時間は少し前、巴マミ達が結界の中心へ向かう道中に巻き戻る。
魔女の結界の中を、マミを先頭にして、まどか、さやか後ろに並んで歩いていた。
夜の病院のような、暗い、陰気な空間だった。
子供が欲しがるおかしやおもちゃがあるが、転がり、浮遊する注射器や薬瓶に遮られ通路からは手を伸ばすことができない。
そんな、入院中の子供にとっての悪夢を具現化したような空間だった。
その陰気さにあてられたように、マミがぽつりとつぶやいた。
「ねえ、鹿目さん、美樹さん。
こうしてついてきてくれるのはうれしいけど、もう止めにしたほうがいいと思うの。
私も、あの魔人が話した怪異みたいなものよ。
このままだと、あなたたちまで飲み込んでしまうかもしれない。
だから、これが終わったら、あなたたちは私に関わらず、日常に戻るべきなのよ」
神野陰之とのお茶会の後、マミが考えた結果がそれだった。
友達は欲しい、けれど、それが結果としてその友達を巻き込むのなら、それは耐えられないと思った。
もちろん、せっかく手に入れた友人を、ぬくもりを捨て去るのは身を切られるようにつらい。
一度味わってしまっている分、その後に待つ孤独は、かの神隠しの少女と同じか、それ以上になってしまうかもしれない。
だが、人を守りたい、自分のような境遇の人が生まれて欲しくない、という理想を掲げて戦ってきた自分が、そうありたいと願ってきたカタチが、マミにその選択をさせた。
マミの表情は後ろを歩くまどかとさやかには見えない。
だが、それでいいのだ、とマミは思う。
今顔を見られてしまったら、我慢しているのがばれてしまうだろうから。
だが、
「そんなこと言わないでください、マミさん。
魔法少女にはなれないかもしれないけれど、私はマミさんの友達です。
それに、勝手にいなくなろうとしても、この鈴を手に見つけ出します」
「そうですよ、マミさん。
それに、このさやかちゃんが、そうやすやすと飲み込まれたりするもんですか。
自信持ってください。
皆を守る正義のマミさんに、私は憧れてるんですから」
まどかとさやかは、マミの拒絶を振り払い、その手を伸ばす。
そう迷いなく言われて、マミはうれしく感じた。
たとえ離れることが理屈では正しいと思っていても、それでも近寄ってきてくれる彼女達の言葉を拒絶できるほどにはマミは強くなかった。
あの選択自体、理性と感情のせめぎあいのぎりぎりのところだったのだ。
そこに感情を刺激されれば、もう耐えようがなかった。
「あこがれるほどのことじゃないわよ、私。
無理してかっこつけてるだけで、怖くても辛くても誰にも相談できないし、ひとりぼっちで泣いてばかり。
いいものじゃないわよ、魔法少女なんて」
そして、弱音をつぶやく。
憧れの先輩の、弱い姿、それを見せられても彼女達の意志は変わらなかった。
「マミさんはもうひとりぼっちなんかじゃないです」
「そうですよ、マミさん、私もまどかも、ほむらだっているんですから」
「そうだよ、それにこの二人だって魔法少女にならないと決まったわけじゃないしね」
「あんたはだまってろ。
「ぎゅっぷい」
それを聞いてマミは振り向く。
その目には涙が浮かんでいた。
覚悟して決めた選択を、この少女達はやすやすと乗り越えてきた。
しかも場所はこの陰気で恐ろしい魔女の結界でだ。
もう、マミの胸はいっぱいになっていた。
「本当に、私なんかの側にいてくれるの?」
その目には涙が浮かんでいた。
マミの言葉に、まどかとさやかは力強くうなずく。
「参ったな、まだまだ先輩らしくしないといけないのに。
やっぱり私駄目な子だ」
言葉とは反対に、そう言うマミの顔は笑顔だった。
「じゃあマミさん、この戦いが終わったら皆でパーティーしましょうよ。
そんな沈んだ気分を吹き飛ばしちゃいましょう」
そんなマミの笑顔を見て、さやかが明るく言う。
「ええ、そうね…」
そう言い掛けたところで、
「マミ!
グリーフシードが動き出した。
そろそろ急がないと」
キュゥべえが声を挙げた。
時間を思ったよりも使ってしまっていたらしい。
「オッケー。
今日という今日は、速効で片付けるわよ」
マミは、力強い表情で、前に走り出すのだった。
(もう…何も怖くない…
だって、友達がいるんですもの!)
―――――
――――
―――
グリーフシードがはじけ、魔女が現れた。
キャンディのような髪型をした、デフォルメされた少女のヌイグルミのような姿で、椅子の上にちょこんと降り立った。
そんな弱そうな姿であっても、マミは容赦しない。
「せっかくのところ悪いけど、一気に決めさせて、もらうわよ!」
そう言いながら椅子の足をマスケットの銃尻でへし折り、落ちてきた魔女を殴り飛ばした。
吹き飛んで壁に叩きつけられた魔女に対して、マスケット銃を数丁取り出して連射。
穴が開いて地面に落ちた魔女の頭部に銃口を押し付けてゼロ距離射撃。
そのままリボンを召還して縛り上げ、上空に磔にする。
最後に、銃を大口径の大砲へと変え、魔女を撃ちぬいた。
「ティロ・フィナーレ」
「やったあ!」
腹に大穴を開けられた魔女を見て、まどかとさやかが歓声を上げる。
マミも、安堵したようにほっと息をつく。
…だが、まだ終わってはいなかった。
魔女の口から、ぞろり、と本体が飛び出す。
道化の顔をした、赤い斑点のついた黒蛇のような姿だ。
そして、一気にマミの眼前に迫った。
突然の現実を逃避するかのように、綻びから悪夢が飛び出す…病院に伝わるその怪談が、彼女達の脳裏に浮かんだ。
その魔女は、内側からはちきれんばかりに悪夢をつめたような、そんな雰囲気がしていた。
そして、魔女がマミの前で口を開いた。
大きく口を開けた魔女の、その口の中にあったのは全てを噛み砕かんとする凶悪な歯ではなかった。
青白い無数の手だった、貌だった。
口の中には、無数の子供達が詰まっていた。
泣いている顔、苦痛にゆがむ顔、助けを求める顔。
それらの無数の手がマミへと伸びる。
完全な奇襲のタイミングではあったものの、攻撃を魔女の口の中に撃ち込む余裕はあった。
そうすれば、自分を救ってくれた後輩達と一緒の幸せな未来が待っていただろう。
それでもマミは動けなかった。
そこにあったのは恐怖でも、絶望でもなく、
(そう…さびしいのね、苦しいのね…)
共感だった。
彼らも自分と一緒だった。
彼らの中にも感じたのだ。
死に掛けた痛みや苦しみを、独りぼっちで過ごす夜のさびしさを、幸せな夢を見て、朝起きたときに感じる絶望を。
ただ、彼らにはキュゥべえも、鹿目まどか達も表れてはくれなかったのだ。
救われた自分、救われなかった彼ら。
同じ境遇を経た巴マミにとって、自分のような人を増やさないために戦ってきた彼女にとって、彼らを見捨てることなどできるはずもなかった。
(ごめんね、美樹さん、鹿目さん。私は…)
マミは自ら魔女の口より伸ばされる手を取り、魔女と中の子供たちの満面の笑みの中、魔女ごとこの世界より消失した。
巴マミが魔女から伸びる手を取った瞬間、まどかとさやかの目には、マミと魔女が混ざりあうようにぐにゃりとゆがんで渦巻く姿が映った。
それが何事であるか判断する間もなく、そのまま結界も歪んで消失し、もとの病院の前へと戻っていた。
そこには、呆然と立ち尽くす暁美ほむらの姿もあった。
「マミさんは、ねえ、マミさんは!?」
「魔女もいない。
ねえ、キュゥべえ、ほむら、何がどうなってるのよ!?」
まどかとさやかが取り乱す。
魔女の本体に対してマミは自ら手を差し出していた、それだけでも理解できないのに、魔女もマミも両方消えてしまったのだ。
死んだというようではなく、むしろ取り込まれたといった風に見えた。
「僕にもわからないよ。
マミがやられたとしても、それで魔女が他の獲物を逃がすなんてありえない。
そもそも結界ごと移動したんじゃない、完全に消えてしまっている。
こんなことは初めてだ」
キュゥべえも、どこか混乱した風にみえる。
ほむらがマミの家で魔法少女の真実について述べたときですら淡々としていたその口調が乱れ、8の字を描くようにぐるぐると動き回っていた。
そんな中、ほむらはただうつむき、唇を噛み締めていた。
「ほむら、あんたなんか知ってるんじゃないの?
先に行ったはずなのに、いなかったしさあ!
なにか言いなさいよ!!」
そんなほむらに対してさやかが声を荒げる。
さやかがマミの安否が心配で、その焦りから攻撃的になっていることがまどかには分かった。
そんなさやかをいったん落ち着けようと、まどかが口を開こうとしたとき、
りん、
と鈴の音がなった。
神野陰之にもらった鈴、玉が入っていない、鳴らない鈴だった。
とりあえず携帯のストラップにしていたのだが、鳴るはずのないその鈴が鳴っていた。
その透き通るような音色は、場の混乱した空気を冷やし、さやかとキュゥべえも動きを止めた。
そして、
「敗者を鞭打つのは酷というものだよ。
暁美ほむらは、ついさっき、巴マミと、かの魔女となった者達の願望に敗れたばかりなのだからね」
その気温までもが数度下がったような空気の下、神野陰之が姿を現した。
差し込む夕日が、時を進めたかのように暗くなった。
「それ、どういう意味?」
そんな中にあっても、まどかは神野をまっすぐ向いて問いかける。
真実を知りたい、助けたいという意思が畏れを塗り消していた。
「文字通りの意味だよ、鹿目まどか。
あの魔女の基となった子供達と、巴マミは同じような存在であり、互いに相手を求めていたのだよ。
そしてそれは、巴マミと一緒にいたいという君達の願望よりも強いものだった」
まどかとさやかは怪訝な顔をしていた。
魔女の基となった子供という、不穏な単語が出てきたことは気になったが、それ以上にマミが自分達よりも魔女を選んだことが納得できていなかった。
そんな少女達を見て神野は続ける。
「あの魔女は、本来はお菓子の魔女だった。
病気の少女の好きなものが食べたいのに食べられない、そんな悪夢と絶望が生み出した魔女だ。
ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家の魔女のように、外見に騙された相手を喰らう、そんな存在に成り下がったそれに、巴マミは食い殺されるはずだった。
だがそこにとある医者の願望が関わってくる。
彼は病に苦しむ子供を、病室で孤独に泣く子供を、若くして死に逝く彼らの絶望を救いたいと願った。
私はそれに応え、その悪夢を食べるヌイグルミを与えた。
この病院での魔法のヌイグルミの話は君達も知っているだろう。
そして溜まった悪夢、要するに切り捨てられた寂しさや苦痛、絶望を抱く子供達の魂の欠片は、同じ境遇だった魔女と共鳴し、融合して、君たちが見た姿へとなった。
事故の苦痛、一人の寂しさ、それを知る巴マミがそれを見捨てることなどできるはずもない。
彼女は、自分と同じような人を生み出したくない、という願望を持って戦ってきたのだからね」
マミの境遇は聞いていたため、二人の少女は言葉を失う。
そして、あのマミさんなら、そんな子供たちを放ってはおけないだろうと納得してしまった。
だが、それでもその喪失の痛みはまどか達の胸に重くのしかかる。
一緒にいた時間はほんの数日に過ぎなかった。
それでも一緒にいたいと思える、そんな大切な人だったのだ。
まどかもさやかも、どうしても涙が止まらない。
ほむらでさえ、無表情を崩さないながらも、必死で感情を抑えているのが見て取れる。
「そんな…マミさんは、どうなっちゃうの?
もう…会えないの?」
まどかは涙ながらにそう問いかける。
それに対して神野は笑みを浮かべて、
「死んではいないし、彼女の魂の在り方も変わりはしない。
もともと人外であった彼女らは、その似通った性質が重なりすぎてもはや概念といえる状態、つまり異界の住人となってしまったがね。
だが、鹿目まどか、君の願望と、その鈴があれば道を開くことは不可能ではない。
彼女達の物語は完結だが、まだ、君達の物語は途中だ、あとは君たち次第だよ」
そういい残して消えた。
後には、すっかり日が沈んだ夜道が残った。
思い出したかのように点灯する街灯に、3人の少女と一匹の獣が照らされていた。
一人と一匹は無言で微動だにせず、二人は嗚咽を漏らしていた。
死んではいない、その言葉に少し安心は覚えたが、それでも胸に到来する別離の悲しみと、マミが受け入れた運命を思い、ただ泣いていた。
涙がなくとも、その心が泣いていた。
…ただ一匹の、獣を除いて。