中年を超え老境にさしかかろうという医者が『無名庵』という看板の掛かったその古物屋を見つけたのは、勤務の帰りにふらりと入り込んだ、普段は通らない路地裏での事だった。
「アンティークショップか…」
重厚なドアのある洋風の店構えに、墨痕鮮やかな和風の看板が掛かる、どこかアンバランスな印象の店だ。
黄色いくすんだライトに照らされた古めかしいで窓風のショーウィンドウには、どちらかというと店構えのほうにふさわしい、真鍮の地球儀や遠眼鏡といった西洋骨董の類がならんでいた。
入り口のドアを開けると、ドアベルが、かろん、と鳴った。
店員の姿は見えなかった。
自宅にアンティークを飾るのが趣味の彼だが、今日は買う気が起きなかったので、店員に声をかけられる心配がないのがありがたかった。
そんな気分でなぜ店に入ったのかといれば、いつもなら入るので習性で入ってしまったとしかいいようがなかった。
それほどまでに気分が沈んでいたのだ。
周囲を見渡せば、猿と魚を合わせて作ったのだろう人魚のミイラ、白骨化した鳥が翼を広げた標本、小さな甲虫がぎっしりと詰め込まれた細長いガラス瓶など、不気味な品物が並んでいた。
「くそっ」
その品物が醸し出す死の気配に触れ、今日の出来事を思い出し年甲斐もなく悪態をつく。
彼は小児科の、しかも重病人を扱う医師であった。
彼がどんなに頑張ろうとも、医学の限界で、未来ある子供達は苦しみ死んでいく。
「せんせい、ママはきてくれないの?
さびしいよ…」
その言葉を最期に、今日もまた一人の少女が逝った。
容態の急変で、仕事のある母親が間に合うことができなかった。
彼は最期までそばにいたが、彼女の孤独を埋めることはできなかったのだ。
自分には、彼女らの体を救うことも、心を救うこともできないのだ…
「こんなところ、早く出よう…ん?」
打ちひしがれて店を出ようとした医者の目に、隅にすえられた大きな棚が目に入った。
その棚は人形の陳列棚で、そこにはきれいな衣装を着たアンティークドールや日本人形、かわいらしいヌイグルミが、棚に座らせるようにして並べられていた。
「そうか、これなら…」
常に一緒にいられるヌイグルミなら、一人で入院している子供達の慰めになるのではないだろうか。
そう考えていると…
「――――――何かお探しかね?」
突然声をかけられ、振り向くと、いつの間にか後ろに男が立っていて、静かに笑みを浮かべていた。
男は長い髪をして大時代な丸眼鏡をかけ、これまた大時代な黒い外套をぞろりと長く羽織っていた。
外套は高価な品なのか実に複雑な色をしていて、単純なただの黒ではなく、例えるなら深い夜色をしていた。
「ええと…」
「探しているのは、子供達へのプレゼントだね?」
いきなりのことに驚く医者に、男は単刀直入に言った。
「ええ、私の患者達に…」
「ならば良いものがある。まだ新品だから心配ない。もって行きたまえ」
新品ではアンティークとしての価値は?いやそれなら安いのか?といつもの癖で考え出した医者をよそに男は外套の中から片手を出し、ヌイグルミたちを指差した。
どこにでもありそうな平凡なデザインの、くまやアザラシ、デフォルメされた少女といった雑多なヌイグルミたち。
「ええと、お高いのでは?」
入院患者は重病人だけでも何人もいる。
どうせ買うのなら子供達のために数をそろえてやりたいのだが、高いものでは厳しいのだ。
「いいや、そんなことはない。
だがここから持ち出された品はきっと君の『願望』の役に立つだろう。
ここはそういう場所なのだからね」
くつくつと、男は嗤う。
普段ならうさんくさく感じる台詞だが、今日の医者の沈んだ心にはよい慰めに聞こえた。
「なら、これらを頂きましょう。
せっかくなので、この子の名付け親になってもらえませんか」
今日看取った少女を思い出しつつ、少女のヌイグルミを指差して医者は言う。
自分のセンスに自信がないというのもあったが、目の前の男の発する神秘さに少々頼ってみたくなったというのもあった。
「ふむ…では…シャルロッテというのは、どうかな?」
…上条恭介が事故で病院に運び込まれるより、10年も昔の話である。
―――――
――――
―――
神野陰之とのお茶会の翌日、美樹さやかは幼馴染の上条恭介の病室に来ていた。
今日の魔法少女体験ツアーはお休みだ。
マミが一人で考えたいことがあると言ったのが原因だったが、さやかはさやかでここ数日行けなかったお見舞いに行きたかったということもある。
マミはすでに帰宅したが、ほむらとまどかはロビーで待っている。
夕日の差す病室前、さやかは一人で、顔を赤らめていた。
昨日は神野との接触で落ち込んでいたが、やはり思い人の前に出ると胸が高まる。
深呼吸をして、病室の中へ入る。
ベッドの上で恭介は、入ってきた人物を見て、うれしそうに、やあ、と声を掛けた。
さやかはその隣に腰掛けると、持ってきたCDを差し出す。
「いつも本当にありがとう。
さやかはレアなCDを見つける天才だね」
恭介はそれを見てうれしそうに言う。
「いやー、たまたまだよ」
さやかは謙遜するが、実際は何時間もかけて恭介が喜びそうなものを探し回っているのだ。
怪我で気落ちしているその幼馴染に笑顔を取り戻したい、その思いが全てだった。
「この人の演奏は本当にすごいんだ。
さやかも聞いてみる?
…本当はスピーカーで聞かせたいんだけど、病院だしね」
そう言うとイヤホンの片側をさやかに差し出し、顔を近づける。
大好きな幼馴染と接近したことで、さやかは真っ赤になる。
最も、恭介はそこまで気づいてはいなかったが。
流れる演奏を聴いて、さやかは思い出していた。
幼い頃、恭介の演奏を聞いて感動したことを、そして、そんな恭介を好きになっていったことを。
そんなことを考えていると、イヤホンをはめていないほうの耳に、嗚咽が響いてきた。
恭介が泣いていた。
まともに動かない指を見つめて、悔しそうに泣いていた。
さやかは、何も言うことはできなかった。
これだけは、医者に任せるか、自分が魔法少女になる以外にはどうしようもなく、ここでできることも、言えることもなにもなかった。
いままでのさやかならば、ここで動くことができなくなっていただろう。
だが、今回は涙を流す恭介の手を握り、隣に寄り添った。
自分では神隠しの少女にも、その友人にも、マミたちに並ぶほどの強さはないだろう。
だけど、やれるところまでやりたい、そして、恭介といられる、この“世界”を守りたい。
それはさやかが一晩考えて出した結論であり、一歩踏み出した原動力だった。
恭介は、自分の手を握る幼馴染の姿を見て、悔しさに歪んだ顔を少しゆるめた。
少し、気分が楽になった気がした。
二人はそのまま、演奏が終わるまでそうしていた。
「この病院の小児科にさー、悪夢を吸い取るヌイグルミがあるんだってさ」
「えー、マジで」
「マジマジ、それを持たせたら、怖がったり寂しがって泣きわめく子供だってぴたりと泣き止んで熟睡なのよ。
ある医者が持ってきたらしいんだけど、効果的面」
「へー、もしかしたら彰子の病室にもあるかもね。
あいつ高校生にもなって怖がりだからねー」
「かもねー。
でもね、この話には続きがあってね。
このヌイグルミは結構すぐほつれるらしくて、その綻びから夜な夜な眼や指が覗くらしいんだ。
吸い取られた悪夢が外に飛び出そうとしてるってね。
彰子のところにあったらさ、どうせ盲腸ですぐ退院するんだし、この話を聞かせてやろうよ」
「いいねいいねー」
上の病室でさやかと恭介が会っている間、まどかとほむらはロビーで待っていた。
隣で女子高生達が、この病院に伝わる怪談をわいわいと話しているが、二人はしばらく無言だった。
「さやかちゃんと上条君、仲良くやってるかな」
沈黙を破ったのはまどかだった。
「心配?」
ほむらがまどかを向く。
「うん、二人とも、長い付き合いだから。
上条君が事故にあって、演奏ができなくなって沈んでいるのも、さやかちゃんが少しで も力になりたいと頑張ってるのも、ずっと見て来たから。
…そして、さやかちゃんが上条君のことが大好きなのも」
まどかは静かに言う。
「上条恭介は、さやかの気持ちを知っているのかしら?」
「気付いてないと思う。
皆知ってるのにね。
知らないのは本人だけだよ
さやかちゃんだって気付かれてないと思ってるし。
バレバレなのにね」
まどかはくすり、と笑うが、その笑顔はどこか淋しげだった。
恭介が事故に遭うまでは、そんな二人のほほえましい様子を温かく見守っていられたが、今ではその関係の齟齬が痛々しく、かといってどう手助けすればいいのかもわからないのだ。
それを聞いたほむらは、ぽつりと言う。
「何もなければ、甘酸っぱい青春の思い出でいられたでしょうけど、この場合、その綻びは致命傷になりかねないわ」
「それ、どういうこと?」
聞き逃せない単語を聞いて、まどかはほむらに詰め寄った。
それに対してほむらは、過去に辿った時間軸で得た情報を、その出所はぼかして伝えた。
「入院していたとき、聞いてしまったのよ。
上条恭介の腕は、医学じゃ治らない。
…治療法が見つかるにしても、何年も先の話になるでしょうね。
その事実が明らかになれば、彼を救うには魔法少女の奇跡しかなくなる。
けれど、その綻びを抱えたまま魔法少女になれば、その綻びは大きくなり、最後には破滅と死しかない…
そうなった魔法少女を何人も見てきたわ」
これまでの時間軸で魔法少女になったさやかは、この綻びが原因で破滅していった。
それに巻き込まれてほむらの計画は何度も頓挫した。
ならば魔法少女になる道を消してやろうと、何回かのループで医者や、上条恭介のファン、恭介に想いをよせる志筑仁美をけしかけて治療法を探り、
自らもアンダーグラウンドに手を出してまで治療方を捜してみたが結局は見つからなかったのだ。
「そんな、そんなのって」
まどかはショックを受けたようだった。
「私としては、上条恭介の腕は諦めて、作曲等別の道に進ませるしかないと思うわ。
さやかには、死んでほしくないもの」
あなたが悲しむから、とほむらは心の中で付け加えた。
口に出せば、自分の打算的な醜さが出てしまうから。
「ほむらちゃんも、さやかちゃんのことが心配なんだね
口ではきついこと言ってるけど、こんなに優しいんだもの」
けれどまどかは、そんなことを言う。
「私は、そんないい人じゃあないわ…」
「ううん、そんなことないよ。
ほむらちゃんは優しい子、私が保証するよ。
だから、一緒に考えよう、さやかちゃんが幸せになれる方法を。
神野さんには警告されたけど、それでも私はさやかちゃんにも、マミさんにも、もちろんほむらちゃんにも幸せになって欲しいもの。
私は諦めたくない、取りこぼしたくはないの」
自分を卑下するほむらに対して、まどかは微笑みながら告げる。
実際のところほむらも、かつて一人で戦っていた時と違い、自分の願望を自覚して開き直ってみると、本心からさやかに生きて欲しいと思えるようにもなってきたのだ。
けれどそれは、このまどかの優しさに触れてきたから手に入れたものだった。
「ええ、そうね、一緒に考えましょう」
まどかと一緒に、守るために動く。
それをやれたのはいつのことだっただろうか。
途中からまどかを守るために、魔法少女と接触しないように距離を置いた。
けれど今、魔法少女としてではなく、ただの少女として友達のことを一緒に考えられる。
そのことがうれしく、ほむらの顔にも微笑みが浮かんだ。
しばらく二人で話していると、やがてさやかが降りてきた。
そのまま帰宅の途に着く。
だが、病院を出てすぐに、まどかが異変に気づいた。
「あれ、あそこ…」
そこにあったのは、脈打つ黒い球に串を刺し、壁に突きたてたようなものがあった。
「なに、あれ?」
さやかも疑問の声を挙げる。
彼女達は魔女本体との戦いを見ていないため、グリーフシードを見るのも初めてだった。
「グリーフシード、魔女の卵よ。
ソウルジェムの穢れを吸い取り、魔法少女の力を回復させる力があるのだけれど、卵だけあって穢れを溜め込みすぎると魔女が孵化するわ。
そして、あれはすぐにでも孵化しそうよ。
変な孵化の仕方をして病院で暴れられる危険もあるから下手に刺激するのもまずいわ」
ほむらが解説する。
「放っておけないよ、こんな場所で」
さやかは恭介のいる病院で魔女を孵化させたくはなかった。
ほむらは頷き、二人に指示を飛ばす。
「私が先行するわ。
あなたたちは巴マミを呼んできて。
一度ここから離れて携帯を使って。
来るつもりなら巴マミと合流してから。
結界の中心部で待つわ」
「わかった」
「ほむらちゃん、気をつけて」
そしてさやかとまどかはマミの元へ向かう。
二人が去ったのを確認して、ほむらはグリーフシードへ向き合う。
そして、生まれた結界がほむらを飲み込んだ。
ほむらは結界の中心へと向かう。
グリーフシードを刺激しないよう、使い魔を避けながら慎重に進む。
夜の病院を思わせる陰気な道だ。
あちこちに注射器や薬、病院のベッドや標本のようなものが転がる暗い道だ。
障害物があるので身を隠すにはもってこいではあるのだが。
このまま中心でマミを待ち、到着したら援護に徹するつもりだ。
マミには悪いがギリギリのところを見せることで、まどかとさやかに戦いの厳しさを見せる予定だ。
そして、ほむらが奥へと向かう扉を開けたとき、そこには何も無かった。
薬ビンも、注射器も、お菓子も、魔女も、使い魔も、何も無い、ただの闇だった。
はっとして後ろを振り向くも、そこにはもはや入ってきた扉すらなかった。
こんなことができるのは一人しかいない。
「どうして邪魔をするの、神野陰之!」
ほむらはいつになく激しい声を挙げる。
その声に応えるように、神野が闇から、ぬるり、と浮かび上がってきた。
ほむらは焦り、混乱していた。
こいつは私の『願望』を叶えるはず、せっかく順調だったのに。
何故、このままだと巴マミが…
「残念ながら、これが、“彼”の、“彼女達”の、そして巴マミの『願望』でもあるのだよ。
縫い合わせられた『願望』は、君のそれを上回っているのだ」
神野は淡々と告げる。
ほむらは分かっていたはずだった、この魔人がそういうモノだということは。
だが、心はそれを受け止められない。
神野陰之の裏切りに、そして巴マミが死地へ近づきつつあることに。
もう、誰も失いたくない、私の世界を、『願望』を守るために、その思いのみが募る。
「そこをどきなさい」
ほむらは左手の盾から大型の銃を取り出して神野へ向けた。
ミニミ軽機関銃、明らかに人一人に向ける物ではなかった。
それでも目の前に立つ魔人には足りないと、普段のほむらなら分かっていただろう。
だが、ほむらの焦りはその冷静さの仮面を剥ぎ取っていた。
それを向けられても無言で、ただ笑みを崩さぬ魔人に、ほむらは引き金を引く指を止めることはできなかった。
「どけぇ!!」
ガガガガガ、と耳を劈くような音が響き、無数の銃弾が神野陰之を貫く。
大量の、コールタールのように黒く粘つく血が撒き散らされ、そのまま神野は血の海へと文字通り崩れ、溶けた。
もはやその血の黒は闇と交じり合って判別はできなくなった。
そして神野が消えても闇は晴れず、後にはほむら一人だけが残された。
肩で息をするほむらの耳に、再びあの声のみが聞こえてきた。
「これが、“彼”の、“彼女達”の、そして巴マミの『願望』でもあるのだよ」
「ここが最深部、どうやら、間に合ったようね」
そのころ、マミ達は結界の最深部へと到着していた。
これまでの病院を思わせる重苦しい雰囲気はなく、明るくファンシーな雰囲気をした場所だった。
周囲には巨大なケーキや飴玉、チョコレートなどのお菓子が散りばめられ、その中にやたらと足の高い一本足の丸テーブルや4本足の椅子が木のように立っているという光景だ。
「お菓子の家みたい…」
まどかがその光景を見てつぶやく。
「あら、ヘンゼルとグレーテル?
なら、後はお菓子の家の魔女を倒して、お宝を持って帰るだけね」
マミはくすりと笑い、自信に満ちた表情で語りかける。
「頼りにしてますよ、マミさん。
あれ、でもほむらは?
先に行ったはずなのに…」
それを見て、さやかの緊張は少しほぐれたようだった。
だが、それと同時に、ほむらがいないことにも気づく。
「生まれたての魔女だと結界は落ち着くまでしばらく変化を続けるからね。
ソウルジェムの導きに従ってまっすぐ進んだつもりが、袋小路に迷い込んでしまう場合もあるんだ。
おそらくそれで迷っているんじゃないかな」
疑問に答えたのはマミと一緒にやってきたキュゥべえだ。
まどかはほむらを思って心配そうな声をあげる。
「ほむらちゃん、大丈夫かな?」
「まあ暁美さんなら、“森の獣”に負ける心配はないでしょうけれど…
ただ、待っている余裕はなさそうね」
ヘンゼルとグレーテルでは、両親は森に彼らを捨てたとき、人食いの魔女ではなく、森の獣に食い殺させる気だったという。
道に迷い、さらに魔女の家にたどり着けなければそうなっていただろう。
ほむらならば無力な少年少女ではないから大丈夫だとマミは思ったが、ふとそんなことを連想してしまう。
だが、グリーフシードの発する気配はそれ以上考える時間も、ほむらを待っている時間も与えてくれそうになかった。
「来るよ」
どくん、どくん、とグリーフシードが脈打つ。
そして、どくんっ、とグリーフシードがひときわ大きく脈打ち、それと同時に、病院中のヌイグルミが、ぺしゃり、と中身が全て抜けたように潰れた。
驚いた看護師がそのヌイグルミを手に取ると、それは見事に空っぽだった。
中身の綿も、そしてそれが纏っていた、癒してくれる暖かさや、夜に感じた少々不気味だった気配といったものまで。
…それは完全に抜け殻だった。
そして、グリーフシードは孵化し、魔女がマミ達の前に姿を現す。