「ごめんなさいね、最近こういう手合いが多くてアタシも困ってるのよぉ」
頬に右手を添えて、悩ましげに首を傾げながら、筋骨隆々といった風情の体躯をくねらせて、紫髪のダイバー、マギーが嘆息する。
その左腕には、クリア報酬である100BC──ゲーム内通貨にして見ての通りの端金だ──をアイカたちに渡したクリエイトミッションの発注主が抱き抱えられていた。
「はぁ、そうですか……」
モヒカンの次はマッチョか。
ロールプレイも忘れて、アイカは脱力感にがくりと両肩を落とす。
マギーがいうには、自分はそうした初心者狩りやシャークトレードを見つけては注意するお節介焼きで今回の件については別件の対処に回っている間のことだったために見逃してしまった、とのことだが、正直なところアイカとしては割とどうでもよかった。
それよりさっさとログアウトして家に帰って寝てしまいたい。それほどまでに、今回の一件でアイカの神経はすり減っていた。
「……あ、あの……っ」
「あら、何かしら? えっと……エリィちゃん、っていうの。可愛らしいわね」
おずおずと手を挙げて、まるで自分風情にその権利があるのかとでも怯えに両肩を震わせるエリィの右手を、宥めるようにマギーのそれが包み込む。
人の扱いに慣れているのだろう。オンラインゲームで相手のリアルを詮索するのは御法度だが、初めて会ったアイカにすらそう直感させるほど、マギーが取った一連の所作はこなれていた。
「……あ、あの。マギー、さんは……」
「ええ」
「……運営の、方……なんです、か……?」
エリィは自分の言葉を一語一語探り出すように、辿々しく問いかける。
確かに、初心者を騙す行為は褒められたものでこそないが、クリエイトミッションそのものは正式な手続きを得て受理されたものだ。
この手の機能で、作成主がクリア不能なミッションは認可されない。
実際に昔、十字キーとボタンで遊ぶタイプのゲームが流行っていた頃もそういうユーザー自身が作ったステージをアップロードするには、必ず作った本人のクリアが前提条件になっていたし、GBNも例に漏れずその黄金則を受け継いでいる。
「うーん、それを訊かれるとちょっと困っちゃうんだけど、アタシはただのボランティアよ。初めてのGBNで少しでも嫌な思いをする子たちが減ってほしい……って思ってやってるんだけど、中々上手くいかないのよね」
貴女たちにも、大変な思いをさせちゃったし。心から申し訳なさそうに眉を八の字に歪めて、マギーは小さく頭を下げる。
できた人だな、と、アイカはそう思った。
運営でもないのにこんなボランティアじみた活動を続けているだけでもお人好しだが、縁もゆかりもなければ恐らくダイバーランクも圧倒的に格下な自分たちに、ここまで真摯に接してくれている辺り、彼女の熱意は本物なのだろう。
「お詫びと言ったらなんだけど、これ、アタシがやってるフォースネストの場所。困った時はいつでも来て頂戴。相談に乗ってあげるから」
どんなことでも。
流れるような手つきでフレンド申請とフォース「アダムの林檎」が拠点にしているディメンションの情報をアイカとエリィに送りつけて、マギーは踵を返して去っていく。
その仕草は、一瞬二人を見惚れさせるほど優雅なものだった。
不思議な人だ。情熱に溢れているかと思えばクールで、キャラクターこそ濃いもののどこかキュートささえ感じさせる。
アイカもエリィも顔を見合わせて、ただ呆然と、雑踏に溶けて見えなくなるまで彼女の背中を見送ることしかできなかった。
「アダムの林檎……ってうわ、超有名ランカーじゃんっ!?」
呆然としていたのも束の間、送りつけられた申請画面を右手で確認し、開いた左手で開いたサブスクリーンから検索ポータルにマギーの情報を打ち込むという芸当をこなしながら、アイカは表示された結果に驚愕する。
「……わ、わたしたち、なんかが……フレンドに、なって……あ、わたし……」
驚愕の事実と、そんな人物から飛んできたフレンド申請に慄いたのか、エリィはびくり、と、細い肩を大きく震わせた。
無理もあるまい。アイカだって突然の出来事に開いた口が塞がらないのだ。
失礼かもしれないが、自己評価が低そうなエリィからすればそれは天地がひっくり返るような事態なのだろう。
アイカはそう思っていたが。
「……あ、の……あの、っ……!」
「ん? どしたのエリィちゃん、どうも夢じゃなくて現実っぽいけど」
現実は現実でも仮想だけどね、と右手で自分の頬を引っ張りながら、アイカは戯けてみせる。
まあ、受けて損がある話でもないだろう。悪い人ではなさそうだし、というかあれで裏は物凄い悪人だったらそれこそこのゲームで誰も信じられないし──と、マギーからのフレンド申請を受理しながら、アイカがぼんやりと考えを馳せていた時だった。
「……がうんです……」
「えっ?」
「ち、ちが……うんです、その、あの……わたし……」
何かを必死に伝えようとしているのだろう。突き出した両手を振りながら、頻りに左右を確認するという挙動不審極まる仕草と今にも消え入りそうな声で、エリィはログアウトボタンへと指先を伸ばすアイカの意識をこの場所につなぎ止めようとしていた。
「ん……何かあったの?」
「……あ、えっと、えっと……ご、ごめんなさい……っ!」
結局、何が言いたいのかよくわからないまま、エリィはどこか恥じ入るようにウィンドウへ浮かぶログアウトボタンを押して現実世界へとほどけていく。
「……なんだったんだろ」
多分、何か大事なことだったのかもしれない。
訝りながらも、アイカも伸ばしていた右手を元に戻してGBNからログアウトする。
──あのマギーって人だったら、最後まで訊けたんだろうか。
途切れた言葉と、別に何も悪いことなんてしていないのに、必死に頭を下げ続けるエリィの姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
それは長いエレベーターを延々と上っていく時にも似たような、意識を現実に引き戻す感覚──アイカが愛香に戻っていく間にも、消えることはなかった。
そして。
「……はー、つっかれた……」
ガンダムベース、シーサイド店のゲームブースに並べられた筐体の背もたれに体重を預け、アイカは気付けば深く長いため息とともに、そんな言葉を出力していた。
念願のGBNデビューを果たしたかと思えば初心者を騙そうとする悪質な奴に釣られて、即席のパーティーを組んで向かった初めてのおつかいは弾幕砲火とモヒカンの群れが跋扈する魔窟で、それが終わったかと思えばやたらと濃いキャラの超有名ランカーからフレンド申請が来て。
それほど長い時間ダイブし続けていたわけではないはずなのに、さっき起きた出来事を並べるだけで胸焼けがしそうだった。
なんというか、カロリーが高すぎる。豚骨ラーメンの原液にタピオカを浮かべたものを喉に流し込まれたようだと、愛香は胃もたれにも似た感覚を抱え凝り固まった肩をほぐしつつ筐体を立つ。
だからなのだろうか。
「あ……っ」
「わわ……っ、ごめんなさい、あたし、周り見えてなくて……!」
不注意だった。だが、動かしていた身体は何かにぶつかっていたし、それが人であることも、蚊の鳴くような声が耳朶に触れたことで認識できた。
愛香はよろけるだけですぐに体制を立て直せたが、ぶつかってしまった相手はそうもいかなかったようだ。
ぱたり、と、床に倒れ込んでしまう。
「すみません、大丈夫ですか!?」
痛々しい。それが、ぶつかってしまった相手──自分と同じ学校の制服を着て、腰まで届くほどに黒髪を伸ばした少女を見た愛香の率直な感想だった。
それは決してスラング的な意味ではない。彼女の右目と額は包帯に覆われているし、左の頬には絆創膏が貼られているという正真正銘、怪我人という出で立ちなのだ。
見ているだけでこっちの顔も痛んできそうな、どうしてガンダムベースまで足を運んでいるかが不思議なほどの重傷ぶりだ。
血の気が引いていくような感覚が、愛香を襲う。だが。
「あ……あ……わ、わた、しの……ガンプラ……」
「……へ?」
だが、少女の口から飛び出てきたのは痛みに対する苦悶ではなく、ガンプラを心配する言葉だった。
ぺたぺたと、手が汚れるのも厭わずにベースの床を触りながら、少女はぶつかった時に落ちてしまったであろうガンプラを探し出す。
(……もしかして、この子……)
包帯に覆われていない左眼は、サファイアを思わせる、綺麗な碧眼だった。だが、その焦点はどこか定まっている印象がなく、少女のすぐ右脇に落ちている白杖が、愛香の疑問を確信に変える。
「どこ……どこ……っ……?」
(見えて、ないんだ……)
恐らく白杖の存在は認識しているのだろう。だが、それが視認できる限界なのかもしれない。
右手で探り当てた白杖を握りながら、ぺたぺたと左手を突き回る少女のすぐ斜め後ろにある筐体近くに、それは転がっていた。
コンポジット・シールドブースターを二つ欠いたハイグレードのヘイズルII。奇しくも、愛香が先ほどGBNで行動をともにしていた機体と特徴を同じくするガンプラだ。
ヘイズルIIのキットにおいて、通常コンポジット・シールドブースターはポリキャップを受けに持つ3ミリ軸によって強固に接続されることを愛香は知らない。
だが、他にパーツが散らばった形跡が見受けられない以上、それが完全な状態であることは察せられる。
ぺたぺたと左手を突き回り、どこ、と繰り返す少女の左目にはじわりと涙が滲んでいた。
愛香はヘイズルIIを拾い上げると、壊れ物を扱うようにそっと、右手を少女の肩に置いた。
「あの」
「……は、はい……っ!? あ、ご、ごめん、なさい……ごめんなさい! わたし、ぶつかって……」
「ううん、こっちこそごめんなさい。周り見てなかったから……それと、一つ訊いていいかな」
声が聞こえた方にゆっくりと、ぎこちなく少女が振り返るのを待ちながら、その左眼を見つめて愛香は問いかける。
「間違ってたら申し訳ないんだけど……エリィ、って名前でダイブしてたりしない?」
ダイバーギアから回収したコメットコアガンダムを左手で差し出して、愛香は自身が「アイカ」であることを示したのだが。
「……っ……」
「?」
「えぐっ、ぐすっ……うええええ……っ……」
「えっ? あ、ごめん!」
少女はあろうことか、火がついたように泣き出してしまった。
ちょうどログアウトしたのだろう。筐体から立ち上がった名前も知らないダイバーの冷ややかな視線を受けながら、愛香はとりあえず、暫定エリィである少女が泣き止むまで、針の筵と化したその場にとどまることしかできなかった。
「……はい、わたし……エリィ、です……」
カフェブースの隅っこにある二人席に腰掛けた少女は、赤く泣き腫らした左眼を拭いながらぽつりとこぼした。
フライドポテトとフラペチーノを二人分、愛香の奢りで注文する形でお茶を濁そうとしたが、それでもどこか気まずい空気は拭えない。
やたらと塩気の足りない、芋そのものな味のするポテトをもそもそと咀嚼しながら、愛香はエリィが落ち着く頃合いを見計らって口を開く。
「あたしはアイカ。朝村愛香。同じ学校だったんだ、というか……」
「……はい、悠陽……悠陽、絵理です……あんまり、通ってないですけど……朝村さんと……同じ、クラスの……」
教室の片隅にほとんどいつも空白の席があることは愛香も知っていた。だが、それについて何か気を配ることはなかったし、こうして会うまで、悠陽絵理という人物がどんな出で立ちなのかははっきりと知らなかったし、知ろうともしなかった。
だが、縁というのは奇妙なものだ。
教室で出会うより先に、GBNでクラスメイトと出会う。それも一言で語り尽くせないような凄絶な経験と共に。
「なんか、あれだよね……色々忘れられないっていうか」
「……はい……」
漫画だろう。誰かに話すつもりもないが、もし語る機会があればそう自嘲したくなるほどにできすぎている。
「……あの、悠陽さん」
「……な、なんでしょう……」
「……怪我、大丈夫?」
恐らく通ってなかったのも、それが原因なのだろう。見るからに痛々しい、ガンダムベースよりも病院の廊下で出会う方が似つかわしい絵理の有り様を見て、愛香は少し遠慮がちにそう尋ねた。
「……ごめんなさい……」
「悠陽さんは悪くないよ、怪我しちゃったのなんて……」
「……違うんです……」
「へ?」
しかし、返ってきたのは愛香の想像、その遥か斜め上を突き抜けて成層圏すらぶち抜きかねないレベルの答えだった。
「……ごめんなさい……わたし、そ、その……怪我、して、なくて……ただ、その……見えない、から……目……色、違うから……それで……」
無理やり笑おうと引き上げた唇の端がくしゃりと歪んで、絵理ははらはらと左眼から涙を零す。
──いじめられないから。
途切れ途切れの言葉で、絵理はそう呟くと、嗚咽を噛み殺そうと唇を引き結んだ。それでも彼女の涙が止まることはない。
(……まずったなあ)
愛香は声には出さず、そう零す他になかった。
断片的だが、絵理の言葉から察するに彼女は視力と、恐らくその碧眼から迫害されていたのだろう。
そして恐らく、明らかな怪我人を装っていればそうした関わりを受けることを避けられると、そう思って包帯を巻いていたということになるはずだ。
目が悪いことが先なのか、目の色が他の誰かと違うことが先なのか。そのどちらであっても、彼女を迫害してきた連中の罪の重さが変わるわけではない。
愛香はそのどちらにも特別な感情は持っていなかった。絵理の視力が悪かろうと、絵理の瞳の色が自分と違っていても、それが何か自分にとって特別な意味を持つとは思わないからだ。
だが、知ろうとしなかった。
きっと、言葉一つ紡ぐのにさえ自信を持てないほどに追い詰められていた女の子が、同じクラスにいたことを。
──ならば。
ずきり、と、胸の奥が鋭く痛む。その感覚を踏み付けて、歩を進めるように愛香は必死に思考を巡らせて、探り当てた言葉を紡ぐ。
「悠陽さんは」
「……」
「明日、ガンダムベース来れる?」
あたしはバイト、休みだから。
精一杯の笑顔で、精一杯の言葉だった。
届いてくれるかとはらはらしながらも、愛香は宣告を待つ罪人のように、絵理の言葉を待ち続ける。
一分が、一秒が、どこまでも薄く引き延ばされていくような重苦しい感覚が両肩にのしかかるような錯覚に奥歯を食いしばり、そして。
「……いい、んですか……?」
「いいって、何が?」
「……わ、わたし……ゲームでも……今も、朝村さんに、迷惑……」
「迷惑じゃないって。それにほら、まだフレンド登録してなかったでしょ?」
あまりの出来事が続いたせいで記憶から抜け落ちてしまっていたが、最初に絵理へ、エリィへ行ったのは即席パーティーを組む申請であってそこにフレンド登録は付随していない。
「……あ、あぅ……わ、わた……わた、し……」
「それに、愛香でいいよ。こっちでも向こうでも。勿論、悠陽さんが嫌じゃなかったらだけど」
「い、嫌だなんて、そんな!」
さっきまで今にも消え入りそうな声を出していたとは思えないほどに力強く、絵理は自嘲気味に肩を竦めた愛香のそれを否定する。
ライブモニターに映っていたのがチャンピオンの試合で助かったと、自分たちに関心を払う気配のない他の客席を一瞥して愛香は苦笑した。
原因が自分にあるとはいえ、あんな針の筵はさすがに勘弁願いたいのだ。
「……ご、ごめんなさい、でも、わたしなんかが……いいんですか……?」
「いいって。あたしは明日もここに来るから」
フレンドから始めよっか。
言葉と共に差し伸べられた右手に困惑しながらも、絵理は恐る恐る手を伸ばして、愛香の指先にそっと触れる。
きっとそれが精一杯だったのだろう。すぐに引っ込めた右手と、真っ赤に染まった頬を見やれば、なんだか頬が緩んでいくのを愛香は感じていた。
「それと、絵理、って呼んでもいいかな」
あたしだけ苗字で呼ぶの、寂しいから。
半分は本心で、きっと残り半分は罪悪感とか贖罪とか、ごちゃごちゃに煮詰まったそんなものだ。
それでも、これは愛香の精一杯だった。
マギーのように彼女の心を自然に開かせることなんてできないけど、今までフラットな振りをして、見落としていただけだったけれど。
「……よ、よろ……よろ、しく、おねがい、します……あい……か、さ、ん……」
戸惑いと、緊張と、自嘲と、きっと愛香が知り得ないものを胸の内側で拍動するコンクリートミキサーにかけて、絵理は左眼から無色透明な血液を流し続ける。
それが少しでも膿んだ心を洗ってくれるなら。それが少しでも、前に進むことになるなら。
モヒカンに追いかけまわされたのも、きっと無駄じゃないのかもしれない。
よろしくね、と、二人は互いの名前を呼び合って、きっと絵理だけ塩気が足りている芋々しいフライドポテトを齧るのだった。
ヒロインちゃん登場
※フライドポテトは注文時に「塩が足りない」旨を店員に伝えて「塩が足らんのです」と答えてからかけてもらうの含めてシーサイドベース店におけるメニューの一環である(出典:ガンダムビルドダイバーズRe:Rise 1stシーズン)。