飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#2 火矢を放つ-11-

 泡の外に出ると、今までの戦いの喧騒が嘘のように消え去った。火矢の炎による熱もどうやらここまでは届かないらしい。

「さあ、急ごう。他の誰かに気付かれる前に」

 ドドはジャグルを促した。

「勝手に抜け出して、後で怒られないかな」

 ジャグルの心配に、

「その時の為に、俺がいる」

 とドドは笑った。こいつは、何だかレガに似ているなと、ふと思った。思わず微笑みそうになり、慌ててわざと顔を強ばらせる。こういう期待は、往々にして裏切られるのが世の常だ。火矢を放てば楽になれるかと思えばより困難な状況に直面し、生きて帰るかと思ったレガはもういない。いつだって、悪いことは自分の思考の外側から訪れる。ジャグルにはまだ、そう考えるしかできないほど幼い。

「余計な心配は、止めておく」

 ジャグルは表情を作らずに答えた。真っ直ぐに、前だけを見据えた。

「よし。では、行こう」

 二人は足早に、泡の壁から立ち去った。少し進んでから、ジャグルは問う。

「そう言えば、どうしてこんなことをしているのか、まだちゃんと聞いてないな。教えてくれ。おれ達はどこへ向かっている」

「三体目の人食いのところだ」

 ドドは答える。ジャグルははっとした。三体目。その言葉が、ここ数日の記憶を一つに繋げていく。

「敵は複数。少なくとも、三体以上」

「そう」

 ドドがタルトの集落に到着した日。彼がタルトの男たちに語った仮説だ。あの時はばかなと思ったが、現に本当に人食いが仲良く一緒に戦う姿を両の目で見ている。

 そしてサンダースとシャワーズの会話からも推察されるもう一体の獣の存在。確か、ブースターと呼ばれていた人食い。

 三体目は確実に近くにいる。

 

 その確信を得た瞬間、二人は三体目の存在に気付いた。

 幼い子のような声が聞こえた。耳を澄ませるよう、ドドはジャグルに促した。足音を殺して、その声に集中する。よく聞くと、ぶつぶつと何か同じ言葉を呟き続けているらしいことが分かった。

「おいしかったなぁ。うん、あれはとってもおいしかった」

 居場所は既にはっきりとしている。腰をかがめて身を隠しつつ、さっと声の主に忍び寄る。そして、声の主の姿を視界に捉えた。なんとまぁ、他の二匹にも劣らぬ、鮮やかな体をしているではないか。その姿を見た瞬間、いてもたってもいられなくなった。

「おい」

 ジャグルは立ち上がり、己の姿をさらした。草の擦れる音がして、獣は顔を向けた。ジャグルの立ち上がりはあまりにも自然かつ唐突で、ドドが咎める隙もなかった。描いていた作戦を変更し、己の身を隠しながら、成り行きを見守ることにした。ジャグルがどうするのか、興味があった。

「あれ? ニンゲンか?」

 ジャグルはじっと獣の顔を見つめる。灼熱の黄色い尾と焔のような赤い身体を持つ獣だった。おっとりとした口調で、獣は黒い瞳を向ける。人語を話すと言うことは、こいつが三体目で間違いないと確信した。

 指先で軽く矢に触れる。だがまだ取らない。やり合う前に聞かなければいけないことがある。ジャグルは目を逸らさぬまま、三、四歩獣に歩み寄った。ジャグルの背中からは、猛烈な気迫が発せられていることをドドは察した。迂闊に声をかけることさえはばかられる、底知れぬ威圧感だった。

「お前、人食いだな」

 ジャグルは脅すように言い放つ。

「そうだよ」

 当たり前だと言わんばかりの、あっけらかんとした返事だった。ジャグルは続ける。

「一週間前、七人組の人間がお前たちと戦っただろう。その一人が、帰ってこないんだ。その人は、レガは、食われたんだ。それはお前のしわざか」

「うん」

 それは、あまりに無邪気な一言だった。

「おいしかったよ」

 人食いとして、当然とも言える反応。

「そうか」

 ジャグルは呟いた。その瞬間、ドドはジャグルの異変に気付いた。周囲の温度が上昇している。ジャグルの発する気迫が更に熱を増し、周囲の空気にまで影響を及ぼし始めた。

 ふふふ、という、低い笑い声をジャグルは聞いた。それが自分のものであると気付いたのは、再び息を吸い込んでからのことだった。

「お前か」

 矢がジャグルの手に吸い付いた。

「お前がやったのかぁぁぁァァ!!」

 凄まじい怒号とともに、ジャグルは火矢を放った。ありったけの術力。最大の張力と、最大の熱を矢に込めた。

 一歩引いた場所にいるドドにも、矢の熱はありありと伝わった。火山の中の、あらゆるものを溶かそうとする煮えたぎったマグマ。あるいは、あらゆるものをカラカラに干からびさせんとする太陽の灼熱。これがジャグルの本来持っている力なのだと、ドドは確信した。他の術師を遥かに凌ぐほどの術力を、少年はその体内に宿していたのだ。

 ジャグルは矢を放った。音よりも早く、誰にも気付けない速度で、獣の身体を貫こうと飛んでいく。当たれ、と強く願った。空気を切り裂き、ただ獣を殺すためだけに込められた力で。

 だが、矢は獣まで届かなかった。獣の手前で燃え尽き、炭と化して消えた。あまりの高温に、木製の矢が耐え切れなかったのである。

 くそっ。

 ジャグルは歯を食いしばり、二発目を放つ。一発目よりも、更に強い力を込めて。こうなればもうやけくそだった。またしても、獣の手前で矢は消滅した。

 くそっ。くそっ。

 更に繰り返す。くそっ。お前なんか、俺が倒してやる。殺してやる。お前のせいで、レガが死んだんだ。おれがお前に、レガと同じ苦しみを味わわせてやる。知らず知らずのうちに目から涙が溢れ、頬を伝い、自分の出した熱ですぐに乾いた。

 矢が燃え尽きることを知ってか知らずか、獣はまるで避ける気配を見せなかった。ジャグルは我を忘れてひたすら射撃を繰り返したが、次第に疲労の色が強くなっていった。五発目を放つ頃には、既に標的に狙いを定めることさえまともにできなくなっていた。

「お前なんか……お前なんか……」

 周囲に籠もった熱気と疲労で、既に声も掠れていた。八発目を放つと、逆に術力が弱まったお陰で矢は燃え尽きずに届いたが、その炎は渦を巻くように獣の身体に吸収されていき、矢も弾かれた。

 ブースターは舌を出して、苦い顔をする。

「うげ。この炎、あんまりおいしくないね。前食べたニンゲンの方がおいしかったなぁ、うん。おいしかった。君もあれくらいおいしいのかな? お口なおし、させてちょーだいっ」

 そう言うと、獣は口から火球を放った。

「……」

 もはや、何かを言い返す喉も、避ける気力もなかった。その場に崩れ落ち、羽虫を潰されるように死を待っている自分がいた。

 ずがぁん、と大きな音が響いた。直撃したかと思ったが、身体には熱もダメージもない。顔を上げると、黒い服の男の姿がそこにあった。ドドが、ジャグルの前に立っていた。

 ドドは杖を横に持ち、獣の頭部を模した先端を火の塊にぶつける。杖がその熱と光を吸収していく。まるで、さっき人食いが炎を食ったときのように。

「残念だが、こいつを食ってもうまくはないだろう。もちろん、俺の身体も。他の人間だってそうさ。お前はもう、うまい人間には出会えないんだよ。ブースター」

 何か知らないことを言っている、と思った。だが、疲弊して彼の言葉の意味を考えることが出来ない。言葉と共に、ドドはその杖の先端をブースターに向ける。ブースターは無言で踵を返し、森の奥に消えた。

 

「ふぅ」

 ドドはため息をつき、杖を下ろした。そしてしゃがみ崩れ落ちたジャグルに顔を近づけ、いきなり頭を殴った。いきなり不意を突かれ、痛みが後からやってきた。何があったのかようやく理解すると、彼に対する怒りがこみ上げてきた。

「痛いな。何するんだよ」

「目は覚めたか」

 彼は一言一言、切るように喋った。彼の言葉には一切の怒りも、呆れも見られかった。心の動きの細かいところまで見透かして、自分の声を聞き入れられる時まで待ち、やっと諭す時が来た、そんな口調だった。

「……うん」

 ジャグルは俯いた。激しく怒り狂い、術力を放出し尽くした空っぽになった身体には、彼の言わんとしていることがすっと入ってくるようだ。

 ドドは、ジャグルに木で出来た筒を手渡した。中には水が入っている。

「飲むといい。体力を取り戻せるよう、まじないをかけてある」

 ジャグルは言われるがままに、中の水分を一気に飲み干した。少し甘くて、体の隅々までに染み渡るようだった。体に力が戻っていく。熱された体も、優しく冷やされていった。

「ごめん。頭、冷えたよ。もう大丈夫」

 ジャグルは深く息を吐いた。悔しいけど、認めるしかない。自分は、戦い方を知らない。矢を放つ技術があっても、それを敵に当てる冷静さを持ち続ける精神もなければ、確実に敵を追い込む術も持っていない。

 おれは、ばかだ。

「教えてくれ。どうやったら、あいつを倒せる。おれは、あいつを、倒したいんだ」

 ジャグルは目を瞑った。これが自分の偽らざる本心だった。心をさらけ出すことは、言い訳出来ないということでもある。否定されたらと思うと怖かった。ドドの目を見ることが出来ない。

「教えるよ」

 ドドは言った。

「君と俺の、全てを使って奴を倒そう。策はある」

 ふっとドドは微笑んだ。

 胸の内から、熱いものが込み上がってくるのを感じた。彼は、自分の一番してほしいことを分かってくれた。自分の気持ちを丸ごと受け入れてくれることが、こんなにも嬉しいことだなんて知らなかった。涙がこぼれそうになったが、見せるのが恥ずかしくて顔を背けた。そのまま、前に進まんとばかりに立ち上がった。

「まず、何をすればいいんだ」

 涙声になっていないか心配だったが、ドドは何も言わなかった。

「やつを追いかけよう。そう遠くへは行ってないはずだ」

 振り返ることなく、ジャグルは頷いた。

 草木を焦がす渇いた熱がさぁっと引いて、空が開けた。

 

 

 

 

 「俺に何かあったら、あの子を頼むよ」。

 ジャグルの後ろ姿を眺めながら、ドドはふと、かつての友人の言葉を思い出した。

 果たして告げるべきだろうか。火矢を放った途端、ジャグルの姿がまるで別のものに変わってしまったことを。

 いや、と首を振る。まだその時ではない。この戦いは綱渡りの連続なのだ。ジャグルの動揺を誘うことは、しない方がいい。

 

 その判断が果たして正しかったのかどうか、この時点ではまだ誰にも判らない。

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