【完結】魔法少女奇譚   作:ふーま

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老人と王子

「待ってくれ……行かないでくれ!」

 

夢の中、僕は走っていた。

道を駆け、車道を横切り、奇異の眼で見られても一心不乱に走り続けた。

息が切れ、道がなくなり、見る人もいない深夜になっても、前へ前へと進み続けた。

ひらひらと舞うオレンジの蝶を追いかけて。

なぜそこまでして追いかけるのか…当然だ。

あれは僕の恋人…僕が殺してしまった大切な人の、その魂だからだ。

謝りたかった、僕は君を嫌いになったんじゃないと、そして大好きなんだと言いたかった。

 

 

 

人は死ぬと魂は蟲になって世界へ散っていく、肉体は蟲の詰まった蟲袋、僕には世界がそう見えていた。

始めは世界を舞う蟲が見えたり、死んだ人から蟲が出て行くのが見えたりするだけだった。

けれど次第に、生きている人の体、その口や目から蟲が顔を覗かせるのが見えるようになってしまった。

蟲に触れたくなくて引きこもった、自分の中にいるおぞましいモノから逃げたかった。

それでもそいつは部屋の入り口を超えて寄ってきた。

蟲袋を追い出そうとして殴った。

それは自分が想い、そして自分を心から想ってくれた恋人だった。

傍目に見て狂ってしまったような僕を見捨てないでいてくれた大切な人だった。

呆然とする僕の前で、冷たくなった体から蟲が出て行く、遠くへ行ってしまう。

だから、必死で走った、追いかけた。

 

(待ってくれ、まだ、謝ってない。

 まだ、お礼を言ってない。

 まだ………)

 

だが、その手は届かず、体は力尽き、薄い部屋着で覆われた汗だくの体は冬の夜道で急激に冷えていく。

死ぬ前に僕は願う、僕も蟲になって恋人を追うんだ、世界中に散った蝶を探して、何度でも言うのだ。

何度でも謝って、こんな僕のそばにいてくれたことのお礼を言って、そして、君が好きだと繰り返すのだ。

 

「それはよい『願望』だね」

 

薄れていく視界の中、いつの間にか黒い男がそばにいて何か言っていた。

その言葉に僕は安堵を覚えた。

もう、蟲への嫌悪はなくなっていた。

大切な人が、人でなくなったからといってどうして嫌悪することができようか。

そして、僕の願いのまま、僕の体から、蟲が、探求の象徴であり、蝶と共に語られる蝿が飛んでいく。

そして僕は飛び立ち、蝶を見つけた。

必死でそれを追いかける。

そして言うのだ。

ごめん、ありがとう…そして、大好きだと。

“僕”には、その蝶に、何故かさやかが重なった。

 

 

 

 

 

「うっ…ん…」

 

夕暮れの病室で上条恭介は目を覚ました。

額に止まっていた蝿を、左手で払う。

そう、ついこの間までまともに動かせなかった手でだ。

絶対に治らない、少なくとも二度と楽器を演奏することは叶わないと言われた手を始め、交通事故で負った怪我がいきなり治った。

そのことで昨日から検査漬けだった。

その疲労がたまっていたためか、いつの間にか寝てしまっていたらしい。

何か、幻想的で、それでいて悲しい夢を見ていたようだった。

何故か、さやかがどこかへ消えてしまうような、そんな気がしてしまう夢だった。

 

「おや、起きたのかね」

 

そこで病室にいたのは、そのさやかでも、その友人で時折訪れる志筑仁美でもなかった。

ただ、深い白髪を抱えた一人の老医師が、ぬいぐるみを縫いながら椅子に座っていた。

足元には花束が置かれていた。

そういえば、今日定年退職するという小児科の先生がいたことを思い出す。

体が治って慌ただしかったため忘れていたが、自分のことを気にかけてくれたやさしい先生であり、その伝手で腕を治すための方法を探してくれていた人だった。

 

「君が治ったと聞いてね。

 ここから去る前に、皆が言う奇跡の少年に会っておこうと思ってね。

 君の主治医の松本に聞いたが、検査の結果も完全な健康体だそうだよ。

 帰る前に奴に君が起きたことを伝えておくから、詳しくはそのときに教えてくれるだろう。

 手続きも君の親が済ませたようだし、明日には退院できるだろう、おめでとう」

 

老医師はしみじみと、そして笑顔で言う。

そこにはただ喜びと、ほっとしたような雰囲気のみがあった。

それは患者が救われたことを喜ぶ医師としては普通のようだった。

だが、他の人たちのような奇跡を眼にした驚嘆や急激な回復への疑念といったものがまるでないのは不思議だった。

他の医者、特に主治医の松本先生や看護師のみんなは驚きあわてていたし、あれから数日たった今でも奇異の眼で見られるというのに。

そう感じた恭介は、感謝の言葉とともにその疑念を伝えてみることにした。

 

「ありがとうございます、先生。

 ただ、先生は、僕の体が治った奇跡に関しては驚いていらっしゃらないようですが…」

 

その疑問に老医師はくすり、と笑って答えた。

 

「何、私も奇跡を体験したことがあってね。

 君も聴いたことがあるだろう、このヌイグルミの話を」

 

そう言うと手に持っていたヌイグルミを見せる。

恭介が寝ている間にほとんど縫い終わっていたのだろう、ほとんど完全な姿になっていた。

そのヌイグルミの話は恭介も知っていた。

 

曰く、どんな子供でも落ち着かせる魔法のヌイグルミ。

曰く、よくほつれるので看護師や研修医がその修理をしょっちゅうしている。

曰く、寝静まった夜に暗闇の中で見るとそのほつれから指や眼が覗いている。

曰く、先日、一斉にすべてのヌイグルミの綿が抜かれていた。

 

ほとんど怪談である、実際に怖がっている人も多かったらしい。

だが、一人の夜や手術の恐怖におびえる子供ですら落ち着けるその効果は本物で、当の子供達は怖がる様子もなく懐いていたという。

 

「これは私がとある不思議な店から手に入れたものでね。

 あの噂は全て本当だよ。

 私達がどうしても宥めることのできなかった子供達を救ってくれた、まさに奇跡のようなものだ。

 こんな体験をした私だから、奇跡も起こりうると納得しているのだよ。

 もっとも、君には彼女達は必要ないと思ったから渡さなかったから、よくは知らなかっただろうがね」

 

その言葉に、恭介は反応する。

 

「必要ないとは、どういうことでしょうか」

 

恭介は思う。

自分は中学生で子供とはいえないからだろうか。

ただ、自分だって動かない腕に絶望し、苦しんでいたのに、と。

そんな恭介の思いを察した老医師は、ため息をつくと言った。

そこには、やはりわかっていなかったか、といった諦めも混じっていた。

 

「君にはこの子がおらずとも、しょっちゅうお見舞いに来てくれる娘がいただろう。

 君は孤独ではなかったはずだ。

 普段の君にあった影が、彼女と一緒にいるときは薄らいでいたように見えたのだがね。

 それとも、彼女は君にとってどうでもよい存在だったのかな」

 

その穏やかながらも、非難の色が混じった声に、恭介は表情を沈めた。

 

「さやかがいてくれたから、心が安らいだというのはあると思います。

 ただ、よくわからなくなりました。

 さやかが来てくれるのは、幼馴染としての義務のようなものじゃないのかって思うことがあるんです。

 それに、さやかが、僕が演奏できなくなった音楽を毎回持ってくるのを最近重荷に感じていたんです。

 僕じゃなく、バイオリンのできる僕だったものを見てるんじゃないかと、そう思ってしまうことがあるんです」

 

それは恭介の抱える負の感情だった。

音楽ができない自分に苦しみ、卑屈になり、周囲の人間とのすれ違いが生じていた。

その思いを受け取った老医師は、さっきの非難の色を消し、反省したような表情になった。

そして穏やかに告げる。

 

「さっきは言い過ぎたよ、すまないね。

 ただ、彼女は純粋に君を思っているだけだよ、義務なんかじゃないはずだ。

 …私の尊敬する江戸時代の医者に、緒方洪庵という人がいてね、その人の言葉に次のような言葉がある。

 

 人の為に生活して己のため生活せざるを医業の本髄とす。

 安逸を思はず名利を顧みず唯己をすてて人を救はん事を希ふべし。

 人の生命を保全し人の疾病を複治し人の患苦を寛解するの外、他事あるものに非ず。

 

 要するに、自分のことを捨てただ人の為につくせということさ。

 医者としては理想的さ、だだね、私は思うんだ。

 ただそういった義務感のみで人間は動けるものじゃない、その患者さんたちが、人間が好きだから、そして病気に勝ちたいからやれるんだ、とね。

 彼女もそうだと思うよ、君が好きじゃないとそこまではやれないさ。

 …やり方は不器用だったかもしれないけどね」

 

それを聞いた恭介は赤くなってうつむく。

その初心な反応を楽しそうに見た老医師はくつくつと笑い、続けた。

 

「まあ、その好きが、男女の好きか、友人としての好きかは君達の問題だね。

 ただ、彼女にとって君は“大切”なんだ、それだけは覚えておきなさい。

 ちゃんと向き合うんだよ、彼女は君を拒絶したりはしないさ」

 

その眼は多くを見てきた老人のみができる、深く、複雑な光を宿していた。

 

「…わかりました、さやかと、ちゃんと向き合ってみます。

 そして、酷いことを言ってしまったことを謝りたいと思います」

 

(あの少年のように…手遅れになる前に…)

 

そう、心の中で付け加える。

あれは夢だし、あの元気な幼馴染に何かあるとは思いづらいが、何故かそう確信できるものがあった。

その言葉を聞いて、その表情を見て、安心したように老医師は頷いた。

 

「さて、最後の問診は終わりだ。

 彼女のこと、大切にしてあげるんだね。

 せっかく体が元気になっても、君自身の“大切”を失っては元も子もないよ」

 

そう言うと老医師は席を立つ。

 

「ありがとうございました」

 

その姿を見送り、恭介は思う。

僕自身の“大切”はなんだろうか。

音楽、それが一番だと思っていた、だから失って絶望もした。

こうやって奇跡的に体が治った以上は、すぐにでも再開するつもりだ。

そういう意味では音楽が一番というのは変わらないだろう。

だけど、それだけを見ていて人を見てなかったのは、隣にいたさやかを見ていなかったのは自分のほうじゃないだろうか。

さやかに当たってしまったが、結局自分に非難する資格はないんじゃないか。

そして、時折来てくれた仁美さんにも、その穏やかさに甘えていただけだったし…

ちゃんと…考えないとな…

 

ふと、窓を見る。

窓からは病院の入り口が見える、先生を見送ろうと思ったのだ。

自分の足で窓まで歩き、自分の手で窓を開け、夕方の涼しい風に当たる。

それが出来ること、そしてその風が心地よい。

開いた窓から、先ほど払ってから部屋を飛び回っていた蝿が出て行く。

そして、外を飛んでいた夕日に照らされてオレンジ色になった蝶に向かって飛んでいく。

あの夢のように。

耳元を通った蝿の羽音が、笑い声のように耳に残り続けた。

 

 

 

 

 

上条恭介の病室を後にしたその老医師が病院の門を出る時、中学生くらいの少女達とすれ違った。

一人は上条恭介の幼馴染で、よくお見舞いに来ていた少女だった。

他の二人は一度か二度見ただけだったが、そのうちの一人、黒い長髪の少女の後ろに、かつて出会った黒い男の姿が一瞬見えた気がした。

それを見た老医師は、驚いたように眼を見開いて振り向き、足を止めた。

そして、しばらくそうしていたが、少女達が去った後、笑みを浮かべると虚空に向かって呟いた。

 

「店主どの、あなたは変わりませんな。

 あのあとあの店を探したが、結局見つかりませなんだ。

 ただ、あなたの与えてくれた奇跡のおかげで、多くの子の心を救うことができました。

 今回のも、あなたの仕業ですかな…

 また、奇跡に頼ってしまうとは、医者としては負けですな」

 

そう、自嘲気味な呟きを聞く者は周囲にはいなかったが、ざあっ、と風が吹き、それに乗ってどこからともなく言葉が聞こえてきた。

 

「奇跡が起きたのは、君や彼女の『願望』があったからだよ。

 それに君で到達できずとも、思いも、力も、継がれていくものだ。

 それができるから人間というのはすばらしい」

 

それを聞き、老医師は納得したようにうなずき、顔を上げたとき、先ほど生じた自嘲の表情はなくなっていた。

 

「そうですな。

 あとは、後続や彼らに任せましょう」

 

そう言うと、老医師は病院のほうに深々と頭を下げた。

それは、定年を迎えた医師の姿としてはよくある光景だっただろう。

だが、その頭を下げた対象を、その胸の内にひしめく感情を、それを知るものは本人以外にはいなかった。

 

 

 

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