通夜も告別式も終わり、じいちゃんは小さな骨壺になって家に戻ってきた。ウチの宗派はここから49日間の長い道を歩んでいくとされている。それまで、客間に作られた祭壇に祀られることになる。
さすがに49日間、ずっとここにいられるわけじゃないけどここから二週間ほどは毎日朝起きて、花や果物が供えられた祭壇に線香をあげて手を合わせる。
「おはよう、じいちゃん」
独特の香りと一瞬の静寂。目を開けると隣にはいつの間にか同じように目を閉じて手を合わせる少女がいた。
相変わらず年中無休で輝く金色の艶やかな髪、こう静かに黙っているとお嬢様なんだなぁとわかる雅な風体、そしてそんな彼女から飛び出す元気な声。
「恭介もおはよう!」
「おはよう」
弦巻こころは何を思ったか結局、オレと帰りを合わせることにしたらしい。何やらバンド? の練習があるとかなんとかで電話の向こうの声が文句を言っていたのが聴こえた。いいの? と問いかけると困ったように身体が二つほしいわと笑った。
「でも身体が二つあったとしても、もう一人のあたししか練習できないから、それはそれで困ってしまうわね?」
「ああ……そういう感じ」
こころが想像してるのは分身の術的なヤツじゃなくてドッペルゲンガーの方なのだろうか。自分であり、自分ではない存在。そんなどうでもいい雑談をして、彼女はそれじゃあおばあさんのお手伝いをしてくるわ! と立ち上がり台所へと向かっていった。
「元気だなぁ」
両親は長く仕事を休むことはできないと告別式が終わった日に帰ってしまった。新幹線で何度も往復するわけにもいかないだろうし、それこそ両親としても身体が二つあったら、分身できたらいいという思いだろう。
「恭介、悪いけど頼まれごとしてくれないかい?」
「ん?」
「買い物なんだけど」
「そのくらいなら手伝うよ。じいちゃんの車使えばいいよね?」
朝飯の最中に、そんなことを祖母に言われ、ここに長く泊めてもらうならとオレは快く返事をした。車を使わなくても歩いてバス停まで行って、バスに乗って街まで出て買って帰る、ということはできなくはない。だけど文章にすればほんの一行にも満たないこの作業は祖母にとっては大変なことだし、田舎のバスの時間なんて一本逃すと下手すると帰れなくなるなんてこともあるくらいだからね。
それに祖母はまだ親戚にもらった香典の整理とかで忙しいし、使える労働力は使ってほしいところだ。
「あたしもついていっていいかしら?」
「もちろん。好きなものを買っていいから」
「ありがとう!」
そこに元気よく手を挙げるこころ。まぁ、オレも野菜ジュースとか、ポテチとか買うつもりだったし。ただ、問題が一つだけあって……じいちゃんの車、調子が悪くなってから一切動かしてないしボロいからなぁ。メンテナンスとかできたらいいんだけど家に車もないし、普段興味があるわけでもないオレにはそんなことできないし。
「それならもう済ませました」
「……ありがとうございます?」
──と思ったら黒い服の方々が先回りしていらっしゃった。手早いとかいうレベルじゃないんだけど。というかもう買い物とかも頼んだ方が早いんじゃないかと思うんだよね。
だが黒服さんは、それはできませんと首を横に振った。
「我々はあくまでこころ様の笑顔のためにのみ行動しますので」
「……えっとつまりこころが買い物に行きたがってる以上、手は出さないってことですか?」
「はい」
こころが車で買い物に行くことを楽しみにしているのなら、車のメンテナンスはやるけれど買い物を先回りすることはない、か。彼女のやりたい、やってみたいという好奇心や望みへのスタートラインまでの舗装はするし、過程にある大きな障碍は排除する。けれどゴールを示すことはないのが黒服さんのおおまかなスタンスのようだ。
「ドライブってしたことないから、わくわくしちゃうわね」
「そりゃよかったけど、ちょっと運転危ないと思うから気を付けて」
あんまり運転しないからね。なんなら初心者マークでもつけてもらいたいくらいだけど残念ながらあの家にあるのは若葉ではなく枯葉なんだよ。
──ともあれ慎重に運転し始めながら、祖母がいなくなった空間でオレは漸くこころに訊きたかったことを問いかけた。
「どうしてこころまで残ったの?」
「……迷惑だったかしら?」
「思ってもないことを言うね」
その横顔は確認するまでもなく迷惑だったかと心配してるようなものではなかった。からかうというかなんというか、冗談交じりで質問を質問で返され、オレはなんとも言えない気持ちになりながら真意を促した。
「あたし、こう見えてとーっても責任を感じているの」
「……なんの?」
「恭介を傷つけていたことよ」
傷つけた……って、オレが勝手に悲壮感に浸ってただけな気もするよ。うん、落ち着いた今ならそう思う。だから、それでこころが何か責任みたいなものを感じる必要はないんじゃないかな。けれど世界を笑顔にするという願望を掲げる太陽は、放っておけないわと首を横に振った。
「それに……」
「それに?」
「ほんの少しだけ……怖かったの。ずっと感謝したかった、でも誰かわからなかったおじいさんに、漸く会えると思ったのに……嬉しかったのに、亡くなっていたという事実が」
ポツリと、か弱い少女のような声でこころはそう言った。そのままオレとも別れたまま言葉も交わさず、一緒に食卓を囲うことをしなければきっと後悔してしまう。二度と戻ることのない別れという後悔を、彼女は抱えたくなかったようだ。
「ヒトはみんな、いつか死ぬよ」
「ええ、けれど……そのいつかがわからないわ」
十年後かもしれない。一年後かもしれない。いやもしかしたら明日かもしれない。いつか死ぬとは口では言うけれどその
──無理もないし、オレだってそうだ。ふと一人で考えていると、真っ暗な闇を覗き込んだような底のない寒気のようなものを感じる。いつか自分もああなるのだと、その瞬間が来るのだということに足が竦んでしまいそうになる。
「だからこそ」
「ん?」
だけど、こころの声は決してただ尻込みをしているだけではないように感じた。下を向いてはおらず、まっすぐ前を、先を見据えていた。
だからこそ、二度と同じ怖さを感じたくない。だからこそ、こころはいつかをいつかにしないようにしていた。
「あたしは今、恭介と一緒にいるの」
「それは……」
まるでオレが明日どこかに行ってしまうのではと思うくらいだけど、そうじゃなくて、いやそれがあり得るからこそ、こころは今やりたいことに対して全力で、まっすぐ。太陽のような光を発しながら笑顔を届けようとしているんだ。
「……だったら」
「だったら?」
「尚更、こころはこんなところで時間を使っている場合じゃない気がする」
「どうして?」
弦巻こころが笑顔にするべきは世界だ。世界を笑顔に、そのための音楽活動だというのにそれをほったらかしにして、助手席で足をブラブラとさせているヒマが果たしてあるのだろうか。そんなこと、きっとオレでなくても、誰にだってわかることだ。
「この時間に、もっともっと笑顔を届けられるなら、その最短距離を突き進むべきじゃない? それこそ、身体が二つあるわけじゃないんだから」
「身体が……ふたあつ」
「こころ?」
オレの言葉にこころはふんふんと考え事をし始めてしまった。近くでちゃんと見るようになってから気づいたことだけれど、彼女はよく動きながら、よく考えている。パっと見の印象で決めてしまいがちではあるものの、金色に輝く髪の下ではきっととてつもなく有意義な脳内会議が繰り広げられているに違いない。
「ダメだわ! どうしたらいいのかしら?」
ダメだ、とはいいつつ曇ることなく、太陽はいつだってたくさんの選択肢の中から一番素敵な答えを、オレの前にポンっと実現不可能だとか、もっといい案があるんじゃないかだとか、そんな無駄なところにリソースを割くことなく、言葉を紡いでくれるに違いない。
「それよりも今はドライブを楽しまなくっちゃ!」
「……ふふ」
「あ! 恭介が笑ったわ!」
笑うよ。オレは、ボクはきっと、大好きだったじいちゃんがいなくなって、静かに眠っていたあの日の一室を、二度と忘れることはできない。夜の静けさにふと、このまま眠って、目が覚めないかもしれない。自分には朝目覚められるのは後何日だろうと考えてしまうだろう。だけれど、ううんだからこそ。ボクは笑うし、ボクは生きてみせる。
──その先に例え、何もない。新しい始まりも永遠の終わりすらもなかったとしても。ボクの心臓はこの世界で鼓動を続けているから。
「ねぇこころ?」
「どうしたの?」
「やっぱり、お礼を言わなきゃ」
「なんのお礼かしら?」
「一緒にいてくれて、笑顔をくれてありがとう」
何気なく放った一言だったけれど、こころはまるで朝日を浴びたひまわりみたいに、口と目を大きく開けながら嬉しそうな顔をしてくる。彼女は、自分が生きていく中で何が成せるのかってことにずっとずっと一生懸命だ。オレとは大違いで、バイト先にだって本当はもっと何かできることがあったはずなのに、ロクに事情を説明もせず、シフトに穴を空け続けてる。
「恭介はなにかシュミとかないのかしらっ?」
「シュミ、かぁ……ちなみにこころは?」
「散歩することよ! 素敵なものを見つけるために、お散歩をするの!」
「なるほど、らしい答え」
どうやら公園で子どもたちと遊んでいた一幕も散歩中に水鉄砲をしているのを見かけて混ざったらしい。そうやってこころは自分の楽しかったことを、誰かに伝えて笑顔にしていく。まるで魔法のような、まるで魔法使いみたいな、キラキラした子だってことがわかる。
「ここは?」
「ドラッグストア」
「お薬を売っているのね!」
「うん、まぁそれ以外もいっぱい売ってるけど」
車を止めたところは、近所のドラッグストア。薬局が併設してあって、処方箋を受け付けてくれながら、市販薬を売ってくれて、さらに日用品や食品なんてものも扱ってくれている、一石二鳥ならぬ一軒で二度も三度もおいしい、田舎には必須の施設だろう。
「一つの建物に、お薬屋さんと食べ物屋さんが一緒になってるのね?」
「そうなるね」
「……っ! そう、そうだわ!」
「なになに? なにを思いついたの?」
「身体がふたあつなくても、一つの場所に集めてしまえばいいのよ!」
なんのことだろう? と一瞬考えてすぐに答えが出てきた。さっきの問いかけだね。バンドの練習もしたい、けれどココでオレと帰りを合わせたい。それはまるで薬を買いながらお菓子やジュースを買うようなものだ。身体が二つないと実現ができなさそうだけど、こうやって一つの施設にあったら? こころはそこから答えを導きだしてみせた。素敵な、素敵な答えを。
「ハロハピの合宿よ! いつもとは違うところで、違うものに触れるとまたいい音楽が生まれるって言うじゃない?」
「それをこの近くでやるってわけだ」
「ええ、それじゃあ早速、恭介のおばあさんに頼んでみるわね」
──ん? え、今なんて言いましたこころさん? そんなピカピカーな目でスマホを取り出してなにを言うつもりです? え、ちょっと待って色々待ってほしい。オレいるよ、ねぇねぇオレいますよー? バンドメンバー全員女の子ですよねー?
「いいって!」
「……なんでいいんだろうね」
「賑やかで楽しそうって言ってくれたの!」
祖母、ばあちゃんもきっとじいちゃんがいなくなってさみしい思いはしてるんだろうなぁってのはひしひしと感じてる。だからこそオレやこころが残るって知った時にはどこかほっとしたような表情をしていたしさ。でもねばあちゃん。オレいるんだよ。確かに親戚筋は男孫ばっかりだったからさぞ女の子に飢えていたってのはどっかで訊きましたけど。流石に何人も何人も女性が寝泊まりするのは流石に緊張するよオレはさ。ただでさえ今こころが近くにいるってだけでふと緊張することあるんだから。
「お風呂とかは近くの銭湯で済ませること、最初の日は恭介が連れてってあげて」
「わ、わかった」
「お部屋は三人と二人で別れてもらって、恭介は私と一緒だから」
「また別々なのね」
「しょうがないでしょ、そこは」
長屋ってこういう時は便利だよね、と思わずにはいられなかった。玄関入ってすぐ前に台所があって、右手に残りの水回り、左に入って手前の一番大きい部屋が居間で、その奥二部屋が客間、横にあるのが寝室という部屋割りになっているから、一応オレが彼女たちの部屋を干渉することはないから安心だ。いやドキドキはするけどね、やっぱり。
「というかそもそも、そんな急に呼び集めてきてくれるもんなの?」
「それは、呼んでみないとわからないわ!」
そう、とため息を吐きながらきっとこころがこう言う時のパターンは一つなんだろうなぁと思いながら多めに買ってきたお菓子や飲み物たちを仕分けていった。
──思ってたよりも盆休みは、長い割に騒がしくなりそうだよ、じいちゃん。
伸びないから自分で自分を奮い立たせながら書いてます。つまんねぇんだろうなぁ……(遠い目)