飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#3 Vanishing Point-7-

 次の日になり、身支度を整えると、ドドは一緒に出かけようと提案した。どこへ行くんだ、と聞くと、

「条件について、さ」

 と短い返事が返ってきた。

「驚くかもしれないが、怖じ気付くなよ」

 奇妙な前置きに、いったいどんなことが待っているのだろうと心がざわついた。だが、ここに住ませてもらう以上は、どんなことでも受け入れなければ、と言い聞かせる。

「分かった」

 ジャグルは頷いた。

「よし、じゃあ出かけよう」

 ドドは家の扉を開いた。ジャグルもその後に続く。

 外はよく晴れていた。わた雲が穏やかに流れていて、気持ちの良い陽気だった。表通りに出ると、日差しも相まって暖かい空気が全身を包んだ。

「はぐれないように」

 ドドは人通りの間をするすると抜けていく。あまりに器用に通るので、体が少し薄くなってしまったのではないかと疑った。

 やがて通りを抜けると、金属で出来た門の前に辿り着いた。その景色を見て、ジャグルはドドの目的地を察した。彼女にとっても、見覚えのある場所だった。

「もしかして、ここって」

「そう。クラウディア夫人のお屋敷だ。君も来たことがあるだろう」

「もちろん覚えている、けど」

 初めての遠征のとき、レガに連れられてきた場所だ。ここで初めてドドに会い、そして苦い経験をした。

「……ちょっとなぁ」

 ジャグルは顔を歪ませる。高貴な雰囲気に気圧されて、屋敷の一人娘のお嬢様に無言で睨まれた時の記憶は、今でも鮮烈に残っている。あまりに冷たく、卑しいものを見るような瞳。それ以来、貴族というものに苦手意識を抱いていた。遠征でも、そういう者を相手にするような状況は出来るだけ避けて通ろうとしたものだ。

「おれ、大丈夫かな。服も糸が解れてるところがあるし、髪もざっくばらんだし、こんな立派なところに来れるような格好じゃないよ」

「そんなに悪くは見えないさ。俺にしっかりついてくること、恥ずかしがらずに堂々と振る舞うこと。それさえ覚えておけば大丈夫」

 本当に大丈夫、なのだろうか。ジャグルは首を傾げる。

 丁度その時、門の向こう側から近づいてくる姿があった。初老の男だ。彼に会ったことがあるかどうかまでは、覚えていない。

「ディドル・タルト様ですね。お待ちしておりました。さあ、さあ。こちらへ」

 手で順路を指し示すと同時に、ジャグルの姿を認め、微笑みを浮かべた。

「あなたがジャグル・タルト様ですね。お待ちしておりましたよ」

 突然の言葉に、思わずまごついてしまった。自分のことを知っているのかもしれないし、ドドが話したことでちょっとした噂になっているのかもしれない。その言葉の意味するところを聞いてみたい気もしたが、何となくためらわれた。

 雑木林を抜けると、丘の上に大きな白い建物の背中が見えた。広大な庭を横切って、屋敷の表玄関へと向かう。屋敷と大きな門を繋ぐ石畳は荘厳で、思わず見入ってしまった。前に来たときは、この美しさにさえ気付かなかった。

「ジャグル」

「あ、うん、ごめん」

 名前を呼ばれて、置いて行かれそうになったことに気付く。

 

 大広間に通されると、さすがに全身を襲う緊張は止められなかった。手がじんわりと汗ばみ、顔が強ばる。

 男は近くにいた侍女に耳打ちし、二階へ向かわせた。

「奥様とお嬢様をお呼びしましたので、しばらくここで」

「ありがとうございます」

 しばらくの間、沈黙が続いた。

 失礼にならない程度に、部屋をゆっくりと見渡す。壁の白には黒ずみひとつなく、絨毯には土一つついていない。手すりの金色は外の光をそっくりそのまま反射している。細部にまで行き届いた室内の施しは、高貴な佇まいを変えない。その一つ一つには、華やかさと同時に厳格さが備わっている。肌がぴりぴりとした。

 やがて、二つの足音が聞こえて、ジャグルは顔を向ける。

 黄色いドレスのクラウディア夫人、そして紫色のドレスはその娘、ロコ。一年ぶりの再会であった。

「ごきげんよう、ドドさん。そして、ジャグルさん」

「ごきげんよう」

 夫人に続いて、ロコがおしとやかにドレスの裾をつまみ、お辞儀をする。

「ご機嫌麗しゅう、夫人、ロコお嬢様。紹介します。こちらはジャグル・タルト。最近、我が家に住むことになった妹です。ジャグル、挨拶を」

「ジャグルと言います。宜しくお願いします」

 こういう時は、どうするのが良いのだろう。自己紹介をするという機会もないので戸惑いながらも、胸を張って声を出す。夫人の顔を見るとにっこりと笑っていたので、少なくとも悪い印象ではなさそうだ。

「お久しぶりですね。あなた、前にも来たことがあったでしょう」

「えっ、覚えて下さっていたんですか」

 てっきり忘れられているものだと思っていたので、不意を突かれた。

「ええ。ちょうど一年くらい前のことだったかしらね。確かこれくらいの季節に、ドドさんが紹介して下さったわ。あの時はもう一人、男性の方がいらっしゃったと思うのだけれど……あの時のことは、よく覚えていますわ。あんなにまじない師のお話を聞かせていただけるなんて、滅多にないことですもの」

 そう言って、夫人は笑った。ドレスの黄色も相まって、ぎらぎらと眩しい 印象を抱いた。

「私も口べたなもので、彼……レガがいると色々とありがたいのです。放っておいても、ぺらぺらと喋って場が華やぎますから」

 ドドの言葉に、夫人も笑った。ドドは恐らく、レガが死んだことはこの二人には話していない。そして、伝えるつもりもないのだろう。名前を聞くだけで悲しい気持ちに覆われそうになったが、涙はぐっとこらえて平静を装う。

「それでも、ジャグルさんのこともよく覚えていますわよ。特にロコなんか」

「お母様、お二人を立たせたままですよ」

 ロコは呆れたように言う。

「あら、ごめんあそばせ」

 おほほ、と照れ隠しに笑う夫人。気を取り直して、部屋の方を向く。

「もし宜しければ、一緒にお菓子でもいかがでしょう。食べながら、昨日の話の続きをしませんか」

「そうですね。宜しくお願いします」

 ドドは会釈した。

 一室に入ると、長いテーブルがあり、白いテーブルクロスの上には既にお菓子を乗せるためのお皿が用意してあった。こんなに立派な招かれ方をしたのも初めてのことで、どうしていいのか分からず、とりあえずドドの隣に座った。

「よくいらっしゃいました、と言いたいところだけれど、ひどいですわ。泊まって行ってって言ってるのに、また部屋を抜け出したりなんかして」

「申し訳ありません、ご夫人。昨日はいやな胸騒ぎがしたので、早々に帰らせて頂きました」

「もしかして、また人食いが現れたのですか?」

 ロコが問う。

「ええ。予感通り、我が家に人食いが進入しておりました。ですが、この子の助力もあって無事退治するに至りました」

 手のひらを向けて、ドドはジャグルを指さした。

「まぁ、すごいのですね」

 ロコは手を叩いてジャグルを見て喜ぶ。

「まだまじない師になって一年経ったぐらいですが、なかなか才能のある子ですよ」

 そうなのだろうか。気恥ずかしくなって、頭をかく。ちらとロコの方を見やると、にんまりとした笑みを浮かべてこちらを見ている。

 やがてお茶やお菓子が運ばれ、四人はそれらをゆっくりと楽しんだ。焼き菓子は初めて食べるものばかりだったので、思わず踊り出しそうなほど興奮した。

「うちのお菓子はどう? ジャグルさん」

「はい! とってもおいしいです」

 満面の笑みを浮かべて答えたら、いつのまにかくっついていた食べかすがぽろりと落ちた。ごめんなさい、と慌てて謝る。いいのよ、と夫人は笑った。

 もっと食べたいと思ったが、さすがにわがままが過ぎるだろう。一口一口を大事に味わうことで目一杯堪能した。

「さて」

 一通り食べ終わり最後の一杯を味わっているところで、ドドは急に居住まいを正した。どうやら、重要な話を切り出すつもりらしい。

「ご夫人。今日お伺いしたのは、昨日のお詫びともう一つ、お願いがあってのことなのです」

 ドドの声に、若干の緊張が混じっているのが分かった。

「昨日お聞かせ頂いた、人食い退治の報酬についてですね」

「はい」

 ドドは立ち上がり、ジャグルの後ろに回ると、両手を方にぽんと置いた。

「お嬢様の家庭教師の時間に、このジャグルを同席させて頂きたいのです」

 その場にいた全員が驚き、声を上げた。ジャグルは飛び上がりそうになったところをドドの両手で止められた。夫人とロコは目を丸くして、顔を見合わせた。

「勿論、お嬢様の都合というものもありますし、毎回とは言いません。ただ、時々この子にも勉強を教えてやって欲しいのです。どうか、お聞き入れ頂けませんでしょうか」

 ドドは頭を下げた。二人の視線がこちらに注がれる。ここからが彼の言う「怖じ気付くな」というところなのだろう。過酷な人食い退治の旅をすることや、何日にも渡るまじないの研究のようなことばかりを思い描いていたジャグルにとって、不意打ちも良いところだった。だが、これもドドのもとで暮らし、強くなるための一環なのだと思うと、負けるわけにはいかなかった。

「宜しく、お願いします」

 ジャグルは立ち上がり、頭をぶん、と下げた。

「顔を上げて下さい、二人とも」

 夫人は促す。顔を上げると、太陽のような笑みがこちらに向けられていた。

「それくらいでしたら、全然構いませんことよ」

 そう言って、一つ頷く。

「いつもお世話になっているドド様のお願いを、無碍にするわけにはいきませんし、それに何より、知恵を身につけることは素晴らしいことです。ドド様の妹様でしたら、私だって大歓迎。ただせっかくロコと同じ時間を過ごすのなら、この子のよきお友達になってほしいのです。だから、私はこの子さえ良ければ、お受けいたしますわ」

 夫人はロコの方を向いた。

「どうかしら、ロコ」

「私は」

 ロコの瞳がジャグルを射抜く。自分を試されているような気がして、堂々と彼女の視線に応える。だが、過去のことを思い出すと、ほんの少しだけ見つめる先が下がってしまう。心の中を見透かされるような瞳は、こそばゆい気持ちになる。

 ほんの一呼吸のあと、ロコはふっと力を抜いた表情を浮かべた。

「私も、構いませんわ」

「本当ですか」

 思わず叫ぶような声を上げたのは、ドドだった。ありがとうございます、と深々と頭を下げた。一瞬ロコは目を伏せた気がしたが、すぐにまた元の表情に戻り、こちらの方を向いた。

「これから宜しくね、ジャグルさん」

「はい、ありがとうございます。宜しくお願いします」

「そうだ、早速今日先生がお見えになるから、一緒に授業を受けてみてはどうかしら」

 夫人は提案する。

「いいですわね。ジャグルさん、一緒に受けましょう」

 ロコもすっかり乗り気のようだ。

「決まりですね。ジャグルを宜しくお願いします」

 ドドが頭を下げた。

 

 ジャグルは机が置いてある、小さな一室に通された。学習用の部屋なのかな、と思った。もう一時間も待てば、家庭教師が来るらしい。一体どんなことを喋るのか、自分にもついていける話だろうか、考えれば考えるほど、期待と不安が増していく。

「大丈夫よ、ジャグルさん。初めての人にはそんなに難しいことは話さないはずですよ」

「そう、でしょうか」

「そうですわ」

 ロコはジャグルに寄ると、椅子に並んで座らせた。窓際に彼女が座った。

 ロコの家庭教師は突然増えたもう一人の生徒に少し困惑したが、屋敷の母娘の願いとあっては断るわけにもいかず、急遽授業の内容を変更し、小さい子どもでも分かるような話をした。最初はぎこちなかったものの、だんだんと議論は白熱し、あっという間に時間が過ぎ去った。

「いやぁ、ジャグルさん。あなたは飲み込みが早い。将来が楽しみですよ」

「良かったじゃないですか」

「ロコさんも先生も教えるのうまいから」

 ジャグルは少しはにかむ。

「それじゃ、私はこれで」

 先生を見送ると、ロコとジャグルは二人きりになった。

「ねぇ、ジャグルさん。いえ、ジャグル。二つお願いがあるのですが、聞いて下さいますか」

「何ですか、お嬢様」

「私たちはもうお互い対等なお友達なのだから、気さくなしゃべり方にしましょ。その方がきっといいと思うの。その方があなたの良さも、きっと出るわ」

「はい……うん、わかった」

「そうそう、そんな感じ。もう一つ、その髪……整えさせてもらってもいいかしら」

「この髪を?」

「そうよ」

 何故だろうか、急にロコの顔つきが変わったような気がした。まるで、夫人のような太陽の笑みに。

「あなたのそのきれいな髪を、そのままにしておくのは勿体ないわ。うちの理髪師はとっても優秀なのよ、きっとあなたに一番似合う髪型を作って下さるわ!」

「そ、そう? じゃあ、お願いしてもいいかな」

「そうと決まれば、さっそく呼んでくるわね! そこで待ってて、すぐに来るから!」

 呆気に取られているうちに、ロコは部屋を飛び出して行ってしまった。なるほど、あの夫人の娘だ。本質的には、きっととんでもなく強気な人なのかもしれない。

「ただいま、ジャグル! 連れてきたわ!」

 あまりの早さに、一息つく間さえない。

「お嬢様、そんなに引っ張らないでください」

 背の高い理髪師が、困った顔をしてロコに連れられていた。彼女のドレスの裾を踏んでしまわないように走るのは苦労しそうだった。思わずひきつった笑みを浮かべてしまう。

 外に出て、髪を切ってもらった。既に短くなっていたこともあって、ロコのようなふわりとした髪型には出来なかったが、理髪師の手さばきによって先端までしっかりと仕上っていく。

「さぁ、出来ましたよ。いかがでしょう」

 理髪師の言葉に従って、鏡の前に立って見つめてみる。

「あまり、変わり映えがしないなぁ」

 率直に言い過ぎた、と思い直して、顔がひきつる。だが実際に鏡の前にいたのは、性別を偽っていた頃と殆ど違いのない髪型をした自分だった。

「でもよく似合っているわよ。短いならこうでなくっちゃ」

 ロコが言う。なんだか釈然としないが、それでも鏡に映る姿をよく見れば、以前とは全く違う印象を受ける。

「そうだな。動きやすそうだし、いいか。ありがとう」

 ジャグルはそう言って、理髪師とロコにお礼を言う。

 

「やっぱり、あなたはその格好があなたのあるがままの姿、という感じがするわね。とっても素敵」

「あるがまま」

 何のことを喋っているのだろうか。聞くのをついためらってしまったが、それは向こうから切り出された。

「こう見えても人を見る目はある方でね。一年前初めてあなたを見たとき、一目でとても良い心を持った人だと分かったわ。けれど、あなたはそのあなたらしさを隠そうとすることばかり考えているようにも見えたの。それがとても勿体なくて、私は少し悔しくなってしまった。ほんの少し勇気を出せば、あなたの良さなんていくらでも花開くと言うのに。私が立ち入る問題ではないと分かっているだけに、何も言えなかった。

 だけど、もうあなたは大丈夫みたいね。何かを乗り越えたような、そんな顔をしているわ」

 自分が乗り越えたものとは、何だろう。一族のしがらみか、レガの死か。思い返せばまだ胸の奥が痛くなるようなことばかりだが、それでも前と比べれば、未来のことを考えようとしている。

「そうかもしれない」

 ジャグルは応えた。

「そうかもしれないな……」

 外の光が眩しくて下を向く。整えられた髪は涙を隠してはくれなかったが、隠そうとは思わなかった。友達の前で、自分の弱いところを隠す必要はないはずだ。ロコは何も言わず、ただ見守ってくれていた。

 

 月は庭を青白く照らす。風が吹き抜けると、首もとに冷たい流れを感じた。暑い季節の終わりを告げているようだ。すぅっと気持ちも透き通っていく。

 丘の下には、ドドが待っていた。屋敷の住人と別れを告げ、ドドの家へと帰っていく。今日はきっと、よく眠れるに違いない。きっと、明日も、明後日も。何かに怯える日々は終わったのだ。

 今はまだ「何があっても平気」とまでは言えない。だがいつか必ず、確固たる自信を身につけた自分が、どんな風にもなびかない強さを身につけて、己の足だけで進むことになるのだろう。遠く、点にしか見えない場所にも、歩き続ければいつか必ずたどり着く。そうすれば、また新しい点が見えてくる。そうやって生きていけばいいのだと、ジャグルは思った。

 

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