飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#4 蜂蜜 -4-

 ドドは蜂蜜たっぷりの柄杓を壷に戻し、蓋を閉めた。

 ジャグルが何か言おうとすると、ドドは口元に人差し指を当てた。

「静かに。盗み聞きをされている」

 ジャグルは慌てて振り返る。ドドは、入り口近くの右の隅の壁を指さした。

「あそこにほんの小さな穴があいているようだね。角度が悪いからこちらのことは見えないだろうけど、大きな声は恐らく漏れてしまうだろう」

「うん……分かった」

 ジャグルは頷く。危うく、聞かれてはいけないことを話すところだった。

 ドドは壁の方に歩いていき、キュウの杖の先端で、こん、と叩いた。空気が変わった気がした。

「音を遮断するまじないをかけた。これでもう大丈夫」

 そう言うと、再び壷の前に戻ってくる。

「食べちゃいけない、って言うのは、この蜂蜜のこと?」

 ドドは頷く。

「ほんの僅かだが、料理にも使われている。これも食べてはいけないね」

 そう言いながら、穀物の盛られた皿を避けるように動かす。

「食事は、持ち込んだ携帯食料だけにする。それが一番安全だろう」

 なるほど、そのために多めの食料を持ち込んだ、と言うわけか。ジャグルは得心した。

「だけど、怪しまれないかな。食べ物に一つも手を付けなくて」

「俺たちはまじない師だ。うまくやるさ」

 キュウの杖を食料にかざすと、食べ物がどんどん吸い上げられていく。

「キュウが食ってる……わけじゃないよな」

「遠い山の土の中に移動させている。食べ物を粗末にするようで残念だが、これが一番だろう」

 ドドはあっと言う間に、穀物と木の実を完食したように見せかける状況を作り上げていく。匙で擦り、食べきれなかった部分を多少残すのが肝らしい。蜂蜜の壷にも杖をかざし、量をほんの少し減らした。

 一息ついて、鞄の中から持ち込んだ干し肉などを取り出す。小さくちぎって、口に放り込んだ。そして、味がしなくなるまでよく噛み続ける。蜂蜜の香りが気にならなくなるまで、肉の味という味を味わい尽くす。細かくなった食べ物が喉を通る感覚の一瞬一瞬を感じ取る。胃の中に落ちたことを確認し、次の塊を口に入れる。同じことを何度も繰り返していくうちに、蜂蜜の匂いが気にならなくなってくる。

「ちなみに、この蜂蜜を食べたらどうなるんだ」

 ジャグルは壷を指さす。

「味覚を食われる、だろうね」

 ドドは語る。

「この蜂蜜も、人食いの一部なのさ。口に含んで舌に触れれば、人間の味覚を少しずつ奪っていく。甘いものは美味いから、もっと食べたい、もっと食べたいと思うのが人間だ。だが、それこそが蜂達の罠なんだ。気付いた時には、蜂蜜以外の食べ物を食べても、味を全く感じなくなってしまう。うまみを感じることが出来ないから、更に蜂蜜の甘さを求めるようになる。味覚を奪われた人間は、また蜂蜜を求めて奴らの住処に向かう。やってきた人間を殺し、その肉体を食らう。こうやって二重に人間を食らうことで、餌が自然に寄ってくる仕組みが作られたのだろう」

「まるで人間が家畜みたいじゃないか」

 ジャグルは怪訝な顔をする。そうなるね、とドドは頷く。

 この甘さに囚われれば最後、蜂に飼い殺されるしかないのだろう。哀れな村の一部になってしまうことは、免れない。

 

「さあ、今日はもう眠ろう。匂いを防ぐ膜は張っておくよ」

 ドドは用意された寝床にまじないをかける。

「途中で交代するよ。ドドの術力も温存しておかなくちゃ」

「ありがとう。途中で起こすから、その時は頼む」

「わかった」

 野営で見張りを交代するようなものだ。おやすみ、と互いに言葉を交わし、ジャグルは横になる。

 もう少し眠りやすいかと思ったが、なかなか寝付けない。ずっと気を張り続けていて、落ち着く暇がなかったせいだ。明日以降のことを考える。我々はこれから、あの蜂蜜を食べたふりをしなければならない。嘘を付き続けられるのは、いつまでか。不安な気持ちを打ち消したくて、いくつか対策を考える。思考を巡らせているうちに、意識は眠りに落ちていた。

「起きろ、ジャグル。交代だ」

 ドドの一言で、目が覚めた。体を左右に転がしてみる。全身の調子は悪くない。よし、と心の中で呟いて、起き上がった。

「うん。ありがとう。じゃ、おやすみ。気を付けて」

 あぁ、とドドは返事をして、寝床に横になった。しばらくすると、蜂蜜の匂いがかすかに漂ってきた。ジャグルはドドがかけたものと同じまじないを使い、蜂蜜の壷を封印した。

 よくよく考えたら、交代なんかしなくても自動で動き続けるまじないだってあるのに、何故わざわざ一人ずつ眠るようにしたのだろう。自分の提案を、なぜドドは当たり前のように受け入れたのだろう。ジャグルはふと、考える。

 ドドの家は、ドドのまじないによって支えられている。眠っている間にまじないが切れてしまうのであれば、崩れてしまうはずなのだ。自分だって、眠っている間に女としての成長に歯止めが利かなくなっていたわけではない。この程度のことならば、交代の申し出を断ることだって出来たはずだ。

(まじないに疲れて、おれに肩代わりさせるって魂胆じゃないよなあ)

 自分で考えて、笑ってしまった。まさかなあ、と思った。それはどうにも、彼らしくない気がした。

 ならば、起きて甘い香りを封じ込めなければいけない理由がある、ということなのだろうか。彼は寝る直前、気を付けて、と言った。

 その瞬間、ジャグルは理由を理解した。

 封印が、解けそうになったのだ。

(まさか、蜂蜜が)

 壷の中身が、己を閉じこめる膜を破ろうとしている。

 つまりこいつは、封じ込められていることを理解している。明確な意志を持って、我々を誘惑しようとひたすらに手を伸ばしているのだ。

 飲まれてなるものかと、ジャグルは何度もまじないを重ねてかける。それでもゆっくりと、一つずつ封印は破られる。その速度が、忘れかけた頃に一枚程度であるのが救いだ。ただ定期的に、ぐっ、と強く押し出される感覚がある。まじないで封じきれない、底力がある。ドドはこんなものを相手に、戦っていたのか。これは確かに、気を抜くわけにはいかない。

 建物の中に、光が射し込んだ。どうやら日が昇ってきたらしい。それに伴って、明らかに蜂蜜の押し返しが弱くなっていく。人食いの特性なのか、悪意ある誘惑は夜の間にしか出来ないのかもしれない。

 空が明るくなるのは、あっと言う間だった。ドドはかなり長い時間、粘っていたようだ。

(気を遣われてるんだか、信用されてないんだか)

 ジャグルは唇を尖らせた。

 

 蜂蜜の攻撃がなりを潜め、うんともすんとも言わなくなったことを確認して、少し外に出てみようと思った。まだ朝も早い。村人に見つかっても、恐らくまじない師の来訪は伝わっているはずだ。見られても、怪しまれる可能性は低い。多少の散策は構わないだろう。

 太陽の光は眩しいが、空気は少し湿気を含んだ冷たさを持っていた。陽が当たれば、心地の良い暖かさを味わうことができた。散策するにあたって、何か目的が欲しいな、と思う。とりあえず、昨日に煙を焚いた場所を巡ってみることに決める。現在地から一番近いのは、北東方向の燻煙地点。そこまで歩いてみよう。落ち葉をしゃくしゃくと踏みならしながら、秋の森を抜ける。

 昨日より色は薄くなったが、確かに煙は立ち上り続けている。周囲に羽虫の姿はなくなっている。周囲の植物が吸ってくれれば、更に効果は持続するはずだ。風が吹けば、村の中にもじきに効果は現れる。冬には大抵の虫が冬眠することを考えると、次の春まで村は驚異に悩まされることはないだろう。人食いにも効果があるかと言われれば、分からないところではあるが。

「おはよう。まじない師さん」

 ふと、背後から声をかけられた。

「おはようございます」

 ジャグルは振り返った。髪が長く、背の高い女性だった。冴えるような赤い服が印象的で、樹海の底に咲く妖艶な花を連想させた。

「あなた、昨日来たまじない師さんでしょう。いかがかしら、この村は」

 そんな自分の心証など意にも介さず、女性は微笑む。

「ええ。のどかで、とてもいいところですね」

「この村の特産品、召し上がった?」

「あの蜂蜜ですよね。はい、とても美味しかったです」

 ぎこちない嘘だった。心の準備をしたつもりではあったが、嘘をつくの苦手だった。どうしても自然な振る舞いにはならない。ドドならきっとあっさりとこなせてしまうのだろう。

「そう。それは良かった。初めて食べたときは、私も感動しちゃった。あんなにおいしいものがこの世にあるなんて、ってね。あなたも気に入ってくれたのなら嬉しいわ」

「ええ。またいただきたいです」

「もちろん、いくらでも。この村にいる限りは、好きなだけ食べていいわよ。なくなったら言ってね。おかわりを用意するから」

 蜂蜜を執拗に勧めてくる。この人も、味覚を奪われ、甘い味にとりつかれた村人なのだろうか。ありがとうございます、と言って、話を流す。

「あ、そうだ」

 折角会った村人だ。彼女から何か得られるものがあるかもしれないと思い、提案してみることにする。

「あの蜂蜜がこの村に行き渡った経緯、もしご存じでしたら教えていただけませんか」

 彼女は、うーんと少し悩んだ後、「いいわよ」と彼女は答えた。

「それなら、ちょっと歩きながら話さない? 見せたい場所もあるし」

「分かりました。よろしくお願いします」

 思わぬ収穫を得られそうだ。案外、悪い人ではないのかもしれない。もしそうであったとしても、必要な情報を抜き出してみせる。ジャグルは嬉々として彼女の横を歩いた。

「あの蜂蜜はね、木こりのマティアスさんが見つけたのよ。この先の方に家があるんだけどね。彼が仕事をしている時、偶然にね。急においしそうな匂いがして、木のうろを覗いてみたらしいのよ。そしたら蜂の巣があったんだって。蜂の姿は無かったそうで、甘い匂いに我慢出来なくなって、ついつい手をだしちゃったみたい。そしたら中から大量の蜜が出てきて、食べてみたら美味しかったんだって」

 へえ、とジャグルは言う。

「それからと言うもの、この森の奥の方ではそんな不思議な蜂の巣があちこちで見つかるようになった。それ以来、私たちは喜んで蜂蜜ばっかり食べてるのよ。男の仕事は農作業から蜂蜜採取に変わったわ」

 女性は興奮気味に語る。

「みんな、蜂蜜を取りに行っちゃってるんですか」

 ジャグルは驚いた。他の食料は何も作っていないのだろうか。

「そうね。正直、あれがあれば他には何もいらないもの。あれに比べれば、他の何を食べても味がしないも同然だわ。おいしくないなら、べつに食べなくてもいいんじゃない? たぶん、他のみんなも同じことを考えてると思うわ」

 彼女はさも当然のように語る。蜂蜜に味覚を奪われて、他の食べ物を食べる気力が失せている。村中の人間がこうだから、ここは外の村との交易を絶ったのか。ジャグルはなるほど、とひとりごちた。

「養蜂はおこなってはいないんですか。自分で蜂を育てて、蜜を取る」

 ジャグルは思ったことを口に出した。すると、女性は残念そうにかぶりを振った。

「何度か試したことはあったみたいんだけどね。でも、出来なかった。今のところは、彼らの巣を探して蜂蜜を取るしかないのよね。残念だけど」

 そうですか、とジャグルは残念がるふりをする。

「でも安心して。蜂の巣は山の奥でいくらでも見つかるそうだから。ちょっと探せばすぐに見つかるわ」

「山の奥ですか。どのあたりにあるか、ご存じなのですか」

「さては自分で取りに行ってみようってクチ? いいわねえ。湖の方よ。わき道を抜けて、歩いていった先。ちょっと探せばすぐに見つかるわ。でも気を付けてね。最近は蜂に刺される子も多いみたいだし。あなたもまだ若いから、もう一人のまじない師さんと行った方がいいわね」

 うんうん、と頷く彼女。

「あ、そうだ。今度はあなたのこと、教えてくれないかしら」

 今思いついたように、彼女は提案する。彼女はまっすぐにジャグルの目を見た。

「おれのこと、ですか?」

「そう。あなたの名前は」

「ジャグル・タルトです」

「ジャグル。かわいい名前ね」

 彼女は自分の名前を繰り返すと、にっこりと微笑んだ。名前を褒められることなど滅多にないので、少し居心地の悪い気持ちになる。

「ジャグルは、どんなまじないが使えるの」

 少し考えを巡らせるが、あまり思いつかない。

「例えば、虫除けの煙を焚いたりだとか。あれ、おれのまじないなんです。ちゃんと働いてくれたらいいんですけど」

「すごいじゃない」

 驚いた様子で彼女は自分を見る。振り返れば、この一年で様々なまじないを修得したと思う。自分に出来ることは、一つ一つ確実に増やしてきたつもりだった。

「他にも馬を走らせるときの体力の消耗を抑えたりとか。まあ、色々あります」

 ジャグルは頭をかく。今ここで会った人に語るのは、自慢話をしているようでどこか恥ずかしさがあった。

「頑張っているのね」

「そんなことないです。うちの師匠の方がよっぽど凄いですから」

「あなたのお師匠さんって言うと……あの男の人?」

 はい、とジャグルは頷く。

「正直、出来ないことなんてないんじゃないかってくらい、凄い人です」

「へえ……凄いね」

 彼女の声の調子が、少し下がったように聞こえた。そして、少し間を置いてから、話題を変えてきた。

「そういえば、二人はどこに住んでいるの? 遠かったんじゃないかしら」

「ここまで、四日か五日ぐらいですかね。クラウディア領の中心街から山を五つ越えてきました」

 ジャグルは目を閉じながら旅程を思い出す。随分と遠くまで来たものだ、と思う。依頼さえあればどこへでも向かうのが、ドドの方針だった。まじないのおかげで、我々は一般人よりも多くの距離を移動することができる。

「あれ」

 目を開けたとき、妙なことが起こった。

 女性の姿が、跡形もなく消えていたのである。

 周囲を見渡してみたものの、やはり赤い服の女性の姿はどこにもなかった。

 彼女が消えたのは、聞かれた質問に自分が答えようとしたときだ。自発的に姿を消すにしては、タイミングがおかしい。

 とは言え、周囲に誰かがいたとも思えない。朝早い時間だったせいで、彼女以外の姿は見えなかった。まだ自分の知らない、蜂の人食いの力だろうか。あるいは気付かなかっただけで、実は別の誰かがいたのか。

 考えても分からず、仕方なくドドの元へ引き返した。

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