新幹線を降り、普通の電車に乗り換えて最寄り駅まで、そこからバスと徒歩で……というのが恒例の流れなのだが、ここでまたもや黒服さんたちの力を借りることになってしまった。車を手配しております、だなんて言われてもしかしたらリムジン車なんて出てきたらどうしよう、と思っていたけどそこにあったのは至って普通の……ああ外見上はね。内面はたぶんカスタムマシマシなんだろうなぁってのはそうなんだけど外車でもなんでもない国内産の三列シートの乗用車だった。
「結局車なのね」
唯一不満げだったのは、こころだった。あれだけこの場所に独りで行けるようになりたいと口にしていたのにも関わらず、彼女の手の届かない移動手段を出されたことでほんの少しだけ頬を膨らませていた。
「こころ様はバスで行かれますか?」
「そうね、そうしたいわ!」
「かしこまりました」
ここまではいい。というかここでお別れかよかった、とすら思ったのに父は年頃の娘の親にでもなったかのように、心配だなぁと呟きオレに目線を向けてきた。
──いやいや、黒服さんいるじゃん。別にオレが一緒に行く必要はどこにあるんだよ。そう思ったけれど口に出すのはやめておいた。オレが連れてきたようなものだし、その責任は負うべきだろう。
「じゃあオレが案内するよ」
「ありがとう恭介!」
こうしてオレは車に乗り損ね、またもや彼女の隣に座って相手をしなくちゃいけないのかとため息を吐く。すぐにやってきたバスに乗り込み窓際の席を譲るとこころはまたありがとう、と笑って外に目線を向けていった。
「田舎の景色はつまんないでしょ」
「そうでもないわ。新しいものはなんでもステキよ」
「そっか」
「あ、見て。おっきな雲……!」
彼女の瞳が映しているであろう景色に、オレも目を向ける。天へと高く伸びる入道雲、でもその雲がこの地に雨を降らせることはないだろう。山に囲まれたこの場所は海側から入ってくることでしか雨が降らない。あの大きな入道雲もここに辿り着くことなく、その力を使い果たし、湿った風だけをこの場所にもたらすだけだろう。
「晴れが多い場所なのね」
「おかげでこまめに水やりしないと畑が大変だって」
「そうよね、晴れた日はお散歩がたくさんできるから嬉しいけれど、それって雨の日があるからよね」
その理論はちょっとよくわからなかったけど、要するに晴れのありがたみは雨が降る日があるからこそってことなのかな? なんだか年中無休で真夏の太陽みたいなこころが言うと違和感があるね。
「真夏の太陽……あたしのこと?」
「え、あうん」
「太陽! ステキだわ!」
ピカピカの太陽。間近で見るのは少し、いやかなり眩しくて……ジリジリと肌が焼けそうな熱を放っている。
やがてそんな太陽は上機嫌に思い出を語ってくれる。十年前のことを、あのひまわり畑のことを。
「あの場所を教えてくれたヒトがいたの」
「そうだったんだ」
気まぐれで探検にここまでやってきたこころは、その人物にひまわり畑の場所を教えてもらったらしい。その特徴を聴いてオレは心臓が跳ねるような、それでいて締め付けられるような痛みがした。
「とっても優しいおじいさんだったの!」
「おじいさん……」
「ええ、近所に住んでるって言ってたわ。お礼も言えないままだったから、会ってありがとうって言いたいのだけれど、恭介は知っているヒト?」
知ってるよ。優しそうで、笑顔が明るくていたずらっぽいところがあって、孫にひたすら甘かったおじいさん。
──そのヒトはオレの祖父だ。偶然ってのはこうも続くんだなと思いながらもオレはこころの会いたいという思いに首を横に振った。
「恭介?」
「いや、本当にタイミングはよかったのかも。会わせてあげられるよ」
会わせることも、本当はどうなんだろうと思うけど……きっとあの祖父なら顔を見せてほしいって言うだろうから。
ならばと進路をひまわり畑ではなく家へと向かうことにした。こころはオレの口振りから何かを疑問に感じたらしく、じっと言葉を待っている印象だった。でもオレから答えを出すことはない。だってすぐに答えは待っていてくれてるんだから。
「いらっしゃい、恭介」
「ばあちゃん」
家の前にやってくるとばあちゃん……祖母がすぐに出迎えてくれた。そして隣で不思議そうな顔をしていたこころに目線を向けてからにっこりと、まるでオレに向けたものと同じような口調でいらっしゃいお嬢さんと微笑んだ。
「ええ」
「……彼女は弦巻こころさんで、あの」
「──あの人に会いに来たんでしょう?」
「う、うん……」
「どうぞ」
胸がぎゅっと苦しくなる。ここに入ってしまえば、祖父に会ってしまえば、全てが現実になる気がして……逆に入らなければまだ全てが夢幻であるような気がして。
こころが手を引いて行きましょう? と曖昧な笑顔を浮かべる。祖母の白髪の後頭部を追いかけながら普段は客間として使用している部屋に入った。
「どうぞ、挨拶してあげて」
「……あ」
──居間よりもさらに冷たくひんやりと冷房のかけられた部屋で、祖母が寝ているように目を閉じている祖父の枕元にある
「これで唇のところをちょっと濡らすようにしてあげてちょうだい」
「……わかった」
「こころさんも」
「ええ」
意外にもこころは落ち着いた様子でその作法、
「あの時のお礼を言いに来たの」
「そう。遠くからわざわざありがとう……きっと喜んでるでしょうね」
じいちゃんが亡くなったのは、ほんの少し前のことだ。容態が悪化したのはそのさらに一週間前だったけれど、遠方だったウチは色々な事情が重なり会いにいけなかった。いや、オレだけなら行けたのにバイトを抜けるわけにはいかず、結局全てが手遅れになってからになってしまった。
「ごめんなさい、恭介」
台所へと移動し、何か飲む? と問いかけようとしたところで挟まってきた謝罪にえっ、と思わず声に出してしまった。
彼女が謝った? 顔を曇らせて頭を下げて……その驚きにオレは自分がいかに性根の悪いことをしていたのかと思い知らされた。
「いいや、オレの方こそ……ごめん」
「どうして?」
「ちゃんと話せばよかったのに、ここまで引っ張ってきたから」
こころは首を横に振った。そして、何かを考えるような仕草をしてから野菜ジュースはあるかしら? と笑った。
その笑顔は今にも降り出してしまいそうなくらいの、鈍色の笑顔だった。でもオレはその驚きを覆い隠し、あるけどとコップにオレンジ色を注いでいく。
「オレのお気に入りだから、全部飲まないでね」
「そんな意地悪なことはしないわ」
「あっそう」
自分のコップにも同じ色を注いでいく。
僅かな間だけ、時計の秒針だけの時間が流れる。ドアの向こうでは親戚がやってきて世間話に花を咲かせているようで、オレとこころだけが切り取られたように無言だった。
「ひまわり畑には行く、よね当然」
「ええ、連れて行ってくれるのかしら?」
「ちょっと歩くから、帽子とかあった方がいいかもね」
そうね、とこころはまた笑った。オレも釣られて笑った。夏の空気に当てられているのに、妙に乾いた感じがしたし、逆に湿っているような感じもした。
それでも、あの空気の中にいるのは耐えきれない。あの空間に、祖父が亡くなってしまったという事実が置いてある空間にいられなかった。だから逃げ出すようにオレはこころを連れてひまわり畑に向かうことにした。
「お待たせ、恭介」
「帽子が……ってその恰好、いつ着替えたの?」
「黒服さんがパパーっと用意してくれたわ!」
少し待っていてという言葉に従い待つこと数分、こころは白いワンピースに麦わら帽子というらしくもありながら、同時に十年前を思い起こさせるようなものに衣装替えしていた。まるであの頃のまま大きくなったように金色の髪を夏の風に靡かせる少女はそれじゃあ行きましょう? と手を差し出してきた。
「……なに?」
「手を繋がないと迷子になるわ」
「もう子どもじゃないんだけど」
「あたしがよ」
「なんでだよ」
「あたし、素敵なものを見るとついついそっちに行ってしまうのよ」
自己申告するようなことじゃないでしょうよ、とツッコミを入れながらオレは諦めて小さな手を握った。白くてすべすべで、不覚にもドキっとしてしまうけど。手から伝わる熱が夏の暑さの前にはロマンチックさやときめきから不快感に変わっていく。
「暑い」
「少しの我慢よ」
「はーい」
投げやりに返事をしながら歩みを進める中で、彼女は本当に色んなものを見つけては指を差し別の場所に行こうとする。
本当に手を繋いでいなければリードのついていない犬のようにあっちこっちへと走り回っていたのだろうと考えるとまだマシかとため息をついた。
「恭介」
「なに」
「すっごく暑いわ」
「……はしゃぐからでしょう」
「じゃあ恭介は暑くないというの?」
「暑いよ」
保冷のケースに入れたペットボトルのスポーツ飲料をこれまた上品にストローで飲みながらこころは暑さに呻いていた。そもそも寄り道しようとものすごい力でオレを引っ張ろうとすることが何度もなければもう少し早く目的地には着いたと思うんだよね。
「でも、もう見えてきたわ!」
「うん、やっとね」
本来なら歩くこと十分かからないくらいのところ、街が一望できる場所にひまわり畑はある。その景色を見てこころが目を輝かせ、オレの手をほどいて走っていく。
──ここが彼女のゴールだ。しきりにバス停や降りる駅の名前をじっと見つめていたから、今度はもう誰かに頼ることもないのだろう。誰かの手を繋ぐことなく、一人で走り出すのだろう。
「はぁー、とーってもいい景色ね!」
「うん、いつ来てもそうだ」
「恭介は、毎年ここに来ていたの?」
「毎年じゃないよ」
いつかのように開けた場所に座り、こころは嬉しそうに景色を見上げ、オレがその隣に座りながら苦笑いをする。
バイトをするようになって、友達とのかかわりが増えて、そうやってこの場所を蔑ろにしてきた。思い出の中にしまっていた。
ひまわりと同じ向きに広がる景色を見て、それから亡くなった祖父の顔を思い出してオレは泣きそうになる自分を必死に抑えた。入院した時、顔を見せなかったようなオレが泣いていいはずないから。
ゆっくりと流れる雲の流れを見守りながら、飲み物から口を離したタイミングで、こころにこれでもう帰るの? と問いかけようと横を見た。いつでも笑顔の彼女を、今だけは頼りたくて。
「……こころ?」
だけど、隣に真夏の太陽はなく、いるのは瞳から涙をこぼす一人の女の子だった。鼻や目許を赤くして、手で拭おうとして拭いきれずに諦めたように空を見上げた。
そして彼女はオレを見ないまま、ごめんなさいと呟いた。自戒するように、雨を膝の上に降らせていく。
「あたしは……恭介に笑顔でいてほしいと思ったの。公園で会ってからずうっと恭介は泣いてるみたいな顔をしていて、ちょっとでも笑ってほしかったの」
「……よく見てるね」
「でも、肝心なことはなんにも見えていないわ」
「見せなかった」
「ええ……だから、もう頑張らなくていいのよ?」
あたしは知ったから、とこころはオレを抱きしめた。暖かくて、優しい匂いがする。じわりと胸が痛みながらも、でもオレは泣くことができずに首を横に振る。
だってオレは、肝心な時に
「いいのよ」
「何が」
「恭介は、泣いていいのよ」
「でも」
「だって恭介は……おじいさんのことが大好きだったんでしょう? 大好きだったのなら、泣いていいのよ」
──その言葉が、オレの意地をいとも容易く打ち砕いた。堰を切ったように、涙がとめどなく溢れてくる。年下の女の子に全てを許されたような気がして、みっともなく感情を露わにしてしまっていた。
「泣いて泣いて、また笑いましょう? 誰だって大事なヒトが自分のせいで悲しむのは、嫌だもの」
「……うん」
ずっと晴れ続けることがないように、雨もいつかは止んでいく。どれだけ晴れが多い場所にも、ちゃんと恵みの雨は降り注ぐから。
──こころと一緒にたくさん泣いて、そうしたらなんだか気持ちが少し、落ち着いてきた。昼すぎには祖父は式場に運ばれるらしく、ここからまだ色々あるんだなということがようやく頭の中に入ってきた。
「それじゃあ、あたしは帰ろうかしら」
「こころ」
「顔を見れたし、ひまわり畑も見たもの」
気持ちの整理がついてきた……わけじゃない。ここからまた沢山泣くだろうし、まだまだどうしてって後悔は消えない。消せるものじゃない。でも、少なくとも祖父の死を悼んで涙を流してくれた彼女と、オレがちゃんと涙を流せるきっかけをくれた彼女とここではいさよなら、とするのは違うと感じた。
「ばあちゃん。こころも、葬儀に連れてっていい?」
「……恭介?」
「ええ、もちろんよ。こころさんは、それでも大丈夫?」
「ええ、ええ……! 是非、あたしもおじいさんのためにできることがしたいわ」
彼女はこの場所をステキな場所と言ってくれた。祖父母が、父が、そしてなによりオレがたくさんの思い出を刻んだあのひまわり畑を、この場所を、屈託のない笑顔で記憶に焼きつけてくれていた彼女にも、最後まで付き合ってほしい。
「ありがとう、恭介!」
「うん、どういたしまして」
長いお盆が始まる。それは亡くなった祖父を見てただ悲しむだけの時間だと思っていた。
だけど、彼女との再会が暗い影を落とすだけだった時間に、太陽の光をくれる。それは、自分の思い出を振り返り、前を向くためのノスタルジーサマー。
これでプロローグが終わりになります。
物語が始まるまでが長いからダメなのかな? とにかく自分が頭に浮かんだ物語をまっすぐ書いていけたらいいなと思います。
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