんは優しい人ですから」
その言葉に、カナエは耐え切れない。
優しさだけでは人は救えない、それは今、目の前の少年が証明していたから。証明、してしまっていたから。
そっと静かに身体を離し、カナエは目元を拭う。
「伊佐那さーん、入りますよぉ」
不意に、聞き慣れた少女の声がノックと共に響いた。
彼らが反応するより先に扉は開く。
「お昼御飯ですよ、ちゃんと食べてくださいね──って姉さんじゃない、どうしてここに……姉さん?」
「しのぶ──」
ボロボロと涙を零すカナエを前に、しのぶは動きを止める。
何があったかはわからない、けれども二人の間で何かがあったことは分かって、しのぶは伊佐那の名を呼ぼうとした。
そうしようと、したのだ。
伊佐那もそれが分かって、しのぶへと視線を合わせようとして──その時、
ドクン、と全身の細胞が跳ねるような感覚。血流が急激に遅くなり、心臓が悲鳴を上げて、骨は軋み、肉は震えだす。
絶叫すらあげたくなるような激痛が頭の先から足の先まで絶え間なく駆け抜ける。
それはまるで、
正確には、
絶叫の代わりに、ゴボリと血を吐いた。
「伊佐那さん!?」
「伊佐那くん!」
耳に届くその声は、しかし伊佐那には随分と遠くのもののように聞こえた。
ただそれをちゃんと聞き取ろうとする努力すらできなくて、何度も咳をするように多量の血を吐き出した。
真白な布団が朱に染まる、蝶の姉妹が駆け寄ってきて、叫ぶように何かを言っている。
視界すら霞んできた伊佐那にそれは聞こえない。
けれども、歩み寄ってくる死の音だけは、明確に耳朶を打っていた。
伊佐那の身体は病に侵されている訳ではない
猛毒に侵されている訳ではない。
彼の身体は──鬼の血に侵されていた。
ほんの極々微小な程度の鬼の血が、彼の身体を作り変えようとしていた。
けれども彼の身体に元から流れる血は、それに抵抗しうるだけの力を持った珍しい血──いわゆる稀血であった。
二種類の血がもう何年もぶつかり合っていて、その度に変化を起こす身体はもう限界だった。
羽々島伊佐那は鬼の血に殺される。
家族と共に襲われ、運良く生き残ったあの日に決められた死の定め。
それが彼の、運命だった。
後二話くらいで終わります、多分。そのはず。