「君は、因果というものをどう思う?」
「原因と結果、直接的原因である因と間接的原因である縁との組み合わせによってさまざまな結果となる果を生起すること。
英語だと、cause and effect、またはfateだったかしら」
「繰り返す授業の中で聞き飽きた内容とはいえ、適当に返すのはいただけないね。
意味としては正しいのだが、君自身の運命としてはどうなのかね?」
「あまり考えたくはないわね。
私が願った結果として、これまでのことや今の私がある。
全ての原因のインキュベーターを憎む気持ちはあるけれど、まどかと出会ったことを私の業の原因にはしたくないもの。
むしろ、突然こんな話をする貴方はどう考えているのかしら」
「善因悪果を基本とする孵す者達のやり方が全ての原因であることに疑いはないね。
彼女が死ぬ原因も、彼女を救う物語が始まった原因も。
ただ、今は私を呼ぶこととなった君の物語の因果についてのみ触れようではないか」
「貴方を手繰り寄せるまでに至った因果の糸の話かしら。
それがまどかに影響し、その魔法少女としての、魔女としての素質を大きくしているという話だったわね」
「そう、君のそれは結果という糸切りバサミを入れられず永遠に伸びた“過程”という糸だ。
君は君が望んだ『鹿目まどかを守る』という結果には未だたどり着いてはいないのだからね。
何度も何度も巻き付いた糸、端が無ければ解きようもないだろう。
文字通りに複雑に絡み合った“縁”ともいえよう。
ゆえに鹿目まどかは膨大な因果を背負い、君が見た世界を滅ぼす魔女となったのだよ」
「その背負った因果はどうしようもないというの?」
「いや、君が望む結果でその糸を断ち切ってやれば良い。
両端があるならば糸も解けよう。
もっとも、君の願いが叶えば君の時間操作の能力も失われることになる。
君のそれはその一本の糸のみを回し続ける糸車なのだから。
だがそれでは君の願望は叶うまい。
無力というものがもたらすものを君は嫌というほど味わったのだから」
「結局貴方は何が言いたいのかしら」
「それ以降も君が戦い続ける為の力として、ある男の願望との仲介をしようと思ってね。
私では願望の為に、私の持つ闇という方向性において最もふさわしい手段と願望の強さに見合った力を与えることしかできないのだから。
君は結果により永遠の過程を断ち切り、その先に新たな因果を紡ぐ力が欲しい。
そして彼は、因果の糸を断ち切られた状態から戻り、永遠の過程を歩む体が欲しい。
彼はかつて神すら食い止める堰を作り出した魔道士で、私に挑んだほどの男だ。
その実力で君を失望させることはないはずだ。
興味があるのならば、彼の物語を伝えよう。
縁を繋ぎ、果実へとたどり着くためには知ることが必要だからね。
君が持つ物語ならばそれで彼の元へいく資格が得られるだろう」
「……今は、少しでも力が欲しい。
そのために盗みにも手を染め、貴方にさえ頼ると決めたのだから。
その物語を教えてくれるかしら」
「では、はじめようか。
永遠の過程を目指した魔術師の物語を」
あるところに、お母さんと三人の兄弟が暮らしていました。
お母さんは病気で寝込んでしまい、次第に悪くなっていきました。
三人の兄弟はどうしていいのかわかりませんでした。
「山梨が食べたい」
お母さんはそうつぶやきました。
山梨を食べれば疲れが取れる。母さんの体も良くなるかも知れない。
まずは1番目の太郎が梨を取りに出かけました。
太郎が山奥へとすすんでいくと、大きな岩があって、その上には婆さまがちょこんと座っていました。
「お前さ、どこ行く?」
「山梨を採りに行きます。」
太郎は婆さまを見上げていいました。
「この先にのぼっていくと、三本の枝道になっている所に笹葉が三本生えておる。
その笹葉が、行けっちゃガサガサ、行けっちゃガサガサ、と言う方へ入っていけ」
婆さまはそう教えてくれました。
太郎が山を登っていくと、婆さまの言う通り三本の枝道がありました。
道の前にはそれぞれ笹葉が生えていて、左の道の笹葉は「行けっちゃガサガサ、行けっちゃガサガサ」と葉を揺らしました。
そして真ん中と右の笹葉は「行くなっちゃガサガサ、行くなっちゃガサガサ」と葉を揺らしました。
しかし太郎は婆さまの忠告も忘れて、行くなと言う真ん中の道を進んで行きました
しばらくすると沼のほとりに山梨の木を見つけました。
その大きな木には山梨の実がザランザランとなっていました。
太郎は喜んでその木に登り、ヤマナシをとろうと手をのばすと池に太郎の影が映りました。
すると沼の主が浮かび上がり、水面の影を散らすと、そのままゲロリと太郎を呑み込んでしまいました。
いくら待っても帰ってこないので、今度は次郎が出かけていきました。
けれど次郎も婆さまの言う事を聞かないで、沼の主にゲロリと呑まれてしまいました。
最後に三郎が出かけました。
岩の上の婆様に、二人の兄のことを聞くと、婆様は、
「わしの言う事聞かねぇから、帰れなくなっただ。
お前もよくよく心して、わしの言う事を聞け」
と言って二人の兄と同じ話をすると、ひと振りの刀をくれました。
三郎はちゃんと忠告を聞いて、行けっちゃガサガサという道へ行きました。
そのまま行くと、大きな沼のほとりに山梨がなっていました。
三郎は木に登って、うまそうな実をもぎました。
ところが降りる際に間違って枝を乗り換えたので、影が沼に映りました。
すると、兄たちを呑み込んだ沼の主が飛び出してきましたが、三郎が刀を抜いてそれを斬ったので、沼の主は死んでしまいました。
そのお腹をさくと、中から太郎と次郎がでてきました。
三人兄弟は揃って家に帰り、お母さんに山梨を食わせてあげました。
するとお母さんの病気は治り、それからは皆仲良く暮らしたということです。
一人の民族学者がいました。
彼は、研究熱心な男でした。
世界の全てを、人間というものの根源と行く末を知りたいと思っていました。
世界中のお話を集め、たくさんの本を書きました。
集めたお話のなかには、奈良梨取りのような末っ子が成功するお話がいくつもありました。
3匹の子豚しかり、海幸彦山幸彦しかり、カインとアベルしかり、何故か世界中に散らばっているのです。
それを研究しているうちに彼は思いました。
末子は神に愛されている、と。
それはすなわち、神のような異質な存在を受け入れることのできる器なのではないのかと。
やがて、彼は年をとり自分の死を間近に感じました。
彼はそれがどうしても受け入れられませんでした。
だから、彼は生き続けるための方法を探しました。
そんな時、彼の孫が事故で死にました。
洗濯紐に絡まって首を吊って死んだその子は、まるで木になる梨の実のように見えました。
そこで彼は思います。
人が梨の実なら、私が梨の実になって、それを三人兄弟の末っ子に収穫させればよいのだと。
知恵と生命の実となった自分の魂を受け入れさせ、その体を自らの物として生きようと。
彼にはそれができました。
彼は魔術師だったのです。
奈良梨取りに見立てた儀式を作り上げ、自ら首を吊って怪異となりました。
そして彼は10年の時を経て復活しました。
けれど、そこには“魔女”がいました。
彼は“魔女”が世界を壊そうとするのを止める為、彼女が従える魔人に挑みました。
けれども負けて死んでしまいました。
彼は木になってしまったのですから、しばらくすればまた実は生ります。
けれど木からぶら下がる実ですから動けません。
人を犠牲にする彼が二度と復活しないよう、怪異と戦う人々が彼の協力者も、儀式に使う道具も全て消滅させてしまいました。
だから、彼は何もできずに今でもぶら下がっているのです。
いつか来るかもしれない機会を待って、木の上から世界を見下ろし続けているのです。
生まれ故郷にあった学校へ向かう道をほむらは歩いていた。
実家には寄らず、まっすぐに寝静まった夜道を行く。
見滝原へ治療に赴くことがなければいずれ進学したであろう学校へ。
それがある山へ登る。
学校へ行く理由、それは知識を得るためだ。
山に登る理由は、日常とは違う異界に身を置いて、普段遭わない物に遭う為だ。
夜の道は両側を林に挟まれ、暗闇の中で木々が覆い被さるかのようだ。
木々は鬱蒼と茂り、夜風の中、ざわざわと鳴っていた。
そのざわめきは語りかけていた。
………がさ……がさ……けぇ…
…いけ……行けぇ…行けえ……がさ…
その声はほむらを包み、意識に染み渡り、世界を一瞬で覆い尽くす。
魔女の結界で見慣れた、だが本質的に違う世界の変質の中、ほむらは進む。
風が吹いた。
その風には水の匂いと、お見舞いの品で好きだった甘い梨の香りがした。
学校へと着くと、フェンスを乗り越え中に入る。
夜の空は血のように赤く、そり立つ街路樹は怪物のように黒々としてざわめく。
…いけ……行けぇ…行けえ……
………行けぇ………行けえ……
禍々しいざわめきに導かれ、やがて目的地に着いた。
幻影の沼のほとりに、大きくねじくれた一本の梨の木。
その幹は太くねじれ、歪み、天を覆うほどに伸ばされた枝には鬱蒼と茂る青い葉。
それはこの世に存在するいかなる果樹にも似ておらず、童話や神話の挿絵で見たことがある大樹に似ていた。
そこには鈴なりの実が生っていた。
大きく立派な果実だった。
その木の前にほむらは立った
そこにあるのは物言わぬ死体の列。
だが、ありえないはずの声が響いた。
「私の導きなしに、自分の意思でここに来る者がいるとはな。
見知らぬ顔だが、何者だ?
何の用があってここまで来た」
ほむらは動じず、その声がした方向にあった老人の死体を見つめた。
目を見開き、左目だけをひどく顰めた、奇怪極まる表情をしている異様な死体だった。
死者の気配と共に、死体にふさわしくない、甘ったるい果実臭が鼻をついた。
その匂いを嗅ぎながらほむらは答えた。
「山梨の樹にある用なんて、一つしかないわよ。
私は助けたい人の為に山梨を取りに来た末子。
貴方のことは神野陰之に聞いたわ。
“世界樹に吊るされた魔術師”、小崎魔津方、貴方の力を私に貸しなさい」
その瞳に見つめられ、その死体はくく、と暗鬱な笑いを漏らした。
「誰かを助けたいがためこのような男にまで頼るか、貴様のような小娘が。
神野陰之に聞き、私を認識するための物語を知ったのなら判っているはずだ。
私は自分の為に、自分の願望の為だけにこれだけ吊るしてきたのだぞ」
ざわり、と生ぬるい風が吹き、ぎい、ぎいとたわわに実った実を揺らす。
その実は、全て首を吊るされた人間だ。
もはや意思のない死んだ澱んだ眼で、ただぶら下がる。
子供の手足。
革靴を履いた足。
ストッキングの女性の脚。
同い年くらいの制服の少女。
見覚えのある入院服を来たおじさん。
奇怪な木から首を吊って、鈴なりの首吊り死体が“奈良梨の木”からぶら下がっていた。
老若男女の、百を超えんとする死体が並ぶ。
ほむらは魔人に聞いて知っていた、これらは魔津方の蘇りの儀式の犠牲になった人間だと。
死してなお魔術師に縛られる魂だと。
だが、そのおぞましい光景に対してほむらが浮かべたものは、自嘲の笑みだった。
「それだけでは、私の業には及ばないわ。
私は、もっと、もっと多く、捧げてきたもの」
そう言ったほむらの後ろに、ざわり、とした気配が生じ、魔津方はそこに大樹を幻視した。
魔津方の樹よりも、遥かに高い、天を貫かんとする樹だ。
黒々としたその幹、その上部に眼をこらせば、まるで巨大な女性の腕のような大枝が伸びる。
大小の枝に、魔津方の樹と同様に人がぶら下がっている。
白人がいる、黒人がいる、黄色人種がいる。
ぼろをまとった貧者が、着飾った金持ちが。
老人が、子供が、男が、女が。
ありとあらゆる人間が、平等に苦悶の表情で吊るされている。
それは、かつてのいくつかの時間軸で魔女化したまどかの救済により魂を奪われた残りかす。
苦痛を体に残してその魔女の望む幻想へと救済された犠牲者達。
そして樹の下のほうで目を引くのは、ほむらと同じくらいの年の少女達。
首をもがれたり、無残に四肢がもがれた胸の大きな金髪の少女達。
魚と交じり合った異形と化したり、槍に心臓を貫かれたりしている青髪の少女達。
ぽかんとした表情でただ死んでいるかと思えば、無残に焼けただればらばらになっている赤髪の少女達。
全身傷だらけのずたぼろになったり、黒い影のような異形と化した桃髪の少女達。
吊るされた数もさることながら、同じ存在が何人も吊るされているのに、魔津方は興味を引かれた。
「ほう…ただの小娘ではないようだな。
話してみろ、貴様の背負うものを。
魔人に飽き足らず、この“世界樹に吊るされた魔術師”すら求めるその願望を」
「ええ、わかったわ」
魔津方はほむらの物語を静かに聞いていた。
そして全てを聞き終え、嘆息したかのように息を漏らしたような音が響き、声を漏らした。
「なるほど、魔法少女か。
かようなものが現実にあるとは、この私も知らなんだ。
奇跡の前借りに、魂と力の源の分離、世の魔術師が知ればどれだけ羨やむか。
探求も、深淵を覗く必要も、死の覚悟も贄も必要とせずただ願うだけで手に入るとは。
ジェムの強度と行動範囲の制限が懸念事項ではあるか…それが、サウロンの指輪ほどのものであれば文句もないのだがな」
死んだ魔術師の目は動かない。
だが、ほむらはソウルジェムを変えた指輪がじとりとした視線にさらされるのを感じていた。
「それにしても魔法少女とは我々魔術師にも劣らぬ業の持ち主よな。
グリーフシードが無ければ生きられぬ。
そしてそれは魔女になった魔法少女が人の魂と絶望を啜って孕むもの。
自らの命のロウソクを過剰に燃やして力とし、燃え尽きる前に吹き消された他人のロウソクに火を移し替える妖怪、それが貴様らよ。
人を喰らって生き続ける魔術師と何が変わろうか。
キュゥべえとやらが全てを語らぬのは正しいな。
知ってしまえば手が震えて自らのロウソクを消してしまうだろうからな」
そう、グリム童話の一節に例えて魔法少女の本質的な業をあげつらう。
「それを否定するつもりはないわ。
つまるところ魔法少女とはそういうモノなのだから。
ただ、そういった話をするためにここに来たのではないわ。
私の物語に、まどかを救う戦いに力を借してほしいと言っているのよ」
どこまでもまっすぐなほむらの瞳は、臆すことなく吊られた男を見つめていた。
「くくく…嫌いではないぞ。
友人を売ってでも私のような者と契約してでも大切な一人を守り通さんとするような奴はな。
元より貴様の物語を否定する資格など私にはないしな」
その瞳を向けられた魔道士は忍び笑いをもらしながらそう言った。
その響きにはどこか懐かしむような響きがあった。
事実ほむらに対する印象は悪くなかったのだろう、彼は続けた。
「さて、貴様の物語と願望は把握した。
だが、決意をもう少し試させてもらうとしよう。
例え話をしよう、とある可能性の話だ。
ある男がいた。
彼はかつて大災害に遭い、その中で一人だけ助け出された。
家族も友人も一人残らず失い、多くの人間の苦痛と絶望と死を目の前でまざまざと見せつけられたのだ。
時が流れ、成長した彼の前に魔法の力でそれら全てを無かったことにして救えるチャンスが現れた。
…お前であればどう答えたのかはもはや聞くまでもないだろうがな」
それにほむらは無言をもって答える。
実際言うまでもないことだ、その答えが今ここにいるということなのだから。
「彼はこう答えたという。
やり直しなんか、できない。
死者は蘇らない。
起きた事は戻せない。
苦しみながら死んでいった人、誰かを助ける為に命賭けで駆け抜けた人。
死んでいった大切な人の事を悼み、悲しみ、そして長い日々を経てそれを乗り越えてきた人。
その時の想い、その時の意志や記憶、過去を変え、全てを無かった事にしたら、一体それらはどこに行けばいいというのか。
だから、その痛みと重さを抱えて進む事が、失われたモノを残すという事なんだと思う、とな。
さて、この答えに対してどう思うかね」
その問いかけに、ほむらはしばらく考え込むように下を向いた。
その男の答えは、ほむらの道のりを否定し、その弱さを責めるものでもあった。
魔津方は無言で答えを待つ。
しばらく後、ほむらは上を向いて魔津方を見つめ、ふう、と息を吐いて答える。
「彼は強く、私は弱いということでしょうね。
けれど、その答えは喪失の後に遺した物が受け継がれた人間の、失った後にそれ以上に大切な物を得た人間の答えだわ。
私にはあの時何も残らなかった。
そしてそれが失われることがどうしても認められなかった。
彼女が戦ったことで守れた何人かよりも、彼女に生きていてほしかった。
だから私はこの道を進む、進んだからには最後まで貫くしかない。
彼が、目の前で大切な人を失うかもしれないその瞬間ですらその答えを貫くようなら、その道はこちらから願い下げよ」
魔津方は愉しそうにその答えを聞いていた。
「くくく、やはり我が目に狂いはないか。
お前の提案を受けるのも悪くはない。
そう、共に人として再び歩みだそうではないか」
その言葉にほむらは訝しげに顔を歪めた。
「人として?
私もあなたももはや人間ではないのよ」
「いいや、人としてだ。
あの魔人や、君らの言う魔女とも違い、我々はまだ人としての『願望』を持ち、それを追い求めている途中なのだ。
なれば私らもまた“人間”であるのが道理よ。
ましてや貴様ら魔法少女は未だ肉体に縛られる存在であるしな。
何かあれば死ぬようなその程度の身で自らを死人だのゾンビだの、この世界に蠢く彼らに失礼であろうが」
人として、という言葉が人外として『願望』のために走り抜けるつもりだったほむらには心地よく聞こえた。
魔法少女になって人間ではなくなってしまった、その事実のせいでまどかやさやかが魔法少女になった場合は時点で諦めてしまっていた。
巴マミや、佐倉杏子の死ですら、仕方ないと思ってしまっていた、どうせ希望はないのだから…と。
だが、魔法少女でも“人間”、そう彼女達も思えれば、魔法少女にも希望はあるかもしれない。
そんな思考にはまって黙ってしまったほむらに、魔津方は本題を切り出した。
「さて、暁美ほむらよ、“世界樹を背負いし魔法少女”よ。
話を本題に戻そう。
始まりの時間軸における三人の魔法少女の三女、そして数多の可能性の末子よ。
大切な人を助ける為に、沼の主を乗り越えて梨の元へとやってきたお主には、我が物語を受け入れこの梨の実を持っていく権利がある。
この私を受け入れるのにこれ以上ない素質だ。
それを知っていて来たのだろう?
その身と心とその苦痛を、全て私に差し出してくれるか?
なれば、私が鹿目まどかを守ろう、君の願いを叶えてやろう。
わが魂の内で、願いの叶った幸福に永遠にひたるといい」
その、甘美な誘惑を含む声に、ほむらは強い意志を灯した瞳を向けにやりと笑って応えてみせた。
「あげないわ」
その自信にあふれた声に、魔津方は意地の悪い声を挙げた。
「ほう。
なればどうするね。
魔術はここですぐ教えられるほど浅いものではないし、対価なしに教える気もないぞ。
そして私の求める対価は何か判っているだろう?」
その言葉を待っていたかのように、ほむらは笑う。
「私は、この身と心とその苦痛の全てを差し出すつもりはない、と言ったのよ。
この心も苦痛も全て私自身のもの、そしてこの『願望』も私のもの。
だけど、あなたの物語に合致する、この抜け殻なら貴方を受け入れられる。
私のソウルジェムが砕けたならばあとはあなたの自由にすればいいわ。
だから力を貸しなさい。
そこに吊るされたままでは、つまらないでしょう?」
魔女のように笑うほむらに対して、契約を持ちかけられたことに魔津方は呆けたかのようだった。
そして、それは次第に笑い声に変わっていった。
「…くっ、くくく、くははははは。
魔術師に、契約を持ちかけるか。
言葉は魔術師の領域だが、こうくるとは思わなんだ。
小娘がこの私を言葉で上回るか。
なるほど、すでに魂を奪われておるのならば、私の魂を体に受け入れることも可能というわけだな。
始めから魔法少女のことを知っておれば、ここまで苦労せずにすんだものをな。
それにしても貴様も魔女よ。
楽園から追放されてなお知恵の実を欲し、再び楽園へ至らんとするか」
そう、楽しそうに笑う魔津方に向けて、ほむらは答えを迫る。
「そう、沼の主を滅ぼして…ね。
それで、答えはどうなのかしら。
もちろん、私の魂が砕けるまでは、この体の優先権は私にあるけれどね」
笑い続ける魔津方だったが、しばらくしてその笑いを抑え、ほむらに答えた。
「いいだろう、暁美ほむら。
その身に宿り、力を授け、魔術の極意を授けよう。
そして君の物語に組み込まれ、共に歩み、そして記録しよう。
だが、学究者たるこの私の探求には付き合ってもらうぞ。
世界の終わりまでを、全てを知ることこそが私の願望なのだからな」
進路は学者かなあ、その前に、オカルトキャラにならないかしら、とほむらは場違いにもそんなことを思う。
今まで辿ってきた道のりと、自分の『願望』のためならその程度ならば許容範囲だ。
ただ、それでも一言、譲れないことを付け加えるのは忘れない。
「かまわないわ。
けれど、女性に対する配慮を忘れたら奥深くに封印するわよ」
最後の最後にそのような“普通”の条件が出てきたことに魔津方は意表を付かれたように口をつぐむ。
その顔を見てほむらの口元がかすかに笑みを形作った。
魔津方は相手のペースに乗せられていることに気づくと、その動かないはずの顔の歪みが強まったようになり、そしてすぐに愉しむように暗鬱な含み笑いを始めた。
その笑い声を聞きながら、ほむらは、ふと足元に違和感を覚えて下を見る。
そしてぎょっとする。
そこにはついさきほどまでは存在しなかった、黒い柄をした大振りな短剣が刺さっていた。
「その短剣はアセイミ、“魔女の短剣”、という名だ。
私が愛用していた魔術武器だが、貴様に待つ運命を思えばまさにふさわしかろう。
愛する者を貫く為に与えられるのではなく、自らがその真の持ち主になるのだ。
その剣を手にとり、それで実を収穫するがいい。
それで契約は完了だ」
ほむらの意表をつけたためか、その武器に思い入れがあるためかその声は得意げな響きがあった。
だがほむらはその響きにまで気を払う余裕はなかった。
最後の決断を前に、その魔法少女にとって皮肉な名を持つ短剣に、緊張し息を呑んでいたためだ。
だが、ごくり、とつばを飲むと、ほむらはそれにまっすぐ手を伸ばした。
その直前に、ほむらはぴたりと手を止めて魔津方を見る。
「まるで、マーリンにそそのかされたアーサー王とでも言ったところかしら」
その光景を、かのイングランドの伝説に見立てた、ほむらなりのしゃれっ気だった。
それに、魔津方は面白そうに応える。
「実際はこれほど真逆なものもないがな。
かの剣は長く、この剣は短い。
かの剣は聖なるものにて、この剣は邪なるもの。
かの剣は勝利を導くが、この剣を手にしたところで敗色は濃厚。
そして貴様は心を殺して国を守らんとする偉大な騎士王から、どこまでも浅ましい欲望を持った人間へと変わるのだ」
その言葉にもほむらはひるむことはなかった。
その目には、揺るがぬ覚悟が宿っていた。
全てが真逆だとしても、その目に込められたものだけは、かの英雄と同じものだっただろう。
「それなら最後は、仲間割れして破滅するのではなく、大団円になるということね」
そして今度こそ、ほむらはその短剣を異界の地より引き抜いた。
そして眼前の魔道士の実に手を伸ばし、それを収穫した。
異界の赤い空の下、世界樹の下で一人の魔法少女と一人の魔術師の契約が成立した。
暁美ほむらが見滝原に戻ってくる、3日前のことだった。
「あれから、大忙しだったわ。
貴方の魔道具や呪具を集めて、魔術を習い、自作の爆弾も作って、武器も整備して、魔女も狩って…
…インキュベーターよけの結界の開発も行ったわね」
「この間の魔女戦は、なかなかの物だったぞ。
魔術の深遠には及ばぬが、魔女との戦闘に使う分には申し分あるまい」
「ありがとう。
けれど、次の相手はあのワルプルギスの夜よ。
全身全霊を持って当たらなければ勝ち目はないわ」
「分かっておる。
だが、あの時とは違い今回の相方はへたれることはなさそうだ。
さてこれではすぐには眠れまい。
せっかくだ、小娘、策をもう一度確認しておくか。
神との二度目の戦い、同じ轍を踏むわけにはいくまいて」
「私はもう何度目になるか…それに見た目は一人脳内会議だけどね。
…けど、これで終わらせるのよ」
そう苦笑しながらも、真剣な顔になってほむらはワルプルギスの夜の資料を机に広げるのだった。
深夜にまで及ぶ話し合いが終わり、少女の寝息だけが部屋に響く丑三つ時。
その暗闇の中、ふと暁美ほむらの左目のみが、酷くしかめた形で細く開けられた。
そして老人の声で闇にぽつりと呟いた。
「しかし、思い返してみれば貴方にしてはお節介とも言える位の干渉でしたな。
あの時と違い、小娘共の願望に重なるものがあるとはいえ、貴方をそこまで動かせるものかな?」
その疑問に対し、答えるものはいなかったが、浮かびあがった魔術師はただ待つ。
そのうち闇が人型を形作り、現れた魔人はただ笑い、一言こう答えた。
「暁美ほむらや、美樹さやか達の願いだけではないよ。
とある神の、人としての未練、最後の願望でもあるのだ。
それが叶うかどうかは彼女達に託されたがね」
魔道士はその横顔に、宿主が執着する少女の横顔を幻視した。
その姿は、魔津方が見た少女の物より髪が長く、眼前の魔人とは逆に赤みがかった白の、言うなれば朝色の夜会服を纏っていた。
その希望にあふれたその姿、だがその気配は魔人に近い物があった。
それを見て魔津方は合点したように頷いた。
「貴方は偏在するのでしたな…時も、場所も、世界も越え…
しかしあの小娘、相当な器とは思うたが貴方に並ぶほどとはな。
“末の子こそ人の子にして神の子にして魔の子、二人の兄を神へと捧げて末の子に神を孕ませるべし”
私がこの永遠の魔術を見つけた際の啓示だが、よもやあの娘が実現するとは。
“名付けられし光”、“希望の灯台”、なれど己を照らす光はなく…か」
そう、感慨深げにつぶやいた。
幻視したその少女は、おそらくは別の世界、別の可能性での鹿目まどかであろう。
あの少女が、願いに潰され絶望して消え行く魔法少女達を見捨てられようはずもない。
その願いはとてつもなく大きく、それゆえ神野陰之と同じく人としての有り様を失ったのだろう。
魔術の深遠を追い求めた結果として神になった男と、神の全知に至ろうとした己と、そして、人のために神になることすら許容した少女と、それについて思いを馳せた。
世界が間違っているならば変えてやろうという、その願いは、異界と現世を混ぜんとしたあの“魔女”と同じものだ。
されどその少女の心は、かの魔女とも、自分達とも違い、ただ普通の少女なのだ。
その未練はいかばかりか、そして残される暁美ほむらの苦悩はいかばかりだろうか。
その大きすぎる希望と絶望が神野陰之を呼んだのだ。
そこまで読み解いた魔術師は、感じた思いをひた隠しにするように語る。
「まあ、それはそれとしてせっかくよき体を手に入れたのだ。
この”世界”では小娘共の願望が叶うように協力してやるとしようか」
その言葉に神野は意外そうに、そして面白がるかのように顔を歪めた。
「貴方とて、孫すら贄にしたくせに、今更随分過保護ではないかね?」
おそらくは魔術師の本心などとうにお見通しなのだろう。
それでもなおからかうような、その言葉が来るのを分かっていたかのように、魔津方は穏やかに、懐かしげに微笑んだ。
「これでも私はまだ人なのだ。
そして人の子の親でもあったのよ。
かつては自分の死を子孫がいることで受け入れようとして、息子達には愛情を注いでいたしな。
最もそれは己の死への忌避には及ばなかったがな。
だが、この身となってあの小僧やこの小娘を見ていると…色々とな」
そして話は終わりとばかりに目は閉じられた。
後には静かな寝息と夜の張が残るのみだった。