当時は尺の管理が甘く、この度ある程度小分けにして出したほうがいいとの結論に至りました。そのぶん更新ペースは上がります。
————またもや、短い夢を見た。
卯ノ花輔忌という死神がその名前と共に生まれてくるまでの起源。遠い記憶が
だけど、こう何度も似たような回想が甦るのには理由がある。
皮膜の怪人、その下劣な嗤いが脳裏を奔る。
所有者の脳を自意識の元に支配する能力——その力は、元を辿れば僕にとって最も手渡してはならない者の手に委ねられていることを忘れてはいけない。この力がある限り、僕の全ては奴の思いのまま。
だから、尚更それが疑問なんだ。
『夢』は全て酌牽蜥蜴が見せようと思って見ているものだ。それが何故
いいや、違う。
あいつの目的は——僕を、奴自身と同じ殺人鬼に仕立て上げること。そこに並外れた執着を抱いているのは確かだ。
もしかすると、奴はこの記憶こそがその邪悪な目的を叶えるため僕に見せるべきものだと判断しているのかもしれない。
……だとすれば、それは全くの見当違いだ。
己の心を
何としてでも吼翔隊長と生きてこの戦いを終わらせる、その意思を貫く。
なら、するべき事は一つだろう?
「ハァ、ハァ──……」
吼翔の仕掛けた最後の攻撃は成功に終わった。
倒れ伏した輔忌を全力の一撃で即死させる、という当初の目的がそのまま果たされた訳ではない。しかしながら、それに等しい程度の成果を『飛掛』は挙げていた。
這い出るかのようにして絶死の太刀筋から逃れた輔忌の体は、しかしその”右腕一本分”を覆うように巻き込んでいたからだ。
飛掛が可能にする無数の戦術の中で最も厄介なものの一つ——拘束だ。
たったの一度でも絡め取られた上で『固定』を受ければ絶対に逃れられない。とんな縛道をも凌駕する”絶対性”がそこにあった。
(…………終わり、か)
揺るぎない勝利を確信してはいたが、しかし慢心は無かった。輔忌の左腕はまだ自由な上、こちらは拘束に回した斬魄刀を満足に振えもしないという状態。今でこそ地べたに縛り付けられているが、その覚悟や能力を思えば
無論、そうなった所で右腕を失った輔忌に負ける道理など有りはしないのだが。
やはり勝ちを確信しながら、輔忌の左手から如何にして斬魄刀を弾き飛ばした後に止めを刺すかという算段を立てていると——
「な……!?」
突如として響き渡る怒号にも似た叫び声。その出所は誰あろう、他ならぬ輔忌の口から出たものであった。
その口上が何を意味するかを知らない吼翔ではなかったが、それでも驚愕を隠せなかったのには理由がある。
瞬間、輔忌を中心とする周囲の地面が凄まじい勢いと共に隆起し炸裂する。
鬼道—— 死神が戦闘に用いる呪術の一種。習熟すれば強力な手札となり得るが、それには極めて繊細な霊力の制御と言霊の詠唱を必要とするはず。
(どうなってやがる……)
そしてこの場合に於いて何よりも重要なのが。
(輔忌が鬼道を修めとったやと? ……ンなもん、
実際に術の効果として表れた現象を見るにその筋は直ぐに消えたが、一瞬は単なるブラフではないかとすら考えた。事実、そんな話が風の噂にも聞こえない程度には輔忌の修練は剣術に重きを置いていた。
五十番台後半。鬼道を軸に戦う死神にとって決して高くはない数字だが、ぶっつけ本番でこれほどの威力を出せるものでもない筈だ、と。
ただ——
(——
反復練習を必要としない輔忌にとって鬼道とは『鍛え、研ぎ澄ます』のではなく『終える』ものでしかない。
斬魄刀の開放状態に限り永遠に鈍ることのない技術を通常の何百倍もの速さで修めることができる。そんな輔忌が鬼道を鍛える所を誰も見た事が無いとしても無理は無い。
無数の岩石群として次々と地中から飛び立っていくそれらは、同時に術者の周辺に巨大な風穴を残す。
それは斬魄刀と地面に挟まれた腕を自由にするために、
巻き付くのではなく、ただ覆い被さるように『固定』していた飛掛の拘束はただの一手で意味を成さなくなった。激しく舌打ちしつつ、吼翔は”大地転踊”の対処に追われる事になる。
「くッ」
避ける、叩き壊す、弾き飛ばす。身の丈を優に超えるほどの巨岩を後方へ跳び回りつつ次々と捌いていくが、視界を埋め尽くさんとするばかりの質量を防ぎ切るには広範囲に手が回るような鬼道系の能力を持たない飛掛では分が悪い。
片手間に揃えた付け焼き刃の手札とはまるで思えないほど——その術は完成されていた。
(この潰れた利き腕庇いながらじゃあ全部を相手しとる余裕は無ぇ。……なら!)
だんっ!! と。
飛来する岩石群の間に僅かな隙間を見出し、吼翔はそこに迷わず飛び込んだ。そうして時に身を捻り、時に避けられぬ岩を蹴り飛ばし——時間にして一瞬にも満たない内に岩石の壁から脱出する。
(”大地転踊”は威力こそあれ所詮は中位鬼道、相手を追尾するような術じゃねぇ! こうして向かって来た方向から追い越しちまえば直ぐに撒ける! そして——)
空高く跳躍した吼翔が一直線に向かう場所、そこは未だ体勢を立て直せてもいない輔忌が蹲っている地面だった。
(これ以上の余計な時間もやらんッ! これで終わり……)
と。
「散在する獣の骨 尖塔・紅晶・鋼鉄の車輪……」
(————!!)
耳朶を揺らす言霊の詠唱と霊圧の高まり。ここに来て輔忌の狙いをようやく把握した吼翔だが、しかしその表情に焦りは全く無い。
(
完全詠唱で威力を高めに来た。つまり次の一撃は必ず当てようという気でいる筈だ。
……だからこそ。武器を空間に『引っ掛ける』能力によって空中であろうと構わず動き回れる吼翔は、その瞬間思わず安堵した。
「——動けば風 止まれば空 槍打つ音色が虚城に満ちる」
(来や、がれ! 際々の所で『固定』してやる……!)
だからこそ、その言葉は吼翔を驚愕せしめた。
「は────」
ひゅんっ、と。
輔忌が指先を横薙ぎに振るうと同時。
握りしめていた飛掛の柄が、その手からこぼれ落ちた。
「斬魄刀を、片時でも手放したのは。失策、だった……」
俯きがちに呟く輔忌の表情は窺えない。
しかし、その人差し指と中指から薄っすらと伸びる光の筋は——正しく飛掛へと直結していた。
「そして……簡単だった。絶対に気付かれないように、小さく薄く抑えた霊圧の『紐づけ』——あの数合の間にあらかじめ結んでおくのは、本当に簡単な事だった」
二重詠唱、という技がある。
鬼道戦術の極みとされる超高等技術。げに恐ろしきは、その片方を同様の高等技術である
つまり、更なる本命の鬼道が控えている。
「漸く、捉えた」
回避手段の武器を失い、無防備を晒す吼翔を仕留めるに十分な威力を込めた破道が——。
——淡黄の爆雷が、晴天の空に響き渡った。
◼️◼️◼️
「うわぁッ……!?」
「あの鬼道は何だ!? あいつ、いつの間に……!」
「さっきの剣戟が見えた奴はいるか……!?」
二百名を優に超える立ち会いの騒めきを耳にしつつ、
「……通し、やがったのか」
輔忌のヤロウがここまでやれるとは。十四年間も前線から退いていたとは思えねぇ、この短時間で隊長レベルの戦いに適応しやがった。
——俺の最後の仕事に、後味の悪いモンを残していくような真似だけは許さねえ
「……これからて
戦いが始まる前、あの時の俺の言葉を忘れたとは言わせねぇぞ。て前ェが迫られた選択の結果は、俺を納得させてくれるほどのモンなのか?
ここで吼翔を始末する。それも一つの選択だろうよ。
だがな、それじゃあ俺は満足できねぇんだ。
て前ェが腹の底で何を企んでいるかなんてのは知らねぇし興味も無ぇ。それでも、その
誰も殺さなくていい、呆れるほどおめでたい平和な生き方ってやつを。
この世界で意思を通すには力が要る。体も、心のそれも。
俺が”上”に行っちまう前に、だからそれだけは見届けさせてくれよ。
なあ、輔忌?
て前ェは本当に——
「はあ、はあ……」
と。
しゅたっ、という風を切る音と共に現れた一人の女を俺は見遣る。
「来たか……”烈”」
今日だけは顔を出さねぇもんだと思っていたがよ。どういう心境の変化があったかは知らんが、一足遅かったみてーだな。
そら、もう決着が付くとこだ。
「…………違う……」
……何?
違う? 一体何が違うって——
「違う!
◼️◼️◼️
「あれは……」
修練場に突如現れた母の霊圧に僕は瞠目した。
「いや……それは後回し、か」
自分達の戦いの外で一体何があったのかは分からないが、どちらにせよ、先ずもってやるべき事があるからだ。
(死なないまでに『雷吼炮』の威力は調整した。その上で吼翔隊長に力を示し、そうして……剣八の名を預かるまでだ)
成さなければならない事の果てしなさを覚悟しつつ煙幕に足を踏み入れようとした——次の瞬間。
「よォ」
ガシッ、と。
“背後”から伸ばされた左腕に、首を締め付けられた。
「が、っ!?」
分からなかった。
何が起こったのか全く理解できなかった。あまりにも突然の事に目を白黒させるより他に無かった。
「やってくれおったな。……一瞬や。一瞬だけあの判断が遅れとったら、俺は今ここに立ってもおれんかったろう」
ギリギリギリ!! という音まで聞こえるかのような
「ぐっ、ああああ!!」
「ッ、ち────」
苦し紛れの蹴りによる反撃だが、身体への直撃を嫌ったその剛腕により凄まじい勢いで投げ飛ばされることで回避される。
受け身も取れず地面に叩きつけられた僕がゴロゴロと転がる姿を見ながら、もはや血と汗で全身をべったりと汚した死神は独り言として呟いた。
「やはり……お前を素手で殺しきるのは難しいかよ。どれだけ消耗していようがな……」
「うう……っ!」
徐に僕から背を向ける。そして振り向いた先は、未だ『這縄』に縛り付けられたままの”飛掛”だった。
「無駄や……」
咄嗟に指を動かして飛掛を遠くに投げ飛ばそうとするがもう遅い。その寸前に全ての刃がその場に『固定』された。
最早何者も彼らの間を遮ることができない——そう理解し、ようやく僕は疑問に思う。
(どうして……あの場面、どうやったって躱せなかった筈なのに! どうやって僕の
ちゃりん、と。
「…………っ!」
その時、まるで小さい金属片が地面に落下でもしたかのような——微かな音が辺りに響いた。
まさか。はっと息を呑みつつ、先程鬼道の余波で展開された煙幕の真下を凝視すると。
「飛、掛……」
その十八の刃の内、たったの一枚。
それだけが『固定』の力を失って地に落ちていた。
「まさか、」
「
とうとう自らの斬魄刀をその手に取り戻した吼翔隊長は言う——“隠し玉を持っているのが自分だけだとでも思ったか”、と。
「…………」
「……行くぜ」
左手に得物を構え、とうとう彼は走り出す。
この体に残っている体力はほとんど限界で、既に意識も朦朧としているようなものだった。刀を握る手にはほんの少しばかりの緩みも無かったが、それもいつ糸が切れるように倒れ込むかもわからなかった。
(駄目、か……気が 遠く……)
意識が途絶えかけ、今にも前のめりに倒れ込もうとした、次の瞬間。
誰かの呼ぶ声が。
耳に響いた、気がした。
ただ一声、叫んだ。
「お、オイ……?」
天示郎がこちらを窺うように見てくる。もしかすると——この決闘の場で私が何かを
ただ一声。それだけで十分な筈だから。
私とあの子の間には、それだけで。
一瞬の交錯があった。
襲い来る吼翔隊長の飛掛と僕の酌牽蜥蜴が接触し、そして通り過ぎる。
自己を完全に支配できる僕にとって有り得ない話だが——自分自身を生かそうとする”本能”のような何かが僕の体を勝手に動かしたような気さえした。
「ぐぅ——」
バキッ、という音と共に。
鋼鉄が堕ちた。
迫り来る『絶対防御』の刃、その全てをすり抜けた僕の剣が飛掛の”刀身”を半ばから切り落としたのだ。
極まった技量。……それは、吼翔隊長の動きの全てを
……だけど、それが限界らしい。
僕の目にはもう、世界が世界として映っていないのだ。
十四年前の災禍の記憶が、完全に意識を埋め尽くしつつあった。指先が炭化し、足元がボロリと崩れ落ちる。自分が今両足を地につけて立っているのか、顔に付いた眼球が前を向いているのかも瞭然としない。
もう指先一本すら動かせない。あと一歩、ほんのあと一歩を踏み越えきれず——僕は、負けたのか。
あの一瞬、かろうじて僕の耳まで届いた言葉。
ようやく分かったんだ。どうして母さんがここに来たのか、そして——
ようやく、分かったんだ。
僕が隊長との決闘を決めたと母さんに報告したあの夜。あの涙の理由が。
薄々気付いていた事だ。僕が生来抱えてきた”母を救いたい”という不明な衝動……これは、僕の物じゃない。
誰か、いや何か。僕の知らない何かがこの心に植え付けていった紛い物、呪いのようなもの。
それを僕に気付かせてくれたんだ。
僕が輔けているのは、果たして本当に己の心か。
それを訊くためにここに来たんだ。
これは、僕の心じゃない。
ああ——いっそ、何もかもさっぱりと投げ出してしまおう。母さんは僕に、それをこそ望んでくれた。今からでも遅くないのかもしれない。
普通の死神として、生きていきたいと。
こんなにも空が青いだなんて。
もっと早く気がついていればな。
「吼翔、隊長」
「…………」
喉さえもぼろぼろに擦り切れてしまっているな——そう思いながら、掠れた声で降参の意を表明しようとした、
その、寸前。
ぞくっ、と。
「あ────」
深淵の領域からまろび出た、不浄の怪物の声がした。
◼️◼️◼️
先程まで感じていた晴れやかな気持ちが一気に塗り潰される。腐敗した果実からだくだくと吹き出る汚液のような、あらゆる魂にとって忌避するべき感触が、毒となって、心に滴っている。
「やめろ——」
気づけば奴はそこにいた。
僕の真後ろ、息遣いさえ感じる距離。余り過ぎた皮膜に覆われた体で覆い被さるように、僕の耳元で囁いている。
「やめてくれ。僕は、もう」
「違う、それは」
僕の本当の心じゃない。
そう言い切る前に、僕の目にある光景が映し出される。
更木剣八の斬魄刀が、卯ノ花八千流の胸に突き込まれる光景を。
更木剣八の腕の中で——母は、
これは母さんにとっての悲願なのだろう。自分が手にした力の全てはこの一戦の為にあったのだと、そう断言できるほどに。寧ろ……その運命の決着に僕が介入することは、彼女にとって最悪の結果の一つとさえ言えるのかもしれない。
でも、どうして。
僕がそんな事を望むはずが無いのに。
どうして、
これが僕の意思ではないだろうに。
やっぱり、僕は——
あの結末が認められない。
◼️◼️◼️
誰しもが驚愕に目を見開いた。
刹那の一合、片方の斬魄刀を半壊せしめた衝突。その直後——輔忌は、吼翔に
その動きに精彩など欠片も無く。動かせない体を無理やり動かし、ただぶつけようとしているだけだった。
「それが……」
『何か』が輔忌をここまで決定的に追い詰めた。それが何なのかは知る由も無かったが。
吼翔は、ぽつりとただ呟く。
「お前の答えかよ」
——壊れかけの飛掛が、体を一瞬で引き裂いた。
彼を縛り付けているものを思えば、一瞬でも”正気”を取り戻せたのは奇跡にも等しいことでした。
仮初の願望を一瞬でも溶かすことができたのは、やはり卯ノ花さんだったから、という話。
この子また負けてる…………。