飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#4 蜂蜜 -3-

「あなた方はもしや、まじない師様ですか」

 最初に出会った村人は、まるで天の恵みと言わんばかりに声が震えていた。

「お待ちしておりました。今、村長をお呼びいたしますので」

 勢いよく飛び出し、村長の名前を叫びながら建物の中へ入っていった。しばらくして、二人の人物が姿を現した。

「初めまして、ようこそいらっしゃいました。こんな辺鄙な村までお越し下さりありがとうございます」

 出迎えたのは、妙に甲高い声をした白髪の村長だった。その髪色の割に肌は若々しく、背筋もしゃんとしている。ただ目の周りだけが黒く落ち窪んでおり、不健康そうな印象を受けた。よく見れば、三人の付き人も、似たような目をしている。

「長い道のりでさぞお疲れでしょう。早速本題に参りたいところですが、まずはゆっくり休んで下さい。ささ、馬を預かりましょう」

 付き添いの男のうち二人が、ドドとジャグルの馬を預かろうとする。その動きにジャグルはやや強引なものを感じた。ドドも同じだったのか、制止するように声を出す。

「お気遣いいただき、ありがとうございます。しかし、馬のことはこちらのジャグルが行いますので、この子を案内してやって下さい。ジャグル、馬舎まで頼めるかい」

「分かった」

 ジャグルは頷いた。荷物を下ろし、ドドとすぐに合流する約束をして、村の男について行く。とりあえず、彼らに敵意はなさそうだ。

 落ち葉を踏みながら、ジャグルは周囲を見渡した。家を見る限り、何もおかしなところはない。いかにも辺境の小さな村、と言った印象だ。やはり山奥は平地よりも季節の進みは早く、村は冬支度の真っ最中と言ったところだった。薪割りをしている家族や落ちた枝を拾う子ども達の姿を見かけた。ただ、皆一歩進む度に周囲を警戒するようにきょろきょろとしていた。まるで何かに怯えているかのようだった。

「いやあ、あなた達が来てくれたのは本当に嬉しいことですよ。まさに天の恵みと言ってもいいでしょう」

 男は嬉しそうに語る。

「うちの師匠なら、何とかしてくれると思いますよ」

 馬屋に馬を繋ぎながら、ジャグルは答えた。師匠、か。ふと口をついて出た言葉に、自分で笑ってしまう。ドドと自分の関係性を言い表すなら、師匠と弟子、というのが明快だろう。人に説明するために分かりやすくそう言ったのか。はたまた本当に自分がそう思っているのか。正直なところ、よく分からない。

「ん?」

 ジャグルの視界の端に、人影が映った。はっとして、その方向に顔を向ける。大男だった。他の村人たちに比べて、明らかに身なりが悪い。ジャグルが顔を向けると、少し遅れて彼は気付き、こそこそと物陰に隠れてしまった。

「どうかされましたか」

「いや……大きな男の人がいたな、と思って」

「大きな男……まさかマティアス。あいつ、こんなところで何してるんだ……」

 ぶつぶつと彼は嫌悪感たっぷりに呟く。すぐに我に返って、ジャグルに平謝りしてきた。

「申し訳ありません。まじない師様が気にすることではないので。早く戻りましょう」

 マティアスという名の大男のことはどうやら、我々には見られたくはないらしい。彼の存在を忘れてもらうためか、案内役はいそいそと歩き出し、ジャグルに着いてくるよう促した。

 

 村の集会所に戻ると、ドドと村長たちが雑談を交わしていた。和やかな雰囲気に包まれており、本題に入るには十分な信頼関係を築けていたようだ。村長と目が合う。不安を悟られないように、出来るだけ穏やかに微笑んだ。

「さて、それでは始めましょう。我々を呼んだ理由から、お話いただけないでしょうか」

 ドドが言うと、村長の表情が急に沈痛なものになった。

「まずは何から話せば良いのやら」

 言葉を選び、ためらいながら、彼は話し始めた。しばらくして、決心したように言葉を紡ぎ始める。

「今、この村では虫の被害がひどいのです。虫に襲われて、四人が亡くなりました」

 眉間を抑える。悲しみを堪えているようだった。

 虫、とジャグルは心の中で反芻した。

「最初に亡くなったエミルは5歳でした。次に亡くなったファスタは4歳。子どもだけではありません。山に立ち入った大人も二人、同じようにやられてしまいました」

 周りの男たちも、深刻そうな表情を浮かべてうなだれている。

「そこで、あなた様にお願いしたい。我が村を虫の驚異から守っていただけないでしょうか」

 よろしくお願いします、と村長は頭を下げる。周りの男も彼に合わせた。

 ドドはしばらく彼らの姿を見つめた後、ようやく口を開いた。

「分かりました」

 その瞬間、村長はすがるような声を上げ、ありがとうございます、とお礼を言った。

「我々にお手伝いできることがあれば、何でもいたしますので、どうぞお申し付け下さい」

 ドドは村長の顔を見つめ、頷く。

「分かりました。では一度、亡くなった方が襲われたという場所を見せていただいてもよろしいでしょうか。まだ日暮れまでには時間がありますので、そこを見ながらお話を伺いたい」

 

 山の奥へと歩き、案内されたのは湖のほとりだった。視界が開けて、空が反射している。普段は子どもたちの遊び場にもなっている、とのことだった。周囲は極めて穏やかで、人が死んでいたとは思えないほどである。

「このあたりがエミル……一人目が殺された場所です」

 案内された場所で、ドドはしゃがみこむ。杖の先端を耳に当てているようにも見える。キュウと相談しているのだろうか。ジャグルも別の角度から、その場所を眺める。時間が経っているからか、既に痕跡らしい痕跡は残っていない。

「事件があったのは、いつ頃でしょうか」

 ドドは尋ねる。

「3、4ヶ月前のことです」

「エミル君は一人で湖に?」

「いえ。その時はほかの子どもと一緒でした。ものすごい羽音がして、気がつけば大量の巨大な虫が近づいてきたと。彼も一緒に逃げようとしたのですが、足を滑らせて転んでしまったと、他の子が言っておりました。助けようとした頃には、もう彼は囲まれており近づけなかったそうです」

「なるほど。……さぞ悔しかったことでしょうね」

「ええ。本当に」

 ドドは降り積もった木の葉を手でさっと払う。土は軟らかい。傾斜もある場所だ。慌てて走ろうとして転んでしまうのも、無理はない。

「遺体に変わった傷はありましたか」

「虫の毒のせいか……顔は痛々しいほどに膨れ上がっていました。それと……唇と舌がなくなっていました」

「舌が?」

 ジャグルの脳裏に、ある可能性がよぎる。恐らく、ドドが得ている確信と同じだろうと思った。

「他の子ども達も、同じ状態でした。皆、口の周りがなく、歯だけが残っていたのです」

 なんともおぞましい話だ。あまり想像はしたくない。

 恐らく、人食いの仕業だろう。口の中の柔らかい部分を好んで食らうようなものだ。

  ジャグルとドドは目を合わせ、頷き合った。

「ひとまず、虫除けの煙を焚きましょう。それでしばらくは寄ってこなくなるはずです」

 ドドは提案する。お願いします、と村長は頭を下げた。

 

 聞くところによると、被害があった場所は村の北東に集中しているらしい。湖も同様の方角にある。他の被害があった場所や山道の数を確認し、煙を焚く数を決める。村が小さいことも幸いし、日が暮れるまでには済みそうだ。

 必要な道具を持って、二人は燻煙地点に向かう。

「どう思う? ジャグル」

 ドドは尋ねる。

「人食いの仕業だとは思う。きっと、舌を食うのが好きなやつなんだろ。偏食家の人食いだ」

「そうだね」

 ジャグルの答えに、ドドは同意する。

 人食いには、身体の一部のみを食らう者も少なくない。おおよそ三回か四回依頼を受ければ、一度はこういう連中に当たる。そして、偏食のひどい人食いは、全身の肉を食いちぎるものよりも相手取るのが難しい。分かりやすい被害が出づらく、我々が呼ばれる頃には状況が複雑になっていることが多いからだ。我々は、まず彼らの問題が人食いの仕業なのか、人間の仕業なのかというところから考え始めなければならない。それをいち早く見抜くのも、優れたまじない師の資質と言える。

 かつて倒したムシャーナのことを思い出す。あれは夢を食らう人食いだった。ドドは自分より経験が豊富だから、さらに多くの事例を知っていることだろう。

「どんな人食いなんだろう。正直、まだおれには想像がつかない」

 ジャグルは自分の思いを告げた。

「考え続けていれば、必ず答えにたどり着く。今はよく観察するんだ」

「うん。分かってる」

 ジャグルは手に持った小瓶の蓋を開ける。中に入っているのは、自分の切った爪や髪を燃やして灰にしたものだ。まじない師の術力を最大限に発現させる、まじないをかける上でなくてはならないものだ。タルトの集落では女がたくさんいたが、今は自分一人分からしか取ることが出来ない貴重品だ。無駄遣いはできない。

 しかし、その効果はあまりに大きい。よく目を凝らせば数えられるほど少ない量の粒でも、ジャグルが土に被せ、

「煙れ。虫よ去れ」

 と呟くだけで、その場所からは三日三晩、虫除けの煙が立ち上がり続けるのだから。

 

「終わりました」

 集会場に戻り、村長に報告する。

「村の方々がよく利用する山道に四カ所、煙を焚かせていただきました。多くの虫はこれで寄りつかなくなります。煙自体は数日で消えますが、周囲の木々が煙を吸って、効果はより長く持続します。蜂も煙の内側には立ち入らないようになるでしょう」

「さすがはまじない師様です。ありがとうございます」

「ですが、しばらくの間は油断出来ません。通常の虫であれば、これで十分ですが、今回の事件を起こしているものに効果があるかどうか。場合によっては、直接駆除に向かう必要があるでしょう」

 ドドは自身の見立てを説明する。

「そうですか」

「今日のところはお疲れになったでしょう。こちらに食事を用意しました。こんなへんぴな場所なので大したものは用意出来ませんが、是非好きなだけ召し上がって下さい。この村自慢の特産品です。寝室は、この集会所の扉の向こうにあります。今日のところはゆっくりお休みになって下さい」

 そう言って、村長は再び柔和な笑顔を浮かべる。

「お気遣い、ありがとうございます」

 ドドは答えると、おやすみなさいませ、と言って村人たちは出て行った。

 食事。

 この村のものは口に入れるな、というドドの忠告を思い出す。

 用意されていたのは、皿一杯の木の実と、蒸した穀物。そして、食卓に並べるには妙に大きい壷だった。他の食べ物に対して、明らかに不釣り合いな大きさである。

 ドドは壷に近づき、蓋を開いた。その瞬間、甘いにおいが部屋中に広がる。たとえ満腹だったとしても、胃袋の中身を一瞬で忘れてしまうような、魅力的な香りだった。嗅いだ瞬間、ジャグルは得も言われぬ幸福感を覚えた。思わず顔がほころんだ。ああ、これを食べることができたら、どれだけ幸せなことだろう。ずっとこれを食べ続けていられたら、どんなに嬉しいことだろう。これだけで一生、十分だ。

 ジャグルは無意識のうちに自分の手が壷に伸びかけていたことに気付き、強引に引き戻した。危なかった。心臓が高鳴り、身体が震えた。この壷の中身が放つ香りの魔力に、とらわれかけてしまった。そんなジャグルの様子を見て、ドドはうっすらと笑みを浮かべる。

 冷静になったジャグルは、この匂いに心当たりがあることを思い出した。つい最近、嗅いだことがある。確か、この村に来る前の占いで、茶葉が放った芳香。それと同じ匂いだ。

「ねえ、それは、何」

 ジャグルは壷を指さし、目を逸らすことなく尋ねる。またしても、この蠱惑的な匂いにつられてしまいそうで恐ろしかったが、知らなければ始まらない。

 ドドは壷に近づいた。中身を柄杓ですくい上げ、ジャグルに見せるように壷の中に流し落とす。

「蜂蜜だな」

 壷の中に落ちていく粘性の高い液体は、ゆっくりと細い線を作っていた。


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