飽食のけもの   作:乃響じゅん。

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#1 異臭問題、屋敷のお嬢とまじない師-3-

 その夜、明かりを全て消した頃。誰かがノックする音が聞こえた。こんな時間に誰だろうと、寝ぼけた目をこする。そうこうしているうちに、もう一度ノックが聞こえた。そこで、叩いているのはドアでは無いことに気付く。

 ノックは、窓から鳴っているようだ。ロウソクに火を灯し、ロコは異臭を覚悟で窓を開けた。窓の桟に人間の手がかかり、よじ登ってきた。ロコは驚き、思わず声を上げそうになる。そして、後に続いて尾の多い獣が、おじゃましますよ、と言ってロコの部屋のじゅうたんに飛び下りた。青年の黒い帽子を見て、ロコは彼が誰なのか理解した。そして、その目的も。

「ドドさん。それに、キュウも……来てくれたのですね」

「お休みのところ申し訳ございません。手紙が届きましたので、早速参上しました」

 ドドは紳士然と頭を下げる。

「いいえ。悪いことなんて何もありませんわ。来てくれて、本当にありがとう」

 ロコは思わず涙ぐみそうになった。一刻も早くこの臭気から解放されたい一心で、手紙を書いたのだ。窓を閉めて、臭気を遮断する。ドドは辺りを軽く見回した。

「手紙通りですね。ひどい臭いだ」

「全くだね」

 うぇ、とキュウも舌を出して苦い顔をする。ドドはロコを真っすぐ見つめた。いよいよ本題に入るのだと、ロコは身構えた。

「単刀直入に言いましょう。この臭いの元凶は、この屋敷にいる人食いです」

「うそ」

 ロコは衝撃を受けた。ウインディの巨躯を思い出して、背筋が凍る。あんなおぞましい生物が、身近に潜んでいただなんて。少し間を置いて、ドドは再び語りだす。

「今からこの臭気の出どころを探しに行きます。そこで、お嬢様には同行をお願いしたい」

 臭いのせいで喉が痛む。それが嫌で、ロコはつばを飲み込んだ。

「もちろん、危険であることは重々承知しております。ですが、きっとお嬢様にしかできないことがある。そんな予感がするのです。お嬢様の身にお怪我がないよう、必ずお守りします」

 ドドは説得を続けた。だが、ロコの心は迷っていた。人食いの姿を見て、今回も無事でいられるとは限らない。だけれど。

「分かりました。一緒に行きましょう。あなたのことを、信用致します。それに」

「それに?」

「助けて欲しい、助かりたいと言ったのは私です。私が動かなきゃ」

 ロコは笑った。ドドはゆっくりと頷いた。

「ありがとうございます、お嬢様。それでは、これをお渡しします」

 ドドがお礼を言うと、一枚のハンカチを取り出して、ロコに渡した。

「これは?」

「ハーブの香りを配合したハンカチです。これを口に当てれば、外部の臭気から守ってくれますよ」

「ありがとう」

 ロコはハンカチを顔に近付けた。すうっと爽やかなにおいが鼻を抜けていき、気分が少し楽になった。

「そういえば、どうしてここまで誰にも気付かれずに来れたのですか? 庭には警備の者がいるはずなのに」

 ロコはふと疑問に思ったこ とを口にした。ドドは、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。

「足音を消すまじない、というものがあるのですよ。姿さえ見られなければ、勘付かれることはありません。泥棒のように、足音を殺す特別な工夫がいらないので便利なんですよ。今からお嬢様にもかけて差し上げましょう」

 ドドはロコの靴をとんと指で叩いた。すると、足下がふうっと軽くなっていくような気がした。足を軽く踏み鳴らしてみると、衝撃を感じるにも関わらず、木と木の衝突音は聞こえなかった。

「さて、行きましょう」

ロコは頷いた。謎の多い人物だが、少なくとも悪意を持って屋敷に近づいたわけではないような気がした。ドドは扉を開き、ロコとキュウは後に続いた。

 

 夜の暗い屋敷というものを、ロコは歩いたことがなかった。キュウが先頭を歩き、火を吹いて灯り代わりにする。その光が当たらない陰の部分に、何か見えない魔物が潜んでいるのではないかという気分にさせられた。どれだけ気を使わずに歩いても、一切の音が鳴らない。ドドのかけてくれたまじないが、逆に夜闇に潜む何かの存在を感じさせてしまう。身体を縮こませながらも、ロコはドドにしっかりとついていく。

 二人は一階の一室に入った。母が化粧をするときに使う部屋だ。掃除の行き届いた化粧台。そして、全身鏡。ドドは全身鏡の前に立った。鏡は淵が金属で装飾されていた。それをじっくりと観察し、指でなぞった。

「ここだな」

 胸ほどの高さの一部分を、ドドはぐっと指で押し込んだ。その瞬間、かちっ、という音がして鏡が淵ごと横に開く。奥は地下へと続く階段になっていた。

「なるほど、隠し扉か。何かを隠すには丁度いい」

 下から、ハンカチで覆っていても分かる程の強い異臭が吹きこんできた。ハンカチをさらに強く押し当てる。この下に、人食いがいる。心臓がばくばくと鳴り始めた。

 地下へと続く階段は、壁のレンガが古びていて不気味さを覚えた。キュウが、燭台に火をつけて降りる。ロウソクがまだ新しい。きっと、誰かがこの部屋に出入りしているのだ。でも、誰が。

 階段が終わり、どうやら開けた場所に出たらしい。キュウが、ロウソクの全てに明かりを灯した。昼のような明るさに包まれ、ものの輪郭が浮かび上がっていく。部屋のごつごつとした壁、そして、その場所に居座る――放置されている、と言った方が正しいかもしれない――ものの姿。

「ほう。お前が人食いか」

 うっ、とロコは顔をしかめた。その人食いの姿は、ウインディやキュウコンとまるで異なるものだった。

 一言で言えば、それは紫のヘドロだった。半液状の物体が小さく盛り上がり、よく見ると目や口に当たる部分が分かる。光に驚いたのか、ヘドロは手のようなものを伸ばしてくるが、身体は地面に滴りすぐに全部崩れ落ちた。今まで見た人食い達よりも、遥かに鈍重な印象を与えた。

「こいつはベトベトンだな。身体がドロドロだから、自分ではほとんど動けねえんだ」

 キュウが喋る。ふうん、とドドは軽い相槌を打つ。ドドは一体どうやって人食いの名前を掴んでいたのかと思っていたが、どうやら同じ人食いのキュウが知っているらしい。

 ロコはベトベトンに近づけなかった。ヘドロの身体から放たれる臭いがあまりにも強烈だったためだ。ドドから貰ったハンカチも効力を失ったかのように、嫌な臭いが貫通する。

 不意に、ドドはロコをぎょっとさせる行動に出た。右腕をベトベトンの前に差し出し、近付けたのだ。ベトベトンは、うおー、と鈍い唸り声を上げて、ドドの腕にヘドロを伸ばし包みこんだ。心臓が縮みそうな思いをしたが、ドドは振り返って笑う。

「大丈夫ですよ、お嬢様。人食いとは言えど、ただその肉を食らう者だけとは限らないのです。例えば、水分だけを食らう者、爪だけを食らう者、色素だけを食らう者。色々な奴がいる。こいつは恐らく、人間の垢や体内の毒素を根こそぎ食らう人食いです」

 ドドの腕にまとわりついたヘドロは、事実すぐに離れた。ドドがその腕をロコに見せると、確かに包まれた部分だけ色が明るくなったように見える。

「ほらね」

 ドドは呟いた。ロコの頭に、新たな疑問が浮かび上がる。

「でもどうして私、こんなにひどい臭いに気付かなかったのかしら。近くにずっといたはずなのに」

 この質問には、キュウが答えた。

「こいつは人間の毒素を食うと、ゲップみたいなのを出すんだ。食えば食うほど臭いを出す。ただ一回一回の量はそんなに多くないから、臭いは少しずつ強くなっていく。それだから、ずっと屋敷にいたりなんかすると、気付かないこともあるかもしれないな」

 キュウはけたけたと笑った。そういえば、そうだ。ロコは数か月家を出ていなかったことを思い出した。ロコがドドの顔を見上げると、ドドは理解したように頷く。

「しかし、自分の毒素をこいつに食わせている人間がいるということになる。毒素をこいつに全て預けて、自分の美を保っている人間が」

「一番臭いに鈍感なのはエサやってる張本人だろうな。自分の臭いだから、気付けるわけがねぇ」

 ロコははっとした。ある人物が一人、頭に浮かんだ。まさかと思ったが、意思に反して人物の像がはっきりと浮かび上がる。

 その時、階段を勢いよく降りてくる音。ロコは背中を冷たい金属のトゲで刺されたような感覚を覚えた。まさか。

「あなた達、ここで何をしているのです」

 クラウディア夫人の声が、狭い空間に反響する。息を乱し、肩を震わせ、口元を大きく歪ませて、ドドに対して怒りをむき出しにしていた。

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