こころと夏目さんのお付き合いは順調らしい。昨日はどうやら海を見に行ったようでよくもそんな長い時間いたねとこころに聴いたら、少し迷ったような顔をしてから洗いざらいしゃべってくれた。あとめちゃくちゃフツーに惚気てきた。
「……もうあと一週間だけなのね」
「夏休みも終わるからね」
「恭介とも、しばらく一緒じゃなくなるわ」
すっかり慣れてしまったスーパー銭湯で、こころはそんなことを呟いていて、これは本格的になんとかしないとなぁとなってしまった。最初は、なんとかなるんじゃないかーなんて楽観視していたあたしだったけど花音さんの言う通り、なんとかなんてなるもんじゃないよね。
「あのさ、夏目さんは夏目さんで、こころにとって大事なのかもしんないけど、ハロハピの活動、忘れてないよね?」
「で、でもっ、恭介にはあたしが必要だわ。恭介の痛い気持ちをわかってあげられるのはあたしだけなのよ?」
「……はぁ」
そうかもしれない。あたしは夏目さんの痛みなんて理解してないし、なんなら葬儀に参加すらしてないから、いっつもテキトーに毎朝線香を上げてるだけ。言い方は悪いけど、親族でもない他人の遺影に何か感慨が湧くわけがない。あたしは聖人でもなんでもないし、そんな痛みに全部全部共感していたら、あたしはあたしじゃなくなる。
「……ってなわけで、思ってた以上に重症っぽいです」
「そっか……こころちゃん、そんなこと言ってたんだ」
「相当依存してる」
正直、無理もないって言えばそうなのかもしれない。十年前に優しくしてくれたおじいさんに会いたくて、思い出の景色が見たくてここに来たのに、その本人はこころの前で眠ったように横たわっていて、二度と起き上がることもしゃべりかけることも笑いかけることもなかった。
「キツい……んだろうなぁ」
「うん」
知ってました? と花音さんにこころから訊いたハナシを伝えてみた。骨壺に入れる際、大きな骨は砕くらしい。親族の手で炎に晒されて脆くなったものを砕いて、折って、まるでバーベキューの木炭を片付けるみたいに、元は家族だったヒトを小さな骨壺に入れるらしい。そもそも、もう亡骸とは言え、無骨な焼却炉に身体を入れて燃やすってのが、どんな痛みになるのかなんて、理解できるわけがない。でもこころは知ってしまった。見てしまった。
「……そう、なんだ……知らなかった」
「こういうの、嫌な言い方になるかもしれないんですけど、あたしはあの男が嫌い。あの男は……こころを利用してるだけだから」
もちろん本人にそんなつもりは全くないのかも。でもここまで連れてきてそうやって悲しみでこころを壊した。結果、前はあんなに無敵みたいな顔してた花女の異空間が、ああやって夏目恭介って男に寄りかからないと生きていけないみたいな表情で、利用されてるのにも気づかずに……挙句女として浪費されてるなんて、許せることじゃない。
「ふふ」
「……なんですか」
「ううん、美咲ちゃんにとってもハロハピは、それだけ大事なんだなぁ……って」
「そ、そういうのはいいんですよ」
とりあえず、行動は早めに。善は急げって言うし。そう思いながらあたしは夏目恭介と話すタイミングを狙っていった。
別に、ハロハピが大切とかそういうんじゃなくて……いや、たぶんもうあたしの中でそれは大切なものになってるんだろうけど、なにより。こころがいなくなったらダメなんだ。あたしたちみんな、こころに集められてるんだから。
「世界を笑顔にするんでしょ……バカこころ」
きっとその言葉は、今はこころには届かない。今のままじゃ、こころをもう一回笑顔のヒーローにすることはできない。
──だったら、あたしができることは一つ。あたしだってハロハピなんだ。なんにだって成ってやる。
こころとデートをした翌日の夜のこと。みんなが寝静まっている時間になんとなく眠れず、少し離れた台所にある机にパソコンを開いて大学の課題、ゼミの課題をこなしていると、とんとんと足音が聞こえた。ふと振り向くと、そこには黒髪の少女、奥沢さんがいてオレのことを認識しながら冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出した。
「学校の課題ですか?」
「まぁね」
「……昨日」
「ん」
「こころと、随分と長く出かけてたんですね」
そうだねとなんでもないことのように流す。恋人だからね、とでも言えばよかったのかなぁなんてくだらないことを考えていると奥沢さんは、よくこころと一緒にいられますねと続けてきた。
「どういうこと?」
「だって、こころですよ? 花女……ウチの学校じゃ異空間だなんて呼ばれてますし、言動もなにもかも意味不明なお嬢様だし」
「そうなんだ。でも少なくとも、オレにとってはかわいい恋人だよ」
こころはそんな意味不明なわけじゃない。オレだって最初は理解できなくて、それなりにムカっとしたこともあったけど。今ではキラキラの笑顔を向けてくれる、傍で微笑んでくれる優しい光のような子だ。
「……そう、ですか」
「ってごめん、惚気かなこれ」
「まぁ、惚気ですね」
そう言いながら奥沢さんの表情を伺うと、呆れても、笑ってもいなかった。なんの感慨も抱いていないような顔で、なんの色も移さない目をオレに向けて、よくもそんな惚気ができますねと嘲るように言ってきた。
「なに、それ」
「いえ、別に他意はないです。惚気って、アレじゃないですか。自発すると十中八九ウザがられるってわかりそうなものなのに、なんでそう言いふらしたがるんでしょうね?」
「話を振ったのは奥沢さんでしょう?」
思わず、苛立ってしまった。すごく言葉の一つ一つが冷たくて、熱帯夜の空気を冷やすんじゃないかってくらいだ。奥沢さんの冷えた刃のような言葉たちはオレの熱された言葉をそうですねと冷たく斬り裂いて、更に言葉を続けてくる。
「ただまぁ、興味ないんで。夏目さんがこころのことどんだけ好きとか、そういうの」
「昨日、どこまで進んだとか訊いてきたヒトと同じ言葉とは思えないね」
「ああ、あれは手を出すのが早いって忠告したつもりでした」
「わかりにくいね」
だんだんと、だんだんとオレの言葉も冷えていく。なんでこんなに嫌われてるんだろうか、とふと思うけれどそんなこと気になる以前に突如としてケンカ腰にしゃべられていることに対してイライラが募っている方が勝っていた。
「わかりにくいのはそうなんですけど、流石にはぐみとか薫さんはそもそも付き合ってること気づいてなかったんで」
「アレで?」
「そういう人たちなんです」
「なるほど、で? こころとの関係に口を出して、奥沢さんは何が言いたいの?」
「──別れて」
「は?」
「こころと別れて」
まさかの言葉にオレは一歩後ずさった。でもそれが、その言葉が奥沢さんの放った言葉たちの中で一番熱を帯びていて、表情には冗談とか嫌がらせとかそういう色もなくて、本気で別れてもらうことが自分にとって、そしてこころにとって良い未来を生み出すと信じてやまない顔だった。
「……なんで」
「アンタがこころの中心にいると、ハロハピは活動できなくなる。こころが世界じゃなくて、アンタしか見なくなる。だから別れてほしい」
「それで、はいわかりましたって、言うわけなくない?」
奥沢さんの言いたいことはわかった。けど当然拒否するに決まってる。だってこころはオレを知りたいと言ってくれた。いつもいつも、じいちゃんを亡くした痛みを感じると決まって傍にいてくれる彼女が、その痛みを唯一知っている彼女と別れるなんて、そんなのできるわけがない。
「そこ」
「なにが」
「その、痛みを唯一知ってるからってとこ。そこがあたしの許せないところ」
「……どういう」
「胸の穴を埋めたいからって、こころに近づいて、無理やり代わりにしてるだけでしょ? 大事なヒトを亡くしてさみしい、苦しいって気持ちで、こころの胸におんなじ穴を空けてまで、痛みを忘れる代用品に飢えてただけでしょ?」
ズキリと痛みが走った。否定がうまく喉から滑ってこない。こころは、
でも、ハロー、ハッピーワールド! の弦巻こころは、ひまわりのような女の子だ。世界の笑顔という太陽に向けてキラキラの笑顔を放つ、無敵で、眩しい地上の太陽。近づけば焼かれるほどのエネルギーを持った、笑顔のヒーローだ。
「オレは、無敵のヒーローにいてほしいわけじゃない」
「ハロハピには、あの無敵のヒーローが必要なの」
「それじゃあオレのこころはどうなるの?」
「──そんなもの
もう、奥沢さんは泣きそうな声だった。まるで懇願されているような、そんな声色だった。オレの、オレが見ていたこころの笑顔は、本当にオレに……ボクに向けられていて。でないとボクは、あの頃の弱くて夏野菜すら食べられない、あの頃のボクに戻ってしまいそうで。
「嫌だ」
「……夏目さん」
「オレは、
「そんな駄々っ子みたいなことを言っても、こころはアンタのモノじゃ──」
「──はぁい、二人とも……そこまで、だよ?」
言い合いのトーンが大きくなってしまっていただろうか、いつの間にかもう一人、台所の入り口に立ってボクと奥沢さんの言葉をストップさせる。冷たかったはずの言葉たちはもう夏の空気によって熱され、心なしか汗を掻いてしまっていた。
「花音さん……はぁ、すいません。うるさかったですか?」
「ううん、大丈夫だよ」
ふわり、ふわりとまるで彼女の周囲だけ時間が遅くなったかのように下ろした髪を揺らしながら、ボクたちの間に立って仲裁をしてくれる。全然冷静じゃなくなっていた自分が須少しだけ恥ずかしくて息を吸って、吐いて、整えてから
「ごめん。代用品だろうとなんだろうと……オレには今、こころと一緒にいる以外に笑顔になんてなれない。例えこころが笑顔のヒーローだったとしてもオレは、オレにとっては笑顔をくれる大事なヒトだから」
「でも……それは、こころの掲げる目標とは真反対、なんですよ」
そうだったとしても。オレの傍にいたせいでこころの目標が叶わないものになってしまったとしても。オレが傍にいる。今度はオレがその傷を癒せばいいんでしょう? 一緒に歩んで、世界だなんて大きなものじゃなくて、道端の花を愛でるように二人で幸せを見つけていけば、それでいいんだ。
「よくない、です」
「……松原さん」
「なんで、なんでこころちゃんが……諦める、前提なんですか……? こころちゃんのアイデンティティを奪って、それで、あなたは本当に幸せなんですか……?」
「それは」
「もう、目を覚ましましょうよ。夢は、醒めなくちゃ……こころも」
それはオレに問いかけたものではなかった。だけれどこころも、という言葉が誰かに向けられたものだったことに目線を上げ、そしてそこに、少し髪の毛が乱れた寝起きという印象を受けるこころが立っていた。
「花音に言われたの。恭介の幸せのために、聴いてほしいことがあるって」
「うん、だからずーっと、美咲ちゃんと一緒にいたんだよ?」
「……そうだったの」
最初から、聴かれてたのか。そう目線を送るとこころは申し訳なさそうに頷いた。そして、ゆっくりとオレの傍に来て、前からぎゅっと抱き着いてきた。暖かい、というか眠いんだなってわかる彼女の体温だった。
「大好きよ、恭介のこと、大好き」
「……うん」
「でも、でもね……美咲に言われて、あたしなりにいーっぱい考えたの。あたしは、ハロハピのみんなと一緒に世界を笑顔にするの。
「そっか」
「だから……恭介には、今の場所から出てきてほしいの。あたしがいる、世界まで」
オレは静かに首を横に振った。いつかはできるのかもしれない。でも少なくとも今はそんなことできっこない。オレは太陽が届く場所にいたくない。こころがキラキラするところなんて見たくない。オレの腕の中で不安そうに瞳を揺らす、無敵のヒーローなんかじゃないこころが、いてくれればそれで。
「恭介のことがもっと知りたい、一緒にいたい。でもそのために……あたしは世界を放っておくことなんて、できないの」
「放っておくって、約束してくれたのに」
「ごめんなさい」
「嘘つきだ。こころは嘘つきだよ」
「そうね、とってもひどい嘘をついたわ。恭介を、傷付けるくらいの」
こころが太陽みたいにキラキラしてるだけで、その眩さを見るだけで目がつぶれてしまう。その笑顔を見るだけで、遠くの存在に感じてしまう。無邪気な表情を見るだけでそれが独占できないことが苦しくなってしまう。聡明さを感じる度に、その金色の瞳の中にオレ以外のヒトがいることがわかってしまう。
「こころは、オレを否定する。だから嫌いだったんだ」
「……ええ、そうね」
「ハロハピのこころは、オレの悲しみも痛みも苦しみも全部、全部否定する。否定して……傷つけてることに、気付きもしない」
だからずっとずっと、堕ちればいいと思ってた。同じ傷を受ければいいとすら思っていた。だから、だからじいちゃんが亡くなっていることを言わないままここに連れてきた。葬儀に関わらせた。世界を笑顔になんてできるわけがないと、こころに呪いをかけるために。
──ヒトはすぐに死んじゃうんだよこころ。後三十年経てば親が、六十年経てば自分が。それは、途轍もなくすぐのことだ。日付を数えてもいいくらいに、すぐだよ。あるいは、その六十年すら経つことなく、両親よりも先にって場合もありえる。そのくらいに確実に、ヒトはいつか死ぬんだよ。
「そうね、すぐにあたしたちもおじいちゃん、おばあちゃんになって、周囲の大人は誰もいなくなって、あたしたちもすぐにおんなじになるわ」
「……だったら」
「──そうだったとしても、例えその
こころはそうやって一筋の涙をこぼして温もりをくれた。冷たい、まるで人形のようだったじいちゃんも、ちょっと前はあったかかったことを思い出した。思い出して、オレはまるで子どものように、こころに腕を回して涙をこぼした。
──悲しんでいい。悲しんで、傷ついて、苦しんで。それでもオレは、明日も生きる。それが死への短い道のりだったとしても、この心臓が動く限りは。
題名の意味は各自読み終わってから調べるとまた別の印象を受けるんじゃないでしょうか。というかノスタルジー・サマーの内容をたった一言でまとめると今回のサブタイでしょうかね。あとさりげにあらすじ回収しました。
いやぁ今回も抱き合って、いちゃいちゃしてますね!