「……えっと、その……あたし、何が何だかわからないんですけど……チャンピオン……?」
「混乱させてしまって済まない。僕もいつも通りGBNの見回りをしていたんだが、その途中で懐かしい機体を見かけたからつい、寄り道をしてしまったんだ」
「懐かしい、機体……?」
アイカには優しく笑いかけながらも、どこか、研ぎ澄まされた刃を思わせる厳しさの宿った瞳で、今その隣に鎮座しているコメットコアガンダムを見上げると、チャンピオン──キョウヤは、その視線を崩すことなくアイカの瞳へと真っ直ぐに向ける。
「キャプテン・ジオンのガンプラ好きにも困ったものだが……この機体の原型になるコアガンダムは元々僕のフォースに所属していたメンバーが使っていたものでね。さて、確か君は……『リビルドガールズ』のアイカくんだったね」
「は、はい……」
有無を言わさないチャンプの厳粛な雰囲気に気圧されながらも、アイカは何とかその問いを肯定する言葉を必死に絞り出す。
チャンピオンに名前を覚えてもらっている時点で最早それは、GBNのプレイヤーとしては至上の喜びに近いのだろうが、そんな喜びを覚えるよりも先に、険しく向けられるチャンピオンの資産は極めて鋭利で冷たい鋼の刃を喉元に突きつけられてるような錯覚をアイカに与えている。
「一つだけ問わせてもらいたい。君はこのガンプラを……コアガンダムを、そしてGBNを愛しているかい?」
そうでなければ今ここで、PKの汚名を被ろうともアイカを撃つことも厭わないとでも言いたそうに、チャンピオン、キョウヤから突きつけられた問いかけは冷たい。
──コアガンダムを、GBNを愛しているのか。
死を予期したときのような走馬灯が、その言葉と共にアイカの脳裏に反響する。
アイカは思い出す。あの日、「ノゾミ」に憧れたことを。あの日、キャプテン・ジオンが紹介していたコアガンダムを「可愛い」と思ったことを。
そして今、その忘れえぬ日々の中で共に過ごす仲間たちと、エリィの控えめで優しい野花のような笑顔と、「絵理」の涙の奥に隠された傷痕とそこにある痛み、そして初めて触れ合わせた唇と舌先に感じた脳髄を痺れさせる甘さを。
それは、いつだってGBNと共にあった。いつだってこの電脳世界であれこれとドタバタに巻き込まれながらも、アイカといつも背中合わせで、時にはその心臓に迎え入れ、ここまで導いてくれたのは。
見上げた視線の先には、俯くコメットコアガンダムの姿がある。
コメットコアガンダムは泣いているように見えたし、何かを待っているようにも見えた。言葉は聞こえずとも、錯覚かもしれなくとも、アイカはそのツインアイから確かに声にならない声をその瞬間に聞いていたのだ。
「……い」
「うん?」
「はい、あたし……GBNが大好きです。エリィちゃんと出会わせてくれた、エリィちゃんやチィちゃん、アキノさんと一緒に過ごせるこの世界が、大好きです。そして……この世界にあたしを導いてくれた憧れが、そしてこの世界でいつも一緒にいてくれる、コメットコアガンダムが……コアガンダムが、エリィちゃんとおんなじぐらい大好きなんです!」
アイカの言葉に偽りはなかった。
がくがくと座り込んでいる膝を揺らし、有無を言わさないチャンピオンの圧力に涙を浮かべながらも、決して目を逸らすことなく彼を見据えて、アイカは強く、何かを宣言するようにその答えを返す。
そうだ。コアガンダムが、コメットコアガンダムが好きだからこそ機体のせいにしたくなくて悩んでいて、皆のせいにもしたくなくて、だからあたしのせいだと自分を責め続けて、それを何とかするチャンスが来たのに、失敗が怖くて震えていて。
ぽろぽろと、再びアイカの瞳から星屑が流れ落ちるように涙が溢れてくる。
あたしは、何をやってるんだろう。
そんな言葉さえ形にならない程度に、アイカの心はパンクしそうだった。
絶え間なく自責と他責と過去と今と、全てが混濁した情報が一気に脳から脊髄を伝って、血管の中を血液よりも早く駆け抜けて心臓に詰め込まれていくような錯覚と、処理限界で溢れそうになった感情はよく慣れ親しんだ自己嫌悪を選択して、アイカは吐きそうになってしまう。
「……うっ、ぐ……えぐっ、うぷっ……」
「す、すまない! 君を責めるつもりはなかったんだ!」
口元に手を当てて顔を真っ青にしたアイカを見て、キョウヤは先ほどまでに向けていた視線が嘘のように慌ただしく駆け寄って、その背中をそっとさするのだった。
「……君の愛はよくわかった。愛ゆえにリスペクトを持って……この機体を選んだことも」
「……っく、ぐすっ、えぐっ……っぷ……」
「僕も……この世界を、GBNを愛している。だからこそ、それ故に去って行かなければならなかった者のことも、愛を持たずに姿形だけを真似て暴れ回る者のこともよく知っている……この機体に、コアガンダムに乗っていた彼が今、どこにいるかは僕にもわからない。だが、どうか……もしも会ったなら、彼に、君のコアガンダムへの愛を伝えてあげてほしいな」
「……ううっ……ぐすっ……はい……」
「……どうやら、本当に怖がらせてしまったみたいだね、申し訳ない。だから、一つだけアドバイスを送らせてもらえないかな」
チャンピオンは、キョウヤはただの一ダイバーでしかないアイカにも真摯に頭を下げて、その非礼を心から詫びていた。
元々彼が言った通りに、チャンピオンはアイカを怖がらせるつもりはなかった。
ただ、もしもアイカから返ってきた答えが、あの時ブレイクデカールを貼り付けたプロヴィデンスガンダムを駆っていたマスダイバーと同じものであったなら、それ相応にチャンプとしての対応をしなければいけないと気を張っていたのだ。
端的に換言するなら、チャンピオン故にあふれるGBNへの愛が先走り過ぎていたということになる。
そしてチャンピオン故にその威厳を無意識に放っていたことに気付かなかった、ということでもある。ならばそれは自分の落ち度に他ならないと、キョウヤはアイカが泣き止み、吐き気が治るまで頭を下げ続けていた。
「……ごめんなさい、あたしなんかが、チャンピオンに……頭まで下げさせちゃって」
「いいや、悪いのは僕の方だ。本当にすまなかった、アイカくん……そして、僕のこともキョウヤでいい。あまり畏まられすぎると、さっきみたいについ気を張ってしまうからね」
人間災害と、吹き荒れる愛の嵐を人の形に押し込めた別な生物だとダイバーたちからは表される出鱈目な強さを持つチャンピオンだったが、それはクジョウ・キョウヤという男が持つ「チャンピオン」としての側面だけを切り取った評価に他ならず、個人としての彼は極めて温厚で人当たりが良く、慈しみが深い男なのだ。
それはガンプラに対しても、人に対しても。
プロフィールカードを開いて、フレンド申請を飛ばすと、闇の中でもがき続けていたその手を取るようにキョウヤはそっとアイカにその手を差し伸べるのだった。
「……いいんですか?」
「構わないよ。キョウスケ……僕と名前が似てて紛らわしいけど、友人の宿敵みたいな相手を破ったフォースのリーダーとして、一度個人として話したいと思っていたんだ」
お世辞かもしれないと、アイカの猜疑心は笑顔と共にかけられるキョウヤからの言葉を疑ってしまいそうになるが、彼の声音に含まれる、それこそ「愛」とでもいうべきものが、過去の古傷から這い出そうとする「愛香」を押し込めて、まだ緊張で震える指先に申請の受諾と、自身からの申請を選ばせる。
「……その、なんていうか恐縮ですけど……」
「ありがとう、しかしフレンド枠はいくらあっても足りないね……君のフォースのメンバーとも、できれば話をしてみたいんだが」
「あはは……エリィちゃん、気絶しちゃうかも」
「あのリビルドウォートを駆るシャイな子か……君は本当に、エリィくんが好きなんだね」
「はい、あたしは……あの子と、そしてコアガンダムに、人生救われたみたいなものですから」
エリィがいなければ、「絵理」がいなければ、きっと自分は今まで捨ててきたものの数ばかり数えて、意味もなくなんのためにと問いかけ続けながら、生きていく方法すらわからなくなっていたかもしれない。
それは冗談でもなんでもない。その時々で「何か」を拾って、衝動が尽きるまで続けては壁に当たっては捨ててと、歪なパッチワークを作り続けるような道を歩んできたのがアイカの人生だった。
上手く言葉にすることはできない。
それでも、エリィとの出会いは、GBNとの出会いは、コメットコアガンダムを作り上げたのは、確かにきっかけこそその衝動だったのかもしれないが、今までに出会って、衝動に任せ続けてきただけの何かとは一線を画するものがあるような気がするのだ。
アイカは中学三年生の冬を、自殺を試みていたあの時を思い出しながら、チャンピオンへと力強くそう答える。
もしもあの時窓の外へと落ちていくことを選んでいたら、きっとここまで這い上がることはできなかった。
普通という、どこまで行っても付き纏う「三番目」の呪いに雁字搦めにされて、自分をその「三番目」どころか世界で一番価値のない存在へと貶めていた、いや、きっとどこかで今も貶め続けて涙を流している「愛香」に、アイカとして、そして愛香として勝たなければ、きっと先に進むことなんて、エリィに、「絵理」にだけそうさせてしまったように、自分の醜い心の傷を曝け出して、おんなじになることなんてできない。
だからこそ怖かった。だからこそ、失敗して自分には愛がないのだと、その資格がないのだと突きつけられることこそが、怖かったのだ。
アイカは拳を胸に抱き寄せて、今も血涙を流し続ける「愛香」を宥めるようにキョウヤの言葉を、問いかけてきた愛とその答えを抱きしめる。
「……僕も、自分に惑うことがある。その時は……いや、僕は今も惑い続けていることを振り返るために、毎月ミラーミッションを受けることにしているんだ」
「えっ……」
「意外に思ったかい? だけど、この世界は底知れない……確かに僕はその頂に登り詰めた者としての誇りと、それに相応しくあろうとする気持ちは持っている。それでも僕は、まだまだ挑戦者なんだ。そして頂点であることに驕りそうになった時、自分を見つめ直すのにあのミッションはちょうどいい」
なんせ、文字通り自分との戦いだからね。
キョウヤは惜しむこともなく自分の情けない部分も曝け出しながら、静かに苦笑した。
「そして、僕から送るアドバイスは一つだ。弱さは……決して、無理をして変えなくてもいいものだ。けれど自分がそれと向き合いたいと願って踏み出した時点で、君は既に一歩、強くなっている。それでは……またどこかで会おう、アイカくん」
僕はいつでも、この電子の海でどんな形であれ君達を待ち続けている。
その言葉だけを残すと、それ以上は無粋だとばかりにキョウヤは立ち上がり、新たなる愛機である【ガンダムTRYAGEマグナム】に搭乗し、中断していたのであろうディメンションの巡回へと戻っていく。
「……あたしが、強く……」
その言葉がどこまで本当なのかはわからない。
キョウヤと話したことで、胸の奥につかえていたものが少しだけ軽くなったような気はするが、それでも気を抜けば心臓に埋め込まれた過去の棺に眠る「愛香」は目を覚まして泣き喚こうとする。
だが、もしも。
もしも、その言葉を信じるのなら──踏み出した、踏み出そうとした、それだけで、少しでも自分を認めていいのなら。
アイカが見上げた視線の先に、仮想の星々は瞬かない。
しかして、仮想の海でその駆体を得た「コメットコアガンダム」のツインアイが映し出しているアイカの瞳には、今も燦然とその二連星が輝いている。
きっと、それが全ての答えだった。そう認めるように、アイカはそっと、愛機である──文字通りに愛を込め、愛と共にこの世界を旅してきたコメットコアガンダムに、これからもよろしくね、と、そう微笑みかけた。
もしも、この機体のオリジナルを駆る相手と出会った時、キョウヤに言われた通り、感謝と尊敬を伝えられるように。その時、その言葉に恥じない自分であるように。
そう願いを込めながら、アイカは静かに、今も自らの傍で導くように瞬き続ける星屑に、祈り続けるのだった。
ミラーミッションの難易度は、当たり前だがダイバー次第で変動する。
休日ということもあり、家から一人でGBNにログインしたアイカはロビーの受付を担当しているNPDにそれを受注する旨を伝えながら、Wikiで調べたその概要を頭の中でなぞっていた。
その性質上、ミラーミッションは極めて攻略班泣かせな代物だ。
なんせ、個人によって出される内容が異なる第一ウェーブと第二ウェーブについては書き記しようがないし、精々第三ウェーブの攻略も、自分自身と遜色のない強さの相手が、というより自分そのものが相手となるのだから、精々「後の先」を取り続けられるかどうか、という曖昧なアドバイスしかできない。
勿論機体の性質上、「先の先」を取り続けることが優位につながるダイバーも存在するし、チャンピオンの、キョウヤのように全方位に渡って隙のないダイバーであるなら最早その状況に合わせた最適解を常に叩き出し続けられるかという、人力TASじみた操作が要求されるのだから無理もないといったところだ。
ミラーミッションの舞台となるステージへと、アイカの躯体が解けて意識が転送されていく僅かな感覚に身を委ねて、今もでたらめに拍動し続ける心臓を宥めながら、アイカはその両足を戦地に降り立たせる。
「よしっ、ミッション開始……って、なにこれ?」
アイカの眼前にあった光景は、事前の予想と遥かに乖離する衝撃的なものだった。
ミラーミッションというのだから、こう何か鏡のようなものと向き合って禅問答だとか、そういうものをさせられるのかと思いきや、目の前にあるのは鏡などではなく、バッティングセンターの片隅でよく見られるストラックアウトそのものだった。
【WAVE:1 百球入魂!】
【勝利条件:ボール百球を投げ切り、その内一球でも真ん中に当てる】
【敗北条件:ボールを百球投げ切る間にリタイアする、投げ切っても一球も真ん中に当てられない】
ダイアログに表示されるそれも、緩い条件こそ課せられているがストラックアウトそのものだ。
アイカは困惑しつつ、ご丁寧にも筐体の脇に置いてあったグローブを左手に嵌めると、それを合図に飛んできた一球目を右手に収める。
元々アイカの運動神経は悪くない。
万年三位だったとはいえ、陸上の経験者で吹奏楽部でも走り込みを毎日行っていたのだから当然だ。
それを考慮してか、マウンドは約十二メートルと少し遠目になっているが、ストラックアウトの的そのものは大目に枠が取られ、的を囲んでいる枠も細く設定されているため、条件そのものはなんとかできるかできないか、ぐらいの難易度だ。
「……これが何になるかわからないけど……あたしに必要だってんならやるしかない!」
エリィちゃんのために。「絵理」のために。
──そして、その隣に立つのにふさわしい「あたし」になるために。
アイカは決意と共に、初心者にしては中々様になっている投球姿勢で、持っていた軟球を放り投げる。
『Strike!』
的には命中した。だがそれは中心を僅かに逸れた、四番のものだ。
要するに失敗だった。
もしくは蜂蜜が好きな黄色い熊が打つヒットのようなもので、残念感は出さないようにしているがゲームシステム的には完全な損失という一周回って微妙な嫌がらせに感じる演出だろうか。
アイカは微妙に苦い顔をしつつも、即座に二球目を受け取って、先ほどから少しだけ体軸の運び方を意識した、ゆっくりとしたフォームで玉を放る。
失敗。今度は確かに五番近くまで球は飛んで行ったが、惜しくも枠に弾かれてしまったのだ。
「まだまだ! どんどん来いっ☆」
自分を鼓舞するように、あの日憧れをくれた、今も熱を持ち続ける感情の原点となった「ノゾミ」と同じ、右目の脇でピースサインを浮かべる決めポーズを取って、今度はグローブで軟球を受け取りながら、アイカはこの謎のミッションに困惑を抱きながらも、しかし真剣に挑みかかるのだった。
結論からいえば、アイカがど真ん中を射抜けたのはこれまた三十二球目という、自身のジンクス的には微妙な結果に終わってしまったのだが、ミッションはド真ん中ストライクを取ればそれで終わりというわけではなく、残り六十八球を投げ続けなければいけない。
現実で考えればいきなり素人が百球も球を放らされれば、肩に悪影響の一つでも及ぼしそうなものだが、幸いなことにここは電脳空間だ。
脳に対する過負荷で強制ログアウト措置が取られるまではそれこそ千球だろうが一万球だろうか、投げようと思えば投げ続けられる。
だが、それは投球という行為に極度の喜びを覚えているか、前世で何か大罪を犯したとかそういう理由で仕方なく強いられているか以外ではあり得ないシチュエーションだといっていいだろう。
そして、アイカも決して投球という行為に人生の喜びを見出すような人種ではなく、実際六十七球目辺りまでは半ば、ながら作業のような感覚でこなしていた。
しかし、ランナーズハイというものは、或いは天啓というものは突然に訪れる。
真ん中近くに当たればいいや、ぐらいに思っていたアイカの脳内にその「声」が閃いたのは、六十八球目を右手で受け取ったその時だった。
──あ、これから全部真ん中に当てよう。
理由はわからない。だが、どうしてかアイカの心はながら作業でこの「百球入魂」を終わらせるのではなく、残された時間の全てに全力を注ぐことを選択していた。
しかし、現実は非情なものだ。
覚悟一つで投球が変わるのであれば、スポーツ理論は必要ない。勿論電脳空間と現実では厳密には「身体の動かし方」から根本的に異なるのだがそれはそれ、結果的にアイカが放った全力投球の中で真ん中を射抜いたのは十球だけ、それ以外のところに飛んでいった軌道は、気を抜いていた時と大差なかった。
しかし、そのミッションを終えた時、アイカの中にあったのは奇妙な高揚感とでも呼ぶべきものだった。
人はなぜ、約四十二キロもの道のりを走り続けるのか?
人はなぜ、天を衝くように聳え立つ険しい山々を登り続けるのか?
答えはいつもシンプルだ。そこに使命が、己の見出した「ミッション」があるからこそ、人はいつだって艱難辛苦に立ち向かえる。
そうしてアイカが次に挑むことになったミッションは、巨大なトランポリンに乗って、遙か高い場所に安置された、手のひらサイズの「ハロ」をその手に取るというものだった。
「ぐぬぬ……っ!」
現実と電脳空間とでは身体の動かし方が微妙に違う、と前述したが、アイカはその「ズレ」が極めて少ないタイプの人種だ。
極端な話、電脳空間でパルクールを華麗に決められる人種が、現実では階段を上るだけで息を切らしていたり、或いはその逆で、現実では己の身体一つを武器にしてエクストリームスポーツに挑む人種が、電脳空間では些細な「ズレ」に苦しんで、思うように動けないということもありえる。
細かい理屈は割愛するとしても、GBNはその「ズレ」を極めて少なくできるようにシステムを構築しているのだが、それを差し引いてもアイカは「VR適性のある」人種だった。
人生で初めて乗るトランポリンの感覚に多少の苦しみこそ覚えたものの、アイカの中での課題は即座に「身体をどう動かすか」から、「トランポリンの影響をこの身体でどう制動するか」というものに切り替わって、天高く飛び上がりながらも落下した時のことを恐れることなく、狭い一点に安置されたハロをその手にしようと四苦八苦している。
勿論それは、百球を投げ切った時点から継続しているランナーズハイがそうさせているのかもしれない。
だが、「どうしてこんなことを」という疑問は、一つ目の波を乗りこなしたその瞬間からアイカの中で霧散して、今はその「どうしてこんなことを」と思えるようなものが、己の「ミッション」に切り替わっている。
あと少しだ。さっき、指先がリングに掠ったのは確かだ。
跳躍を繰り返し、崩れた姿勢を整えながら、目減りしていく制限時間に焦ることなくアイカは持ち前の集中力を十全に発揮して、狭いリングに座しているハロ、その一点を見据え、そこに至るまでの己の体捌きをその脳裏に描く。
「……よし……! 飛、べええええッ!」
──飛べ、あたし。
自分を鼓舞するように心中で呟いたその言葉に背中を押されたかのように、アイカの身体は思い描いた軌道と重なり合って、そして。
「っし! 獲ったぁっ!」
見事に、安置されていた「ハロ」を、残り時間三十秒というギリギリの範囲でこそあったものの、その手に納めていた。
【WAVE CLEARED!】
【NEXT WAVE:"Mirror Mirror"】
そして、ダイアログにはここからが本番だと言わんばかりに、文字通り「自分との戦い」へと臨める切符をアイカが手にしたことを通知する。
ミラーミラー。鏡や鏡。
手にしたハロが霧散して、戦場へと意識が飛ばされていく短い感覚の中で、アイカは次のウェーブに名付けられた言葉を諳んじる。
──あたしは、鏡に映るあたしになれますか。いや。
「……なるんだ」
そうして拳を小さく固め、大きな決意をその胸に刻みながら、アイカはミラーミッションの本領となる、ミラーマッチ……脱落者の実に四割がそこで敗北しているという最後の壁に、挑みかからんとするのだった。
チャンプはさぁ……(枕詞)