だから、やめるを押しておかなきゃいけなかったんですね。
その時ダイバーネーム、アイカの脳裏をよぎったのはそんな言葉だった。
右を向いたら爆発音、左を向いたらどこからか飛んできたビームで四散する名前も知らないダイバーのガンプラ。
『ヒャッハー!』
そして今時、アセットの素材をそのまま貼り付けて作っただけのゲームにも出てこないような世紀末的奇声を上げながら自分たちを追いかけてくる、全身にトゲを生やしたガンプラたち。
──なんだこれ、地獄か?
世界初の電子生命体、ELダイバーを生み出して、今やガンダムに詳しくないそこらの女子高生も第四の世界としてログインする花形フルダイブオンラインゲーム、「ガンプラ・バトル・ネクサス・オンライン」、通称GBN。
アイカも、例に漏れずその華々しいイメージを抱いていたのだが、初めて受けたミッションで飛ばされた先にあったのは世紀末もかくやという地獄だった。
これをどんな気持ちで受け止めればいいのか、そんなことを考える余裕さえアイカには残されていない。ただ許されるならこんな場所をGBNに作りやがった開発者を一発殴りたかった。
自身を狙ってのものもそうでないのも含めて、今もアイカがダイブしたディメンション──ハードコアディメンション・ヴァルガには梅雨空模様のように四方八方へと弾幕砲火が降り注いでいる。
「……ど、どうして、こんなことに……」
ぼそぼそと、蚊の鳴くような声で呟いた銀髪の少女が通信ウィンドウに映し出された。エリィ、とダイバーネームが表示された彼女こそが、今のところアイカの暫定パーティメンバーであり。
「だ、大丈夫! あたしが聞きたいぐらいだから!」
──全ての元凶だった。
なんのフォローにもなっていないが、精一杯の明るい言葉を返して、アイカは自身が操るガンプラのブーストを全力で噴かす。
死んでペナルティがあるゲームではない。それでも、飛んでくる弾幕砲火の臨場感は否応なくアイカに死を想起させる。
ピンク色に染められ、ヒール状のパーツを脚部に接続し、腰回りのアーマーと頭部アーマー以外に追加装甲を装備していないコアガンダムーー「コメットコアガンダム」と、コンポジット・シールドブースターを二枚失ったTR-6「ヘイズルⅡ」はただ、降り注ぐ暴力の雨から逃げ回るしかなかった。
二人の受けたミッションの内容は、「一個の花を納品する」だけだというのに。
何をやっても中の上だった。
指定された棚にガンプラの箱を並べながら、朝村愛香は己の半生をそう振り返る。
運動会で精一杯走っても三位を取るのが先の山で、それなりに本気でやってたはずの中学の吹奏楽部はダメ金に終わった。ならばと趣味に力を入れてみたけれど、愛香の作った手芸品に付いた値段の最高額は300円、1円の価値にもならないものをいくつも積み上げた上での結果だった。
今もテレビを見れば、同じくらいの年頃で名誉ある功績を受けた高校生がいる。本屋の雑誌コーナーを見れば、同じくらいの歳で、カリスマ読者モデルとして華々しくファッション紙の表紙を飾る高校生がいる。
上を見たらキリなんてないのかもしれない。もしかすれば、そんな愛香の中の上な、植物のような人生を望んでる人だってこの世のどこか、具体的にはこの国の北の方にいるのかもしれないけど、それでも。
「なんなのかなあ」
「それならバウですね、こっちの棚じゃないですか?」
「ありがとうございまーす」
お前には聞いてないしそういう話でもねえよ。
いらないアドバイスを送ってきた知らない男に溜息を噛み殺した愛想笑いでそう返しつつ、バウというらしいオレンジ色のモビルスーツが描かれたガンプラを言われた通りの棚に並べる。
ガンダムベース。お台場近郊にそびえる実物大エールストライクガンダムを目印にした巨大ショッピングモールであり、愛香が店員としてバイトに従事している店の名前だった。
ガンダムのことは詳しく知らない。今並べているガンプラがバウでもザクでもなんでもいいけれど、ここは時給がずば抜けて良い。
学校から通いやすいのもメリットだ。
一応、同級生の中にはここに置いてあるゲームをプレイする為熱心に通っている男子がいることは覚えているし、何度か顔も合わせている。だけどその、確かクガといったか──彼と話したことは、一度たりとて愛香の記憶にはない。
愛香とガンダムの接点は、今まではその程度のものでしかなかった。
だが、愛香は世界を変える力を見た。
その映像を見たのはただの偶然だった。平時の業務は品出しがメインで、レジ打ちに立っているのはベテランの店員だったから、必然的にゲームブースに関わることもなかったのだが。
『私たち、「アルス・ノヴァ」です!』
世界のどこかで蝶が羽ばたいたことが、また違う場所で竜巻を起こすように、きっと併設されたカフェで飲み物を頼もうと思わなければ、壁にかけられたスクリーンに映し出されるライブ映像を愛香が見ることはなかった。
特別なことは何もない。そのスクリーンはGBNで配信されているライブ映像を種類を問わずランダムでピックアップして流しているだけのものだ。
猛者たちの激戦が拝めることもある。或いは不動のチャンプ、クジョウ・キョウヤが直々に高難度ミッションの攻略法を教授してくれることもあれば、なんてことはない、ただディメンジョンを行き交う人々の様子が映し出されるだけの時もある。
愛香が見たものは、「ノゾミ」というダイバーネームを掲げる、栗色の髪を二つ結びにまとめた少女をセンターにした三人組が、何やらピンク色に染められたストライクガンダムの掌で歌い、踊るというライブ配信だった。
「……かわいい……」
その言葉を、誰が呟いていたのかはわからない。愛香自身だったのかもしれない。他の誰かだったのかもしれない。
ただ、アップテンポなガンダムの劇中挿入歌を完璧にコピーした振り付けで歌い、踊る少女の姿は、閉店時間間際に残っていた客が顔を突き合わせてそう呟く程度には愛らしいものだったといえる。
そして、その光景は愛香の固定観念を破壊するには十分なものだった。
「……GBNって、バトルだけじゃないんだ」
よくわからないけれど、ガンプラを組んで、スキャンして、果てのない頂点を目指して戦い続ける。
それが愛香をはじめとして、GBNというゲームに対してさほど興味のない人間が抱くステレオタイプであったし、GPDから移行したプレイヤーが多い稼動初期はそのような色が濃かったのもまた事実だ。
だが、ガンプラは、GBNは変わった。
その最たる理由である電子生命体──ELダイバーの出現とそれに伴う激戦や犠牲について、愛香が知ることはない。
それでも、彼らが、ビルドダイバーズがもたらした未来と多様性の結実として、18メートルに拡大されたガンプラの掌で歌って踊るアイドルが、ガンダムベースの店内でそれこそアイドルのように来客から笑顔を向けられるプラスチックの身体を持つ電子の少女がいる。
どうしてかはわからない。
アイドルをやるなら、現実でだってできたはずだ。それでも、あのノゾミという女の子はあえて、GBNを輝く舞台に選んでいる。
不思議だった。だが、その不可解さが、いってみれば非合理性が、愛香の心を強く揺さぶっていた。
『キャプテン・ジオンの──』
アルス・ノヴァと名乗った少女たちが一曲歌い終わった辺りでライブ映像は切り替わり、今度は赤と黄色のツートンカラーに彩られた全身タイツに身を包んだ、筋骨隆々とした大男がモニターに映し出される。
不審者かと、それが愛香の率直な感想だった。
いやだって、さっきの感動も消し飛ぶ極彩色の全身タイツだ。不審者じゃなければツイスタに昼飯の画像でも毎日上げてそうな感じの人だ。
どうしてくれんだこれ、と、憤慨混じりに飲み終わったフラペチーノの容器を握り潰して愛香が立ち上がろうとした、その時だった。
『今回紹介するのはこの「コアガンダム」だ。私が見かけた──』
どうやら、昼飯の画像でも上げてそうな人の配信は制作講座らしい。
画面に大きく映し出された、クリスタルパーツを胸部に飾るガンダムの姿は、一応バイトで一通りの商品には目を通している愛香の知らないものだった。
まず、小さい。
昼飯の人が作ったらしいオリジナルのガンプラと、エールストライクガンダムとコアガンダムを比較した画像へと画面が切り替わるが、その大きさはまさに大人と子供。
彼の愛機、ν-ジオンガンダムが大きめなことを差し引いても、それでも標準サイズのエールストライクと比べても尚、コアガンダムは小柄な体躯だった。
愛香はガンダムについて詳しくは知らない。昼飯の人がどんなプレイヤーで、辛うじてエールストライクがどんなガンダムか知っている程度だ。それでも。
「……かわいい」
コアガンダムに愛香が抱いたのは、奇しくもノゾミを見た時と同じ感情だった。
一言で表すのならばきっとそんな陳腐な言葉に押し込められるかもしれない感情。だが、ノゾミの歌にも、コアガンダムの姿にも、そこには他人を突き動かす、大きな想いとでもいうべきものがあったのかもしれない。
駆け出していた。
忘れないために。一秒でも早く、家に帰るために。
いつしか忘れかけていた情動に突き動かされるがまま、愛香は走り出す。
ノゾミ。アルス・ノヴァ。あえて、戦うために電子の海を泳ぐ人々のひしめくGBNでアイドルをやっていた、女の子たちのこと。コアガンダム。あの可愛いガンダムのこと。
何かが、できそうな気がした。
きっと、いつだってそうやって勘違いに終わってきたかもしれない、それでも忘れることのできない、捨てることのできない高揚感。
愛香は、何かになろうとしていた。何かを、作り上げようとしていた。
ここじゃないどこかで──ガンプラバトル・ネクサス・オンラインで。
「我ながら、初めてにしては上手くやったのかな?」
アーカイブ化されていたキャプテン・ジオンの制作講座と睨めっこをして一ヶ月、果たして愛香の鞄の中には、いわゆるへの字スリットがなかったり、細部こそオリジナルと違うものの、ほぼ記憶と映像の姿を再現したコアガンダムの姿があった。
ガンダムベースの中に併設されている制作ブースでは3Dプリンターや射出整形機が無料で貸し出されていることもあって、初心者でも思い描くパーツが作りやすいのは追い風だった。
初めて客として足を踏み入れるゲームブースのどこか剣呑とした空気に、愛香の心臓が早鐘を打つ。
「確かガンプラをセットして、ゴーグル被ればいいんだっけ」
事前にバイトの先輩から受けた説明をなぞり、愛香は完成したばかりのコアガンダム──ピンク色に彩られた「コメットコアガンダム」をダイバーギアにセットして、ゴーグル型のデバイスを装着する。
『GPEX SYSTEM START UP──』
「それじゃ……行きますか!」
長いエレベーターで永遠に降下するような、意識が下へと引っ張られていく感覚と共に、エントリーを決定した愛香の意識は電子の海へと転送され、そこで再構築されていく。
校則に引っかからない程度に色を抜いて、ボブカットに切りそろえた薄茶色の髪は、ふわふわとウェーブのかかった機体と同じ桃色に。瞳は青く染まり、その中心には星が煌めく。
そうして愛香は生まれ変わる。愛香からアイカヘ。瞬きをするより早く、ダイバー……GBNのプレイヤーを総称する言葉としての姿へと。
「アカウントは一ヶ月前に作ってたんだけどねっ☆」
ふわり、と、意識と同時に愛香、もといアイカの両足がエントランスディメンジョンに着地する。
こうした感覚のフィードバックは最近まで曖昧なものだったらしく、はっきりと感じられるようになったのはここ数ヶ月のことらしいのだが、正直アイカとしてはどうでもよかった。
むしろアカウントを作らないとG-Tube──あのモニターに映されていた、GBN内の動画配信サービスが見られないことの方が改善してほしいぐらいだった。
おかげで自分のように動画を見たりするためだけにわざわざアカウントを作る人がそこまで珍しくないことを知れたのはよかったけど。一人呟いて、アイカは当てもなくエントランスを歩き回る。
「初心者向けって言ってもさ、最近の公式ミッションって難易度高めになってるんだよ」
「あ、あの、ええと……」
「んん?」
その声が聞こえたのは、歩いて5分も経たないうちのことだった。
何やら、不穏な空気だ。アイカは、声のした方に視線を向ける。
エントランスの端の方、茶髪の男が何か自販機らしきものが二つ並んでいる隙間に話しかけている。
まさか自販機に話しかけていて、自販機が答えてくれるほどハイテクなゲームってわけじゃあない。それに、答える声は明らかに困惑とかそういうものが滲み出ていた。
アイカが近付いても、人の良さそうな笑みを浮かべて自販機の隙間にいわゆる壁ドンをしている男は気付く様子もなく、何やら隙間の主と思しき銀髪の少女にぺらぺらと語り続けている。
「俺ら情報屋ってさ、そういう初心者お断りなこのゲームを変えていきたいんだ、エリィちゃんだっけ? ロビーミッション受けようとしてたみたいだけどやめといたほうがいいよ、代わりにこっちのミッション受けたほうがいいって。簡単だしさ、報酬だって相場よりいいよ?」
──うさんくせえ。
明らかにエリィと呼ばれた子は怯えてるし、この手のゲームで聞いてもなさそうな初心者に積極的に関わろうとするのはよっぽどの変わり者か、もしくは。
「そのお話、ちょっと私にも聞かせてもらっていいですかっ?」
「ん? 構わないけど……キミは?」
「私、アイカです。始めたばっかでなんかよくわかんなくて」
「……ふうん、ちょっとプロフィールカード見せてもらっても?」
「どうぞ☆」
何が悲しくて開幕早々ロールプレイを崩したくなるような奴の相手をしなくちゃいけないんだ。
内心で舌を出しつつも、アイカは笑顔を崩さず出来たての初心者丸出しといったプロフィール画像に定型文だけが書かれたカードをスクリーンに提示する。
(……エリィだったっけ、なんかどっかで見た気がするんだよね)
情報屋を自称する男がアイカのプロフィールカードを穴が空く勢いで睨め付けている間、アイカは自販機の隙間で震えているエリィを見つめていた。
知り合いというわけではない。アイカは正真正銘、エントランスに降り立つのは今日が初めてだし、リアルでGBNをやっている知り合いも、同じ学校に通っているというだけで、話したことすらないクガ……クガ・ヒロトぐらいしかいない。
というかそもそも話してないなら知り合いですらないのかもしれない。
ただ、エリィの姿にはどこか引っかかるものがあったのだ。
アイカが既にそうであるように、ダイバールックは作ろうと思えばいくらでも作れる。現実世界の性別すら電脳の技術は超越する。それでも、中身までロールプレイする人間はこの時代でも少数派だ。
そして、あんな風に何かに怯えているような振る舞いをするような人間は、アイカの中に心当たりがないわけでもない。
「……OK、本物みたいだね」
「本物、ですか?」
「高ランクが初心者になりすましてパワーレベリング……まあ初心者の代わりに一人でミッションクリアするのは良くないからね、じゃあ二人がパーティ組むってことでいいのかな?」
自称情報屋は手際よくコンソールを操作しながら、エリィとアイカに問いかける。
「エリィちゃんだったよね?」
「……ひぅ……あ、あの……は、はい……わたしは、エリィです……」
「うんうん、私はアイカ。初心者同士よろしくねっ☆」
どうにもシャイな子みたいだ。アイカが震えている両手をそっと包み込むように握ると、エリィは顔を真っ赤にして目を逸らしてしまう。
「それじゃパーティ申請してからこのクリエイトミッションを承認してもらっていいかな、アイカちゃん」
「はーいっ☆」
思えば、ここでいいえを押しておくか、文面をよく読んでおく必要があったのだ。
例えば、インベントリの中身を確認してなかったせいで特定のアイテムを持っていると崩落するギミックが仕掛けられた橋から落っこちるかのように。
誤差で済ませてきたことが蓄積して洒落にならないロスになったり、そのせいでお祈り運ゲーを強いられたり。
つまり、アイカと、エリィが犯したのはそういう類の、どこにでもありふれたミスだった。
『クリエイトミッション:薬草を集めよう!』
『参加推奨ダイバーランク:F、クリア条件:指定されている座標に咲いている花の収穫と納品』
『ミッション開始地点:ハードコアディメンション・ヴァルガ 北部都市残骸地帯』
『このクリエイトミッションを受領しますか?』
『YES』『NO』
「それじゃ行こっかエリィちゃん」
「……は、はい……よ、ろしく……よろしく、お願い、します……」
コンソールにつらつらと浮かぶ文字列を斜め読みして、アイカとエリィはそっと、YESの文字に指を置く。情報屋を自称する男がほくそ笑んでいるのにも気付くことはなく。
そうして始めたての二人は、いきなり地獄への片道切符を購入するのだった。