親が呼ぶ声で目を覚ます。
朝日が差し込んでいた。
何も変わらない、よくある朝だ。
いつの間に眠ってしまったのだろうか。
そう思い、記憶を辿っていったら、思い出してしまった。
魔法少女になり、そして魔女になってしまった自分の結末を。
吐き気と悪寒がし、目の前が暗くなり、どさり、と床に倒れこんでしまった。
さやかは、再び布団の中に戻ってきていた。
倒れる音を聞いて部屋に駆け込んできた親に、体調不良による立ちくらみだと伝えたら心配しながらも一応は納得してくれた。
今日は休みたいというさやかの要求も通った。
元々あった放任主義なところや、仕事で家に帰れないことでの娘への負い目というものもあったがゆえだろう。
学校に電話をし、さやかの分の朝食と昼食を冷蔵庫に入れると両親はあたふたと仕事に出かけていった。
そしてさやかは一人家に残された。
親が、心配だから残るとか言わなくてよかったと思う。
まだ、あの“記憶”の整理が済んでいなかったからだ。
一人になりたかった。
この状態で、学校の皆に、特に仁美に会っていたら、どうなってしまうのか自分でも分からなかった。
実際は何も起こっていない、その通りであり、そう思おうとしても、絶望が湧き上がってくる。
生身の体というのは便利なのか不便なのか、どれだけ心が絶望に支配されても、魂は早々砕けてはくれないのだった。
「恭介…」
弱った心に、今一番会いたい大好きな幼馴染の顔が浮かんだ。
けれど、それに続いて届かなかった自分の思いが、恭介が仁美と笑いあう姿が浮かぶ。
「きょー…すけ…うう、うぇ…」
胸が締め付けられ、ただひたすらに涙ばかりが流れる。
他に誰もいない部屋に、嗚咽ばかりが響く。
『おーい、さやかー』
いつまで泣き続けていただろうか。
あまりに泣きすぎたせいか、さやかは幻聴のようなものを聞いていた。
『いるんだろー、起きてるかー』
まるで杏子の声みたいだ。
そこで杏子のことに思考が移る。
実際に触れ合ったのは“こちら”ではほんの僅か、病院から家まで連れてきてくれた他人に過ぎない。
“記憶”においても、戦って、また戦いかけて、杏子のかつての家だった教会で話を聞いて、魔女化する直前にまた会っただけ。
両方あわせても、ほんの数時間の付き合いだったのではないだろうか。
しかもほとんどは無言の移動のみ。
“記憶”ではさやかは敵意ゆえまともに話そうとせず、“こちら”では心神喪失状態。
けれど、その数えるほどのそれを、強烈に思い出せる。
(どうしてあいつは、わたしにあんなに絡んできたのかな…)
さやかはその最期の時以外、杏子を頑なに、というよりは意地になって受け入れようとはしなかったのに。
グリーフシードを優先する姿勢も、自分の為に魔法を使うことも、あの末路を考えれば正しかったと言わざるを得ないが、“記憶”の中のさやかはそれを突っぱね続けた。
それなのに杏子は逆に態度を軟化させ、力になろうとしてくれたような気がする。
それにこっちでも、自分を家まで送り届けてくれた。
あの私はもう何も言えなくなってしまったけれど、この私が代わりに言わないといけないのかもしれない、ありがとう、そしてごめんなさい、と。
そうつらつらと考えているうちに、泣き疲れたのかまた眠くなってきた。
夜色の外套や朝色の夜会服、丸眼鏡や赤いリボンが舞い踊り、魚になったさやかは鏡に飛び込んで、ひらひらと舞う赤い蝶が集まって杏子の形になって…そして…
『おい、これちゃんと繋がってるんだろうな。
さやか寝てるんじゃないだろうな』
『僕を電話機か何かのように扱わないで欲しいな。
そもそも何で君が美樹さやかを気にかけるのさ。
昨日、僕の記憶が無い間にいったい何が起こったのか教えて欲しいくらいなのに…
ぐぇっ。
扱いがひどいよ、ちゃんと繋がっているって。
さやかだって起きて…あ、寝そうだ』
『おーい、さやかー!
何やってんだ、このボンクラ!』
「…杏子!?」
…脳裏に響いた大声で目が覚めたのだった。
魔法少女になってからソウルジェムの真実を知ったあの時も、沈んだ心を抱えて学校を休んでいたさやかの家の前から杏子が呼びかけていた。
そこで、杏子の家だった教会に連れて行かれ、彼女の過去を聞いたのだ。
今回もまた、彼女は来てくれたのだ。
それがさやかにはうれしかった。
今度は、そのお礼もかねて、家に招待することにした。
あまり外を歩きたくない気分だったということもあったが。
さやかの住むマンションのドアへと飛び込んでいった杏子と、杏子に放り投げられてトラックの荷台に載せられ離れていくキュゥべえを見ながら、ふとつぶやく。
「魔法少女ってテレパシー使えたんだったね」
魔法少女の能力の一つであり、魔法少女でなくとも資質があればキュゥべえを媒介にして加われる。
“以前”は魔法少女になる前からしょっちゅう使っていたのだが、今回は今の今まで使っていなかったなと驚く。
原因は、神野陰之とほむらだろう。
特にほむらだ。
“以前”は冷たく、全てを諦めたような、それでいて何かに執着するような目をしていた彼女。
けれど今回は、暖かく、全てを掴もうとするような、そんな目をした、それでいて闇を従えた彼女。
ほむらが変わったから、少女達はテレパシーを使う必要のない距離になっていたのだろう。
神野陰之はいらないが、さやかは今のほむらが好きだ。
だからこそ思う。
彼女は彼に出会って、そして何を見たのだろう。
そしてどうやって、あのような希望を持てるようになったのだろう。
…私も、違う運命をつかめるのだろうか。
そう考えたところでブザーの音が鳴り、さやかは、はっ、と現実に引き戻される。
杏子が部屋の前まで着いたのだった。
がちゃり、とドアを開ける。
「よう、気分はどうだい?」
そこにあったのは、最期の自分に声を掛けてくれた時と同じく、ふてぶてしいながらも気遣いの見える、そんな微笑だった。
「あ………」
さやかは声が出せなかった。
気分は当然、悪い。
杏子が来てくれたことはうれしい。
けれど、この杏子は、“あの”杏子ではないのだ。
さやかとぶつかり、話をし、最後の一週間で最も濃密に接触した彼女ではなく、ただ自分を運んでくれただけの関係なのだと、そう考えると何を言っていいのか分からなかった。
だが、その思考をよそに、言葉詰まるさやかを見た杏子は合点したように苦笑する。
「ま、そりゃそうか。
どん底まで落ちる光景やら自分の死ぬところやらを見ておいて、能天気にしてられるわけないもんな。
あんたは、そーいうキャラとは縁遠い奴だったし」
その、“あれ”を見てきたかのような物言いにさやかは混乱した。
さやかの気持ちが落ち着いたとき、気づけば目の前には、さやかのために親が残した朝食をむさぼる杏子と、剥かれたりんごが置かれていた。
どうしてこうなったのか、とさやかは記憶を辿る。
飯は食ったか、と言う杏子に、食べてない、用意はされているが食欲がない、代わりに食べても良いと答えた。
なら、これだけでも食っとけ、と杏子が言い出し、持ってきたりんごを剥き始めた。
案外後姿がさまになっていた。
そして、剥き終わると、その皿をこちらに向け、“あの時”教会で会話した時にしたように、こう言ったのだ。
「食うかい?」
やはり、この杏子は“あの”杏子なのではないかという気持ちが強くなる。
そしてさやかは、意を決して聞いてみる。
「もしかして…私が魔法少女だった時の、記憶があるの?」
何を言っているんだ、という目をされるのが怖くびくびくした声だった。
それで杏子は、大事なことを忘れていたかのようにしまった、という顔をしたが、すぐに優しい顔になって答えた。
「あるよ。
私もあの魔人に“見せられた”からね。
あんたが頑張って、苦しんで、そして魔女になってしまったいきさつをね。
そしてそんなあんたが見捨てられなくて命までかけて、そして魔女になったあんたと心中した、そんな私のことも、見たんだろ」
“あの時間”を共有した杏子であることが、さやかにはうれしかった。
ただ、話にあった後半の杏子のいきさつは初耳だった。
さやかが見たのは、魔女になったところまでだ。
「杏子、私のために、そこまでしてくれてたの?」
そうさやかが告げると、杏子は、言いすぎたとばかりに顔を赤くしてしまった。
てっきり自分がさやか視点の記憶まで見たのと同じように、さやかも自分視点の記憶を見ているものだと思い込んでいたのだ。
赤くなってあー、うーと顔を悩ませる杏子を見たさやかは、おかしくなって、くすり、と笑う。
それは、“記憶”を見てから初めての笑い、そして、杏子の前で見せた初めての笑顔でもあった。
さやかは心に、少し光が差した気がした。
「杏子、ありがとう、ごめんね…」
さやかは泣いていた。
杏子の物語を、そしてその気持ちを聞きだし、助けようとしてくれたことに感謝し、杏子を殺してしまったことを嘆いていた。
「杏子、私、私…ううう…」
杏子の思いを知って、少し落ち着いてきた感情がまた決壊していた。
泣きじゃくるさやかを、杏子は優しく抱きしめる。
妹をあやす姉のように、しばらくそのまま、泣き止むまで。
その嗚咽が収まりかけたとき、その耳元で声を掛ける。
「さやかが気にかけるなよ。
全部私のわがままさ。
さやかに昔の自分を重ねてつっかかったのも、勝手な期待をしたのも。
あんたを助けようとしたのも、死を選んだのもね。
それに、私がいなかったら、あんたは何も知らないまま、あの坊やと付き合えていたかもしれないんだ。
ごめんな、さやか、本当にごめん」
それを聞いてさやかは顔を上げ、杏子の顔を見た。
「ううん、杏子。
今の私だから言える、ありがとう」
それに、杏子はじわりと涙をにじませて答えた。
「ありがとう、さやか。
今度は、死なせねーからな」
すれ違い続けた二人の心が、ようやく繋がった瞬間だった。
だが、そのまま見つめあっていると気恥ずかしくなったのか、杏子は、
「ええい、やめだやめ。
家の中にいると辛気臭くなっちまう。
ちょいと歩こーぜ、さやか。
外は晴れてるんだ。
子供は外に出ないと駄目なんだぜ」
と言ってさやかの手を引っ張る。
さやかは強引なそれに引きずられるままだったが、悪い気はしなかった。
「あんなこと言っておいて、来るのがここ?」
お互いの溝がなくなり、明るい杏子に引きずられたさやかは、泣くだけ泣いたのもあってか軽口がきける程度まで回復していた。
杏子に引っ張られるままにぶらぶらと歩き、たどり着いたのは杏子の家だった教会だった。
さやかの“記憶”が正しければ、ここは一番辛気臭い話をしたところではなかったか。
それに外は晴れていても打ち捨てられた教会は灯りも付かず薄暗い。
それに対し杏子はばつの悪そうな顔をして告げる。
「忘れ物があってさ。
あんたもちょっと回復してきて、渡してもいいだろうしね。
昨日は私といえどもちょいとナーバスになって一夜をここで過ごしたんだけど、うっかりとね」
渡すもの、と言われてもさやかには心当たりがなかった。
けれど、杏子が棚から取り出した物と、かけられた言葉はさやかを大きく驚かせた。
「マミからの手紙さ。
私はマミがあっちに行っちまってから実際に会ったんだ。
昨日渡すつもりだったんだが、ああなっちまってそれどころじゃなかったんでね。
ちなみにあいつは元気、ってのもおかしいけど、相変わらずさ」
ここで、あの先輩の手がかりがつかめるとは思わなかった。
震える手で少ししわがよった手紙を手にする。
杏子の、読みなよ、と促す声で、その封を切って読み始めた。
『美樹さんへ。
ごめんなさい、勝手に消えてしまって。
せっかく一緒にいてくれる、って言ってくれたのにひどい先輩でごめんなさい。
あの時は本当に嬉しかった、けど、私の『願望』は別にあったみたい。
以前、人のために願いを使うことについて美樹さんにはえらそうなことを言ってしまったわね。
でも、私も一緒だったみたい。
あの魔女は、上条君のような、病院で苦しんだ子供達の集合体だったの。
そして私はそれを見捨てられなかった。
私も同じだったから、あなたたちがしてくれたように、私も幸せを分けたかったから。
見捨てられない、というのもまた愛であり願望なんでしょうね。
私のようにはならないで、と言う資格はないわ。
でも、鹿目さん達を悲しませるようなことにはならないでね。
あなたと上条君が幸せになれることを祈っているわ』
「マミさん…」
読み終えると、さやかは目に涙を浮かべていた。
いつの間にか、杏子も横から覗き込んでいた。
しばらくそうしてマミのことを思っていたが、杏子がぽつり、とつぶやく。
「なるほどね。
私たちみんな、人のために願いを使った似たもの同士だ。
マミは形はどうであれ成功し、私は失敗した」
そう、願いの成れの果てである廃墟と化した教会を眺めながら言う。
「そしてあんたは、実際はまだこれからだ」
そしてさやかのほうを向いて言う。
「あんたには色んな道があるさ。
魔法少女になる道も、ならずになんとかする道もね。
でもどっちにしろ、こうと決めたら、どーんと行くしかないだろう。
私が一緒に行ってやるよ。
魔法少女にならなかったとしても、魔女は私が全部排除してやるから心配すんな。
むしろその方がグリーフシードを独り占めできるかもしんねーし」
最後にはわざとらしく笑う。
それを見たさやかも、にっ、と笑う。
その気持ちがうれしかった。
そして、前に進もうという気持ちが生まれてくる。
「どっちにしても、これからよろしく、杏子。
私がどうしたいのか、『自分の為』にどうするのか、考えて見るよ」
「うん、よろしくね」
そう言うと杏子はポケットからうんまい棒というお菓子を取り出しさやかに向ける。
「なに、これ」
「ちょっとした儀式みたいなもんさ。
食うかい?」
さやかはそれを手に取り、二人で分け合って食べた。
杏子と別れ、さやかは家に戻った。
なんだかんだで日が暮れ始めていた。
気分が軽くなったからか、生身の体はいい加減栄養を求めたのか、今度は用意されていた昼食が食べられた。
そうこうしていると、またベルが鳴った。
今度は立っていたのはまどかだった。
連絡もなしに休んでいたため、心配になってきたのだと言う。
そういえば、起きてからまだ携帯に触れてすらいなかった。
ほむらもさやかの席を見てどこかそわそわしていたらしいが、用事があったのか魔女が出たのかお見舞いには行けないとまどかに伝えていたそうだ。
さやかは、具合が悪かったから休んだ、という建前を通した。
真実を話せば、この親友に心配をかけることになってしまう。
未来にあたることとはいえ、絶望して魔女になってしまうなんてばらせばほむらにも悪い。
なので学校のことなど取りとめのない話を始めるが、話の中で、まどかが杏子に会っていたことや、仁美を襲った魔女を杏子が倒したことを聞き、改めて杏子に感謝する一面もあった。
そして、マミさんの手紙についても話し、優しい先輩のことを思う。
そして、マミさんが選んだことなのだから、と納得することになった。
でも、なんとかして会いたいね、と言う話になる。
するとまどかは、ほむらちゃんや神野さんに聞いてみよう、と言い出し、神野陰之はちょっと、とさやかが謙遜する場面もあった。
それらの話などをしながらも、さやかはさりげなく聞いてみる。
自分の願望は固まっていないが、まどかはどうなのだろうか、と。
“記憶”のことがあるから直接相談はできないが、この頼りになる親友の言葉が聞きたかった。
そして、その答えは、まどかが帰ってからもさやかの耳に残り続けた。
『私の願望かあ、恥ずかしいけどね。
パパやママ、さやかちゃんや仁美ちゃん、ほむらちゃん、杏子ちゃんも入れて、皆で笑顔で暮らしたいなあって』
次の日、さやかはまた具合が悪かった。
それほど重くはないようだが、風邪をひいたらしい。
今日は普通に休むことになってしまった。
病院に行った後にあの“記憶”を見せられて精神ダメージを受け、さらにその後二食も抜いてしまったのだ。
それにその状態で行った杏子の教会は、コンクリート作りのうえ割れた窓や杏子が壊した扉からの風が吹き込み…冷えた。
生身の体にはこれらは堪えたらしい。
体はだるい、けれど心は昨日より軽くなっていた。
むしろもう一日、じっくりと考えられる時間が取れることを喜ぼうとさやかは考えた。
ふと思い出し、さやかはもそもそと布団の中で動き、携帯を手にする。
まどかとほむらに、ただの風邪だと伝えねばなるまい。
無駄に友達を心配させたくはなかった。
そして、また今日も杏子が窓の外に立つのなら、今度は風邪をひかせたことに文句を言って困らせてやろうと思い、くすり、と笑った。