いけすかない奴だった。
青臭い正義のために、何度言っても何度叩いても立ち向かってきた。
むかついた、昔の何も知らなかった自分を見ているようで。
けど、あいつも大切な人のために魔法少女になったと知った。
待っているだけだと、何も得られはしない。
発破をかけてみたら、喧嘩を売ってきやがった。
きれいごとばかりぬかしやがって、ついかっとなってしまった。
けど、その戦いの最中、ひょんなことで、私たち魔法少女が人間じゃなくなっていたのを知る。
ショックだった、けど、もう何も失うもののない私にとっては大したことじゃない。
お菓子はうまいし、別に不便ってわけじゃないしな。
けど、あいつは、あのきれいごとばかりのやつはショックだろうな。
そう思って、翌日あいつと話してみた。
しまってあった私の過去まで話してさ。
見てると放っておけなくなってきたんだよなあ。
あいつを見てると昔の自分を思い出す。
そして気づいたんだ。
あいつに感じたむかつきは、かつて何も守れなかった自分に対してのむかつきなんだってね。
だからあいつを助けてやりたくなった、申し訳ない気持ちもあった。
それに、期待もした。
あいつは、自分が見られなかったものの続きを見せてくれるんじゃないかってね。
けど、そう思って、あいつに再会したときにはもう遅かった。
あいつは、魔法少女の真実に苦しみ、恋に苦しみ、そして絶望して魔女になってしまった。
…その原因は、そのときの私は知らなかったさ。
今、全てを“見て”ようやく知ったんだけどね…
それでも助けたかった。
だから、あいつの親友を連れて魔女になったあいつに呼びかけてみた。
駄目だったよ、もう、魔力も底をついたし怪我も致命傷だ。
神様なんて、いないんだな。
だからさ、せめて最期くらい、いっしょに…眠らせてくれ。
―――――
――――
―――
「なぜ…こんなことをした?」
崩れ落ちたままのさやかを見ながら、杏子は神野陰之を問い詰めた。
その静かな怒りを神野は受け流す。
「なぜか…それは君達が望んでいるからだ。
君も“見た”なら分かるだろう。
多少の差異こそあれ、あれが君達の未来だった。
声は出れども言葉は届かぬ、あれは美樹さやかにとっての悲劇であり、君にとっての悪夢だ。
二度も、“妹”を、大切なものを失いたいというのかね」
「うう…」
その昏い瞳に覗かれ、心の奥に侵食されるかのような感覚を杏子は味わっていた。
その瞳には写っていた、
話をしようとする自分を振り払う父親が、
自分の言葉に背を向けて立ち去るさやかが、
血の海に沈む母と妹と、首をつったまま死の仮面で見下ろす父親が、
魂が魔女になって崩れ落ちたさやかのぬけがらと、それを見下ろすおぞましい仮面をつけた人魚の魔女が。
杏子は何度も何度も語りかけていた。
けれど生者はその心を理解せず、死者には言葉は届かない。
普段利己的に振舞って覆い隠してきた悪夢が表に噴出していた。
(もう、やめてくれ、もう。
嫌だよ、父さん、母さん、モモ…さやか…)
何度も何度も見せ付けられ、杏子の心は絶望に染まっていた。
一つの光景を見るたびにソウルジェムはにごり、“見た”光景のさやかが魔女化する直前のように真っ黒になっていた。
(ああ…もう…)
駄目だ、と思いそうになったとき、すぐ目の前に神野が移動していた。
いつの間に、と思ったときには、神野の手は杏子のソウルジェムを包みこみ、次の瞬間にはソウルジェムは何事もなかったかのように浄化されていた。
それと同時に、杏子の脳裏で繰り返された光景も、周囲を漂う粘つくような漆黒の気配も霧散していった。
悪夢から覚め、はっとした顔をする杏子に向け、神野は嗤いながら言った。
「今のが、美樹さやかが魔女化する直前の感覚だ。
実学に勝るものはないと言ったものだろう。
見えないものが、分からないものが分かったとき、それを知った瞬間、また他のものも変わる。
さて、君たちは今、未来を知り、絶望を知り、そして互いの想いを知った。
ならば世界も変わるが道理。
あとは、君たち自身の心に従いたまえ」
その言葉を残して、神野陰之は姿を消した。
それと同時に、屋上に暁美ほむらが姿を現した。
やはり心配だったのだ、エレベーターを使うのも忘れて階段を駆け上ってきたのだ。
神野により一時的に能力を封じられていたので時間が掛かってしまった。
肩で息をするほむらの姿はまだ崩れたままのさやかには見えていない。
「さや『さやかは無事だ、ほむら、まだ魔法少女にはなっていない』
声を掛けようとしたほむらに、杏子が魔法少女のテレパシーで割って入る。
杏子がいたことに、そして自分の名を知っていたことにほむらは驚く。
そして同じくテレパシーで返す。
あえてテレパシーを使ってきたことを考え、さやかには伝わらないようにしておく。
『何故、私の名前を?
それに、さやかはどう見ても無事とは言えなさそうだけど』
さやかを心配するほむらに、杏子はおもしろそうに告げる。
『そんな顔もできたんだな、ほむら。
“前”はもっと冷たい奴かと…いや、あんたはさやかじゃなくまどかを守りたいんだったな』
そこに含まれるニュアンスに、ほむらは反応する。
まるで、自分と同じく、時を繰り返しているような。
その心を読んだように、杏子は続ける。
『詳しくは後で話すさ。
“前”は教えてくれる前に私が死んじゃったし、まあ意趣返しってやつさ。
何より今はさやかだからな。
さやかは私に任せてくれよ、今度こそ、救ってみせる』
そう、決意に満ちた目をされると、ほむらは何も言い返せなくなった。
それと同時に、杏子の言葉に安堵する。
ほむらは、二人は自分が辿った過去の時間軸の記憶を見たらしいと推測する。
それならさやかがああなっているのも理解できる。
どの時間軸でも、魔法少女に関わる場合は絶望し破滅するのが常だったのだから。
杏子については巻き添えや不運でよく命を落としたが、絶望に捕らわれることはなかったのでまだあのように立っていられるのだろう。
そこでの杏子は、自分に隠し事があるのがわかっていながらも共に戦ってくれた、信頼のおける戦友であった。
ほむらが辿ってきた時間軸では、さやかと杏子は魔女狩りへのスタンスの違いによる対立から始まっていたのが、懸念事項ではあるのだが。
『そうだ、あんたに渡すものがあった』
黙り、思考するほむらに杏子は思い出したように告げ、何かを放り投げた。
ほむらが受け取ったそれは、かわいらしい封筒につつまれた手紙だった。
『マミのやつからの手紙だ。
ちゃんと読んでやらないとあいつ寂しがるぞ。
それにあいつとの約束でな、ちゃんと使い魔も狩ることにした。
さやかのことは、心配するな』
マミの手紙と聞いてほむらは驚く。
そして、無事で、少なくとも手紙を書けるような状態でいることを嬉しく思う。
感傷にひたりつつも、ほむらはさやかのことを考える。
マミがどうやったか知らないが、懸念事項も解決したらしい。
だから、ほむらはさやかを杏子に任せることにする。
そして、ほむらも杏子に向かって何かを放り投げる。
それを受け取った杏子に向け、ほむらは告げる。
『任せるわ、杏子。
それは軍用の通信機よ。
どうせ携帯は持っていないでしょうし、何かあれば連絡しなさい』
そしてきびすを返して屋上から去る。
その姿を見送り、杏子はいまだうなだれたままのさやかに向き直る。
「さて、取り敢えずこいつを連れ帰るかねえ」
日が沈み、夜の帳が下りた頃、さやかは杏子に連れられて家にたどり着いた。
さやかはまだショックの中にいて、杏子に手をひかれるがままだった。
家の位置を聞き出すこともできなかったが、それは“見た”記憶が教えてくれた。
家にたどり着くと、まだ19時前にも関わらず杏子はさやかを寝室へと放り込んだ。
「まずは何も考えず眠りなよ。
こういうときは、体と心を休めるのが一番さ」
「杏子、でも…」
「先輩の言うことは・・・あいつの言うところの、“姉”の言うことは聞いておくもんさ。
なに、まだ時間はあるさ」
まだ何か言いたげにベッドから体を起こそうとするさやかのその額をつっつき、再び横にさせる。
「ねえ…きょう…」
それにあらがおうとするさやかだったが、どうしようもない眠気に襲われてそのまま眠ってしまう。
「寝たか…今日はおやすみ。
夢も見ずに眠りなよ」
そんなさやかを見ながら、杏子はやさしく呟いてその頭をなでる。
さやかの額をつっついたときに魔法をかけて眠らせておいたのだ。
それは、杏子が家族を失ったあとに開発した魔法。
家族を失ったばかりの杏子にとって、家族の夢を見て、その死を追体験する夜は恐怖と絶望の象徴だった。
眠れぬ夜は心を苦しめ、眠れぬ体は悲鳴を上げ、疲弊した体はさらに心を蝕んだ。
だから封じた、魔法で作った何も感じぬ深い眠りに。
心が落ち着くまで杏子はそうしてきた。
そして、その休息は今のさやかにも必要だと思ったのだ。
眠りにより脳は情報を整理するというし、健全な肉体には健全な精神が宿るとも言う。
また、夜の闇の中で悩むよりも、朝の光の中で考えるほうがいい発想が浮かぶだろう。
少しでもいい方向にいくように、そう思っての気遣いであった。
「…さて、こうしているわけにもいかないな」
さやかが眠ったのを確認すると、杏子は立ち上がり、さやかの部屋から出る。
このままさやかを見守りたいところだが、家にいつづけるのは問題があった。
まずさやかの親が帰ってきたときの説明が難しい。
さやかを起こしたくはないし、かといってさやかとの口裏合わせなしに家も家族もないことを隠すのはできそうになかった。
憔悴しきった娘の姿を見せることが無かったのも含め、親がいないことは好都合ではあった。
ただし、親がいないことは今回こそ好都合だったが、彼女達にとっては利点だけではなかったことをすぐに知ることになる。
部屋から出た杏子が目にしたのは、リビングに置かれたメモだ。
『今週は仕事で二人とも遅くなります。
ご飯は冷蔵庫に入れてあるので先に食べて、先に寝ててね』
(なるほどな…)
親が家にいない理由と、“見た”内容で自分やほむらのような一人暮らしではないはずのさやかが毎晩出歩いていた理由がはっきりした。
それに、精神が崩れるのが早すぎた理由の一因もこれだろう。
魔法少女のことは言えずとも、家族と過ごすことは心の救いになるはずだし、恋の相談をする機会もあっただろう。
だが、あの“見た”期間の間に家族と触れ合う時間がおそらくなかったのだ。
全て一人で抱え込み、家に帰っても待ち受けるのは昏い玄関、昏いリビング、そして空虚な食事。
道理であんなにすぐ魔女化したはずだ。
「ぜったい、あんたを死なせはしないよ、さやか」
さやかの孤独を思い、杏子はそう呟く。
なんとしてもあの未来を回避してみせると誓う。
そして、魔女がさやかの絶望の気配によってこないよう家に結界を張り、さやかの親が不振がらないようにさやかの為の夕食を食べつくすと、その場を後にした。
杏子は、“記憶”を頼りに町を歩く。
さやかが魔法少女にならなくとも、記憶にあった魔女は出る可能性があるからだ。
案の定、魔女の口付けを受けたらしきふらふらとさまよう集団に遭遇した。
そのあとをつけ、元凶たる魔女を倒せばいい。
グリーフシードも落としたはずだ。
と、そこまで考えた時点で、その集団に初対面だが“見た”ことのある顔があることに気づいた。
志筑仁美、さやかにとっての恋敵であり、さやかの魔女化にトドメを刺した人物。
どうやらこの時間軸においても巻き込まれたらしい。
(見捨てるか?)
それを見たとき、杏子の心にふとそんな言葉が浮かんだ。
(あいつをあのままにしておけば、さやかの恋のライバルがいなくなる。
しかも魔女のせいなら犯罪にもなりゃしない、すべては闇の中…か)
それは悪魔の囁き。
あの時間軸でのさやかは、魔法少女の真実を知って傍目に見ても精神が焦燥していた。
さやかの親友である仁美がそれに気づけないわけがない。
精神が揺らいでいる相手に勝負を持ちかける。
しかも自分は事前にたっぷり考えた上で相手に与えた時間は、さやかが告白できる時間は一日にも満たなかったのだ。
杏子の目から見ると明らかにフェアな条件ではなく、あの時点のさやかは条件を交渉するということができるような精神状態ではなかった。
全てを“見た”杏子にとって、一途な少女が破滅する原因となった目の前の相手に怒りを覚えずにはいられなかった。
杏子が見捨てたとしても、黙っていれば分からないし、さやかには間に合わなかったと言えばいい。
その悪魔の囁きに身を委ねようかと考えたが、それは果たされることはなかった。
なぜなら、そこにもう一人、見知った顔が現れたからだ。
その人影は、志筑仁美に近づき、その歩みを必死になって止めようとしていた。
「あれは…鹿目まどかか?
そういえば、こいつもいたっけな。
仕方ねえ、助けてやるか。
私としたことが、怒りに我を忘れそうになるとはねえ。
…大切な人を失うのは、嫌だもんな」
杏子は、ぐしぐしと頭を掻き、邪念を振り払うと彼女達を助けることに決めた。
自分の大切な人を守るためと言って他人にとっての大切な人を目の前で見殺しにする、その矛盾に気づいたのだった。
そして魔法少女の姿に変身すると風のように駆け出した。
「よう、また会ったな」
「杏子ちゃん!?」
その途中、まどかに声を掛ける。
「先に行って元凶の魔女を倒す。
あんたはその子がなにかしでかさないか見張ってな。
だが、くれぐれも無茶すんじゃねーぞ」
そして、そう告げると先へと駆け出す。
突然の再開にまどかはあっけに取られていたが、駆け出す杏子を見て我に返る。
駆け出す杏子の背中から、声がかかる。
「ありがとう」
と。
それを聴いた杏子は思う。
(ありがとう、とはこちらのセリフだよ。
あんたがちょうどよく現れてくれたから、悪魔の囁きに身を委ねずにすんだんだ。
私は、私らしいやりかたで守りたいものを守れる)
そして軽やかに、夜の街を駆け抜けていく。
杏子が魔女の波動を辿って着いたのは廃工場だった。
まだ、魔女に操られて歩いていた人たちは着いていない。
いるのは、その工場長だったらしい男とその妻らしい女だけだ。
小さな工場一つ守れないなんて死ぬしかない、とか、夫を支えられないなんて、など呟いている。
その廃墟と、うなだれる夫婦に、杏子は自分の家族を重ねてしまう。
杏子の父は、信者がいなくなってもそれでも前に進もうと足掻いていた。
それが好きだった。
だから、そんな人間の足掻きを、尊厳を奪い絶望の中の死しか選ばせなくするこの魔女に、どうしようもなく嫌悪感を抱いた。
その魔女がかつては自分と同じ存在だったとしても、その行為への怒りの前では、それはささいなことだった。
「出て来い!魔女!!」
そう叫ぶと、杏子は結界の中へと飛び込む。
そこは一面、水中のような水色に覆われた空間だった。
実際水中のように、なにもしなければぷかぷかと浮いてしまう。
それほど抵抗はないので、やったことはないが宇宙遊泳というのが近いかもしれない。
一般人には脅威だろうが、魔法で飛んだり一時的な足場を作れる魔法少女にはたいしたことはない。
そして杏子を囲むように、何台ものモニターが着いたメリーゴーランドがぐるぐると回り、円筒状の場を作り出していた。
周りを見渡すと、本体らしき魔女もいた。
羽の生えたテレビの姿をして、デッサン人形のような使い魔に運ばれている。
それを確認するとほぼ同時に槍を繰り出す。
多節棍の性質も備えるそれは途中で分解し、魔女にとっては完全な奇襲になる方向からその中心を貫くはずだった。
だが、それはあっさりとよけられる、まるで杏子の思考が読まれているかのように完璧に。
攻撃を回避した魔女の画面と、周囲のモニターが映像を映し出した。
そこに映し出されたのは、杏子の家族、さやか、そして杏子が辿った悲劇の映像。
そう、この魔女は実際に心を読み、絶望の記憶を見せて他者を自滅させる、そんな性質を持っていた。
悪夢を再び見せ付けられた杏子だったが、
「なるほど、実学に勝るものはないとは言ったものだね」
その光景を見ても、動じることなく不適に笑うだけだった。
画面の上で見せられたところで、あの心の奥まで見透かされる瞳と、繰り返される悪夢の追体験には及ばない。
一度体験しておけば二回目は対処が可能だ、二回目のほうが易しいなら直のこと。
そんなことを考え、魔人のことを思い出したとき、魔女の動きが止まった。
いつの間にか他の画面は全て漆黒に塗りつぶされている。
「そりゃあ怖いよねえ。
あんただって元は女の子だったんだしね。
あたしが覆い隠してる奥の奥まで覗いちゃったんだから」
魔女はその能力ゆえ、杏子の心に浮かんだ神野陰之を見て、その心の深遠を通じて異界を、その奥を見てしまった。
いかに魔女といえども、人間の、いや世界の闇の全てを一度に見ることには耐えられなかったのだろう。
人間で言うところの発狂に陥った魔女は、もはやその能力を眼前の敵に使えず、易々と槍に貫かれたのだった。
戦いの後、杏子はビルの上で街を眺めていた。
下では、夜にも関わらずざわめきが満ちていた。
魔女を倒し、操られていた人々が気絶したのを、まどかが呼んだ救急車が搬送していく。
終わったのを確認すると、杏子はその場を後にする。
全ては明日、陽の光の中で。
思いを載せ、夜は更けていく。