剣八の墓標   作:点=嘘

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深淵の領域

 

 

 それは、まるで水底に墜ちゆくかのようで——

 意識はより深く、より奥の底へと溶け落ちる様に沈み込む。

 

 (かたち)の名は『刃禅』と云った。

 

『————……』

 

 然る後、青年の(うち)で何かが()()()()()

 薄く目を開けると、辺りはいつの間にか広がっていた”薄暗い陰”に覆い尽くされている。

 夏日が燦々と輝いていた外の風景とは明らかに『ちがう』が、——変化はそれだけに止まらない。

 

ぶよ、ぶより

 

 草履越しに鈍く伝わるその不気味な感触は、まるで地面に敷かれた動物の皮の上を踏み締めているような錯覚を青年に抱かせた。

 おおよその人間が”不気味だ”というような感想を抱くであろうこの感覚は、当の輔忌にとっても好ましいものではなかった。

 

 だが、それも触覚で感じられる不快感など遥かに凌駕するほどにおぞましい、とある一つの事実の上に成り立っているちっぽけな要素に過ぎないのだと考えれば、所詮は瑣末事の域を出ない程度のものだった。

 

 

 

 この空間は——総て、人皮で出来ている。

 

 

 

 この事実を踏まえてさえ「ああ不気味だ」等と、これを知る以前と変わらない限りの感慨を持てる人間がどれだけいるだろうか。加え、他にも“もの恐ろしさ”を構成する要素が数え切れないほど点在する。

 

 完全に閉じた闇には決してならない程度の厭らしい薄暗さ。

 どこにも背中を預ける事が出来ない、四方へと果てしなく広がる空間。

 それにも関わらずどこか閉塞感を感じるのは、これが天井だとでもいうように、地上数間の上方からは床と同じような人皮で空全体が覆われているからか。

 

 ——そして何より、人皮の表層に何万と張り付く『目』。

 

 人間のそれより何倍も大きい『目』は、一定の感覚を置いて床と天井の全体をビッシリと覆っていた。ここに来る度少しずつ観察した限りでは、これらの視線が一斉に輔忌へと向けられる事は無いらしいが、こちらの動きに対してはある程度の反応を見せるようだった。

 ぎょろ、ぎょろりと、その動きは中途半端な知性のようなものを感じさせるだけに(かえ)って見る者の恐怖を煽る。

 

 初めて自分の精神世界へ入った当時、輔忌はとある一人の滅却師(クインシー)を真っ先に連想した。

『F』の聖文字(シュリフト)を持つ星十字騎士団(シュテルンリッター)恐怖(ザ•フィアー)のエス•ノト。それは大量の目玉に囲まれた不気味なこの空間が、彼の”滅却師完聖体(クインシー•フォルシュテンディッヒ)”である神の怯え(タタルフォラス)の領域空間と酷似していたからに他ならない。

 

 無論、例え大まかな特徴に相似している点が多々あったとして、本質的にまで同じようなものかと問われるとやはり首を傾げざるを得ないのだが。

 神の怯え(タタルフォラス)とは異なり、こちらの目玉は球状に場を取り囲んでもいなければ斜に走る継ぎ目もない。そもそも死神に生まれた輔忌は、生粋の滅却師であるエス•ノトとは何らの関係も無いのだから。

 

『…………』

 

 輔忌は、当然の事ながらこの風景が好きではなかった。

 それは己の精神が”恐怖”を象徴する悍ましき能力に相似するという事実によるものであり、人体で塗り固められた冒涜的な空間に対するごく一般的な感性からなる嫌悪感によるものである。明々白々たる感想だと言えた。

 

 だが……何か、それだけでは決して無い。単なる嫌悪感だとか不快感だとかとは全く異なる、()()()()()()があるような————

 

『全く、もって……忌々しいな……』

 

 ただし、今回はそんな事を考える為に此処に来た訳ではない。

 暗く昏い、皮肉を(かたど)る隙間の世界。ここへ立ち入った当初の目的を果たす為、生々しい弾力を返す肉の足場に歩を進めようとして——

 

 

 

 

 

 

 

 

くひっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな、しかし強烈な存在感をも同時に伴う、どこか調子の外れたような、笑い声がした。

 

『……居るんだろ?』

 

 背筋に滲む昏い怖気を敢えて無視しつつ、輔忌は声の出所に確信をもって問いかける。

 

 

くひひひ

 

 

『今日、僕が……何故貴様に会いに来たのかは分かっているだろう。出て来い……』

 

 

くひっ、ああ、勿論だとも

 

 

 恐ろしく低く、(しゃが)れ、醜い、そして恐らくは男声。しかし気のせいだろうか? 調子っ外れの笑い声の中にだけ、時折まるで女性のような(しと)やかさが垣間見られる。

 然れどもその淑やかさの裏には、声の主が単なる悪意をもって意図的にそれを作り上げたに過ぎないのだという——則ち”底意地の悪さ”とでも言うべきモノがひしひしと感じ取られた。

 

 ひたすらに醜いだけの声より、そうした一部の行き過ぎた清らかさが(かえ)って聴き苦しさを助長させる。

 

 人の不安を徒に煽り高める為だけに絶妙な加減を施された、相当に明確な悪意がそこにあった。(かす)かなその声がこの日初めて意味のある言葉を発した次の瞬間——それは現れた。

 

 否、それは殆ど()()()()と言った方が適当かも知れない。

 辺りを包む薄暗闇の内から、まるで紙に水が染み込む際に色が変わるように。その中の何処からとも知れず、薄っすらと、ゆっくりと姿が浮き出る様は、正に()()()()としか言いようがない。

 

 

 

くぃひーいひひひひッ 

 

 

 

 すぞぞっ……と、そこに現れ出でたのはどこか海洋生物を思わせる、ぬらぬらと黒光りした皮膜の塊。輔忌青年に倍するほどの背丈を持ち、ぶかぶかに広がったヒダを全身に纏い引き摺っている。

 長身の割に痩躯であるためか遠目に見れば外套を着込んだ紳士のようにも見えるが、それは正しく、異形の骨肉が寄り集まる怪物であった。余った皮に覆われて元の骨格すら判別できない顔をニタニタと嗤いに歪める様はひどく不快で、醜悪だ。

 

 

おまえの求める力は、ああ、確かにわたしが持っているとも。くぃひ。さぁ、それが欲しければこっちにおいで————

 

 

『…………』

 

 その甘言に従った末に何が『始まる』のかは、青年にとって知る由もない。

 だが、だとしても、それが少なくとも歓迎すべき事柄ではないだろうという事ぐらいは確かだと、悪魔のような怪物の嗤いを見て理解している筈なのに。

 

 気づけば既に、輔忌は己の直感に背を向けていた。

 

 

くぃひ……

 

 

 一歩、また、一歩と足を踏み出していく。

 けれど、平時の彼を良く知る者ならば分かるはず。

 

 

さぁ、こっちだ……

 

 

 どこか熱に浮かされたようなふらふらとした足取りは、未知へと踏み込む勇気だとか挑戦に値する勝算だとか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 言われた事をそのままに従い、置かれた状況を吟味しようとすらせず、己の意思などまるで存在しないかのように。

 

『……次は、何だ?』

 

 彼我の距離は見る見る詰められていき、手を少し伸ばせば届くだろうという所まで縮まった。

 “近づいて来い”という言に則して見せた青年に、皮膜の怪物はたった一言、とても奇妙な言葉を口にする。

 

 

()()()()()()()

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 腰へ差した斬魄刀を抜き取り——怪物に向けて(つか)を差し出す。

 

 

いい子だ

 

 

 また怪物は、それをごく自然な、そうして当然だとでも言うようなやや尊大ぶってさえいる様子で、長く鋭く伸びた悪魔のような五指を器用に操って掴み取った。

 鞘から刀身を抜き放ちながら、それは唄うように語る。

 

 

おまえはわたしに刀を渡したから、これで丸腰になったというわけだ。でも、わたしはおまえから刀を受け取ったから、ほら、こういう風におまえを簡単に刺して殺せるぞ。

 

 

 そう言いながら、怪物は今しがた受け取った斬魄刀を輔忌の胸に突き刺した。どくどくと血が流れて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えっ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、まぁ、死ぬ——

 

 

 どさっ、と。

 それは人が倒れる音では無かった。

 事切れるのも時間の問題というような、力も命もぐったりと抜け切った肉の器が、ただ在るがまま地面に落ちるだけの音だった。

 

『かッ、あ—-、?』

 

 

くぃひッ、く、くぃひひひひひひひひひ

 

 

 調子っ外れの狂った嗤い声と死にぞこないの体から漏れ出す喘ぎだけが、肉と目玉のスクエアに虚しく果てなく広がっていく。

 

 胸を刺し貫いた、どうしようもないほどの痛み、苦しさ、そして驚愕。取りかえしのつかない事がおこったのだという認識だけがきけん信号のように青年のあたまをかけめぐり。

その様なかんがいすらも、

いのちと共に、

ああ、ながれでて、

 

きえ る ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはっ、くく、”予想してなかった” って……?

 

大間抜けが

 

そこで見ていろ。おまえの全てを支配してやるぞ

 

さぁ殺せ! 狡猾に、巧みに、鮮やかに艶やかに! 何より傲慢に殺せ! 殺せ、殺せ——……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

 

 

「はっ?」

 

 いつの間にか布団の中に横たわっていた体を起こしながら、卯ノ花輔忌(たすき)は我ながら気の抜けるような呆けた声を漏らしていた。

 

「……、…………?」

 

 訳がわからない。

 直前の記憶がどうも曖昧で、自分がどういった経緯で寝具に寝そべっているのかもはっきりしない。

 とりあえず辺りに注意を向けてみると、何やら幾つかの薬品を混ぜたような、しかし良く嗅ぎ慣れている匂いがつんと鼻をついた。

 

「ここは……四番隊舎?」

 

 より正確に言えば、併設されている救護詰所か。

 時刻は真夜中のようで何もかも見え難い。それでも少し首を横にして見回してみれば、自分と同じく横になっている人たちが何人か視界に入って来た。

 はて、すると僕はここに来るまで一体何をしていたんだったか。曖昧な記憶を必死に遡ってみると……

 

「っ! …………ぅ、あ」

 

 突如、刺すような痛みが頭に響くと同時、急激に記憶が溢れ返ってきた。

 

「……そうだ、確か副隊長と卍解の修行をしていて、”対話”の為に刃禅を組んでいたんだ。それで……」

 

 ——自分の斬魄刀に、殺された?

 

「……………………」

 

 いや。

 たかが”対話”がこんな結果に終わったのも……僕が不甲斐無いからなのかも、知れないな。

 

 吼翔(くうとび)副隊長との卍解を習得する為の鍛錬が始まったのは、()()()()()()()()()()

 にも関わらず、卍解を会得するに至るまで必要な二つの条件のうち、僕は未だ前提となる『具象化』の糸口さえ掴めていないのだ。

 

 具象化を物にするまでには、才ある者でも最低で十年以上の年月を要すると言われている。ならばその半分にも満たない時間を使ってしまったとして、何をそう焦る事があるだろうかと人は言う。

 だが、僕は一刻も早く力を得なければならないんだ。この身に纏わり付く獄炎の幻惑を取り除く為には、最早それ以外に方法は無いのかも知れないのだから。

 

 そして何より——こうして足踏みを続けている事実がそのまま”母さんを救う”という……生涯を賭した目的から自分を遠ざけているのかと思うと、()()()()()堪らなく恐ろしい。

 

「クソッ……」

 

 今考えれば、我ながらどうかしていたとも思う。まともな思考を持っていたなら、幾ら自分の斬魄刀とはいえあんな奴に迂闊に近づくなどあり得ない事だ。

 

 ……とは言ったものの、もう他に方法が無かった、というのも確かなんだよな。

 

 

 

「結局振り出し、か……」

 

 

 

 この四年間、具象化はおろか対話にすら全くの進展が無かったのも、全ては僕の斬魄刀が”あれ”だから。

 

 来る日も来る日も「こちらに来い」の一点張りで、それは何故かと質問しようが()()()()()()()()()()()()()()……”対話”をしている気にもなれやしない。幾年も同じやり取りを繰り返させられ、停滞の日々へと徐々に精神に焦りを募らせ始めた結果が——まぁ、今日に至る。

 

 しかし、今日の一件で流石に少しは目が覚めた。同じ轍は二度と踏まないだろう。…… それが再びの停滞を意味するとしても、僕にはもう、打つ手が無いのだから。

 

「……それにしても、ここまで僕を運んで来てくれたのは吼翔副隊長なのか? 急に気を失ったものだから迷惑をかけたかもしれないな……」

 

 そうだ、埒の明かない事を考えていても仕方がない。

 今はそこが一つ気掛かりだ。直属の上司にここまで手間を取らせたとあっては申し訳が立たないし、流石に今はここを動けないが、これは後日改めて謝りに行かなければ——

 

 

 

「あれ?」

 

 

 

 ふと、違和感。

 身を起こした時は周囲を確認するのに集中していて気づかなかったが、両の肩口のあたりから妙な感触が……何かむず痒いような、そんな感じがする。

 しかし暗くてよく見えない。何とは無い軽い気持ちで左腕の袖を(まく)ろうとすると、

 

 できなかった。

 

「え」

 

 

 

 両腕が、無い。

 

 右腕の肘から上、左腕に至っては肩から丸ごと——()()()()()()()()()

 

 

 




何事もなく目を覚ましたと思った?ところがぎっちょん(四肢欠損)

アニメ斬魄刀異聞篇の影響もあってか、何かにつけて美女、美少女、美少年あたりとして描写されがちなオリ斬魄刀。
逆張りクソ野郎こと点=嘘がお送りするのは、そんな鰤二次の現状に対して(特に投じる必要のない)一石を投じた珠玉のクソ斬魄刀です。俺が死神に転生しても絶対こいつは欲しくありませんね(適当)

オマケに見た目でいえばブラック•ジャックに出てくる奇病患者とドッコイぐらいです。救いはないんですか!?ありません。

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