「ならさ…一人だけ除け者ってわけにはいかないだろう」
杏子の提案に異存のあるものはそこにはいなかった。
りん、
ドアを開けた際に出迎えてくれたのは、かつての住人のやわらかい声ではなく、まどかの持つ鈴の優しげな音色だった。
テーブルの上には今入れたばかりというふうに湯気の立つ紅茶とケーキが並べられていた。
その光景を普通の人が見れば、かのマリー・セレスト号を思い出し不気味に思っただろう。
しかし、4人の少女にとっては、それはかけがえのない友人の思いやりであることがよくわかっていた。
彼女達は思い思いに感謝を述べると席に着き、以前と同じようにお茶会を始めた。
「それで、あんたの作戦というのはなんなんだい?」
ケーキの最後の一口を口に放り込んで話を切り出したのは杏子だ。
「これから話すわ。
その前に、あなた達にまだ話していなかったことを全部伝えておかなければならないわ。
もっとも、魔法少女の真実と異界については別の場所で知っているでしょうけど」
ほむらは周りの仲間達を見渡して思う。
ようやくここまできた。
ワルプルギスの夜を前に、全員が生きていて、しかも真実を知ってなお精神が安定しているなど初めてであった。
幾度ものループの中、失敗の原因となった彼女達を恨んだこともあった。
だが、自分の心を見直してみれば、その願望のためには彼女達の無事が必要だったし、このふれあいは捨てがたいものだというのに気づかされた。
だからこそ裏切れない。
そして、ほむらは今まで隠してきた自分のことについて話を切り出す。
ただ目的を達するだけならば話す必要はなかったが、これ以上隠し事を抱えたままでは真に笑いあうことなどできないだろう。
「まず、これまで私がいろいろ隠していたことを謝るわ。
なぜいろいろ知っていたのか、神野陰之との関係は何か…などね。
因みにキュゥべえに聞かれる心配はいらないわよ。
この日の為に隠していたキュゥべえ避けの結界を張ったから侵入は不可能にしてあるわ。
では、始めましょうか」
そしてほむらは語りだす。
自分が魔法少女になったきっかけ、まどかとの始めの出会いと別れ。
繰り返すループ、仲間の死と魔女化、繰り返すごとに深まる溝とすれちがい。
まどかとの約束と、彼女への思い。
一人で闘おうと心を決め、それでも大切な人を何度も失ったこと。
ワルプルギスの夜との度々の戦いとその強大さ。
「私は繰り返す時間の中で迷子になっていた。
まどかだけ救えればいい、他がどうなろうと構わないってね。
でも今回戻ってきたとき、神野陰之に合って聞かれたの。
『君の本当の願望は何だね?』ってね。
彼自身は元々この世界にいて、繰り返して溜まりに溜まった私の妄執に引き寄せられたようね。
彼の、全てを見通すような眼に見られ、私の心は全ての始まりに戻っていたわ。
まどかや巴さんと出会って、一緒に過ごしたあの日々をね。
そして気づいたのよ、私はただ、あのまどかと過ごした日々を取り戻したかっただけなんだって。
そう、私の本当の願望は、『まどかと共に笑いあう日々を過ごすこと』。
そのために、それを妨げ、まどかを悲しませる悲劇を回避しようと、あの魔人や魔術師の力をも使ってこれまで活動してきたの」
今回戻ってきた際に遭遇した魔人、気づかされた本当の願望。
まどかと共に笑いあうため、関わる全てを救おうと、関わる全ての魔法少女と笑いあえるようになろうと、ほむらは動いてきたのだ。
その願望は一人で戦うことを続けてきたほむらの心を溶かし、今の友情へとつながったのだ。
「ほむらちゃん…そんなに…ごめんね…ありがとう…」
「ほむら…あんたってほんと…」
「………」
全て話し終わり、場には嗚咽の混じった重い空気が漂う。
ほむらが何かを抱えていることは察してはいたが、他の3人にとってはここまでのものとは思っていなかったのだろう。
まどかなどは自分の約束の重さと、そこまで自分を思ってくれたほむらに思いをはせ泣いているし、
過去の記憶を見ていたさやかや杏子も、他の時間軸の自分がほむらを苦しめていたことを思い出しているし、自分の見ていない部分のほむらの戦いは想像以上に重いものだった。
ただ、それを見るほむらの胸には罪悪感があった。
この素晴らしい友人達を、独りよがりな考えで幾度となく見捨ててきたのだから。
そして、捨てた世界で続いていく絶望と破滅と、それを起こした自らの業、背後の世界樹までは明らかにしなかったことに。
それはほむら自身が背負うべきことであり、彼女たちが背負うものではないのだから。
「ははっ。
欲張ったもんだねえ。
まどかと楽しく暮らすついでに、私達もこの町も救っちまうってのかい」
そんななかいち早く復帰したのは杏子だ。
彼女のこういった性格に何度ほむらは救われていただろうか。
過去のループで、隠し事の多い自分に対しても彼女が理解を示して付き合ってくれたことでどれだけ心が安らいだか、そのときはわからなかったが今となっては判る。
ゆえにほむらも、彼女の心遣いに応え、笑みを浮かべて言葉を返す。
「ええそうよ。
わたしとまどかのほのぼのライフの為にあなたにも協力してもらうわ。
それに、貴方達だって私にとっての“大切”な友達なんですもの。
すべては私自身の幸せのため。
だからまどかも泣かないで、あなたに泣かれると私の願望が叶わないわ。
特に美樹さやか。
やっとここまで来たってのに、勝手に気持ちを沈めて魔女化して全部ぶち壊したら承知しないわよ」
「でも…」
「でももへちまもねーよ。
今のさやかは強いさやかだ。
魔女化する気も死んでやる気もないんだろ。
だったらさ、あとは笑って突っ走るっきゃないじゃん」
さやかの胸に拳を押し当てて杏子が諭す。
さやかはまだ思うところがあったようだが、ぐしぐしと袖で目元をぬぐうと、そこにあったのは意思の強いがあった。
すべてを知ってなおこんな眼ができるとは、本当に強くなったものだ、とほむらにとっては感慨深い。
「うん…
わかったよ、ほむら。
で、そんな強いワルプルギスの夜相手にどう戦うのよ。
以前あったループみたいに、余波で街壊滅とかは勘弁だよ。
恭介に何かあったら、無理やりにでもほむらに時を戻させちゃうよ」
「そうならないための策よ。
前置きが長くなってしまったけど、これから話すわ。
まどかもいい」
まどかはほむらを見て応える。
「うん、いいよ、ほむらちゃん。
お願い、皆を守る方法を教えて」
6つの瞳がほむらを見つめる。
多少の不安こそ見て取れるものの、そこにあるのは強い意思だ。
これならば自分の策も受け入れられるだろう。
そしてほむらは口を開く。
ワルプルギスの夜との戦いにおける作戦、魔女と魔法少女のシステムそのものに干渉する儀式、『神堕とし』について。
「まず、ワルプルギスの夜を、奇譚化によって異界に封じ、被害を防ぐわ」
「奇譚化?」
ほむらが語ったのは聞きなれない言葉だった。
「そう、魔女を異界に堕とし、物語の一部に変えてしまうのよ。
魔法少女が人間でありつつも人をやめていること、魔女が異界の存在に近いものであることは知ってるわよね。
実際に実例もあることだし」
それを聞いてまどかたちは、マミとお菓子の魔女、そして影の魔女と桜について思い出す。
あれらは魔女と異界の存在が違和感なく融合していたし、マミも異界に行ってなお巴マミという人間の在り方を失ってはいなかった。
「知ってるけど、それがどうしたのよ」
「では、本来のワルプルギスの夜の意味を知ってるかしら」
まどかとさやかはうーん、とうなってしまう。
本来の、と言われても馴染みのない名前であり、どこかで聞いたことがあるような気もするが思い出せない。
そこで答えたのは教会の娘である杏子だった。
「本来の…
古代ケルトの祭り、魔女が宴を行う夜、『死者を囲い込むもの』、死者と生者との境が弱くなる夜、だっけか」
「えっと、どういう意味?」
さやかの分かっていない様子に、ほむらはため息をついた。
「さすが杏子、さやかとは大違いよ。
まあ、日本でいうところのお盆みたいなものね」
抗議するさやかを無視してほむらは続ける。
「そう、魔女のほうのワルプルギスの夜は、人型をした使い魔や顕現した際に死者を大量に出すことからその名がついたのでしょうね。
ただ、それが便宜上の名であったとしてもそうして畏れられた名前は意味を持つわ。
そう、魔女のワルプルギスの夜を本来の意味でのワルプルギスの夜に見立てられるほどにね。
死者と生者の境があいまいになる性質を利用して、死者にして生者である魔法少女、生者にして死者、そして物語、異界の住人である小崎魔津方、神野陰之を触媒に、異界と現世、結界の境界を曖昧にして魔女を異界へと引きずり堕とす」
さやかをからかったままの口調で、淡々とすさまじいことを述べるほむらにまどかたちは絶句する。
それを前に、ほむらは獰猛な笑みすら浮かべていた。
「これが『神堕とし』の儀式。
これによって戦場を異界にすることで、街の被害をゼロにできるわ。
そして最大の魔女を堕とすことで、他の魔女も引きずられて異界に堕ちる。
ついでにインキュベーターも引きずりこんでしまえば、魔法少女と魔女のシステムそのものを異界の物語の一つに変えられる。
そうすれば、魔法少女や魔女の物語を知り、霊感を持つ人間以外はインキュベーターや魔女に遭遇すらできなくなる。
あいつの陰謀にも終止符を打てるのよ」
異界に落とされると聞いて杏子が慌てて言う。
「だけど、それじゃあ魔法少女は、私達はどうなる?」
それに対してほむらは落ち着いて答えた。
「生者にして死者から、生者にして物語に替わるだけよ。
小崎魔津方とシミュレートした結果、実際にワルプルギスの夜と一緒に異界に堕ちる者以外の現状は基本的に変わらないようよ。
そうよね?」
その続きは同じくほむらの口から発せられたが、老人のようにしわがれた“魔術師”の声だった。
『その通りだ。
魔法少女や魔女の在り方は、語り継がれて来た物語に符合する点が多々ある。
おそらくはあの孵す者どもが気づかぬだけでこのシステムの成り立ちに我らの共通意識、すなわち異界がある程度関わっておるのだろう。
故に、この儀式の先も本質は変わらぬ。
ここにいる者以外の魔法少女にとっては、言われるまで気づけもしないだろう。
これまでソウルジェムの真実を知らなかったようにな。
もちろんジェムを壊されれば死ぬし、穢れがたまりきれば魔女になる。
それに異界のモノとなる以上は異界のモノ、それこそ天使や悪魔も含んだ怪異とも関われるようになるが、ちょっと変わった魔女の結界と捉えられるだろう。
それも怪異に深入りせねば早々あるまいし、異界に堕ちた魔女は現実には中々手を出せなくなるからな、魔女による被害は大幅に減るだろう。
怪異相手に魔法少女の力で戦えるというのも人類にとってはプラスになるしな。
懸念としては儀式の巻き添えで異界に引き込まれる人間が出かねんことだが、そこは巴の小娘と人界の魔王だった男に任せればよかろう。
最も、その儀式によってワルプルギスの夜と共に異界へ堕ちる我らは直にその地を踏むことにはなるが』
その言葉をほむらが受け継ぐ。
「…ということよ。
一応神野陰之にも確認しているので間違いはないわ。
実は既にこの街全体を利用しての魔法陣は完成しているわ。
統計上、どの場所に奴が現れたとしても問題はないわ。
そしてワルプルギスの夜と一緒に異界に堕ちる、その役目は私にしかできない。
さやかと杏子は、私の背後を守ってほしい。
ワルプルギスの夜の持つ性質上、魔女のサバトの性質が強まり、魔女が大量にやってくるはず。
そいつらにワルプルギスの夜との戦場に乱入されると手に負えなくなる。
だから、あなたたちはこちらに留まり魔女を食い止めてほしいの」
「…わかった。
だが私達の援護なしで、お前一人で勝てるのかよ。
これまでも駄目だったんじゃないか。
それに、せっかくまどかと仲良くなれたのに、また別れる気かよ」
「そうだよ。
異界に堕としたら、さっさと帰ってきちゃえばいいじゃん。
街に被害が無いなら闘う必要はないって」
杏子とさやかは、これまでの魔女との戦い、ワルプルギスの夜の強さ、そして魔法少女の運命、何よりほむらの覚悟を考えるとこの作戦に反対はできなかったが、一人になるほむらを心配していた。
「心遣いありがとう。
でも、奴とは決着をつけないといけないわ。
さっき話した通り、あいつは逆さまの状態で現れるけど、反転して頭を上にしたときに真の強さを発揮するの。
その魔力と反転が儀式の『反転』を招く危険があるから、そうされないうちに倒すしかないのよ」
それでも一人で闘うというほむらに、まどかは気持ちを抑えることができなかった。
「そんな。勝てない相手に一人で戦う義務なんてないよ!
ましてや自分一人を犠牲にする必要なんてないよ」
まどかの必死な顔に対して、ほむらは場違いなように、昔を懐かしむ顔をした。
「昔、私もあなたに同じようなことを言ったわ。あなたはなんて言ったと思う?」
「え?」
まどかが驚いた顔をする。
ほむらはその顔をまぶしいものでも見るかのように見つめていた。
「それでも、わたしはいかなきゃ、魔法少女だからってね」
「そんなのってないよ。私の言葉、取り消すから行かないで」
「ありがとう。まどか。
でもね、私は勝ち目がないなんて思ってない。運命なんて私の願望で切り開いてみせる。
義務で行くんじゃないの。前に進むために行って、そして勝つわ。人として」
「ほむらちゃん…」
「それにね、たとえ迷子になってしまっても。あなたにはその鈴があるわ。
あなたが望む限り、私は人であることをやめはしないし、私は必ずあなたの元に帰ってくる。
だからお願い、祈って。
そして待っていて」
『こやつを信じてやれ、鹿目まどか。
それに私を忘れるな。
この小娘は一人ではない、なんとしてでも連れて帰ってやろう。
間違っても魔法少女になろうなど考えるなよ』
「そう、こいつもいるんだから、大丈夫」
ほむらの揺るがぬ覚悟を感じたのだろう。
まどかがついに折れ、自身も覚悟を決めた目でほむらを見つめる。
「……わかった。ほむらちゃん。
わたし、何度でも言い続ける。ほむらちゃんは、魔法少女は人間だって。
ワルプルギスの夜との戦いのあとだってずっと一緒だよ。
だから、絶対帰ってきてね」
「まどか………」
ほむらは感極まって涙すら流す。
このまどかの優しさがあったからこそここまで生きてこれた。
こんな彼女だからこそ守ろうと思い続けてきた。
ようやく、ずれていった思いが完全に重なるときが来たのだ………
「それはよい願望だね、鹿目まどか」
その空気に水を指すかのように闇を引き連れ神野陰之が顕現する。
「ひっ」
「神野陰之…まどかによけいなことはしないで」
「っ…」
「何しにきやがったてめえっ」
いきなり表れた神野に対して少女達は身構える。
それまでのやり取りで暖かくなった心が、冷水を浴びせられたかのように冷えていく。
これまでも、そしてかの作戦において重要なファクターとなるとはいえ、いきなりあらわれて平常心でいられる相手ではない。
いきなり現れるなら、インキュベーターのほうがまだましだ。
だがそんな本能的な敵意にも笑みでもって返し、神野はまどかに優しく告げる。
「君の願望こそが重要なのだよ。
神堕としの儀式において、魔法少女は人でありながら物語、異界の住人ともなる。
異界の住人が物語を通じて怪異として人に認識されるように、魔法少女を人として認識することこそが彼女達をこちらに留めおくのに必要なのだ。
本人が思い続けるだけでも十分だが、世界は二人以上の認識により固定されるものなのだ。
鹿目まどか、君の願望こそが、儀式の後も魔法少女が人間であり続けるための要なのだよ」
突然のことに始めは戸惑いを見せたまどかだが、その表情は引き締まったものとなる。
そして真正面から神野を見据えて言う。
「本当だね。
私が願えば、それは叶うんだね」
それが嘘を言わないということはこれまででわかっていたし、なによりもまどかはほむらを信じていた。
そのまっすぐな視線を、同じく正面より受け止めた魔人は告げる。
「叶うとも。
もちろん孵す者の力など必要ない。
誰かが強く望み続ける限り、たとえ他の全てに見放されても魔法少女は人としてあり続ける。
その祈りが、その声が届くのなら、きっと奇跡は起こせるだろう」
まどかは力強く頷く。
その目にはもう迷いはなかった。
「わかった。
もし魔法少女が、自分が人間じゃないって思って、それに苦しんでも、私は何度でも違うっていいます。
何度でも言い続けます。
魔法少女には最後まで希望を持った人間として生きてほしい。
そして、皆と、人として一緒にいたい。
それが私の願望。
さあ、叶えてよ。神野陰之!」
それはインキュベーターが見れば、感情の無い彼らをして垂涎ものの願いである。
その祈りの強さは最強の魔法少女が誕生するにふさわしい。
それに対し、神野は詠うように、舞台役者のように仰々しく手を広げて言葉を紡ぐ。
「その祈りを守護しよう、“観測者”にして“救済するもの”鹿目まどか。
さあ、見せてみたまえ、君達の物語を。
新たなる魔法少女奇譚を」
高らかに謳いあげた神野陰之の“宣言”、それに呑まれた少女達が我に帰ったとき、神野がいた場所には、
「がんばって。
応援してるわよ。
異界に迷い込んだ人たちは私達が何とかするから思いっきりやりなさい。
“物語”になったらまたお茶会をしましょう、ただの女の子同士の友達としてね」
と書かれたメモと、グリーフシードの詰まった鞄が置かれていた。
その後、少女達はその日が来るまで、各々修行や精一杯の遊びを行った。
主にさやかと杏子は一緒に修行を、まどかとほむらは今までを取り返すかのように日常を楽しんで過ごした。
最後になってもいいように、最期に後悔しないようにするために。
そして、また明日もそれを続けるために。
時は流れるように過ぎ、ワルプルギスの夜がやってくる日となった。