最初の記憶は、土と血のにおいだった。
男たちの怒号と悲鳴だけが響く場所。
殺して奪うが当たり前。掃き溜めのような暮らしの中で、ただ一つ焼き付いた覚えがあった。
でっけえ背中が、俺を守っていたことを。
流魂街の末も末。北の最低地区、第八十地区『更木』に生きることを強いられた俺——吼翔権十郎は、この土地の例に漏れず盗賊まがいの仕事で食いぶちを得ていた。食いぶちと言うが、当時の俺はハラが減る魂なんてのはそうそういないってことを知りもしなかった。
といっても俺のようなガキんちょがこんな土地で生きてられるわけもないから、ああ、守ってくれる大人がいたことだけはマジに幸運だった。
物心ついた頃、俺は一人の男と暮らしていた。
やつは馬鹿みてぇに腕っぷしが強いんで、そこらのごろつきの身ぐるみ剥いだりするのが楽でよかった。
俺はそいつのことを『親父』と呼ぶようにしていたが、実の父親なのかどうかは知らん。母親はいなかった。もしかしたら、みなしごを集めて育てるのが趣味なのかもしれない。
人が住んでる草ぶきの家を燃やして回って俺と一緒に爆笑してるようなどクズだったが(ガキんちょのした事だ。奴はともかく、俺は許せ)ともかく、どうもその説はアリなのやもしれぬと思うに至る事件が起きた。
「ごん! めしの支度できてっかー?」
「親父ー? どやった、今日の釣果はー?」
「喜べ! おめぇ妹できたぞ!」
「は?」
驚くべきことに、俺に妹ができたらしい。
そりゃ『は?』だよ、マジで。
奴の大きな腕にちょこんと抱かれた、俺の半分くらいのちっこい人間。今にも泣き出しそうな女の子がぶるぶると震えあがっていた。
「なんで?」
「よく見ろ、この子……」
「うん」
「かわいいじゃん」
「バカ」
犬や猫じゃないんだから、人の子をさらうな。しかし、もしかすると俺もこんな風に拾われたのかもしれんのだと思うと強くは言えん。
まあなんやかんやあって、吼翔
わざわざ親父がみそめるだけの事はあり、ナユはかわいいやつだった。いっつもオドオドしとる臆病者で、正直なところ居ても良いこととかは特に無かったが、お兄ちゃんと呼ばれるのは悪くなかったので、俺らも精一杯守ってやったさ。
ところで、俺も喧嘩はまあまあやる方だった。親父のもとでのびのびと鍛えられたからか、近頃は奴と一緒になって暴れまわっていた。知らん人をフクロにして金目のものを奪ったり場合によっては殺したりすることを悪く思わないでもなかったが、こんなとこにいるのは大抵クズばっかりなのでやめることはなかった。
親父は本当に楽しそうに人を殴るから、俺も戦いは嫌いじゃなかった。朱に染まっていったんだな、二つの意味で。
それで、しばらくナユと暮らしていて、なんだか俺に訊きたいことでもありそうな遠慮がちな視線を向けてきたもんだから、俺はお兄ちゃんだからな、快く聞いてやった。
「どうすれば、お父さんやお兄ちゃんみたいな強い人になれますか?」
「お前にゃムリ!」
泣きそうになったナユを慌てて宥めすかしていると騒ぎをききつけた親父にゲンコツをくらった。くそが。
だってしょうがない。ナユはどう見ても荒っぽいことなんて出来ないもんな。
そんな俺たち一家の暮らしは楽しいもので、あっという間に数年が経過した。めちゃくちゃ強い奴の下で思いきり暴れて、家に帰ったらかわいい妹と笑って、食べて、風呂入って寝る。
最低地区とは思えない面白おかしい暮らしは、言うても貧しくはあったが、何度でも言おう。楽しかったさ。
ある夜。
寒風吹き荒ぶ森の中で、俺らはとあるボロの木造小屋に居を構えていた。今日もよく暴れたと、ある種心地よい疲労感と共に寝に入っていたところだった。
ちゃりちゃり、刀を研ぐ音が聞こえてくる。
「親父? 今夜も出るん?」
「起きんでええよ、ハナタレ。くうー、今日はやけに寝れんくってなあー」
あの刀、あれは死神たちの斬魄刀だ。
何年か前に見かけた死神の死体、ありゃ
しばしば、眠れぬ夜に人を斬る。
イカれてるなーと思うかもしれんけど、ここじゃ割と普通のこと。戦うのが好きな親父のことだから、俺も別に思うところは無かったさ。
「何でも相当の使い手があらわれたって話だぜ。”幾度斬り殺されても絶対に倒れない”……それを指しててめぇに『剣八』と名を付けた女」
「ふーん。そういや昼にボコったチンピラがそんな事言っとったなぁ」
そう言い残して、親父は小屋を出ていった。
程なくして雨が降り、帰りは遅くなるかもなー、なんて漠然と思ったりもした。
そうして、朝になっても親父は帰ってこなかった。
そんなこと、そんなバカなことがあるかと思ったさ。はっきり言やぁ俺はあの人を無敵だと思っていた。斬魄刀まで持って鬼に金棒。噂に聞く刀剣解放とやらが出来るようには見えなかったが、一度、天を見上げるばかりのくそでかい虚を一撃でぶった斬ったのを見てからは、誰もあの人を止めらんねぇなと確信したもんだったからな。
昼を回り、夕方になっても帰ってこない。ナユのやつが不安げに俺を見る。いよいよ泣きそうだ。慰めてやんなきゃ。
「大丈夫や。……あいつが帰ってこないことなんて、ないって」
「うん……」
その日の仕事はやめにして、俺らは飯を食ってそのまま寝た。明日、親父が帰ってくることを心から信じながらだ。
その晩、夜更けのことだった。
親父は帰ってきた。
見知らぬ長髪の女に肩を貸してもらって、親父はどうにか帰ってきたのだった。俺らは俄かに喜んで出迎えた。
だが、その傷に俺は絶望した。血だらけで、顔は真っ白。衣服はあちこち穴が空いて、襤褸を着ているのと変わらなかった。それを見て、もう助からない、と悟った。
親父を連れてきた女は親父と同じほどではないが、負けず劣らずといったふうに傷だらけの血まみれだった。相当疲弊した様子だったが、確かな余裕がまだあった。女は言った。
「その男の誇り高き強さに免じ、最期の願いは確かに聞き入れました」
こいつだ。
件の剣八。親父をやった奴。俺はそいつに飛びかかろうとしたが、目を向けた先には既に誰もいなかった。消え去った。
「ごん……ナ、ユ……」
ハッと気がつき、親父にかけ寄る。
なんだ、何を言おうってんだよ、くそ。俺たちを……ナユを置いていってくれるなよ。
「あの、剣八……卯ノ花、剣八。……恨まないで、やってくれ。あいつは、おれの光でいてくれた……最後まで……。おれのような人間にとって、あんなに嬉しいことはなかった……」
「ば、バカ! くそ親父! んな事言われたって……俺らはどうすりゃあいいんだよ……ッ!」
「う、ああ……お父さん、お父さん……」
「……ご免なぁ」
息が浅くなってきた。もう時間がない。
「ごん……聞いてくんねぇか」
「なんだよ……ッ」
「あいつの強さに、おれぁ……惚れちまったんや。何度斬っても倒れねぇってのは、本物やった……」
「…………」
そう語る親父の目は、これから死ぬものとはとても思えないほど爛々と輝いて、まるで子供のようだった。
戦いの愉しみを知らんでもない俺の心根に、その目はぎくりと深く突き刺さった。
「いいなぁ……『剣八』だってよ、俺も……あの名、を……」
親父は、息を引き取った。
朝になり、小屋の裏に遺体を埋めて、小さな墓を建ててやった。ナユが泣きながら手伝うといって聞かないので、余計に時間が立ったような気がする。
小屋に戻って泣いてるナユを慰めてるうちに日が沈みかけてきて、外はすっかり夕焼けに染まってきた。いたたまれなくなった俺は外の空気を吸うため、裏の墓のところに行った。
墓には親父が使ってた斬魄刀が掛けてあって、何だか寂しそうに見えさえした。この下にあの無敵の親父が眠ってるなんて、どうも現実感のないことに思えた。
「お兄ちゃん」
「わッ」
驚いた。中で泣きじゃくっていたナユがいつの間にか後ろにいたからだ。
俯いた顔の表情は見えないけど、その雰囲気がなんだか幽霊みたいで少し怖かった。俺らはもともと幽霊みたいなもんだけども。
「お父さんの遺言……覚えてる?」
「あ、ああ。『剣八』を恨まないでやってくれ、とか。……バカげた話やな。てめぇを斬り殺した奴を気にかけるなんて」
あの人らしいと言えば、らしい。
という言葉までは出てこなかったが、それくらいナユも分かっているだろうな。
「違う。そっちじゃないよ。……お父さん、『剣八』の名前を、欲しがってた」
「……そうやな」
自分では手が届かないってことを分かってても、それでも焦がれずにはいられなかった。……その夢を、最期は俺に語りかけた。
「そうだよ。お兄ちゃんなら、できる。そう信じてたから、お父さんはお兄ちゃんに託したんじゃないのかな? お兄ちゃんなら……!」
「……悪ィな」
俺は……そんなものの為に命を捨てられるほど、強くはねぇんだ。あの人の代わりには、とてもじゃないがなれやしない。
もう、この戦いは終わったことだ。これからは二人で生きていくことを考えなきゃならん。そう言い捨てて、俺は逃げるように小屋に入った。
この時、俺が気付いていれば、全てが変わっていたのかもしれない。それが出来なかったからこそ——。
翌朝、ナユの遺体が見つかった。
目が覚め、隣に寝ているはずだった妹がどこにも居ない。まさかと思い裏の墓を見に行くと、立て掛けてあった斬魄刀がどこにもない。こそ泥が入っただけならどれほど良かったことか。だが、始めから犯人などいなかった。
森の奥。陽の光も疎らな奥地に、ナユの体はバラバラに喰い千切られて散らばっていた。
虚なんて大層なもんじゃない。オオカミだ。なんて事のない獣の群れが、家族を食わすために妹を殺したに過ぎなかった。
「あ、ああ……」
なんで、どうしてこんな事を。何の力も持っていない、非力な妹が、なぜこんな事を。
理由なんてもちろん分かっていた。分からないフリなんてしちゃいけない。妹の遺体のすぐ側、魚の小骨でも除けるように打ち捨てられた一本の刀は……親父の墓の、斬魄刀だ。
「うっ……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
妹は、妹は、俺の代わりになろうとしたんだ。
不甲斐ない俺の代わりに、強くなって『剣八』を手に入れようとしただけなんだ。強くもない、刀の振り方なんててんで知らないってのに、どこまでも親父のために!
親父の形見をもって、あの臆病なナユが小さな勇気を精一杯に振り絞って、暗闇の森に一歩を踏み出し、ただの獣に喰い殺されて無様に死んだ。
どこまでも腑抜けな俺のせいで死んだ。死んだ。俺に代わって、親父のために。
「うううう、あっ、ぐあああ……」
たった一日のことだった。俺は二人の家族を失い、孤独になった。
そして誓った。必ず、妹の無念だけは晴らさなくてはならないと。
二人の形見となった斬魄刀を手に取り、俺は瀞霊廷へと旅立った。
それから気の遠くなるほどの鍛錬を経て、卯ノ花剣八と出逢い、いつの日か挑む勝負の時のために力を磨き、副隊長の座を手に入れ、ついには十一番隊の隊長となった。
この日、俺は四年間を共にした弟子を殺す。
今日という日に至るまで、一度たりとも
こちらをじっ……と見つめる、俺だけに視える妹の亡霊が。
親父。
悲願を果たす為、剣八の名を捧げよう。
ナユ。
無念を晴らす為、この戦いを捧げよう。
ああ。やっぱり、輔忌よ。
お前は、俺に似ているな。
◼️◼️◼️
肉と眼。
最早見慣れてしまった自らの精神世界で、卯ノ花輔忌は記憶の奔流の余韻に浸っていた。
とても……長い夢を見ていた。
吼翔隊長の過去を辿る、長い長い夢。
『今のは何だ? 何故貴様が吼翔隊長の記憶を持っている?』
ふむ。
率直な感想を言わせてもらえば……
『自分でも不思議なものだが、特に何も』
どういう事だろう。僕は吼翔隊長を生かした上で勝つなんて大層難儀な計画を立てていた筈なのだが、そんな気もすっかり消えて無くなってしまった。
もし隊長がこれこれこういう事情があるから俺に剣八を譲ってくれなんて言ってきたら、後ろから斬りつけてやるだろうな。
『ああ、いつでもいいぞ』
『更木剣八以外は例え相手が部下だろうとキッチリ殺しておく。実力者が変に生き残っては"記憶"との差異が広がるばかりで良いことはない』
『無視だ。朽木ルキアを程々に絶望させておかないと、崩玉によって黒崎一護へ完全譲渡される筈だった霊力量が不安事項になるからな』
『それも無視……と言いたい所だがそうはいかないな。東仙要には死神を憎んで貰わなくては事だ。この目で彼女が止めを刺される瞬間を
どれもこれも、来る日に僕の力や知識を活かす為に必要不可欠な工程だ。むしろ不思議なのは、事前に考えておいて然るべきこれだけの方針を今に至るまで思いもよらなかったということだ。
……いいや、不思議ではないな。
殺すとか見捨てるとか、以前の僕なら耳を塞ぎたくなるような単語ばかり。考えることを無意識に放棄していたんだろう。あのまま何も考えずに更木剣八が来るまで漫然と生きていくとなると、それはそれでぞっとしない話だ。
とどのつまり、啓蒙。
僕にはそれが必要だった。
『貴様の底意地の悪さは心底嫌いだ』
『だが……今なら分かる。少なくとも僕が役目を終えるまでは、貴様とは上手くやっていけそうだってことぐらいはな』
やらなければならない事がある。
その為なら、僕はいくらでも汚れてみせよう。
◼️◼️◼️
柔らかな光を瞼越しに感じる。
病室の寝具に横たわる身体を感触として確認しながら、意識の覚醒を自覚する。嗅ぎ慣れた薬のにおいからここが四番隊舎であることはすぐに分かったが、どれだけ眠っていたのかが不明だ。
「ん……」
ゆっくりと目を開き、辺りを見渡していると——一人の女性と目が合った。
僕のたった一人の母親、卯ノ花烈が驚いたようにこちらを凝視していたのだった。
「お早う、御座います。僕はどれだけ──っ?」
ふわりとした感触に目を白黒させていると、どうやら母さんに抱きしめられているらしいという事が分かった。かすかに腕が震えているのが分かる。
……心配を掛けさせてしまっただろうな。どれぐらい眠っていたのかは分からないが、いつまで側に寄り添ってくれていたのだろうか。そう思いを巡らせるだけで、大切なものが欠け落ちてしまった筈の胸が一杯になる。
静かに、動く両手で母さんを抱き返した。
いつまでも、こうしていられたら。
そう思ったが、僕は黙って手を離した。そんな資格は元より有りはしないのだから。
『己が心』を『輔く』べし。
母さんが僕にただ一つ願い、そして与えた名前。それを僕は捨て去ったのだ。自らの在り様をこうして捻じ曲げ、目的の為だけに跡形も無く破壊した。
今ここに居るのは、力に生き、更なる力に死ぬ事を宿命付けられた、謂わば時代の贄とも形容される者。
母の名前を受け継いだ、ただの卯ノ花剣八だ。
「母さん……麒麟寺隊長を」
ぽつり、と。
意識的に抑揚を抑えた頼み事を口にする。母さんは少しだけ肩を揺らした後——一言も発さず、病室を後にした。
入れ替わるようにやって来たのは麒麟寺隊長だった。目を覚ました僕に驚くこともせず、ぶっきらぼうに椅子を持ち出し、寝具の側で行儀悪くガタンと音を立てて腰を下ろした。
足を組みつつそっぽを向いて何も喋らない麒麟寺隊長に、相変わらずの気難しさだなと苦笑しながら僕から声を掛けた。
「お早う御座います。僕は何日ほど眠っていたのですか?」
「七日」
なんと。そんなに傷は深かったのか。酌牽蜥蜴の奴、勝手に体を動かしてきた割には散々なやられようじゃないか。
「……傷はその半分の時間で治してやった。俺を誰だと思っていやがる。……問題は、あの症状だった」
「症状?」
「ありゃあ一体何時の話だったか……て前ェにも話してやった事があるだろう。烈のヤツと俺が、どうやって出逢ったのかってぇ話は」
「……?」
確か……母さんが一人の男を、血相を変えて担ぎ込んでやって来たという話だ。その男は麒麟寺隊長ですら手の施しようがない状態で、原因も不明なまま衰弱していき、亡くなった。
その時の縁で、隊長と母さんは少しばかりの交流が有ったのだとか。
「そうだ。……俺が看てからそいつが逝っちまうまでの時間が——丁度、七日だったともな」
「…………え?」
「原因がわからねぇ。どこにも異常が無いってのに、霊圧が日に日に衰えていく。俺にはどうする事も出来なかった。……はっきり言って、手前ェが今日になってスッカリ元気になりやがるは思わなかったぜ」
そう語る麒麟寺隊長の表情は言葉と裏腹に、あまりにも強烈な慙愧の念を浮かべていた。
医術の敗北。霊界の最高峰として築き上げてきた誇りを崩される悔しさは、僕なんかが察するに余りあるものだろう。
「そして……その男は、て前ェの父親だった男だ」
「…………。」
僕の、父親。
今まで母さんから話を聞いた事は、思えば一度たりとも無いだろう。片親である事を疑問に思わなかったのかと言えば嘘になる。
「聞かされていなかったのには、何か事情があるのだと考えていました」
「俺もそう思う。だが、この症状を再び目にしたとくれば、この俺がて前ェに伝えてやらないって選択肢は無ぇだろう。……この話はここまでだ。これ以上は何も知らねぇし、言ってやれる事も無ぇよ」
「……有難う御座います」
「礼には及ばねーよ。それより、俺が訊きたい事は他にある」
「体調なら今の所問題はありませんが」
「吼翔を殺したな」
「……ええ」
不機嫌そうに銜え楊枝を上下に揺らす隊長を見た瞬間、僕は彼が何を言いたいのかをすぐに覚った。
「あれが俺にとって『納得の行く結末』だったのかってのは、正直なところ分からねぇ。分からねぇから、何としてでもて前ェを治してやって、起きたその顔を見てから決めようと俺は思っていた。……実際はワケもわからず勝手に治っちまったんだから世話ァねーがよ」
意識は朦朧としていたが、吼翔隊長を殺した時の感触はハッキリと覚えている。そして後悔は無い。目的を妨げる敵を殺した事に後悔は無い。
が、こういった生き方をする以上、今までとは比べ物にならない程の敵を作ることも確かだろう。無論、その覚悟は出来ているのだが。
「……今分かった。変わったんだな、て前ェは」
「そうらしいですね」
「そんならまだマシだ。俺が思う最悪の場合って奴にはならなかったらしいからな。……良いとこ、最悪から二番目ってトコだがよ」
そう言って麒麟寺隊長は立ち上がった。
変わらず不機嫌そうではあるが、どうやらお眼鏡には適ったようだ。今ここで彼を始末しなければいけないような事態にはならないようで内心胸を撫で下ろす。そうなれば“記憶”との乖離が取り返しのつかない事になってしまう。
「最後に……て前ェの卍解の事だが」
「っ?」
一つ前置きした上で隊長の口から出てきた単語は、僕自身ですら未だに全容を掴めていない能力についてだった。
「あの『樹』を視た奴らが全員動けなくなってな……次々と倒れていった。そいつはて前ェの母親ですら例外じゃなかった。とんでもねぇ範囲を攻撃する卍解だ。そのままにしていたらあの場にいた全員が死んでいたかもしれねぇな」
「それは……そのままにしていたら、とは?」
「俺がて前ェを直接止めた。あの場で俺だけは動くことが出来たんだ。あの力はどうやら抵抗の仕様がある類のモンらしい。そん時は流石の俺も必死で、自分がどうやって立つことができたのかも分からなかったが……今にして考えりゃ、あの能力の正体についていくらかアタリを付けるぐらいの事はできる」
「…………」
「しかし、ま……答え合わせはやめとこう。ちょいと前なら兎も角、今のて前ェがそう易々と弱味を握られてくれるとは思えねーしな。精々次の機会まで、斬魄刀の手綱ぐれぇは握れるようになっとけよ」
「……何から何まで、感謝します」
「そんじゃ、俺はさっさと
「そうですか。……寂しくなりますね」
嘘偽らざる本心を言うと、彼は何でもないかのようにこう言った。
「て前ェは思ったよりしぶとそうだし、今生の別れって事にもならんだろォがよ。……じゃあな」
部屋を後にした隊長に軽く手を振って、僕は再び寝具に背中を預けるのだった。
◼️◼️◼️
「
三日後、一番隊舎にて。
護廷十三隊総隊長である山本元柳斎が、この場の二十名以上の隊長格へと朗々とした声で宣言する。
「それではこれより、新任の儀を執り行う」
ほんの一週間前までは顔もまともに見ることができなかった総隊長だが、今では彼と相対しても卍解の脅威を頭に過ぎりすらしなくなった。
未だにこの人と同じ領域に至ったとは言えないが、もはや時間の問題だろう。
「各隊長の耳には伝わっている事と思うが。十日前、十一番隊隊長吼翔権十郎が二百名以上の隊員立ち会いの下、決闘に敗北を喫した」
初めて袖を通した隊長羽織に妙な感覚を覚えるが、思えば吼翔隊長も同じ思いをしたのだろうか。今となっては尋ねようもない、それこそ益体の無い考えだな。
「よって隊長任命の掟に基づき、件の決闘の勝者である卯ノ花輔忌——改め、卯ノ花剣八を十一番隊新隊長に任ずるものとする」
ようやく、この一歩を踏み出した。
必ず野望を果たしてみせる。
母より継いだ、卯ノ花剣八の名に懸けて。
剣八の墓標はこれにて完結。丁度一年間に渡るご愛読ありがとうございました!
………………。
正確に言えば、短編パートは完結、という事です。
本作は被殺願望杯という催しに合わせて急遽物語を詰めたもので、輔忌が剣八の名を手に入れるまでの物語、つまり『原作知識をインストールされた二代目剣八がいろいろと足掻くお話』の本筋に至る前、いわばプロローグまでを書く予定だったんですね。
だからこれまでに残っている多くの謎、例えば『二代目の父親って結局何者なの?』とか『例の原作知識ってどこから生えてきたの?』とか『二代目の卍解はどういう能力なの?』とか……そういった諸々の設定は結局明かされないまま、暫くは私の脳内で眠っていて貰うことになります。
いつかこの短編が連載として帰ってきた時は、全ての謎は明らかになるでしょう。しかし……
ここまでを形にするのに丸一年、はっきり言って計算外でした。完全にエネルギーが切れました。ジャンプ読み切りからの設定で(ほんの一部とはいえ)書きたいネタが破綻する可能性すら浮上しました。
はい、ぶっちゃけやる気が無くなってきたんですね。はい……。書きたい構想だけは最後まで、というか最後よりも後のことまで考えてはいるのですが、書くのに疲れました。こればっかしゃしょうがない。
しばらくは別の作品でものんびり書きながら英気を養うことにします。とはいえ、まあ、折角積み上げた多くの設定を出力しないのは勿体無いにも程があるので、無論いつかは続きを書くとは思います。
しかし私は中々単純な生き物ですので、感想や評価が思いの外伸びれば連載執筆までのハードルは多少なりとも下がるかもしれません。わかりますか?僕は今乞食をしています(ゴミ野郎)
……とはいえ、こんなやる気のない勘違い野郎にくれてやるかよ!ぺっ!という方が大半でしょう。大丈夫。そうなると思って、一番読者が喜ぶやつを最後に持ってきましたから。
それではどうぞ、Cパート的なものです。
「おーい、待ったかーい?」
「いいや京楽、今来たとこだ」
小川のせせらぎの音が心地良く響く。
立派な桜の木の下で、いかにも目付きの悪い男が、華やかな女物の着物を着込み笠を被った派手な男を迎えていた。
「全く、キミの方から花見に誘うだなんて珍しいじゃないの。いっつもボクが誘うと『木なんか見て何が面白ぇんだ』なんて言って荒事の方に吸い寄せられちゃうんだからさ」
「悪りぃ悪りぃ、今日ばっかりはそういう気分じゃなくってよ。何だ、浮竹の奴はまたいつものかよ?」
「うん、口惜しそうにはしていたけどね。具合が悪いなら寝てなさいって、柄にも無くお母さんみたいな事を言ってきちゃったよ」
二人は親友同士であった。
軽薄な性格で戦いを好まない京楽に対して、もう一人の男は戦闘専門部隊として名を馳せる十一番隊の副隊長を務める生粋の戦士だったが、二人は不思議と馬が合うのだった。霊術院時代からの交友は今も続き、こうしてしばしば酒を酌み交わす仲である。
持参した酒をちびちびと飲みながら、久しぶりの安らかな時間を会話に花を咲かせていた。
「いやぁ、それにしても二代目にはボク達三人とも頭が上がらないよね、相変わらず。入隊した頃から目を掛けてもらってさ……キミなんてすっごく優秀だから、どこか他の隊で隊長として何年かキャリアを積めば零番隊への昇進もありえるって噂だよ」
「うげっ、その話はやめてくれよ。斬り合う相手もいねぇお空の宮殿でずっと暮らすなんて御免だぜ」
心底嫌そうに舌を出す親友を見て、変わらないな、と京楽は笑う。彼と気軽に会えなくなるのも寂しい話だったので、出世に意欲の無いその態度は有難かった。
「しっかし……二代目かぁ」
「……また嫌な事を考えてそうだね?」
「嫌な事なんてとんでもねぇな! むしろ逆だっての、あの人は本当に強え人だよ。前線にあまり出ないことをよく思わねぇ奴らもいるがな。……くっそお」
親友の悪い癖が出た、と京楽は顔を顰める。
「あの人と……死合ってみてぇな……」
最近はこればかりだ。飲みに誘われる頻度が日に日に上がってきているのだが、この話をしたいがために京楽らを誘っているのだという事はとっくに察していたものだった。
「……確かに、キミは強いさ。本当に。言っちゃ悪いかもしれないが、今の隊長さん方の大半と比べたってキミの方がずっと、というぐらいにはね。しかしあの人は……」
「二代目『剣八』。七百年間もその名前を守り続けてきた男。……やっぱり俺は、あの人との果し合いがしてぇんだよ」
こういう時に真っ先に反論するのが浮竹だった。恩のある上司と親友が命を奪い合う。戦士の誇りを重んじるあの優男といえど、そう易々と見過ごせる考えではないのだった。
しかし一方で京楽はこうも考えていた。こいつは決して諦めない、と。遅かれ早かれではあるが、背を押されれば彼はすぐにでも決心するだろう。ならば浮竹がこの場にいない今、その後ろ髪を引くことは、果たして親友として正しい行いなのだろうか?
「分からないな……」
「ああ?」
「止めたって聞かないだろうし、それでも止まって欲しいという思いもある。さてどうすればいいのやら……ボクにはとても分からないよ、
神妙な顔をして頷く親友の眼を見据えて、京楽は粛々と言葉を紡ぐ。
「あの人は、挑む者を決して生きては帰さなかった。剣八の名前を守り続け、時にはその名に相応しいと思えるような強者さえ何人も屠ってきたという。積み上がった死体の上に表情を変えずただ佇むその様子を指して、