何度時を繰り返しただろうか、何度悲劇を見ただろうか。
何度ワルプルギスの夜に挑み、何度破滅した彼女を見捨てて敗走しただろうか。
またいつもの病室に戻ってきた。
やぼったい三つ編みと眼鏡が弱い自分を表していた。
鏡に映るその姿を見るたびに思い出す。
自分を救ってくれた彼女を、自分の名前をほめてくれた彼女を、あの笑顔を、ともに笑いあった思い出を。
「まどかっ・・・」
泣いてしまいそうになる。
だが私には感傷に浸っている暇はないのだ。
交わした約束を果たさなければならないのだ。
そう、なんとしても彼女だけは助けなくては―――それが私の願いなのだから・・・
「――――――それだけではあるまい?」
突如として現れたその男は、“陰”を引き連れていた。
それは誇張でもなんでもなく、“彼”が現れた途端に突如として日が翳り―――光の注ぐ白く清潔な病室は一瞬にして鉄錆のような臭いのする禍々しい闇に塗りつぶされた。
美貌の男だった。
戦前から迷い出たような、大時代な服装の男だった。
黒よりもなお暗い、それでいて全くの闇でもない夜色の外套に身を包み、“彼”は雰囲気の一変した世界の中央に超然と立っていた。
「魔女っ!?」
暁美ほむらを襲ったのは未知の体験による困惑と、眼前の男への恐怖だった。
暁美ほむらは魔法少女にして時間遡行者である。
魔法少女―――それは願いが叶うことと引き換えに世に害をもたらす魔女と呼ばれる怪物と戦う運命を持つモノたち。
ほむらはたった一人の友人を救うため、その願いによって同じ時間を数え切れないほど繰り返し、幾千という魔女と戦い、たった一つの出口を探し続けているのだ。
そう、何度もだ。
もはやほむらにとってこの期間に起こることで分からないことはないはずだった。
どんな魔女がいるかについては、種類や居場所、能力にいたるまで完全に把握していた。
それでもこの時間の迷路から抜け出せないのは、選択肢を一つ間違えると一直線に破滅へと突き進む他の魔法少女や、手を変え品を変え体を換えて契約を迫る白いケダモノ、強すぎるワルプルギスの夜と呼ばれる魔女といった、判っていても対処しきれない要因によるものである。
そんなほむらにとって、“彼”の出現は初めてのことだった。
気配すらなく魔女が現れるなど今までなかった。
まともな言葉をしゃべる、というよりまともな人型の魔女などいなかった。
そもそも男ではないか。
だが魔女の撒き散らす絶望と同じ気配が、そして魔女のそれよりも深く、暗い、暗い、闇がそこにはあった。
ほむらは動けなかった。
恐ろしかった。戦いへの恐怖ではない、純然たる闇への恐怖が体を縛っていた。
動けないほむらの困惑の中、“彼”は嗤った。
長髪に縁取られた、怖気をふるうほど端正な白い貌。
その一部である口が、三日月形に切り取られたこのように薄く開かれ、嗤っていた。
「アレらと私とは、似て非なるモノだ。
『願い』の果てに自らの『願望』を失った、という点では同じようなものだがね。
魔法少女にして時間遡行者、暁美ほむら。」
ほむらからどっ、と汗が噴き出す。
(なぜ、私の名前と魔法少女であることを知っているの?
しかも魔女のことまで・・・)
「・・・その問いには答えはない。
応えることは可能だが、それは君にとって答えにはなってはいないだろう。」
(心を読んでいるの!?)
“彼”の嗤いが深くなる。
それはほむらの問いへの、何よりも明確な答えだった。
そして恐らく・・・『心を読まれている』という答えは正しく、また正解ではない。
「何、そう身構えることはない。
私は君の望みを守護するために来たのだ。
喜びたまえ、君の紡いできた因果の糸は、繰り返し廻された願いの輪は、私を手繰り寄せるまでにいたったのだから。」
「・・・・・・あなたは・・・」
「何者か・・・か?」
言葉にならないほむらの台詞を“彼”は引き取った。
そして詠うように、答えた。
「私は“夜闇の魔王”にして“名付けられし暗黒”、そして“叶えるもの”だ。
だがもし、最も本質的かつ、無意味な名で私を呼ぶのであれば、私の名は神野陰之という。」
神野陰之・・・ほむらはかつて聞いたことがあった。
この病院に来る前、羽間市の病院にいたころ、外で犬を散歩させていた少女に聞いた名だ。
たしか、その都市に棲むという魔人、人の望みを叶えるという生きた都市伝説。
そして、まほうつかい。
(わたしを楽しませるための、ちょっとしたおしゃべりかと思っていたけれど、まさか実在したとはね・・・)
あの話の通りなら、この時間の迷路を抜け出すためのカードになるかもしれない。
だが、慎重にならねばいけなかった。
なぜなら、ほむら達魔法少女は、別の叶えるモノに騙され、悲劇を繰り返しているのだから。
「神野陰之、あなたは願いを叶えることで、何を得るつもりなの?」
その問いかけに“彼”は心外そうに顔を歪めた。
「あの異星から来た“孵す者”と一緒にしないでくれたまえ。
私は本当の『願望』を守護するものだ。
“孵す者”共は上辺の願いでも叶えてしまうから、自らの本当の願望と向き合ったとき、それが叶わないことに魔法少女は絶望して魔女へと変わる。
ひどいものだ。」
獰猛に、そして哀れむように“彼”は嗤い、続ける。
「私は君に何も求めることはない。
ただそれが善であれ悪であれ、全て肯定して心の奥の本当の『願望』を叶えるだけだ。
暁美ほむら、他者の思いを踏みしだき、弱き心を持つもの、現実に苦しむもの、ともすれば自らも蹂躙して進む『願望』を持っているのだろう?」
「私は・・・」
返す言葉もなかった。ほむらは自分の願い―――親友のまどかを助ける―――ために他の全てを切り捨ててきた。
なんとしても叶えたい『願望』を持っていた。
「さあ、ためらいを飲み干し、君の『願望』を言ってみたまえ。
彼女を助ける以上の望みを、本当は持っているはずだ。
君は、その欲深い憧れの行方にどのような明日を夢見るのだね?」
眼前の魔人の言葉に嘘はない、というのがほむらの直感だった。
誰よりも強く望むのならば、経過に何を引き起こすか分からないがそれは叶うであろう。
「・・・私は、私の本当の『願望』は―――――」
しばらくの逡巡の後、ほむらは『願望』を口にする。
この時の迷宮の中、心の底にしまいこんでいた、その実頼る全てであったが本当の『願望』を―――――