桜の下、一人の少女がその身を絶望に染めようとしていた。
「どうして、こうなっちゃったのかな?」
その手に黒ずんだ宝石を、限界を迎えたソウルジェムを抱えて。
少女は貧しい村に住んでいた。
子供は多く、皆食べるものにも困る有様だったが、彼女は少女らしい純粋さを持ち続けていた。
(神様、どうか、皆が幸せな生活を送れますように)
仕事の合間にそうやって祈る少女の姿は村の名物だった。
そんな少女の前に現れた、奇跡を起こすという白い獣。
それを神の使いと考えるのは少女にとって当然のことだったのかもしれない。
敬謙で清廉な少女の願いは、村の皆が日々の糧に困らないことだった。
その国は政情不安で魔女も多かったが、少女が魔女を狩るおかげで、その村の周辺の治安にもいい影響を与えていた。
そしてそれが幸いしたのか、ある国の団体から支援の手が差し伸べられ、学校が建てられた。
完成のお祝いには、その団体のある国でソメイヨシノと呼ばれている桜が寄贈され、植樹された。
その桜は、その学校が長く続くようにと、その国のある小学校を百年も見守り続けている桜からの挿し木によって生まれたものだった。
そして、少女の願いにより生活に余裕が生まれていたその村の子供たちは学校に通うことができた。
少女は、その桜の木の下で皆と過ごすことに幸せを感じていた。
やがて少女は成長し、その学校の先生となった。
桜は枝葉を伸ばし、まだ小さいながらも春に咲き誇る花はその学校の名物となった。
彼女は桜の前で言った。
「約束だよ。
私はこの村の皆を幸せにしてみせる。
もちろんあなただってその一人だよ。
寂しくないように、この村を桜でいっぱいにしてあげるんだから。
だから、あなたも皆を見守ってあげてね」
動きも喋りもしない桜相手に何を勝手な、と人が見れば思ったかもしれない。
けれど、その言葉を聞いた桜が枝を揺らしたざわめきは優しく笑うような響きを帯びていたという。
だが、その約束は果たされることはなかった。
病の流行だった。
彼女の祈りでは腹は満ちても病気は治せず、戦うための魔法少女の力では自分の体は保てても友の死を止めることはできなかったのだ。
学校と桜を寄贈した国ならば、その病のワクチンや治療薬は彼女よりも若い少女の小遣いで手に入るものだったが、結局支援が届くことは無かった。
ただ、途上国に学校を作ったというその実績が欲しかっただけで、その後は無視を決め込んでいた。
個人として送られた資金や医薬品はそれなりにあったものの、途中で横流しされ、村の人々の手に届くことはなかった。
彼女は運命を呪う。
どうしてこんなに残酷なのか。
ただ幸せを願っただけなのに。
あの人たちは優しい人たちだと思っていたのに。
生きることが残酷なら、何も考えず、ただ一緒にいられる世界にいられたらと。
ソメイヨシノは世界を恨む。
人の独善により子が為せぬ身となった。
例え実を宿せても、皆すぐに死んでいく。
自らは子を為せぬのに人の子の成長を見せ付けられることは苦痛であった。
だがこの国に来て、少女達が自分の側で笑っているのはなんともいえない心地よさがあった。
なれど彼女達は自分の子と同様死んでいく。
自分を生み出した国の子達は我らを好きに使いつつ、その成長を見せ付けるだけだったというのに。
許せぬ、同じ理不尽を味わうがいいと。
村にようやくやってきた政府の役人が、その潰れた学校で枯れた桜と彼女の死体を見つけたのはその数日後のことだった。
桜の名は“エルザ”、少女の名を”マリア”といった。
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――――
―――
塗り替わった世界、月夜に佇む満開の桜からは深々と降る雪のごとく花びらが舞い、幻想的な風景を作り出していた。
写真に切り取ってみれば彼女達もそう思えたかもしれない。
だが、魔法少女達の前にあるそれからは、猛烈な敵意と、あまりにも禍々しい雰囲気しか感じられなかった。
美しい景色そのものが強い憎悪を宿し、ずっと見据えていると魂が喰われてしまいそうな、そんな圧力を持った光景が広がっていた。
その光景に圧倒され、魔女の変質に困惑し、魔法少女達は動くことも口を開くこともできなかった。
その間にもひらひら、ひらひらと花びらは降り積もり、黒い大地を白く染めていく。
『桜の亡霊か。
子を失ったことがそんなに恨めしいか』
そんな中どこからともなく魔術師の声が響く。
その声にはっとしたように魔法少女達も我に帰って武器を構えた。
「いったいどういうこと?
魔女は倒したんじゃないの?」
さやかが疑問の声を上げる。
相変わらず魔術師の姿は見えないが今はそれどころではなかった。
花びらが広がり、どこか湿った匂いの混じった満開に散りゆく桜の下の空気が漂ってくる中の不安と畏れに比べたら、見えない魔道士と会話したほうがましだった。
その疑問に魔術師は答えた。
『巴の小娘の時と同じよ。
こやつらの場合は融合しているのでなく、同居や共生といったものだな。
哀れな桜を魔女が救済したのか、子を欲しがる桜が魔女を取り込んだのか。
はてまたこの魔法少女を子と思っていたのか…』
「倒すべき相手が2体いたということは分かったわ。
それであいつを倒すにはどうすればいいの?」
ほむらが桜を見て考え事を始めてしまった魔術師を遮る。
侵食を続ける地面の白と、奥に重々しくそびえる桜を前にしてはうかつには手を出せなかった。
木の一本や二本を吹き飛ばすだけの火力は持っているが、相手の能力で取り返しのつかない事態が起こることを恐れていた。
もはやこの時間軸においてほむらは手放せない物が増えすぎていたのだ。
そのほむらの葛藤を楽しんでいるのか、魔術師はくつくつという笑いを漏らして言った。
『まあ焦るな。
順に説明してやろう。
この桜、染井吉野は子を為せぬ。
これらは皆接木によって増やされた同じ一本の木に過ぎぬ。
同じもの同士では子はできぬから、こやつらには生物にとって当然の子孫を残すことができん。
人により歪められた種が、人の子の成長を祝うために学びやに植えられ、人のこの育ち行く姿を見せ付けられる。
そのようなことをされて、人を憎む桜が出てきたところで誰が責められようか?』
「っ…」
「そんなのって…」
桜にそんな残酷な運命があることを知らなかったさやかと杏子は、動揺を隠せなかった。
それまで意にも介さなかった事実、けれど知ってしまうことで、共感してしまうことで、その刃は鈍った。
ほむらは、無言で歯を噛み締めていた。
ほむらは桜を責められなかった。
まどかを永遠に失ってしまったのなら、親しい人と過ごす他の人々を見ているうちに、この桜と同じようなモノになっていただろうから。
つい下を向いてしまったほむらの首が、彼女の意に反して急に杏子のほうへ捻られた。
『だから、桜は人の子を攫う』
振り返った先には、波があった。
深々と降りつもった凄まじい量の花びらが、まるで川になって水が流れだしたように、あるいは昆虫の群れが一斉に獲物を襲うように杏子に押し寄せていた。
杏子ははっとして飛びのくも、横に広がった“川”に右足を乗せてしまい、とぷん、とその足が沈んだ。
そこで時が止まった。
まるで水面に一面に浮いた花びらの上に足を乗せてしまったようにバランスを崩した杏子をほむらは引っ張り出す。
必死だった。
あの水面に落ちれば、沈んで二度と帰れないのだと確信があった。
静止から戻った世界で、“川”は波が引くように戻っていく。
「あ、ありがとう、ほむら」
杏子はぎこちなく言う。
杏子も一瞬自分の最期を確信してしまったのだった。
少女達はほっとするも、もはや桜の周りは花びらで埋め尽くされ、池と言ってもいい情景になっていた。
花びらの池はひたひたと広がっていく。
それは美しく、また絶対的な死地でもあった。
飛び込んでも武器を投げても、使い魔の姿の時のように枝で池に落とされたら終わりであり、爆弾などで花びらが飛んだら相打ちになりかねない。
手のうちようがなくなりじりじりと後退するほむら達に、魔道士が告げた。
『橋をかければよいではないか。
妖物は鉄を忌む。
それが木なればなおのこと、金剋木、効果は確実だろうな』
「あの釘はそんなに持ってないわよ」
ほむらが反論するも、魔術師は怒声で返した。
『たわけが!
あれほどの呪具をただの足場なんぞに使い捨ててたまるか。
それに鉄なら沢山持っておるだろうが』
「あれだって使い捨てるにはもったいない価値があるのだけれど…」
そうほむらは文句を言うが、桜の絨毯はその面積を広げていく。
広がるにつれ蓮の花が咲くように、ぷかり、ぷかりと子供の頭が浮かんでいく。
それぞれが虚ろな目で、寂しそうな目で、懇願する目でほむら達を見つめてくる。
ぞっ、と少女達の背に悪寒が走った。
それは桜に攫われた子供だった、約束を果たすべく手放さんとする子供だった、魔女の願望が救済した子供だった。
桜の池に浮かぶ無数の頭部に見つめられ、さやかと杏子も桜の水面に合わせてじりじりと後退していく。
子供達の目に動揺してしまい、それが精一杯だった。
それを無視し蹴散らして攻撃するには彼女達は優しすぎ、マミのようにそれに手を伸ばすには未練がありすぎた。
その状況を見たほむらはあきらめたように盾から目的のものを取り出すべく手を伸ばした。
『間違ってもパンなど出すなよ』
魔術師が茶化す。
流石のほむらもそんなものまでは中に入れていないのだが、その言わんとしていることはすぐに理解した。
「分かってるわよ。
水を渡るためにパンを踏んだ女の子は地獄行きなのでしょう」
それはアンデルセンの童話の一つ。
泥水に汚れずに渡りたくて、もらったパンを足場にした傲慢なインゲルは底無し沼へ沈んで地獄へ行くというものだ。
桜の絨毯もまた水面である以上、そこでパンを踏むのは致命的なのだろう。
けど、それが今の状況とどう関係するのか、と聞き返そうとすると先に魔術師が話し始めた。
『正解だがそれだけではないぞ。
パンはキリストの肉体を表し、生命の象徴でもある。
ほれ、そこらじゅうにパンが浮いておるではないか。
お仲間が子供を足蹴にするような人でなしでなくてよかったな』
くつくつと笑う魔術師の声は、さやか達にも聞こえるような大きさで、その声にぎょっとして二人は足を止める。
身構えていたところを見ると、焦って突撃することを考えていたのかも知れない。
その様子を見てほむらも冷や汗を垂らし、さらに広がる早さを増した桜の水面に盾から取り出した物を撒き散らした。
それらは花びらの上に乗っても沈むことはなく、水面に足場が出来上がった。
時間停止を使い、さやかと杏子の足元にも同様の措置を施す。
「そこには桜は寄ってこないから安全よ。
しばらくそこで待ってなさい」
時間停止を解除して二人に言うと、ほむらは桜へと橋をかけるように同じ事を繰り返していく。
がちゃり、がちゃりと無骨な音がして道ができていく。
銃や剣、ナイフを敷き詰め道を作り、業を踏みしめ先へ進む。
おおおん、と風の唸り声のように桜が軋み、子供達は憎しみの目を向ける。
ほむらは知らなかった。
この魔女と桜がこの国へ来るまでの間で“救済”した子供の中にはその“橋”の材料と同じものによって命を奪われた者や、家族を奪われ死を待つばかりだった者が多くいたことを。
最も知っていたところで、彼女が歩みを止めることはできないのだが。
桜は憎しみの声を挙げてその枝を伸ばすが、銃弾に撃ち抜かれ打ち払われる。
子供達もそれを遠巻きに見つめることしかできない。
そして、ほむらは木の根元にたどり着く。
魔呪の釘と金槌を取り出し、一瞬、ごめんなさい、と言いそうになったが、そのまま無言で釘を桜へと打ち込む。
何度も、何度も打ち込む度、桜は悲痛な叫びをあげ、子供達は血の涙を流して沈んでいく。
そして、とどめを刺そうともう一本の釘を手に取ったところで、
「ほむら、後はまかせろ」
と言う声と共に、“橋”を通って杏子とさやかが走ってきた。
いくらほむらだって悲痛な叫びと、沈んでいく子供達を見て堪えないわけがないのだ。
その背中を見て二人は走り出していた。
ほむらだけに辛い役を負わせるわけにはいかなかったのだ。
そして、ほむらがふりむくと同時にその横をすり抜け、桜を両側から貫いた。
貫かれた桜はまるで磔刑の罪人か、または人々を救おうとした聖人のような、そんな風に見えた。
(釘を打ち込まれ、磔刑に処されるべきは私達の方なのでしょうけどね)
二人に救われて心が少し楽になるが、救われてしまったが故に、桜の断末魔を聞きながらほむらは思う。
それに、他の二人には聞こえないようにその心中に答えるものがあった。
(『だからといって、止めるつもりはないのだろう。
私も止めるつもりなどはない。
それに我々を裁くのは誰だ? 神か? 被害者か?
神ほど無慈悲で裁かれるべき存在を私は知らんし、被害者はすでに我々の世界樹に吊るされて物も言えん。
貴様が世界樹に飲まれて消えようとも関係ない。
裁く資格があるとすればそこの小娘どもと…あの小僧だけだろうな。
あの小僧の親友と恋人の姉を失う原因を作ったのは私なのだからな』
(もちろん、止めるつもりはない。
どこまでもその十字架を背負って生きてみせるわ)
(『まずその前に守りきることだな。
吊るされた彼女らに申し訳が立たなくなるだろう。
それに、美樹さやかもまた“梨”を取る資格を持ったのだぞ』)
それにほむらは決意を持って答える。
(もう、誰も奪わせはしないわ。
魔女にも、貴方にもね)
二人の会話の終わりと共に、断末魔もまた終わりを告げた。
戦いが終わり、結界が消えてゆく。
恨みも未練も絶望も、愛しさも優しさも約束も、全て等しく死と共に霧散していく。
残ったのは、3人の魔法少女の姿だけだった。