「ねえまどか、願い事って考えてみた?」
学校の昼休み、屋上でお弁当を広げつつ、さやかがまどかに問いかける。
昨日の話し合いでのマミやほむらの話を聞いた後では、たとえ仮定の話でもこのようなことを彼女達の前で話すのははばかられたので、さやかはまどか一人を誘っていた。
キュゥべえは、ソウルジェムの件のような隠し事をしかねないため、勝手に動かないようマミが捕まえているのでここにはいない。
「んーん、さやかちゃんは?」
まどかは首を振る。
「わたしも全然。
ほむらのあの顔を見たらそうそう契約するつもりはないけどさ、考えるだけならいくらでも思いつくと思ったんだけどなあ」
そういうとさやかは空を見上げ、どこか寂しげにつぶやいた。
「欲しいものもやりたいこともいっぱいあるけどさ、命がけで、さらにこの体まで別物にってところでひっかかっちゃうんだよね。
そうまでするほどのもんじゃねーって」
「うん」
まどかもそれに同意する。
さやかはどこかほっとしたように、微笑を浮かべると、自嘲気味に話し始めた。
「まーきっと、わたしたちが馬鹿なんだよ」
「えー、そうかな?」
まどかの言葉にさやかは頷く。
「そう、幸せ馬鹿。
別に珍しくなんかないはずだよ。
命と引き換えにしてでも叶えたい願望って。
そういうの抱えている人って、世の中に大勢いるんじゃないのかな。
だから、それが見つからない私たちって、その程度の不幸しか知らないってことじゃん。
恵まれすぎて、馬鹿になっちゃってるんだよ」
「そうね、馬鹿さやか」
突然掛けられた声に、はっ、として二人が振り向くと、そこにはいつからいたのか、暁美ほむらの姿があった。
まずいところを聞かれたという風に固まる二人を尻目にほむらは、ご一緒してよろしいかしら、と勝手に弁当箱を開け始めた。
「その幸せ馬鹿で十分なのよ。
『願望』なんて誰でも持っているし人それぞれだけど、そこまでするほどの願いなんてものは幸せ馬鹿から外れたときに、失ってしまったものを求めているのがほとんどなんだし。
恋人を失った者は恋人を求めて、老人は若いときには持っていた時間を求めてといったふうにね。
幸せ馬鹿でいられるうちは、それをしっかり味わって、壊さないようにすればそれだけでいいの。
わざわざ不幸を求める必要は無いわ」
自嘲気味に言うその表情に一握の寂しさが現れたことをまどかが見て思わず訪ねた。
「ほむらちゃんは、どんな願い事をして魔法少女になったの?」
それを聞いたほむらは、どこか懐かしむような表情をして言った。
「私は…そうね、そんな幸せ馬鹿になりたかっただけなのよ。
ただそれだけ。
まあ、今はお昼ご飯という幸せを味わいましょう。
食べそびれて不幸というのは嫌よ」
はぐらかされたようだが、実際昼休みも少なくなってきたのでそちらのほうに慌てて取り掛かる。
まどかも詳しいところが気にはなったが、お互いのおかずを交換した際、パパ特製の卵焼きをおいしそうにほうばるほむらの微笑みが幸せそうだったので深くは聞かないことにした。
ほむらが何を願ったにしろ、その笑顔に水を差す気にはなれなかった。
まどかもさやかも感じ取っていたのだ、ほむらの言葉は不器用ながらも本心が篭っていることを。
少女たちの昼食は和やかに進んだ。
ただ、さやかは時折、何かを考えるように遠くを見ていた。
教室に戻ると仁美に、まどかとさやかの禁断の恋という百合百合しい妄想を披露された。
お嬢様である仁美はこういった少女マンガ的な思考をすることがある。
昨日はまどかとさやかは二人そろって帰りが遅く、昼も二人、ということで妄想が加速しているようだった。
放置された嫉妬もあるのかもしれない。
これでさらに今日の放課後、魔法少女ツアーのためとはいえ二人で帰ると伝えたらどうなるのか、とさやかは頭を抱えた。
結局、妄想が爆発して、二人の間には入る余地はないんですのね~、などといって駆け出してしまったのだが。
まどかは苦笑いするだけで、さやかがほむらに助けを求めてもそっぽを向かれた。
その乏しい表情の影で一瞬にやりとしていたのでわざとだろう。
さやかは、ほむらにはいつか痛い目を見せてやろうと思ったのだった。
「それにしてもほむらの奴、初日から遅刻なんて。
適当に喫茶店ででも時間潰してて、もし魔女の気配がしたら呼んで、だもんなあ」
「仕方ないよ、昨日の今日だし。
転校したばかりでいろいろあるんだよきっと」
ほむらに文句を言うさやかをまどかがとりなす。
放課後、ほむらは用事があるといって別行動をとった。
それを待つため、まどか、さやか、マミは行き着けの喫茶店へと向っていたのだが、
「ありゃー、臨時休業かー」
さやかが残念そうな声を出す。
なんでも、置いてあったバッグに拳銃やらなんやらが入っていたらしく、警察が来ていたのだ。
暴力団員の指紋がついていたらしく、店主が警察に事情を聞かれていて営業どころではないらしい。
「別の場所にしようよ、ほら、窓から見えるあそこにも喫茶店があるよ」
まどかが機転を利かせる。
指差した先にあったのは、今まで気にも留めていなかったような薄暗い路地裏にある一軒の店だった。
いつも彼女達が利用しているおしゃれで明るい店と違う、古風な雰囲気のある店だ。
「えー。高かったらどうするよ。
私今月のお小遣い厳しいんだよねー」
さやかが不平を漏らす。
「上条君へのプレゼントのせい?」
それを聞いてまどかがちゃかす。
それに対してさやかは真っ赤になってしまった。
「あらあら、その話、詳しく聞かせてもらえるかしら。
それにここは私がおごってあげるわよ、先輩なんですもの」
マミが取り成す。
なんだかんだで和気藹々と三人の少女はその店へと足を伸ばした。
瀟洒な姿をさらす店のドアを潜ると、かろん、とベルが音を立て、
「無名庵、ねえ。抹茶でも出てきそうな名前だね」
「いらっしゃい」
さやかの失礼ともとれる言葉に対して、マスターの動じることない低音が出迎える。
他に客はいない。
外見と同じく、古めかしい雰囲気の店だ。
曲もそれに合わせたどこか陰湿に聞こえるものがレコードで流されていて、その暗さを引き立てていた。
「ヴォイルかあ、しかもレコードなんて渋いねえ」
席に座るとさやかがうんうんとうなずきながら感嘆の声を挙げる。
内装はともかく、そこは気に入ったようだった。
それを聞いたマミが意外そうに声を掛ける。
「あら、美樹さんって詳しいのね。
てっきりこういったものには縁がないかと思っていたわ」
よく言われるのであろう、さやかは慣れた様子で肩をすくめると答えた。
「幼馴染がヴァイオリンをやっていましてね。
私もクラシックに詳しくなっちゃったんですよ。
みんなに話すと意外だって驚かれちゃうんです。
ただ、あいつは事故で入院しちゃって、今は演奏ができないんですけどね」
最初は笑いながらだったが、最後のほうは、その彼に思いを馳せてか切なそうな表情になっていた。
「その人がもしかして、さっき話していた上条君?」
「ええ、そうなんですよ。
私としてはなんとかしてあげたいんですが、元気が出るようにあいつが好きな曲のCDを持って行くくらいしかできなくて…」
「さやかちゃん…」
落ち込んでいくさやかを見て、まどかが心配そうな声を掛ける。
マミも明るいさやかが店と同じくらい暗くなっていくのを見て、失敗したかという顔をしている。
「傷を癒す魔法はなく、愛する人を蘇らせる秘術は無く…
だけどそれすら可能にする…か」
ぽつりとさやかがつぶやいた。
それは昨日キュゥべえが言っていた言葉だ。
それを聞いたマミが反応する。
「早まっちゃだめよ、美樹さん。
普通の世界には魔法はなくても、医療はあるのよ。
まだ、治らないと決まったわけじゃあないのでしょう。
もしそうなら、昨日の時点でキュゥべえの話に飛びついたでしょうし」
さやかの声は弱弱しくなっていたが、マミのその言葉にうなずく。
「ええ、そうなんですけどね。
ただ、奇跡があるなら私なんかじゃなく、あいつにその権利を譲ってやりたいって思っちゃうんです」
まどかは、昼休みのさやかの姿を思い出す。
さやかが上条君のことで心を痛めていたのは知っていた。
小学校からの長いつきあいなのだ。
上条君がコンテストで優勝すれば自分のことのように喜び、うれしそうに話してきたことをよく覚えている。
そして、応援してくれてありがとうって言われたんだ、と赤くなりながら自分に告げてきたことも。
そして彼が事故にあった時は、半狂乱になって泣きわめいたさやかが落ち着くまでそばにいたのだ。
さやかが魔法少女のことで上条君のために祈るのではないかという気は最初からしていた。
だが、親友にそれほどの過酷な運命を負ってほしくはなく、かといってその気持ちがよくわかるから止めるわけにもいかない、そんな相反する気持ちがあったため話題に出すのを避けていたのだ。
さやかの言葉と、そんなまどかの表情を見たマミもその思いの強さを知った。
ただ、それでも魔法少女の先輩として、これだけは言わなければならなかった。
「確かに、人のために願いを使うという前例はあるわ。
でもね、厳しいとは思うけれど、これだけは言っておくわ。
美樹さん、あなたは彼に夢を叶えてほしいの?
それとも彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」
それを聞いたさやかは詰まった表情をした。
「その言い方は、ちょっと酷いと思う…」
それを諭すようにマミは厳しく告げる。
「でも大事なことよ。
魔法少女になれば願いは叶うわ。
けれどその代償は重い。
自分の願望をはっきりさせてからでなければ後悔するわよ」
そういうとマミは、マスターが運んできたコーヒーを一口すする。
そして穏やかな表情になると、再びさやかに向き直る。
「うん、おいしい。
相談に乗る相手はいるのだし、落ち着いて考えましょうよ。
彼が明日死ぬというわけじゃないし、治らないと決まったわけでもないわ。
それに、私と違って時間はあるのだから、ね」
「マミさん…」
その優しさに触れ、さやかも表情が柔らかくなる。
そして、コーヒーをすすり、一息ついて、もう少し周りを見てみよう、考えてみようという気持ちになる。
その表情の変化を見たまどかもほっとした顔になる。
そして三人の少女は、和やかに戻った空気の元、コーヒーカップに口をつけた。
…と、その時、
「それでは、願いと『願望』の話を始めようか」
突然横の席から声がかかり、少女たちはぎょっ、と心臓を鷲掴みにされた。
そこには、黒い外套の男が座っていた。
ついさっきまでそこには誰もいなかったはずだし、まどか達が店に入ってから新しい客はだれも入っていなかった。
だが、3人がコーヒーカップに視線を移したその一瞬に、まるで初めからいたかのようにその男は姿を現した。
「あなたはっ!」
「あなたは、昨日の…」
「なっ…!」
その驚く少女たちに構わず、ただくつくつと昏い嗤いを漏らし、静かに語りかけてきた。
「巴マミ、君の言うとおり人のための願いとは難しいものだ。
えてしてそれは、自分の『願望』を裏切っているものが多いのだからね。
本当の自分を偽っているうちは誰も本当に幸せになんかなれない。
やろうとしていることが悪いのではない、ただ何も生まないだけなのだよ。
また、そうでなくとも、願いとは難しい。
一杯の小豆ご飯を願ったがため、大切な家族を失うという物語もあるくらいだしね」
「雉も鳴かずば…」
後半の話に心当たりがあったまどかがつぶやく。
それは、以前国語でやった昔話。
病気の娘が願った小豆ご飯のため、父親が庄屋の家から盗みを働く。
娘は治り、その嬉しさを手まり唄で歌っていたところを聞かれてしまい、盗みがばれた父親は洪水を防ぐための人柱にされてしまうという、ささいな願いと優しい思いが全てを奪う悲しい物語だった。
そのつぶやきを聞いた神野は笑みを浮かべてまどかを見る。
「君は物語に詳しいようだね。
では、君達に関わるある物語をしようか」
そして神野が話し始めようとするのをさやかが遮った。
「待ちなさいよ!
あんた何者!?
いきなり現れて何様のつもりよ!」
いきなり現れた挙句こちらを無視して語りだす神野にさやかは怒りを覚えていた。
人のために願うことについてマミに言われるのはまだいいが、いきなり現れた男にばっさり切り捨てられるのは腹立たしかった。
神野に対してここまで声を荒げるのには、昨日のできごとを見ていないというのも大きかったが。
「私が何者か…か?」
そして神野は詠うように、答えた。
「昨日、巴マミには、“願望を守護するもの”であると答えた。
暁美ほむらは、君達に“闇に名を捧げたモノ”であると説明した。
他にも、“夜闇の魔王”、“名付けられし暗黒”、様々な名で私は呼ばれる。
だがもし、最も本質的かつ無意味な名で私を呼ぶのであれば―――
―――私の名は、神野陰之という」
その囁くような、それでいて奇妙にはっきりと響く声。
闇より響くように耳にどろりと不気味に響き、その吸い込まれるような昏い眼に見つめられ、声を荒げていたさやかも縛られるようにして動きを止める。
それでもマミは振り絞るようにして言葉を紡ぐ。
先輩としての使命感がそうさせたのである。
「…あなたは、暁美さんの魔法で生み出されたのではないの?」
「私がこうなったのは、あくまで私だったものの願望によるものだ。
何も私のことを不思議に思う必要はない。
“叶える者”が“望む者”の傍にいるのは当然だろう」
そう言われると、キュゥべえもあてはまる。
だが、これとキュゥべえを同じようなものととらえるのには無理があった。
理解はしても納得はできない、かといってその言葉に反論することもできなかった。
少女達からの発言がなくなったのを待って、神野は話し始めた。
「かつて私が関わった、ある少女の話をしようか。
彼女は普通の少女だった。だがある日、彼女は異界へと取り込まれた」
その言葉に、魔法少女のことを連想して少女たちはぴくり、と反応する。
「異界に取り込まれ、さまよい歩く中、いつしか彼女は『神隠し』になってしまった。
自分を連れ込んだものと同じ、知らぬ間に人を異界に引き込む存在にね。
変質してしまった彼女は普通の人間には決して認識されない。
そんな彼女を待っていたのは、絶対的な孤独だった。
呼ぼうが、叫ぼうが、誰も自分に気がつかない。突然そんな世界に放りこまれる。
気が狂いそうなほどの孤独、人恋しさ・・・そんな所に自分を認識できる存在が現れた。
それがどんなにうれしいか、君ならわかるだろう、巴マミ」
「ええ…分かるわ」
マミは昨日までの自分を思い出して言う。
魔女と魔法少女の戦いは結界内で行われるため、その存在は一般的には知られていない。
人とは異なる存在ということがマミを孤独にしていた。
そんな中、同じ魔法少女である暁美ほむら、そして、魔法少女という存在を受け入れて普通に接してくれる鹿目まどかと美樹さやかに出会えたことは、とてもうれしいことだった。
「その子も魔法少女だったのかしら。
それとも、あなたみたいに別の魔術の結果なの。
異界というのは魔女の結界の比喩なのかしらね」
マミはその共感と同時に浮かんだ疑問について目の前の男に問いかける。
「いや、彼女は魔法少女ではない、異界の住人となった者だ。
異界は遥かな過去から我々のすぐ隣にあり、何時でも“こちら側”とつながろうとしている。
魔女の結界とも異なる、より深いところにある世界だ。
誰も知らず、誰にも気づかせず、この世界は徐々に異界に喰われている。
原因不明の事件や自殺は魔女の仕業と言ったね。
異界とその住人達もまた、怪異という形で多くの犠牲者を出しているのだよ。
魔法少女が魔女と戦うように、人間もまた異界と戦い続けてきたのだ」
まどかとさやかは、魔女に続けて異界というものが出てきて、困惑した顔をしているが、神野の言葉から意識を離すことはできなかった。
神野は大学講師のように続ける。
「どちらも普通から見れば怪異ということになってしまうが、厳密には異なるものだ。
そう、巴マミ。
君が魔法少女に成り立ての時、魔女の仕業と思い込み、その正義の気持ちを高めた“目潰し魔”事件、あれは魔女の仕業でも異常性欲者の仕業でもない。
“魚”に惹かれた釣人が、ただ釣りをしただけにすぎないのだよ」
その事件はまどかやさやかも覚えていた。
自分達と同い年くらいの子供も犠牲になった無差別殺人。
被害者に外傷はなく、片目だけがつぶされていたというおぞましさ。
そして、容疑者は、家に争ったような痕跡を残して行方不明になったという不可解な事件。
その真相を、ただの釣りだと言ってのけた神野に、マミは肩を震わせて怒る。
「ふざけないで!
そんなことのために、人が死んでいいわけがない!」
だが、その剣幕に動じることなく神野は嗤う。
「何を怒ることがある。
本当の願望を追い求めるというのは、その願望以外はどうでもよいことと同義だろう。
それがどうでもよくないのなら、それはまた願望の一部なのだ。
彼はただ、“魚”に惹かれた釣人であってそれ以上でもそれ以下でもなく、魚と釣りこそが全てだった。
ただ、その“魚”が異界のもの、人間の“心”や“魂”といえるものだったがために、それを釣り上げられた肉体が死ぬという結末を迎えたに過ぎない。
ソウルジェムを失った肉体が死を迎えるのと同じようにね。
彼が心の底から釣人であった証拠に、彼は私に潜む“魚”にまで挑み、勝利し、そしてその願望のままに“魚”達の大海へと還って行ったよ」
そう言われてマミはソウルジェムを見つめる。
その光を反射する表面に、ちらりと魚影が見えた気がしてぞくりとする。
この中にも、“魚”がいるのだろうか、取り出された魂のその奥に、何かが潜んでいるのだろうか。
まどかは、犠牲者に思いを馳せ、勇気を出して神野を糾弾する。
「あなたは、それを見てなんとも思わなかったの?
その犠牲になる人の辛さを分かってあげられなかったの?」
それは優しいまどかの怒り。
その釣人のみを肯定するかのような神野の言葉に対しての義憤だった。
それを受けた神野は嗤うだけだったが、その表情には少し懐かしむようなものがあった。
「君とは違い、そういった感情は、私が人としての主体を失った時点でなくしてしまったのだよ。
今の私は“全ての善と悪の肯定者”に過ぎない。
願望に善も悪もない、あるのはただ、強いか弱いかだ。
君らがキュゥべえと呼ぶあれもそれは変わらない。
あれもまた、善悪に関わらずその素質と感情エネルギーのみで願いを叶えるのだからね」
絶句する少女たちを尻目に、神野の話は続く。
「魔女と魔法少女、異界についての話に戻ろう。
両者が異なるということは話したね。
その違いを分かりやすく言うならば、魔女と魔法少女は個人としての特色が色濃く残っていて人間に近いが、 異界の住人達はより普遍的な存在になっているといった形かな。
君が知る知識で表すなら…ユングの心理学を知ってるだろう?」
数学で二項定理を出してくる中学校だ、それくらいは道徳の授業で触れている。
さやかは寝ていたので聞いていないが。
「…よく大きく波打った波線で表現される、あれかしら。
波の一番上が一人一人の表層意識で、下にいくほど広がって潜在意識。
そして波の下辺、自我のさらに下では互いにくっついてしまうというものね」
マミは応える。
理解できていないさやかを尻目に話は進む。
「その通りだ。
その繋がった場所に異界はあると考えてもらってもいい。
深すぎて普段は感じることができないが、繋がっているからこそ、きっかけさえあれば彼らは浮かび上がってくる。
そのきっかけは都市伝説や怪談といったものとして転がっているのだよ。
もっとも、認識されるまで彼らはこちらに関与できないし、怪談を知ったからといっても、彼らを認識できる霊感を持つものはそう多くは無いがね」
一度言葉を止め、つ、とマミを見つめて神野は口を開く。
「それとは違い魔女と魔法少女は表層意識に近い存在だと思ってくれればいい。
魔女は異界の普遍性の影響を多少受けた結果あのような姿となるが、あくまでも自分一人の世界に、終わってしまった願望にしがみついているにすぎないのだからね。
それゆえ魔女はきっかけがなくとも人に干渉して害をもたらすし、魔法少女は普段は人として人の世に生きることができるのだよ」
もはやこの眼前の男の異常性と、人智を超えたその存在を少女たちは理解していた。
これは人間の形をした何かだ、そう納得できたマミは神野に話しかける。
「そしてあなたは異界の住人というわけね。
気になったのだけど、魔女と魔法少女を同列に扱うのはどういうわけなの?」
それに神野は嗤って答える。
「願いを叶える者と、それと契約した者は古来そう言われていただろう。
“悪魔”と“魔女”と。
むしろそちらが一般に通じる意味だ。
まあ、詳しく知りたいのなら、あの白い獣に聞いてみたまえ。
今ここでそれを話すには、君たちの願望では足りぬ。
まあ、ここで重要なのは、魔法少女として、この世界の全ての悲劇に責任を負う必要はないということだ。
魔法少女であることと異界に手を出すための資質は別物である以上、願望のために魔法少女になるのは構わないが、魔女や怪異の撃退に義務を感じる必要はないのだよ」
これまで饒舌に話していた神野だが、後半は急に言葉を濁した。
だが、このような魔人や“釣人”のような存在がいる以上、魔法少女にできることに限界があるのもまた事実ではあった。
「『神隠し』の少女の話に戻ろう。
怪異となってしまった自分を認識してくれる相手が表れた。
それはとてもうれしいことだったが、やはり怪異は怪異、せっかくできた友人は怪異に飲まれてしまった。
だが、その彼の友人の自らの命を顧みぬ行動により、彼はこちらへと帰ってきた。
人間として認識してあげることで、こちら側にいれるようになった神隠しの少女を傍らに連れてね。
その後も彼女と彼、その友人達は数々の事件や悲劇に巻き込まれ、関わった人間の多くが命を落としたり、狂ったりした。
だが彼らは、最後には世界が異界に、絶望に飲み込まれるのを阻止することに成功したのだよ」
少々名残惜しそうに、神野は話を締めくくった。
「それで、その人達はどうなっちゃったの」
まどかが神野に問いかける。
その少女はマミやほむらと似たような存在だと感じた。
悲惨な末路を迎えるのなら、自分が魔法少女になってでもなんとかしてあげたかった。
「二人は、自らを異界に捧げることで事態の収束を図り、永劫の物語となった。
運さえよければ、その友人達とはこちらで会えるかもしれないがね」
その物語が終わり、沈黙が訪れる。
そんな中口を開いたのはまどかだ。
「なんで、私達にこんな話をするの?
ほむらちゃんに頼まれたの?」
この男がここまでいろいろ話すことにまどかは疑問を感じていた。
強い願望を叶えるという存在に対して、自分達三人はその願望が定まっているとは言い難かった。
自分のそれはまだ固まっていないし、さやかにいたっては神野が出る直前まで揺れ動いている最中だったのだ。
まどかの脳裏に浮かぶのは、神野を従えていた友人の姿であり、彼女がこの話をするよう願ったのではないかと思ったのだった。
それに対して神野は肯定とも否定ともとれない返答をする。
「私がこの場に来たのは、彼女の願望ゆえだ。
彼女は君達が破滅する運命になるのを避けたがっているからね。
だが、この話を私がしたのは、君達の物語に通じる話だからだ。
私は君達と同じように、怪異となった少女と、それに関わった者の物語を話しただけに過ぎない。
悲劇に聞こえたかもしれないが、彼らは彼らの本当の『願望』を追い求め、それを叶えた末でそうなったのだ。
君達の物語は彼女らと似たような結末を辿るかもしれないし、そうでないかもしれない。
暁美ほむらの『願望』に縛られない、君達のその選択を知りたいのだよ。
何でも叶う願いに踊らされず、どんな結末が待っていようと、本当の『願望』を追い続けることだ。
それが暁美ほむらを上回る強さならば、私もそれに従おう。
自分の『願望』のため、生きて、考え、動き、戦い、呼吸し、足掻き、傷つき、泣き、笑い、叫び、奪い、
失い、築き、壊し、血を流し、怒り、這いずり、狂い、死に、蘇らなくては、意味は無い。
何故なら、それこそが“人間”の最も美しい姿なのだからね。
この“私”が崇敬してやまない、人間の偉大な魂の形なのだよ。
鹿目まどか」
急に話を振られてまどかは驚く。
「わ、わたし?」
「君は、自分には何のとりえもない、だから人のために役立てる力が欲しいと思っているね」
「うん、誰かのために役に立ちたいというのは、人のために願いを使うのはいけないことなのかな。
自分のためじゃないと本当の願望とは言えないのかな?」
「救済も立派な願望だよ、鹿目まどか。
自分の力で何かを成すというのに代わりないのだから。
むしろ、世界のほうを自分の望むものにかえようという大それた欲望に他ならないのだよ」
まどかの疑念を神野は肯定する。
しかし話はそれだけで終わらなかった。
「ただ、それは他者に自分の望む世界を押しつけるということでもある。
先ほど話した『神隠し』とその友人の物語。
その敵となった人物の願いは、“みんなが仲良くなれますように”だ。
人間も、妖精も、神も、異形も、魔女も、魔法少女も、現実も、異界も、みんながね」
その清らかな願いと、それと相反するおぞましい結果を思い、少女たちは身震いする。
そしてまどかは、昨日の夢を思い出す。
みんなを吸い上げ、天国へと導かんとするその影を、そしてそれを称賛した透き通る声を。
「鹿目まどか、君には世界を変えるほどの強い意思と力がある。
ゆえに失われてしまうものをなんとかするためならば君は進んで身を投げ出せるだろう。
だが、覚えておきたまえ。
君にいなくなってほしくないと思う者がいることを、君が誰かを助けたいように、君を助けたいという願望を持つものもいることをね」
「わ、わたしは…」
まどかは迷いの表情を浮かべて口ごもる。
その脳裏には、一瞬ほむらの姿が浮かんだ。
それを見て神野は、
「君の無事を願うものに悪いと思うのなら、失う前に捕まえたまえ」
りん、と神野の手から鈴が下がった。
「その鈴が君を導いてくれるだろう」
まどかは、おずおずと手を差し出し、その鈴をつかむ。
鈴を渡し、神野はさやかとマミに向き直る。
「美樹さやか、巴マミ、
君達は自分の本当の願望を、もう一度考えてみることだ。
魔法少女が叶える祈りと、自らの願望は同じとは限らないのだからね。
自分の心から目を離さないことだ。
目を離すと…見たまえ、こんなことになる」
そう言うと、す、と神野は手を動かし、彼方の方角を指差した。
その先には暇そうにしているマスターがいるだけだった。
三人が急にこちらを向いたので怪訝そうにしている、ただそれ以外の変化はなかった。
「ちょっと、何もないじゃ!…え…?」
先ほどまでの会話にできなかったさやかが、うっぷんを晴らすかのように声を荒げて視線を戻すが、そこには何も、居なかったのだ。
ほんの一瞬の間に、動く気配すらなく、神野は消えていた。
まるで、初めから存在などしていなかったかのように…
夢でなかったのは、喫茶店から出ると、すでに真っ暗になっていたことで分かった。
「今日は、もう遅いし、魔法少女体験ツアーは明日からにしましょうか」
マミは言う。
実際だいぶ遅くなってしまったのもあるが、なによりも神野の言葉が、二人を連れて行くことをためらわせていた。
『怪異となってしまった自分を認識してくれる相手が表れた。
それはとてもうれしいことだったが、やはり怪異は怪異、せっかくできた友人は怪異に飲まれてしまった』
魔法少女としての自分を受け入れてくれた二人と会えたことはうれしいが、彼女達をこれ以上魔法少女に関わらせるのと、異界に引きずり込む“神隠し”では同じではないか。
結局は自分が憎む魔女と同じ、悲劇のきっかけになるのではないか。
その思いを隠して勤めて明るく言う。
「それじゃあまた明日。学校で会いましょう」
後で暁美さんにも相談してみよう、とマミは思う。
ただ、今は時間が欲しかった。考える時間が。
美樹さやかは思う。
あの男の雰囲気に完全に飲まれていた。
何も言い返すことも口をはさむこともできなかった。
まどかやマミさんはすごいと思う。
(恭介…わたし、駄目な子だ…)
幼馴染の上条恭介の顔が脳裏に浮かぶも、自分の恭介への思いは、願いの強さはその程度なのだろう。
神隠しの少女にも、その友人達にも、到底及ばないだろう。
マミさんやほむらの友達ではありたい、でもその資格が自分にはあるのか。
さやかの気持ちは沈んでいた。
鹿目まどかは思う。
自分の思いが完全に見透かされたのは恐ろしかった。
それに、誰かを救いたいという願いが起こしてしまうかもしれないことも怖い。
けれど、神隠しの少女を救ったその友人達の話にはあこがれた。
(マミさん、さやかちゃん、ほむらちゃんのためなら…)
鈴をぎゅっと握りしめ、まどかは祈る。
そして、魔法少女の奇跡に安易に頼るつもりはないが、大切な人たちを守りたいと思うのだった。
「結局、巴マミは来なかったわね」
グリーフシードを手にほむらは言う。
昨日の使い魔の大元、魔女ゲルトルードを倒して得たものである。
薔薇園の魔女ゲルトルード、薔薇園の中心に鎮座する、ナメクジに触手まみれの顔と蝶の羽がついた姿をした魔女だ。
この魔女はいつもの時間軸ではマミが倒していた魔女である。
繰り返したループの中では、まどかやさやかがすでに魔法少女だったときもあれば、ほむらも加わっていたときもあったが、倒す役は常にマミであった。
まどかやさやかが魔法少女だった時でも、契約したのはせいぜい数日前なので、巨体とすばやさを併せ持つこの魔女には対処しきれなかったのだ。
マミの戦いは華麗だ。
マスケットを次々と取り出し、近寄る使い魔を銃身で殴り、撃ち抜き、撃ち終わった銃を投げつけ、新しい銃を手にする。
銃を並べて一斉射撃で光の雨を降らせる。
すばやいゲルトルードですらリボンで拘束する。
踊るような美しい戦い、そこは巴マミにとっての劇場である。
演舞の終焉に、巨大な、戦艦の主砲クラスのマスケットで決め台詞とともに魔女を葬り去る。
「ティロ・フィナーレ」
かつてほむらも憧れた。
そしてどの時間軸でも、この戦いを通じてまどかとさやかはマミへの憧れを、魔法少女への憧れを強めていく。
まどかを救うために、まどかに契約をさせないために、ここでマミの戦いがなかったのは僥倖だった。
次の魔女は強敵だ。
別の時間軸のマミを幾人も葬ってきた存在だ。
憧れが強くないうちに死と隣り合わせの恐怖を見せることで契約を思いとどまらせる。
マミには悪いが、ぎりぎりまでピンチになってもらおう。
この時間軸ではマミとの関係は良好だ。
マミの近くにいることができれば、時間の逆行のついでに手に入れた時間停止の魔法で助けることは余裕であるし、そのまま魔女を葬るノウハウもすでに会得している。
マミを助け、まどかを思い留まらせれば、自分の『願望』の実現まであと一歩となる。
彼女の願いは誰かを助けたいというものである以上、魔女退治を目的にさせなければ、自分達が死ななければ済むだけの話になるのだ。
だが、まだほむらは知らなかった。
彼女の祈りが、魔人をこの町に引き寄せたことで、次の魔女がこれまでのものとは異なる性質を持つことを。
そしてほむらは忘れていた。
夜闇の魔王は、より強い『願望』を叶えるということを。