飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#2 火矢を放つ-10-

 十五人の男が、ハイラの森を歩いていた。

 各々が武器を持ち、常に周囲に神経を張り巡らせる。この森に潜む強大な獣を倒すために。見つけた瞬間、いつでも戦えるように身構える。集落から南東方向、歩いて二十分ほどの距離。昨日人食いの発見された場所だ。恐らく、ここからかなり近い位置にいる。

 

 ジャグルは魔具庫の武器を取らなかった。術力を込める方法は多少会得しているものの、自信がなかった。「術の一つも覚えられない奴には、どうせ使えるはずがない」。周りのあざ笑う声が聞こえてくるようで、躊躇ってしまった。結局手に掴んだのは、いつも使っている木製の矢だった。自分にはこれが一番なんだと必死に言い聞かせる。

「お前、結局それしか使えないんだろ」

 実際のところ、タムには嫌味を言われた。彼はうっすらと緑色にきらめく剣を持って、にやにやと笑う。今度ばかりは図星で、何も言い返せず、目を合わすことも出来なかった。きっと彼なら、これを使いこなすだろう。ジャグルは魔具庫から逃げるように立ち去った。

 いつだって、戦うときは一人だ。仲間などいらない。ジャグルはそううそぶいた。

 そのとき、ドドの物憂げな顔が浮かんだ。

「本当に誰もが仇を取りたいと思っているのだろうか?」

 彼はそうジャグルに問いかけた。あの時自分は、全員の力を合わせれば、と言った。それはきっと、果てしなく困難な道のりなのだと気付いた。何より自分自身が、他人の協力を得ようとなんて最初から思ってなかったのだ。できることなら自らの手で、レガを殺した獣を仕留めたい。本当は他の奴らの手柄になど、させたくないのだ。

 

 二十数本ある矢のうちの一つを強く握りしめる。どこからでも来い。見つけた瞬間、その額をぶち抜いてやる。心の中でそう呟いた。虚勢に等しいことは分かっている。足は震え、手からは汗が止まらない。それを必死で止めるために、呪文のように決意の言葉を唱え続けた。見上げれば、空がいやに低い気がする。自分たちの足音だけが小さく反響する。その外側は、完全な闇であるようにさえ思えた。何があるのか分からない、そんな不確定な世界から恐怖はやってくるのだと思った。だからこそ目に見えるものだけを信じ、前だけを見る。

 先頭を歩く集団が足を止めた。手を伸ばして、進軍を制する。そして、姿勢を低くするように合図を出した。緊張感が走る。

 全員が顔を寄せ合う。

「右斜め前のあの木の根元に、二匹いる。奴らだ」

 リーダーは呟いた。

「では、事前の打ち合わせ通り、四方八方を取り囲む方法でいこう」

「了解」

 姿勢を低くしたまま、全員が持ち場につく。矢や術で遠距離射撃を行い、疲弊したところで近距離戦にもつれこむ寸法だ。矢を担当するジャグルは、前半戦を担当する。一応剣も持っているが、恐らく出番はないだろう。剣を扱うのは、自分以外の誰かでいい。

 

 草の陰から顔を出し、寝そべった標的の顔を拝む。いるのは二匹。水色の獣と、黄色い獣。犬よりは大きいが、狼よりは小さい。それぞれ、およそ自然のものとは思えないほど鮮やかな体色をしていた。人食いの多くに見られる特徴である。自然の獣は己の姿を草木や土に溶け込ませようとするが、彼らはまるでその逆をゆく。そんなことだから、奴らが人食いであることはジャグルの目にもすぐに分かった。水色の方は背中と首周りに魚のひれのようなものがついており、黄色の方は全身の毛が針のように尖っていた。

 水色の方が大きなあくびをして、体を伸ばす。そして、おもむろに会話を始めた。

「ねぇサンダース。ブースターの食べたニンゲンって、そんなにおいしかったのかなぁ」

 水色の獣が口を開いた。

「どうなんだろうな。おれが食べたわけじゃないし、わかんないな」

「ブースター、ずっとおいしかったって言ってるじゃん。あれ、きっと本当においしかったんだよ。ちょっとうっとうしくなっちゃうくらいだけど。どれくらいおいしかったのか、そこまで言われると気になっちゃうよね」

「ちょっとくらい、味見させてくれてもよかったのにな。なぁ、シャワーズ」

「うん。ブースター、ちょっとケチ」

「まったくなー」

 黄色い方はサンダース、水色の方はシャワーズと言うらしい。二匹は無邪気に喋り続ける。

「ねぇサンダース。これからどうしよっか」

「そうだなぁ。ここらへんのどっかにニンゲンがいっぱいいるのは分かるんだけど。どこにいるのかは分かんないし」

「おいしいニンゲンとそんなにおいしくないニンゲンっているけど、ここにいるのはどっちかなぁ」

 シャワーズはうっとりとしながら呟き、サンダースはうんうん、と同意を示す。

「ここにいるのは多分おいしいやつだな。うん、きっとそうだ。ニンゲンのくせにおれたちみたいな力を使えるみたいだし」

「ジュツリョクってやつ? あぁ、いるね。前もどっかで会ったことあるけど、おいしかったの覚えてるよ。でも、守りも固いからむずかしいんだよね。ここのやつらも、結界張ってるのかな」

「たぶん。すごくじょーうずに隠してるんだろうな」

「やっぱりかぁ。ちぇ。ブースターの食べたやつみたいなのが、他にもいるかもしれないのに。めんどくさいなぁ、あれを解くの」

「まぁまぁ、動いた後なら何でもうまいってことで」

「でも、やっぱりどんな味かはみておきたいよね。本気出してマズかったら、動き損だし」

 人間には、味のいいものとそうでないものがいる、ということだろうか。なんと残酷な連中だろう。ジャグルはじっと耳を傾ける。矢に込められていく術力の熱を、必死で抑えながら。

「じゃあ、そうだな、せっかくここまで来たんだし」

 サンダースは少しためてから言う。

 

「……今周りにいる奴らで試し食い、ってのはどうだろう」

 

 隠れていたタルト全員に、戦慄が走った。サンダースがぐるりと辺りを見渡す。圧倒的な力で獲物を押さえ込もうとする獣の視線が、全員の心臓を射抜いた。

「弓矢、撃てぇぇ!」

 ジャグルの身体がすくみ切るより早く、リーダーが声を張り上げた。ジャグルははっと我に返る。すかさず立ち上がり、他の弓師とともに一斉に火矢を放った。

 標的までの距離、歩数にしてわずか十歩。ただの矢と遜色ない速度、むしろ構える時間を必要としない分よけいに速い術力の矢を、避けることは難しい。事前に軌道を予測するのならまだしも、放たれてから反応するのは恐らく不可能だろう。

 だが、ジャグルが見たのはその予想を覆す結果だった。一瞬の出来事を、ジャグルは常時の何倍もの時間の密度となって体感した。

 サンダースと呼ばれた方が動き出したのは、明らかに全員が矢を放ってからだった。

「ごぉ、ろく、しち、はち……きゅー、じゅー、じゅーいち、……」

 獣の敏捷性を越えている、とジャグルは思った。四つの足で踊るように、軽やかに動くサンダース。あまりの速さに、黄色い残像だけしか見えない。

「にじゅなな、にじゅはち。あれ、もう終わり?」

 サンダースはその脚を止める。弓矢隊の顔を一人一人眺め回すと、うっすらと微笑んだように見えた。楽しそうに、壊れやすい玩具で遊ぶように。品定めをするように。

「十人はいるっぽいね。うひょお」

 サンダースは興奮気味に語る。

 不意に、まるで別の方向から声が聞こえる。

「ねー、サンダース。こんなもんでいいの」

 黄色い獣に気を取られ、いつの間にか水色の獣の姿が見えなくなっていたことを思い出した。

「おい、後ろ!」

 剣使いの一人が慌てて叫んだ。振り返ると、そこにあったのは木ではなく、銀色の壁だった。壁がぐるりと周囲を囲って、木々の高さまで伸びている。どうやら、細かい泡で出来ているらしい。

「閉じこめられた……!」

「くそっ、こんなもの」

 一人が剣で払ってみたが、まるで手応えがない。素手で触ってみようとしたが、勢いよく弾かれる。

「ただの泡ではないらしいな」

 泡を振り払って告げた。

「攻めるぞ。逃げる道理はない」

 剣を持った奴らが一斉に切りかかる。それを見たサンダースは、勢いよく、嬉しそうに先頭の男に飛びかかる。ずがぁん、と言う男と同時に、男の体が横に吹き飛んだ。イカズチだ、と辛うじて判断できた。

 全員が一瞬怯んだ。その後、我に返ったリーダーが檄を飛ばす。

「気をつけろ。奴は強力な術を使う」

「分かってる」

 次の剣が、サンダースに襲いかかる。

「うひょー」

 サンダースは男の横を走り抜けた。初速が速いのだ、とジャグルは気付いた。走り出すときの踏み込む動作を一切せず、まるでイカヅチのようにこの獣は走り出せるのだ。男は見失い、剣を構えたまま停止する。そして、いつの間にか後ろに回り込んだサンダースは、全身の毛を針のように飛ばし、男の背中一面を刺し尽くした。男は叫び声を上げて倒れた。

 

 何人かは、シャワーズを斬りにかかった。サンダースに比べて、こちらの獣は動作が緩やかなように思えた。

「はぁっ」

 剣を前に突き出すと、何の抵抗もなく水色の身体を貫通した。だが、獣はその瞳の色を失わない。ぐずぐずと体が水のように溶けていき、見えなくなった。何が起こったのか、瞬時に判断出来る者はいなかった。彼の横から水が浮き上がり、シャワーズの形が出来上がる。そして、その口から、大量の泡を吹き付けた。身体に触れると大きく弾け、その皮膚を衝撃と摩擦で焼いた。背後の壁も、この泡によるものだ。泡を吐く力、水のように溶ける力。それがこの獣の能力か。

 剣の戦いの中に、機を見て火矢を放つ。ジャグルの役割は、ひどく自身を落ち着かせた。冷静に、敵の能力について分析と考察を重ねている。だが、見れば見るほど、心の中に、絶望が広がっていった。

 勝てない。

 一度挑んだ戦いだ。奴らも我々を狩りつくすまで離しはしないだろう。攻めれば死ぬ。逃げても死ぬ。何も出来ず、その場にただただ立ち尽くす。

「ぐあっ」

 サンダースがまた一人、戦士を戦闘不能に追いやった。獣の走りは徐々に速度を上げ、最早遠目からも追うことができないほど速くなっていた。黄色い帯状の何かが、空間を通り抜けるだけにしか見えず、手に負えない。

「つっ」

 避けられない理由がもう一つある。ふよふよと周囲を漂い、触れると強烈な衝撃を与えながら割れる、シャワーズの吐き出した泡だ。不規則な動きを繰り返し、サンダースの動きに意識を奪われているうちに、そっと背中に近付き不意を突く。

 まさに、絶妙のコンビネーションだった。奴らの仕掛けた「罠」に、我々は確実にはまりかけている。まるで、砂地獄に落ちた蟻のように。

--こいつらに、戦いを挑むのは、間違いだったんだ。力の差が、ありすぎる。

 最早逃げ場はないのだという予感。確実な終わりの気配。そして、後悔。様々な思いが、ジャグルの背中を突き刺し、首をじわりじわりと絞めていくようだった。

 

 そのとき、誰かが腕を掴んだ。振り返ると、ドドの顔があった。

 驚いて、何か口に出そうとしたが、彼は人差し指を唇に当てて制した。ジャグルが理解を示すと、彼はうっすらと笑った。

「行こう、ジャグル。今が好機だ」

「好機って、なんの」

 ドドは、場違いなほど落ち着き払っているように見えた。ジャグルはますます困惑した。

「君にしかできない、君の一番したいことをする好機さ。さあ、しゃがんで。草の陰に頭が隠れるように」

 ジャグルは彼の言葉におずおずと従う。戦いの混乱の中に、身を隠すかのように。

 その姿勢のまま、シャワーズの作り出した泡の壁に駆け寄る。そして、手の杖で泡を突つくと、泡は驚くほどきれいに弾けて消えた。ぽっかりと開いた穴に、奥の景色がのぞいて見えた。

 人が一人、低姿勢で抜けられるほどの高さ。ドドはするりと外に出た。穴の向こう側から、手招きが見える。いぅたい何だと言うのだろう。自分にしか出来ないこととは、何なのだろう。

 ためらいながら、ジャグルも後を追った。

 

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