飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#2 火矢を放つ-7-

 ひとしきり泣いたあと、近くの小川で水を飲んだ。

「たまにはこんな寄り道も悪くないだろ」

「うん」

 膝を抱えながら、川の流れる音だけを静かに聞いた。レガはうんと伸びをした。

「レガも、女の屋敷に用事があったんじゃないの」

 膝を抱えたままのポーズで、ジャグルは聞いた。

「あぁ」

 レガは足元の石を蹴る。

「ちょっと厄介な依頼があってね」

「厄介な依頼?」

「あぁ。リズ村の村長からだ」

 リズ村は、ハイラ山脈の麓にある、タルト一族の集落に最も近い村だ。その村人のうち何人かは、集落への行き方を知っている。集落と村との間には、まじないを無料で施す代わりに外部からの依頼者の窓口になってもらうという取り決めがある。普段は村の中心人物のうちの誰かが来るのだが、村長自らが来るということは、滅多になかった。

「村人が三人、惨殺されたそうだ」

 昔の自分なら、ここでごくりと唾を飲み込んだだろう。人が死んでも、さほど心が動かなくなった。冷静になった、と言うべきか。だが今回は少し、事情が違う。

「人食いがリズに現れたってこと?」

「そういうことだ」

「それって、マズいんじゃあ」

 レガは無言で頷く。

「リズとタルトの位置はかなり近い。奴らの行方が分からない以上、この森のどこかにいる可能性は十分にある」

 レガの目が、少し伏せられた。その表情から、問題の深刻さを伺い知ることができた。

「下手をしたら、」

 一族が滅びるかもしれない。と口に出しそうになり、止めた。滅多なことを言うものじゃないし、言わなくても二人とも分かっていることだから。

 もし、襲われるのが夜だったら。子供たちがばらばらに行動している時だったら。人食いは術力を持つ人間を食べると、その力を増す。一人でも食われてしまえば、大人でも太刀打ちできなくなるかもしれない。それだけは、何としても避けなければ。

「昨日夜、緊急の会議があった。そこで、七人

の討伐隊を作ることになったんだ。タルトの集落を嗅ぎつけられる前に始末しなければならない」

 ジャグルは頷く。少しの間、レガは沈黙した。

「それで、俺もその討伐メンバーに選ばれた」

「ええっ」

 たっぷり溜めた効果も相まって、ジャグルは驚きのあまり叫んでしまった。ふっふっふ、と冗談めかした笑い方をするレガ。

「他のメンバーは?」

 レガは残り六人の名前を挙げる。その中には、ロークの名前があった。最初の遠征を共にした為か、ラッシュとロークとは余り喋らないにしても、ジャグルを邪険に扱うようなことはしなかった。

「ロークもか」

「あいつも結構出来る奴だからな。いざって時は頼りになるよ」

 確かにそんな気がする。無口で愛想は悪いが、高い実力の持ち主だ。

「決行は三日後の朝。明後日は通過儀礼の日だから、それが終わったらすぐに出られるようにする。今の所は俺たち以外には内緒にしておく。あまり事を荒げて、子ども達に影響があるといけないからな」

 子ども達、とジャグルは呟く。明後日、あのタムも大人になる。あいつは順当に大人になるのだから、ベッドも大人用になるのだろう。と言うことは、一年間は寝床で蹴られずに済むのかもしれない。

 そんな考えをよそに、レガはしゃべり続ける。

「儀式中も、絶えず集落には結界を張り続ける。儀式の日程を覆ることはないから、まずは守りに徹して様子を見る。まぁリズとここが近いとは言え、ハイラの森は広い。三日くらいの猶予は十分あるだろう」

「なるほど」

 その見立てに至る道筋を知るにはまだ知識が足りないから、そういうものなのかと納得するより他なかった。

「まぁ、俺にかかればどんな奴でも楽勝だけどな」

 急に、レガばおどけた調子で言い放った。腕を組んで、不敵な笑みを浮かべた。いつものように、おどけた調子の、口に出したことは何でもやってのけてしまう時のレガだった。

「ホントだよ。頼むぜ未来の族長さんよ」

 ジャグルもいつものように、そんな彼につい軽口を叩いてしまう。

「はっはっは、人食いでも戦いでも、何でも持って来いだ」

「言うねぇ」

 うりうり、と言いながらレガの脇腹を突っつく。

「おいっ、脇腹弱いの知ってるだろ」

「あははは」

「このやろ」

 逃げるレガを追いかけるジャグル。河原の石を蹴りながら、まるで子どものようにはしゃぐ。

「でもさ」

 切れた息を整えながら、ジャグルは言った。

「レガは本当にすごいと思うんだ」

 きょとんとした彼の顔を見つめながら、ジャグルは言った。

「人食い、絶対倒してくれよ」

「あぁ」

 いつものように、ジャグルはレガの明るさにつられて笑う。年上の連中からしたら、まだまだレガは不十分なのかもしれない。レガより凄いまじない師が一族の中にいることも知っている。それでもジャグルにとっては、一番頼りになるのはレガだった。

「俺たちは、まじない師だ。人に仇なすものは、何であっても退ける」

 この一言だけで、ジャグルは安心できるのだ。

 

 それから、二日後。十六歳を迎えた少年が、いよいよ大人への一歩を踏み出す日だ。そして、この日だけは大人と子どもが、一同に会する。この日の為に、大人たちの建物の前に舞台が用意される。それは広場を丸ごと覆い尽くすほど、広い。普段のこの空間の面影が全くと言っていいほどない。ジャグルも、小さい頃から知っているのはこの舞台だった。

「まさか、ここがいつもの広場だったなんてなぁ」

 ジャグルはレガに言った。

 特別に作られた舞台はジャグルも毎年目にしていたが、あれがどこにあるのかは全く知らなかった。多くの子どもたちにとって、「大人の住む場所」はこの舞台であるイメージが強い。それにも関わらず、今の今までこの場所が見つからなかったことにようやく合点が行った。

「俺も、大人になってから驚いたよ」

 レガは言った。

「しかも、一日で組み上げるなんてな」

 別の班が、材料となる木材の調達や組み上げを行っていた。大人たちにしてみれば、術を使えばわけのないことだそうだ。己の手を一切使わずに、勝手に組み上がっていく様は、見ていて圧巻だった。

 笛の音が鳴る。

 大人も子どもも、舞台の上に注目する。

 いよいよ始まるのだ、と誰もが胸を高鳴らせる。去年、自分が大勢の子どもの前で火矢を放った時よりも遥かに大きな舞台だ、とジャグルは思った。この場に自分が立っていたら、どうだったろうかと想像する。

舞台の横から、三人の男が現れた。並び歩き、奥から順番に座っていく。タムはその一番奥だった。

 大人になる、火矢を放つ儀式の始まりである。

「タム! 前へ」

 低い声が響く。ルーディが、普段のしわがれた声を強引に張っていた。少しだけ裏返る。

 タムは立ち上がり、脇に立つ大人から一本の矢を受け取る。そしてそれをつがえ、後ろの羽に火を灯す。反対側で、的が待つ。

 見えない張力のかたちが、はっきりと分かる。まじないを自分で使えなくても、術力に対する感性は磨かれていた。タムのそれは大きくはないが、綺麗にまとまっていた。それがジャグルの抱いた素直な感想だった。普段から、もっとダイナミックな術の数々を見ているから、無意識のうちに比べてしまったのかもしれない。

 張力が解放される。

 ひゅるひゅると緩い弧を描き、矢は吸い込まれるように的の中心を貫いた。矢の炎は、緩やかに的を燃やす。

 観客たちはその成功に盛大な拍手を送った。

 まるであいつそのものだな、とジャグルは心の中で毒づいた。ちゃんとやっているようで、手を抜いている。外さぬよう、張力をかなり手加減していることが、ありありと分かる。大人たちの何人かは、手を叩きながらもその顔は苦笑に近い。彼らも気付いているのだろう、タムがどういう男であるのかを。

 

 その日は、夜まで宴が続いた。普段は見ないような色とりどりのメニューが並び、大人も子どもも盛り上がった。この時を毎年楽しみにしてきたジャグルでも、今回だけは楽しめる気がしなかった。楽しそうに騒ぐ人々を見れば見るほど、疎外感に苛まれていく。タムは、一昨日女の館へ一緒に行った男と意気投合していたようだ。嫌なタッグだ、と思った。

 気付けばレガの姿がない。何処へ行ったのかと、ジャグルは探した。

「おーっす、ジャグル、やってるかー」

 ラッシュが肩を乱暴に組んでくる。酒に酔っているらしい。

「痛いって。それより、レガ知らない?」

「レガ? あいつなら、さっき部屋に戻ってったよ」

「ありがとう」

「おー」

 ラッシュは返す。

「……離してくれないかな」

「やだね」

 ジャグルは顔をひくつかせた。

「さては酔っ払ってるな。離してくれよ」

 左右に揺さぶってみたが、ラッシュは一向に離れようとしない。

「ん? ジャグル、お前って……」

 ラッシュが何かに気付きかけた気がした。ジャグルは慌てて遮る。

「そ、それよりさ、ラッシュは明日行くの?」

 少しの沈黙があった。一瞬、何のことか解らなかったらしい。

「あぁ、あれのこと」

 それに察しがついた途端、明らかに不機嫌になるのが分かった。失言だったか、と思ったが、ジャグルの肩に顔をうずめて、大げさに泣く真似をしてみせた。

「なーんで俺を選んでくれないかなぁ、まったくよぉ」

 酷く恨めしそうな声で、そう言った。

「確かにさ、レガとかの方がよっぽど術の扱いは上手いけどさ。俺だって頑張ってるはずなんだけどなぁ」

「……そう?」

「いやー俺は頑張ってるはずなんだよ。俺はさぁ」

 少し軽薄なその態度のせいじゃないだろうか。酒に飲まれたり、街の娘にうつつを抜かしたり。普段の行いが見られているんじゃないかと思ったが、心に留めた。それにしても、酒癖が悪い。今日の祭りでラッシュの絡みの犠牲になったのは、ジャグルで三人目だった。何とか関わらずにいこうと思っていたのだが、油断した。

「んじゃ、そろそろレガ探してくるね」

「おー」

 すっかり意気消沈したラッシュを置いて、ジャグルはそそくさと立ち去った。どうも、彼は他の連中とは違った意味で苦手だ。

 

「レガ」

 自室を訪ねてみると、彼はいた。剣を磨いていたらしい。

「ジャグルか」

「そんな剣、あったっけ?」

「この集落の三つの隠し倉庫の一つ、魔具庫。その中にある宝物だよ」

「隠し倉庫?」

 ジャグルは首を傾げた。そんなものは、聞いたことがない。

「あぁ。一族の中でも、ほんの一部の人間しか知らない部屋さ。貴重な物が納められている」

「へぇ」

 何だか恐れ多くて、詳しく尋ねるのははばかられる。

「……明日から、なんだよな」

 ジャグルは拳を握り締める。

「頑張って、倒してきてくれよ」

「もちろん」

 レガは笑う。

「一つ、まじないをかけてみようか」

 唐突に、そんなことを言い始めたレガ。

「倉庫は三つ。一つは術力を加えることで力が大幅に増す魔具庫、一つは古の術の記された本が眠る書庫、もう一つは……まぁいいや。二つのうち、どっちか好きな方の場所を教えてあげよう」

「え、いいの!?」

 ジャグルは思わず身を乗り出した。

「そんな大事な秘密……」

「いいんだよ。それくらい。いつかお前も知っとかなきゃいけないんだし」

 そう言って、いたずらっぽく笑うレガ。

「じゃあさ、じゃあさ、すぐ倒して来いよ。絶対だからな」

 レガは大げさに剣を片手で掲げて、ジャグルに応えた。

「なんだよ、それ」

 ジャグルは笑った。

 そんな小さなやり取りの一つが、楽しくて仕方がなかった。レガと一緒なら、いつまでも笑っていられる。こんな穏やかな時間が、いつまでも続けばいいと思った。

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