お盆休みとその前後、日数にして二週間ほどの期間帰省することはバイト先に話が通っていた。随分と長いお盆だね、と若い社員さんにはイヤミを言われたけれど、たぶん今年だけですからと返した。店長さんにしか事情を説明していないし、仕方のないことだけどああいう言い方ができるのはきっとオレが直面したことを体験していないのか、それとも体験したうえでそうなのか……なんて考えてしまう。
「ゆっくりしていくといい」
「はい、迷惑を掛けますが……」
「それを迷惑だとなじるなんて、僕にはできない」
優しく温かい言葉を店長さんに掛けられ、オレは休み前最後のバイトを終えた。アスファルトが熱を持っているような、下から上へと暑さがただよう夜の帰り道で小腹が空いたこともありコンビニでも足を向けているところで前から賑やかな声が聴こえてきた。
「偶には、ミッシェルも一緒にご飯食べたいわね」
「だーかーらー、ミッシェルはあたしなんですけど……ってこころ?」
「こころん、どうしたの?」
もしかしなくても、弦巻こころだった。暗闇にあってもまるで発光してるんじゃないかって思うくらいキラキラの金の髪と、笑顔。オレの顔を見るなり一緒に歩いてる女の子たちを置き去りにしてこっちへと走ってきた。
「こんばんは! 会えて嬉しいわ、恭介!」
「こんばんは、こころ」
抱き着いてくるんじゃないかってくらいの勢いだったけど数歩前でぴたりと器用に止まったこころは笑顔を数パーセント増しにして話しかけてくる。でもオレは彼女が、少しだけ苦手だ。原因は幾つかあるかもしれないけど確定しているのは明日から父の実家への帰省についてくる、ということ。
「そうだわ恭介! 夕ご飯はもう済ませたかしら?」
「ま、だだけど?」
「あたしたち、これからファミレスに行くの! 一緒にどうかしら?」
こころの思いつきの発言、でもこれにいいねじゃあ一緒になんて言えない。あたしたち、という言葉通りだし一緒に歩いてる女の子たちがいたように、ファミレスに一人で入るわけじゃない。初対面の女の子が四人、気まずいに決まってる。向こうもオレも、こころほどヒトとの壁を取っ払えるわけじゃないだろうし。
「ごめん」
「あら? もしかしてもう食べるものは決めていたのかしら?」
「まぁ、そんなとこ」
「……そう」
眉を下げて、残念そうな顔をするこころ。彼女のことをよく知らないオレだけれどいつも笑顔を絶やさないイメージがある。だから断っても笑顔でじゃあしょうがないって言うんじゃないかって思ってたんだよね。でも、彼女はいつもの笑顔を曇らせて一緒に食べたかったのにと呟いたことが意外だった。
「ほら、行くよこころ」
「ええ! それじゃあまた明日」
「うん」
でもすぐにまた笑顔に変わって、オレはまぁそんなもんかと息を吐いた。きっとこころは断られるだなんて思いもしていなかったんだろう。だからこそ、あんな顔をしただけで本当に残念だなんて感じてもなさそうに友達についていくだけ。
──どうして、こんなに彼女の一挙手一投足が悪い意味で気になってしまうのだろうか。家族という領域にカンタンに足を踏み入れたから、常識も知らなさそうな幼い印象だから、理由は挙げてみるけど、どれも自分の本当の言葉ではない。そんな気がする。
「明日……しばらくあの子と一緒なんだよね、たぶん」
ひまわり畑に行けば終わりなんだけど、それまでの道のりも彼女と一緒ということが少し憂鬱だった。十年前は話していてすごく、自分の中で世界が拓けていくようでずっと話していられるくらいだったし、ついこの間会った時も彼女に対してそこまで拒絶したいと思わなかったのにな。そうモヤモヤと考え事をしていたら空腹だったことも忘れ、コンビニも通りすぎてしまって結局家の冷蔵庫にあったものをテキトーに食べるハメになってしまった。
「いやぁ、今年は弦巻さんのおかげで快適な帰省になりそうだな」
「まさか往復とってくれるだなんてねぇ」
「これなら毎年ついてきてほしいくらいだ」
「ちょっとお父さん」
「あはは、これは聞かれたらまずいか」
さすがに冗談だろうけど、冗談でもこの能天気な両親の会話すらオレにはまるで不協和音を耳許で鳴らされているような説明のしきれない不快感がまとわりついた。なんでかわからないのにムカムカとしてしまう。なんでかわからないからこそ余計に苛立ちが募っていく。そんな悪循環に囚われ、あまり眠れないままオレは翌朝を迎えた。
「おはよう、恭介!」
「……おはよ、こころ」
──この子はどうして、どうしてこう年中無休オールウェイズで眩しいんだろう。ニンゲンがこうして立っている大地でさえ、常に中点の太陽に晒されることには耐えられないっていうのにさ。昼も夜もない金色を寝不足の前に向けられては、頭が痛くなりそうだ。
「眠そうね、夜更かししてしまったのかしら?」
「わかるんならそっとしてくれない?」
「……ええ、もちろんよ」
もちろんこころにオレの内心を害そうとする意図があるわけでもない。両親の手前ということもあり、キツくなりそうだった語調を緩めながら迎えに来てくれた車に乗り込んだ。
新幹線に乗れば寝れるだろうか。できれば寝たいけれどそれは無理そうだということはなんとなく察しがついた。
「あたしは恭介の隣ね! 窓側、いいかしら?」
「好きにして」
「それじゃあ、お言葉に甘えるとするわね」
黒服さんはどうあっても影の存在らしく一緒に座ることはないってことは四人なわけで、四人を指定席に置くならマトモな感性をもってれば二人と二人で分けるよね。こころを連れてきたのはオレってことになるからオレとこころが隣同士になる。なんら不思議なことじゃないんだけど、ないんだけど……寝れないんだろうなぁ。
「素敵な景色だわ、歌いたくなってしまうわね」
「やめてね」
「どうして?」
「静かにしていてほしいから」
「そう、残念だわ」
ゆらゆらと金髪を揺らして不満げな顔をする。本当に子どもみたいな幼さがあるよね。でもそれはほんの一瞬のことで大人しくしておけなさそうな印象があるのに、案外大人しくしていてくれてるのが幸いだ。じーっと外の景色を見て、その表情は伺い知れないけどきっと笑顔なんだろうなぁ。
「どうして?」
「ん?」
「どうしてこころは、そうやっていつも笑っていられるの?」
「その方がハッピーだからよ!」
「……ごめん、全然わかんない」
笑う門には福来る、みたいな精神なんだろうか。どうやら聞くところによるとなんでもこころは世界を笑顔にしたいという、目標? 夢? みたいなのがあるらしい。悲しい気持ちでずっといるのはつまらないから、こころ自身が世界中に笑顔を届けたい……か。
「わかんない」
「恭介はなにがわからないの?」
「こころの言ってること、やりたいこと、全部」
「どうして? あたしは──」
「オレはさ、今笑顔でいたいなんて……ちっとも思えないから」
「……どうして?」
その問いかけに答えたところで、こころは理解できるとは思えない。悲しいという感情を持つことを、
「気持ち……悪い」
「……ごめん、さすがに言いすぎた」
「いいえ、恭介がどうして、あたしを嫌がるのか……知れたもの」
それでも、そんな拒絶を受けてもこころは、知れたという嬉しさを表情に出した。こころは笑顔を崩すことはなく、また外の景色を眺める静かな時間が流れ始めた。
それだというのに、何故だか眠ることができずにスマホを適当にいじっていると金色の瞳がこちらを伺うように視線を向けてくる。
「恭介?」
「……なに?」
「眠れないの?」
「うん、まぁ」
こころが隣にいるから、なんだろうか自分にも理由がわからずに曖昧な返事をしてしまう。対する彼女は少し悩んでからそうだわと、なにか名案でも思い付いたようにオレに笑顔を向けてきた。
「眠れないのはきっと眠る準備ができていないからよ」
「……と、言うと?」
「眠る時には暗くて静かなところがいいわよね? あと布団と枕がいるわ!」
「あー、うんそうだけど……ここは新幹線の中だけどね?」
確かにそんな環境が整えば眠れるのかもしれない。けど残念ながらここは家じゃないんだよって言おうとしたところに黒い服のヒトたちがやってきてどうぞこれをと差し出してきた。
「なにかしら?」
「タオルケットにアイマスクと耳栓、それと……枕かなこれ」
座席に取り付けると簡易的な枕になるというトラベルアイテムらしい。確かにこれさえあれば眠る準備が整ったと言ってもいいだろう。新幹線の中だというのに即座にそれらを用意してきた彼女たちは一体なんなんだろうという疑問が残ったけど。
「眠れそう?」
「これなら、なんとか」
「よかったわ」
アイマスクをしたせいで完全に彼女の表情はわからなくなってしまったけど、なんだかほっとしたような、いつもの笑顔とはまた別種の声色があった。次いで小さくてかわいらしいくしゃみが聴こえてきた。冷房が効きすぎているからだろうか、確かに今のこころの恰好は脚が惜しげもなく出されているし、新幹線の中では寒そうだけれど。
「これ」
「なぁに?」
「意外と大きいし、もともと黒服さんが用意してくれたやつだし」
「ええ、それじゃあ……おじゃまするわね」
よっぽど大きいものだったこともありこころが自分のところまで広げても引っ張られているという感覚はなかった。だけど言ってからこの状況は少しだけ恥ずかしいな、なんて考えていると肩をちょいちょいとつつかれ見えないながらもそっちの方向に顔を向けた。
「どうしたの?」
「ありがとう、恭介」
「いいって」
それから、会話はもうなかった。やがてオレはやっと眠りへ堕ちていくことができ、どうやらこころも同じ睡魔に誘われてしまったようでふと目を覚ますと肩が重くて、アイマスクを外せば間近に金色の髪がキラキラと輝いていて穏やかな天使の寝息が彼女の眠りの深さを教えてくれた。
──あの記憶の中にある輝きそのまま、彼女はオレの隣にいる。あどけなくていつだって太陽のような笑顔を見せる、記憶の中の少女そのままだ。そんな彼女に影響されてこれまでの人生を歩んできたし、本当にニンゲンだったのならもう一度会いたい、会って色々なことを話したいとすら思っていたのに。
「ごめん」
本当は彼女が悪いわけじゃない。誰かが悪いということでもない。強いて悪者を挙げるなら、わかっているのに彼女への態度を変えられないオレか。
けどダメなんだ。今年だけは、今だけはダメなんだ。じわりと視界が滲んでいく。どうして、という後悔だけがオレの胸を斬りつけていく。
「……ごめんなさい」
後悔は先には立たない。謝っても遅いんだ。ただ覚悟ができてなかっただけのちっぽけなオレは、何も知らないはずの彼女に当たり散らしているだけだってわかってるのに。
新幹線は止まらない。なんの支障もなく、なんのトラブルも起きることなく、目的地へと走り抜けていく。そういえば新幹線に乗ることでほんのわずかな未来に行くことができる、と何かで見たことがある。
──未来じゃなくて、過去に行く方法はないのかな。外の景色が通り過ぎていくのを見ながらそんなくだらないことを考えていた。