鹿目まどかの眼前に広がっていたのは廃墟だった。
ビルは途中から折れて砕かれ、大地は水に飲み込まれていた。
空には暗雲が立ち込め、空中では布に覆われた台座から飛び出た巨大な歯車が回っていた。
だが良く見ればそれは台座などではなく、白と青で彩られたドレスを着た女性が逆さまになっていることがわかった。
女性だ、と思ったのは歯車を覆うスカートの意匠と女性特有の甲高い笑い声による印象だった。
嘲笑しているような、自嘲するような両方にも取れる笑い声だった。
それは人というにはあまりに巨大で無機質で、その貌には笑い声を上げる口以外の器官が存在していなかった。
鹿目まどかはあれがこの廃墟の元凶だと直感する。
あれはその歯車が止まる日まで、その悪意を持って延々と破壊の作業を続けるのだろう、と破壊の場面を見ていたわけではないがそれがわかった。
その歯車を止める者は存在しないのだろうか。
鹿目まどかが思ったとき、一人の少女がビルの陰から飛び出した。
白を基調にしたスレンダーな制服のような衣装に身を包んだ長い黒髪の美少女だった。
強い意思を込めた瞳で歯車の怪物を見据え、一直線に飛び出していく。
だが、それは届かない。
怪物が放つ炎に足止めされ、投げられたビルが行く手を遮る。
かろうじてかわすものの、火の粉や破片は容赦なく少女を傷つけていく。
「そんな、こんなのってないよ……あんまりだよ!」
どうして彼女は絶望的な戦いを続けるのだろう。
どうして彼女は一人なのだろう。
彼女のそばにいるのに、どうして何もできないのだろう。
力があれば、彼女を助けてあげられるというのに。
『仕方ないよ。彼女一人では荷が重すぎた。けれど彼女も覚悟の上だろう』
声が、聞こえた。
振り向けばそこにいたのは赤い目を持つ白い小動物だ。
猫の耳から毛のごとくたれ耳が伸びている、そんな不思議な生物がいた。
『諦めたらそれまでだ。けれど君なら運命を変えられる。
避け様のない滅びも、嘆きも、全て君が覆してしまえばいい。
その為の力が、君には備わっているんだから』
「本当、に?
私なんかでも、こんな結末を変えられるの?」
自分のように無力でなんのとりえも無い人間に、そんなことができるのだろうか。
『勿論だよ』
まどかの質問に頷き、白い生き物は言葉を続ける。
『だから、僕と契約して魔法少女になってよ!』
「―――その願いは彼女の望むところではないし、君の願望も踏みにじられることになってしまうよ」
この悲劇を変えられるなら迷いなど無い、そう思い口を開こうとしたそのとき、いきなり背後から声がした。
いつの間に現れたのか。夜のように黒い男が立っていた。
ママよりも美しい顔で、それでいて眼前の少女と怪物の戦いが色あせるくらいの存在感があった。
「その願いの末路は、ほら…」
瞬間、映像が流れてきた。
これまでの廃墟とは違う、見慣れた普通の町並みだった。
ただ、そこに移る人を除いて、
「いやああああ、ママ、ママあああぁぁぁ…」
「助けて、助け…て…」
「何が起きて、うわあああああああ…」
「きょう…すけぇ…たすけ…」
「しづ…き…さ…」
「きょう…すけ…さ…」
「たつや…どうして、まどか…どこ…?」
人間の尊厳を無視した、冒涜的な映像が繰り返される。
苦しみの声をあげて倒れ、
輪郭が徐々に歪み、
ぐにゃり、と粘土のように腕が奇怪な方向を向き、
顔が、足が、腹が、背中が溶けぐずぐずと白い肉塊に崩れていく。
崩れた体からは魂らしき光が上へ上へと登っていく。
先生が、クラスメートが、親友が、ママが、パパが、たっくんが、形を失い、クズレテ…
崩れて逝く皆を笑いながら見下ろし、光を愛おしそうに愛でているのは………私?
「あなたが叶えたんだよ」
透き通った声が聞こえる。
純粋な笑いとはこんなものなのだろうか、と場違いにもそう思わせる声が。
「みんながひとつになって、争いの無い、みんなが仲良くなれる世界を」
(こんなの違う…いや…)
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁ……夢?」
鹿目まどかはごく一般的な中学二年生の少女だ。
主夫の父とキャリアウーマンの母、幼い弟を家族に持つ。
父親が主夫というのは珍しいが、それ以外は自分のことをごく普通の少女だと思っている。
そんな彼女の日常もそれにふさわしいものであり、いつもの朝ならば、起きて父にあいさつをし、弟とともにぐずる母を叩き起し、
母とともに歯を磨いて、かっこいい母を見送り、まどかも家を出る、といった、幸せで平凡な模様が見られただろう。
だが、今日に限ってはあの悪夢のせいで、真夜中に目が覚めてしまった。
途中までは、自分がヒーローになって活躍できそうな雰囲気だったのに…
まどかは思うが、同時に思い出してしまう。
ぐずぐずと崩れる家族の顔を。
やけにリアルな夢だった。
(まさか…ね…)
そんなことあるわけない、これは夢だと思いつつも、不安はまどかを駆り立てる。
しん、とした生き物の気配が希薄な夜。
廊下を歩けばぺた、ぺた、と自分の足音だけが響く。
(パパ、たっくん…)
二人の眠る父の寝室のドアに手をかける。
どっ、どっ、と自分の心音のみが響く中、きぃ、とドアを開けると、暗闇の中、
…二人はすやすやと眠っていた。
(そうだよね。やっぱりただの夢だよね…)
安心したまどかはため息をつき、念のため隣の母の部屋にも乗り込む。
相変わらずの間抜け顔を眺める。
起きていればかっこいいのになあ。
安堵して去ろうとするも、やはり怖くなって母の布団に潜り込んだ。
中学生になったとはいえ、怖いものは怖いのだ。
母のぬくもりに、恐怖が薄れていくのを感じた。
翌朝、そんな二人をもう少し一緒に寝かせてあげようとした父の粋な計らいにより、
いつもの平穏な鹿目家は慌てる女性二人によって騒乱につつまれたのだった。
どたばたと外に飛び出し、駆け足で二人の親友と合流する。
「ごめん、さやかちゃん、仁美ちゃん」
美樹さやかは青髪のショートカットで快活な少女であり、志筑仁美は緑髪のウェーブのかかったセミロングのおしとやかな少女である。
「遅いぞ、まどか!」
「まどかさん、おはようございます」
三人でわいわいと話しながら、登校する。
仁美がまたラブレターをもらったこと、担任の交際が3ヶ月を超えるかどうか、などなど。
流れで、まどかのリボンの話になった。
慌しいなかで、母が選んでくれたものだ。
これでまどかもモテモテだ、とか言っていたが、パンを咥えながら言われても説得力がなかった。
「派手じゃない?
変じゃないよね」
そんなことを思い出しながら、まどかは不安げに問いかける。
「くぅー、かわいいじゃないのさ。
これでまどかの隠れファンもメロメロだ-。
獲られる前に私が嫁にもらってやるー」
それを聞くなりさやかが笑って抱きついてくる。
さやかの体温を感じながら、昨夜の悪夢をふと思いだす。
(みんな生きてる、いつもの日常、それはとってもうれしいなって)
こんなに日常を大切だと思ったのは久しぶりだった。
「ああ、二人はそんな関係だったなんて。いけませんわー」
動かないまどかを見て、妄想が暴走して駆け出す仁美を二人が全力疾走で追いかけるのはそれから10秒後の話であった。
まどか達の通う見滝原中学校は変わった学校だ。
机やいすが床に収納可能だったり、大学入試レベルの数式が授業に出たりもする。
また、壁は全てガラス張りになっている。
開放感を出すというふれこみだが、授業の難易度による閉塞感やその形から水槽やら水族館とも呼ばれている。
そんな学校であろうと、なれきってしまった少女達は気にせずおしゃべりを続ける。
「いやー。まどかの反応がおかしいと思ったら、怖い夢を見たせいなんてねえ。
子供っぽいまどかもかわいいぞー」
「昨日さやかちゃんが怖い話なんてさんざん聞かせるからだよ」
「病院のぬいぐるみの話とかすごい怖がってたもんね。
縫い目のほころびから人の指が飛び出てたり、眼が覗いてたりするって」
「思い出させないでよー」
「怖い話といえば、この水槽、ガラスに魚が泳いでることがあるらしいですわ。
そして前にそれを見た生徒は、忽然と教室から姿を消し、三日後に水死体で見つかったとか」
「仁美ちゃんまでやめてよ!」
まどかがつい声を荒げてしまったとき、がらっ、と音を立て、怒気をたぎらせた担任が入ってくる。
「いいですか。女子の皆さん!」
騒ぎすぎた、とまどか達は身構えた。
「卵の焼き加減にケチつけるような男とは交際しないように!!
そして男子は!くれぐれもそういう大人にならないように!!!」
しかし始まったのはいつもの愚痴である。
そういえば、交際3ヶ月とまだ持ったほうだが、そろそろ危ないということを昨日話していたのだった。
担任には悪いが、彼女が振られるのを見ることで、平和な日常であることを実感する。
だが―――
「あー、あと転校生紹介しまーす」
((そっちが先だろ(よ)))
生徒が心の中でつっこむ中、入ってきた少女を見てまどかに寒気が走った。
入ってきたのは、見覚えのある長い黒髪の美少女だった。
周囲がざわめいているが、それすら耳に入っては来なかった。
(あの人、昨夜の夢に…)
「暁美ほむらです。よろしく」
――――――日常が