時の流れというものは早いもので、俺がこの異世界に迷い込んでからもう五十年の月日が流れた。俺は変わらず永琳の家で暮らしている。元いたところとは根本的に異なるので、その間いろいろと慣れないこともあって苦労もしたが、五十年も住めばもう立派なこの世界の住人だ。もといた世界の記憶は、もはやもやがかかった状態で思い出すことも難しい。
今の俺の肩書としては八意家の居候兼永琳の雑用係である。彼女の診療所は朝から開院なので、仕事は朝早くからあり早起きは必須なのだ。起きた後は風呂場に隣接してある洗面台で顔を洗って歯を磨く。その際、備え付けられた鏡を見るのだが、俺におかしなことが起こっているのだ。人は皆、年を重ねるとともに外見もそれ相応に変化していく(この里の住民は別だが)。なのにこの五十年、俺の容姿は全くというほど変わっていないのである。髪や髭は伸びているし体に筋肉だってついたのだが、全体的に二十代の若さを保っているのだ。俺氏、不老である。永琳にこのことを相談すると、あら、若いままでいられていいじゃない、と言われた。気楽すぎである。
この世界に来るまでは、朝は目覚まし時計の力で起きていたのだが、この里にはそんなものはなく(時計そのもの自体はある)居候当初は寝坊が多くよく永琳に怒られた。しかし慣れというのはすごいもので、住み始めて一年後にはそれがなくとも大体決まった時間に起きることが出来るようになった。朝が弱かった俺としては、まさしく感動ものである。
八意家の構造を大雑把に言うと、診療所と居住スペースが分かれている二階建てのハイブリットな家である。さらに詳しく言うと、一階が診療所となっており二階が居住スペースだ。生活全般に関わる部屋は全て二階にあり、一階には診察室や病室、永琳の研究室がある。ちなみに、五十年前に俺が妖怪に襲われて運び込まれた部屋は一階にある。
なので当然のごとく俺と永琳の部屋は二階にあり、俺の最初の仕事は彼女を起こすところから始まる。適当な着物に着替え、廊下に出る。
「えーいりーんさーん、あーさでーすよー」
リズムをつけどことなくふざけたように呼びかける。というか、ふざけて言っている。これを彼女の部屋の前で言うが、まあまず起きてくることはないだろう。なぜなら彼女は朝に弱い。弱すぎる。彼女一人ではなかなか起きてこないので、俺が目覚まし係りを仰せつかったのだ。この五十年間毎日呼びかけているが、未だにこれで起きたためしはない。なので一緒に寝ようと言っているのだが彼女はそうしようとはしない。彼女が言うには、寝顔を見られるのが恥ずかしいから、らしい。いまさらそんなことを気にするような間じゃないのにな。
五十年も二人の男女が一つ屋根の下で暮らしているので、まあやることはやっている。きっかけは、同居を始めてから十年が経とうとしていた頃だった。ある晩、永琳と遅くまで飲んでいた時だった。その日の彼女は何か嫌なことがあったそうで、とても機嫌が悪かった。話を聞こうにも何も話そうとしないので、どうにかして機嫌を直そうと四苦八苦していると、酔った永琳が酒の飲みすぎでもどしてしまった。介抱し部屋まで連れていった際に上気した顔の彼女に迫られ、そのままなし崩し的に関係をもったのだ。当時の俺は行為の経験がなく、部屋に充満していた淫靡な空気に負けてしまったのだ。そしてそのまま今に至る。お互いに好意は持っているが(少なくとも、俺は永琳に対して好意を持っている)、それを面と向かって伝えることはまだしていない。なんだかいまさらな感じがして、未だに口にはしていないのだ。
「ほら、起きろ」
案の定起きない永琳を起こすために部屋に入った俺は、彼女がくるまっている毛布を勢いよく剥ぎ取りながら言う。永琳は起こそうとしてもすぐに毛布にくるまり動かない姿勢を見せるので、最初からその選択肢を奪うのだ。
「んん~~~」
毛布を取り上げられ、寒さで意識が覚醒したのだろう。永琳は目を開け、体を起こす。
「おはよう永琳」
「……おはよ……」
眠そうな顔で彼女は言う。いつもの彼女は知性的で凛とした人なのだが、寝起きの時だけはまるで子供みたいなのだ。その可愛い姿は俺の毎朝の楽しみである。
「まず顔洗うから。ほら、行くぞ」
「ん……」
厄介なことに彼女は起きてもしばらくの間は動かずにぼーっとするのだ。しかも高確率でまた寝る。だからさっさと刺激を与えて完全に目を覚まさせなければいけない。
彼女を立たせ、手を引いて洗面所へと連れて行く。永琳はふらつきながらも俺にしがみついて歩いている。まるで子供を相手にしているみたいだ。この一連の流れが、俺の一日の最初の仕事である。
◇
彼女が身支度を整えている間、次の仕事は台所で朝食を作ることだ。台所の設備はなんとかまどで、ここに来た当初はめちゃくちゃびっくりしたのを覚えている。最初はよくわからなかったが、使い方を永琳に教わったので今では難なく使いこなしている。
「今日の朝ごはんは何?」
完全に眠りから覚醒した永琳がやって来た。今日は菖蒲の柄の着物を着ている。
「ご飯と味噌汁と焼き魚」
「普通ね」
普通ですけど何か!?
しばらくしてできあがった食事をちゃぶ台に運ぶ。ご飯は永琳がよそってくれているので一つ手間が省けて楽である。
「いただきます」
「いただきます」
二人同時にいつもの挨拶をすませ、食べ始める。
「あ、この大根おいしいわね」
「それな、昨日茜ちゃんにもらったやつだ。なんでも畑から取れたてのやつなんだと」
「ふーん」
「今度会ったらお礼言っとけよ」
「はいはい」
「はいは一回」
なんか少しふてくされた様に見える。何でだ?
「なに怒ってんだ?」
「別に怒ってるわけじゃないけど……」
永琳は口をとがらして言う。
「怒ってないんなら、一体なんだ?」
「……十六夜さんのこと、ちゃん付けで呼ぶのね」
「は?」
十六夜さんというのは大根をくれた茜ちゃんのことだ。十六夜茜。実際の年齢は俺よりはるか上だが、見た目は女子高校生ほどである。永琳と同じく銀髪の髪が特徴的な子で、髪の長さは肩にかかるほどである。とても元気な子で、数年前に彼女の母親経由で知り合い、今でも仲良くさせてもらっている。
「なんでちゃん付けで呼ぶの?」
なぜ永琳はそんなことを気にするのだろうか……。
「あの子に対してそれが一番しっくりするんだよ。十六夜さんとか茜さんとかで呼んでも、なんか変な感じがするからな」
「ふーん」
なんだか煮え切らない表情だなあ。嫉妬でもしてんのかねえ。
食べているうちに、思い出したことがあった。
「明日ってあれだろ?永琳の幼馴染が帰ってくるんだろ?」
「そうね。明日が調査団の帰還の日だもの」
調査団とは名前の通り、里の外を調査している集団のことである。彼らの目的は、里をより発展させるために他の集落を訪ねたり、新たな土地を確保して領土を拡げていくことにある。一月前、その調査団が百年ほどの長期遠征から明日帰ってくるとの知らせがあり、そのメンバーの中に彼女の幼馴染である男がいるというのだ。名前は月夜見というらしい。それにしても遠征の期間がおかしすぎる。桁が違う。さすが長寿族。
「明日はどうするんだ? やっぱり、再会を祝して二人で食べに行ったりするのか?」
もしそうなら明日の食事の量を調整しなければならない。早めに聞いておいた方がいいだろう。雑用係は大変なのである。
「いいえ。特にその予定はないわ」
「そうか」
ないならないでいいんだが。
「……もしかして、行ってほしかったのかしら?」
「はあ?」
永琳は少し寂しそうな口調で聞いてきた。なんか今日は妙に甘えた感じだな。
「一人だと寂しいし、永琳がいてくれた方がいい」
「…………そう」
ドヤ顔で言うが、彼女はなんともないように返事をして食べ続けている。なんだこれ。これじゃ俺一人恥ずかしいやつみたいだ。少し顔が熱い。
◇
朝食を食べ終わった後は、食器の片づけを二人でし、それから診療所の開院の準備をしなければならない。俺の仕事というと、外の掃除である。玄関に用意されてある箒とちりとりを使って、診療所前を一時間ほど掃除するのだ。永琳は中の準備をしている。
この五十年で俺のことについて判明したことがある。能力のことだ。結論から言うと、俺には【ありとあらゆるものを阻む程度の能力】がある。それは何かというと、文字通り阻むのである。妨害する、と言ってもいい。例えば、人が歩いていて、その進行を止めたいなら能力で止めることが出来るし、川の流れを止めたいなら止めることが出来るなど、基本的には物事の進行を妨害するというのが根本の能力だ。この能力は物理的精神的を問わず使用することが出来る。例えば、空腹の進行を止めたいなら止めることが出来るし、他人から自分に向かうある感情を止めたいなら、能力で相手が自分にその感情を感じることを止めることが出来る。この能力は防御・妨害系のもので、攻撃などには向かないものだ。だが、この能力だったからこそ、俺は妖怪からの攻撃をふさぐことが出来たのである。
しかし、いくつか欠点がある。一つは、効果を得るためにはそれが効く範囲や対象を決めなければならないということ。二つ目は、使用に制限があるということ。少し話は外れるが、永琳の検査の結果、俺には霊力があった。そして、永琳との実験で能力を発動するたびに俺の霊力が減っていたのだ。つまり、能力の発動には霊力を使用するということである。霊力には限りがあるので、能力の使用にも限りがあるということだ。しかも発動する対象や範囲の規模により使用する量も変わってくる。それらの力が強かったり規模が大きいほど、必要となる霊力も比例して多くなるのだ。永琳曰く、霊力はその人自身のエネルギーでもあるので、能力を使いすぎたり自身のキャパシティー以上の霊力を使おうとすると、意識不明に陥ったり最悪死ぬことになるという。残念なことに俺の霊力はそんなに多くはないらしいので、使いすぎは注意である。
考えているうちに掃除が終わり、いよいよ開院である。永琳は里の人々にとても慕われているので来院する人はとても多いように思うが、実はとても少ない。理由は二つあり、一つは、永琳には【あらゆる薬を作る程度の能力】がある。これにより昔から里に蔓延る疫病は撲滅され、ほとんどの病気には彼女が特効薬を作ったので病気にかかる人はめったにいず、かかったとしても薬を処方してもらいに訪れるだけである。来院するのはそういう人か、妖怪に襲われたり事故などで体に怪我を負った人である。そういう患者には永琳が手術を行ったりして治療する。まあ、このケースもあまりないが。
もう一つは、永琳がキレたかららしい。これは俺がまだいなかった時の話なので人づてで聞いたのだが、当時、診療所に永琳目的で来る者が後を絶たなかったという。それこそ子供から老人まで。当然、診療所は特に診察する必要もない人で埋まり、騒ぎが収まらなかった。どちらかというと、静かなのを好む永琳は最初は我慢していたようだが、ある時堪忍袋の緒が切れたようで、集まっていた住民にブチギれ怒鳴り散らしたらしい。その様子はまるで鬼のようで、あの温厚な永琳がキレたのは後にも先にもこの時だけなのだという。
おかげさまで、診療所に集まる輩もいなくなり、そして俺がここに住み着いたことで、永琳は来院者の受付を俺に任せ自分は研究室にこもるようになった。俺は来もしない患者を待ち、長く暇な時間を過ごしていた。
昼過ぎに午前の診療時間が終わり、永琳と昼食を食べる。その後は午後の診療時間の開始に伴い永琳は研究室に戻り、俺は再び暇な時間を過ごした。
今日は午前午後共に誰も来ないという奇跡的な記録を残し、勤務時間を終えた。いつもならどちらかの時間帯に一人は来るのだが。
それからは夕食の買い出しに行かないといけないので、日が暮れだしたころに永琳と共に商店街へ行く。明日は調査団帰還のセレモニーがあるので、街はいつもより人で賑わっていた。
「今日は何か食べたいものはあるか?」
同じく買い出しに来た主婦やそれについてきた子供にあふれている道を歩きながら俺は永琳に聞いた。
「そうね……。今朝は魚を食べたし、今晩は肉類はどうかしら?」
「おっけ」
うちの女神様は肉を所望のようだ。
肉屋に入り、商品を見て回っていると、中にいた主婦に声をかけられた。
「こんばんは、八意博士、巧さん」
「あ、こんばんは。ふみよさん」
「こんばんは」
彼女は昨日大根をもらった茜ちゃんのお母さんで、よく買い出しの時に会う。娘と同じ銀髪をしており、見た目も似ているためたまに間違う。
「今日も二人仲良く買い出し?ホント仲良いですわね」
「まあ一緒に住んでますからねー」
「そうね」
なぜか永琳は俺が買い出しに行こうとするとついてきたがる。断る理由もないので、主に買い出しは二人で行っているのだ。永琳はよく人から話しかけられるが自分から誰かに話していくような女じゃないので、俺と人との会話には全然入ってこない。
「明日はいよいよ調査団の帰りよね~。八意博士も、月夜見さんが帰ってくるでしょう?久々の再会じゃない。うちも旦那が帰ってくるのよ~」
「そうですか。めでたいことです」
「ええ。ありがとね。でも巧さん気を付けてね」
「? 何にです?」
そう言うと、彼女はにやにやしながら言った。
「月夜見さんて、八意博士のこと昔から大好きだから、同棲中の男がいるって知ったらボコボコにされるかもね~」
「え!?」
なんてことだ! そんなこと知らねえぞ!
「おい永琳! どうすんだ!?」
「どうするも何も、どうしようもないわ。言っとくけど彼、だいぶ強いから巧は一瞬でやられちゃうわね」
「おい! それじゃダメだって! そいつお前のこと好きなんだろ? それでなんか策はないのか?」
「ないわよ。それに私、彼は良い人だとは思うけれど、別に好きじゃないし」
おいおい。こりゃあ詰んだかもしれんぞ。
「まあまあ、冗談よお。月夜見さんも悪い人じゃないから、もしそうなってもちゃんと経緯を話せばいいじゃ……」
ふみよさんがそう言葉を続けようとした瞬間、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「巧さん!」
「ん? 茜ちゃんじゃん」
「…………」
振り向くと、そこにいたのはふみよさんの娘である、十六夜茜ちゃんがいた。彼女は嬉しそうな顔でこちらに話しかけてきた。
「こんばんは! 巧さんと八意博士。巧さん、昨日の大根のお味はどうでしたか?」
「こんばんは。うまかったよ」
「ほんとですか!? 良かったです!」
「うん。永琳も喜んでたし」
「八意博士もですか!? 光栄です!」
彼女は目を輝かせながらそう言った。笑顔が可愛い子である。隣にいる永琳というと、彼女に向ける目が、こころなし鋭いものになっていた。
「何にらんでんだ?」
「にらんでなんかいないわよ」
小さい声で永琳にしゃべりかけるが、反応は想像通りのものだ。今朝といい、なんで彼女は茜ちゃんを目の敵にしているんだろうか。
永琳の機嫌もなんだか悪く、これ以上放置しておくと後々機嫌を直すのが面倒なので、さっさと買うものを買って帰ることにした。なんだかんだで俺自身ずっと話しっぱなしはしんどいのである。
「すいません。夕食を作らないといけないんで、俺たちこれで帰ります」
「あらそう? ごめんなさいね、引き止めちゃって」
「さようなら! また会いましょうね巧さん!」
「さいならー」
「さようなら」
そう言って彼女らと別れ、家路へとつく。
◇
「なんでそんなに茜ちゃんにつっかかるんだ?」
夕食時、俺は永琳に聞いた。
「つっかかってなんていないじゃない。ただ……彼女はなんだか気に食わないのよ」
「どういうことだよ? お前が特定の人物を気に食わないっていうのは珍しいな」
「全く……。あなたは時々鋭いんだか鈍いんだかよくわからなくなるわ。わかってるんでしょ? 彼女が、あなたに好意を持っているということを」
それについては気づいていたが放置していた。気づいたところでどうしようもないしな。それにうすうすそうじゃないかと思っていたが、こいつ茜ちゃんに嫉妬してたのか。そういう感じを今まで出さなかったものだから、あんまり想像がつかなかったな。
「変な心配しなくても、俺にはお前がいるだろ」
「わかってはいるけど……。見てておもしろくないのよ」
そう言いながら永琳はやけ気味に肉をほおばっている。ちなみに今日の晩御飯は焼き鳥だ。それにしても、あのクールな彼女がこんなことを言うなんてな。
「だったら、結婚でもするか?」
「!?」
半分冗談半分本気で言うと、彼女は雪のような肌を真っ赤にして驚いた。
「そ、それ本気?」
「まあ」
そうだ。今思えば、俺たちはだらだらと中途半端な関係を続けすぎた。ここらではっきりと言った方が良いのだと思う。
「永琳」
「なに?」
「好きだよ」
「…………私も、好きよ……」
彼女はうつむきながらも潤んだ目を合わせて言う。とても綺麗だ。こんな笑顔が見れるなら、もっと言っていればよかった……。今夜は、燃え上がろう、なんてな。
◇
その日の夜、部屋で二人して燃えがっていた俺には、永琳の幼馴染のことなどもはや頭になかった。まさかその男が、俺の人生を狂わせ、生涯をわたって戦う運命にあろうとは、夢にも思わなかった。
いまさらながらこの小説は不定期更新です。