飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#3 Vanishing Point-5-

 ジャグルはキュウに言われた通り、じゅうたんの下を覗いた。地面には四角く縁取られた部分があり、取っ手が付いて取れるようになっていた。それを丁寧に取り外し、地下をのぞき込む。

「さすがに真っ暗だな」

 何も見えず、広さも深さも分からない。壁に取り付けられたはしごが闇の中に吸い込まれている。ジャグルはキュウを手にして、慎重にはしごを降りていく。

 段数は八、九段といったところか。手を伸ばして飛び上がれば、ぎりぎり天井に付くというくらいの高さだ。暗室特有の湿気や、かび臭さというのは殆どない。その代わり、部屋全体を包む術力が感じられる。

 明かりの代わりとして、指先に火を灯す。ぼんやりと部屋全体が浮かび上がり、物の位置が把握できた。広さは人一人がやや余裕をもって横になれる程度で、およそ真上の部屋の半分だ。正面には四段の棚があり、それぞれに木箱が入っている。右手には作業用の細い棚が取り付けられている。家具の作りはどれも単純だが、どことなく繊細さを感じさせる。

「ここにあるものは全部ドドの手作りさ。木の切り出しから中での組立てまで、全て一人でやっちまったぜ」

「そうなのか。すごいな」

 ジャグルは空いた方の手で、棚を撫でる。表面はしっかりと磨かれ、ニスは濡れたような艷を演出している。節も少なく、まるで本職の大工が作ったかのような出来ばえだった。

「それで、お目当てのものは」

「ここ」

 杖がひとりでに伸び、奥の棚の一番上の箱を示した。

 ジャグルはそれを引っ張り出すと、机の上に置く。

「これがそうなのか」

 上半分が赤、下半分が白く塗られた不思議な球体が、箱いっぱいに入っていた。

「そう。ドドが作り出した封印玉。中にどんな奴が入っているか、うっすら透けて見えるぜ。覗いてみろよ。但し、触っちゃ駄目だぜ。迂闊に触ると開くかもしれないからな」

 ジャグルは頷き、恐る恐る顔を近づける。

 白い鳥のような羽の生えた薄黄色の土蛇、トサカが鎌のように前に伸びた大鷲、植物の蔦が絡み合って出来た塊。その他にも、様々な姿の生き物が閉じこめられている。

「ここ二年でこれだけだ。あの手この手で封じ込めてきたが、年々人食いの数が増えてきてね。あいつも困っていたよ」

「二年でこの数だって? しかも一人で?」

 ジャグルは驚いた。人食いは、巡り会おうと思ってもなかなか会えるものではない。通常ならば、タルトのまじない師があちこちに遠征に出かけて、年に十匹行くかどうかだと聞いている。この年は少し多い傾向にあるらしかったが、ジャグル自身大人の仲間入りをしてから出会った人食いでさえ、ムシャーナとブースター達だけであった。

「ドドが言ってたが、最近は人食いの動きが活発になってるらしいからな。増えてあぶれた人食いがいつ人間の街を襲うか分からないって言って、ちょくちょく人食い狩りに出かけるんだ」

「それでこの数か。でも、この数はさすがに変だ。何か理由でもあるんだろうか」

「さあてねえ」

 キュウはとぼけたように笑う。ただはぐらかしているだけなのか、本当に知らないのか。

 状況の異様さに不信感はあったが、それでもドドの術師としての技量には感服せざるを得なかった。これだけの人食いを手込めにする手腕。術に対する応用力。どれも集落に居たままでは決して得られなかった発想が、彼の中には溢れている。自分との違いを思い知らされ、また、もっと彼を知りたいという気持ちが沸き上がる。

「よし」

 一つ膝を打つと、箱を棚に戻して地下室を後にした。

 

 杖を机に立てかけて、ベッドを椅子代わりに腰掛けると、キュウは尋ねる。 

「どうだい、封印玉を見た感想は」

「すごいな。何が違うのか分からないくらい、自分とはかけ離れてる」

 ジャグルは素直に、思ったことを口にした。

「玉を作る技術についてもそうだけど、あの地下室も凄い。柱とか梁が一本も入ってなかった。あれ、ドドがまじないで崩れないように留めてるんだろう。何年も、何十年も、ともすればずうっと先まで効果が残っていなくちゃいけない術だ。おれ、一年間何も出来なかったけど、いろんなまじないを見てきたから分かる。あのまじないは、並の術師だったらかける気にならない。疲れるだけだからだ。軽々と使えてしまうってことは、それだけ身体に術力が満ちているってことだ。正直、無尽蔵なんじゃないかって思うよ。ブースターと戦った時もそうだけど」

 ふと、キュウに目線を合わせる。何かおかしいと思ったら、よく喋るはずの杖がやけに静かだった。

「おれ、何か変なこと言ったかな」

「い、いや」

 キュウの声は、妙に戸惑っている。

「おまえって、結構喋るんだな」

「そうかな」

 そうかもしれない、と思った。

「大体いつもしょんぼりして、黙りこくったままその場をやり過ごすような陰気な奴だと思ったんだがねぇ」

 心当たりがないわけではない。生まれてこの方、喜んだり激昂したりなんてしたくても出来なかったのだ。ジャグルは苦笑する。

「自分で使うことはできなかったけれど、ずっとまじないのことばかりを考えて生きてきたから」

「女っ気がないね」

 キュウはけたけたと笑う。

「まあね」

 ジャグルはそう切り返し、苦笑した。

 

 その夜遅く。月がこうこうと輝く頃。

 ジャグルは眠りと覚醒の間をさまよっていた。昨日は十分過ぎるほど眠ったし、栄養のあるスープもたらふく飲んだ。身体の調子は非常に良い。だがそれでも、落ち着かない気持ちだった。ドド・タルトという男の過去、そして高度なまじないを目の当たりにして、どうやっても興奮が冷めなかった。

 世の中には、まだまだ自分の知らないまじないが溢れている。様々なまじない師に出会ってきたというドドが、少し羨ましかった。

 諦めて、身体を起こした。僅かな月明かりを頼りにキュウの姿を見つける。元々動かないので、起きているのかどうかは分からなかった。耳を澄ませてみる。とても静かな夜だ。タルトの子どもはみな一つの部屋で眠るので、誰かがいびきをかいたり寝言を言ったり騒がしかった。今は寝息すら立てない人食いと二人きりである。悪くないな、と思った。もう少しこの静寂を楽しんだら今度こそ眠ろう。そんなことを考えながら、そっと部屋を抜け出した。

 月の光が差し込んで、ぼんやりと表の部屋を照らし出す。鍋の中を確認してみると、中身はやはり温かいままだった。野菜の甘みが香りになって鼻をくすぐり、夜食の一杯をいただくことに決めた。お玉を鍋に突っ込むと、奇妙な違和感があった。夕方に結構飲んだはずなのに、中身がまるで減っていないのだ。この鍋にかけられた術は、温度を保つなんてものではない。鍋の中身そのものを永遠に保つものなのだ。ジャグルは思わず身震いした。なんて事だ。こんなに凄いまじないがあるなんて。更なる興奮で、もっと眠れなくなりそうだった。

 その時だった。

 コツン、コツン。

 小さくドアをノックする音が聞こえた。

 こんな夜遅くに何だろうと訝った。今日のところはお引き取り願おうと、立ち去るのを待ってみる。だが、ノックの主はおかまいなしにドアを開けてきた。もしかしたら、ドドが帰って来たのだろうか。いや、それならわざわざ叩く必要もないはずだ。

 その答えは、部屋に立ち入る男の顔が見た瞬間に分かった。そして、それが自分にとってどんな意味を成すのかも。ジャグルは思わず、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。

「そんな、いや、嘘だろ……」

 その男は、ジャグルの姿を認め立ち止まった。頼りがいのある広い肩。若い生気に満ちあふれた顔つき。見たいと思っても叶わなかった。ジャグルが最もよく知る人物の姿が、そこにあった。

「よう、ジャグル」

「レガ!」

 そこに居たのは、死んだはずのレガ・タルトその人だった。

「心配かけたな」

 レガは微笑む。ジャグルの顔も、いつの間にかほころんでいた。

「どうしてここに、いや、なんで」

 うまい言葉が見つからない。話したいことがたくさんありすぎて、何から喋れば良いのか分からない。

「なんで、って何がだい」

「いや、だって」

 いつのまにか溜まっていた涙を拭う。温かいものがこみ上げて、声を出すのが難しくなる。

「あの日、てっきり死んじゃってたのかと思って。ロークからそう聞いていたから」

「別にジャグルだって、俺が死んだところを見たわけじゃないんだろ」

 彼はいたずらっぽく笑う。自分の涙など、知らないようなそぶりで。

「確かにそうだけど、それでも、あんなひどい状態じゃ、もう駄目だって、思うじゃないか。誰だってそう、思うに決まってるだろ、うわああん」

 口を開くうち、堪えきれなくなったものが溢れ出す。みっともないから早く止まれ、と願ったが、止まらなかった。思えばいつも、レガの前では泣いてばかりだ。レガがいなくなってから、少しでも強くなろうとした。人食いへの復讐を誓い、もう泣かないと前を向いてきた。命を捨ててしまう覚悟だって決めた。だが、それも全て、今ここで、何もかもが報われたのだ。そう思った。

「泣くな、ジャグル」

 目を開けて、レガの顔を見上げた。優しげな瞳が自身の瞳を深くのぞき込む。

「うん。ありがとう」

 レガの手が後ろに回された。レガが、自分の大事な人が戻ってきてくれた。なんて幸せな日なのだろう。ジャグルはその身体を抱きしめた。

 彼の温もり、彼のにおい。何もかもが懐かしい。たった数日のことなのに、もう何年も前のことのような気さえする。

「おかえり、レガ」

「ただいま、ジャグル」

「ずっと、ここにいて」

「もちろん。時が許す限りは」

 ふふっ、とジャグルは笑った。

「なんだか、レガっぽくないな」

「何がだい」

「だって、普段そんな口説くようなこと、言わないもの」

 レガの手が、一瞬強ばったような気がした。強く抱きしめたのだと、ジャグルは思った。

「たまには俺だって、そういうことも言うさ」

「あはは。レガはそうでなくっちゃ」

 ジャグルはにいっと笑った。

 ふと、レガはジャグルの髪を指で優しく梳く。

「それにしても、髪伸びたな。あんなに短い間のことだったのに」

「ああ、これか」

 触れられたくはないことだったが、もう隠すことは出来ない。

「実はおれ、レガに言わなきゃいけないことがあるんだ」

 思い出すだけでも、胸が痛くなるが、ぐっと堪える。

「実はおれ、女だったんだ。それで、一族の奴らにもバレて、殺されかけて、逃げてきた」

 レガは何も言わず、次の言葉を待った。

「本当はもう、何もかもどうでもよくなっちゃって、オオカミに食われて死んでしまおうって思ったんだ。だけど、ドドが連れ出してくれた」

「そうか」

 レガはジャグルの頭をくしゃくしゃと回す。

「良かったな。生きてて」

「……うん」

 まだ気持ちの整理はついてはいないけれど、彼の言葉は確かにその通りだと思った。自分が死んでいたら、今レガに会うことだってなかったのだから。ジャグルはもう一度、レガにしがみついた。

「もうちょっとこうしててもいいかな」

「もちろん。ディドル・タルトもいないしな」

 レガは呟き、ジャグルに応えようと彼女の背中に腕を回そうとする。だが言葉とは裏腹にジャグルは抱きしめる腕をほどき、彼の体からそっと離れた。殆ど無意識に行った動作だったが、次第にそれが、蜃気楼のようにそこにあるはずのないものが見えているような、奇妙な違和感であることに気付いた。

「どうしたんだ、ジャグル」

 予想外のジャグルの動きに、レガは困ったような顔を浮かべた。何故だろう。レガの顔を見ることができない。

「レガってドドのこと、そんな風に呼んでたっけな、って思って」

「そんなことはないさ。俺はいつもこんな感じだろう」

「そう、だよな」

 両手を広げ、おどけてみせるレガ。そうして見せる様子は、確かに自分のよく知るレガ・タルトのように見えた。

「そういえばさ、レガってどうやって助かったの。あの日、三匹の人食いを退治しに行って、生きているタルト達を逃がして、自分がおとりになったって聞いてたけど。あんな強い奴らから、どうやって逃げ延びたんだ」

 ジャグルは質問を投げかける。レガは手を顎に当て、考えながら言葉を紡いでいく。

「正直、覚えてないんだ。無我夢中でみんなを助け出そうと思ったから。気がついたら奴らはいなくなっていて、自分は倒れていた。そんなところさ。情けない話だけれど、ただ運が良かっただけなんだ」

「ちぇ。何かいい方法があったら、俺にも教えて欲しかったのになぁ。人食いと戦うときに絶対役に立つのに」

「悪いな。でも、もし仮に知っていたとしても、術一個しか使えないような見習いじゃ、まだまだ使いこなせないんじゃないか?」

 冗談じみた言葉とともに、レガは指で頭を小突こうとする。何かがおかしいと思った。実体と認識の差がぐわりと大きくなり、ますますひどくなる。そしてまた、不自然さの正体が後から追って意識の表面に浮かび上がる。彼の語る言葉は、ジャグルの知る彼の姿と、ほんの少しだが確実に、違っている。

「おれ、術を一つしか使えないなんて話したっけ」

 自分のおでこを小突こうとするレガの腕が、ぴたりと静止した。煙のように捕らえ所のない不安を、実体のある確かな形として作り上げていく。

「そりゃあ、お前はまだまだ見習いだからな。そんなもんだろ」

「タルトの人間は、見習いなんて言葉は使わない。大人と子どもがいるだけだ」

 この男は、レガではない。ジャグルの疑念が確信に変わった。

 彼もそれを察知したのか、すぐさまわざと足音を立てるようにしてジャグルに近づく。あまりの気迫に数歩後ずさる。すぐに、これが失策であることに気がつく。思っていた以上に壁が近く、自分で背中を打ちつけてしまう。その一瞬の隙を突かれ、彼の手がジャグルの腕を壁に押さえつけた。扉の向こうのキュウに助けを求めることは、できそうにない。

「おとなしくしてくれるかな、ジャグル・タルト」

 ジャグルは男の顔を見上げた。笑みを浮かべているようにも見えるが、まるで人間から人格や相というものの一切を取り払ったかのように平たく映る。もはやレガの面影など、どこにもなかった。

「お前、何者だ」

「そう、そうやって口を開けてくれているのがいい」

 男は質問には答えず、代わりにジャグルの口の中にその腕を突っ込んだ。口の中で腕は形を変え、ドロドロとしたものに変わった。これがこの男の正体なのだと思った。そして腕は有無を言わさずジャグルの口内へと潜り込んでいった。口の中を覆い尽くし、喉の奥へと落ちていき、胃袋の中を埋め尽くす。

 くそっ。口を閉じることさえできないまま、ジャグルは涙を流した。息が吸えず、身体から力が抜けていく。頭の回転も鈍りつつある。

「お前が生きていてよかったよ。弱いまじない師がこの家にのこのこやってきてくれたおかげで、とんだご馳走にありつけるってもんだ」

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