ガンダムビルドダイバーズ リビルドガールズ   作:守次 奏

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水サレン爆死してからプリユイが来たのを思い出したので初投稿です。


第三十六話「ミラー・ミラー〜あたしの目線で見えるもの」

 ミラー・ミラー。

 それはミラーミッションにおける最大の関門であり試練であると多くのユーザーから認識されているが、その意図を読み解ける人間は意外と少ない。

 自分相手の腕試し、ということで受注する人間がいるこのミラーミッションだが、開発陣は相当な気合を入れて作り上げたのだが残念なことに不人気ミッションの一つに数えられるほど、受注するダイバーの数は極めて低い水準に留まっている。

 曰くまずあじ。

 難解な第一ウェーブと第二ウェーブの課題を乗り越えて、第三ウェーブに辿り着くだけでも難しいのに、その第三ウェーブで待ち構えているであろうものが文字通り自分と同じ思考回路と腕前を備えた相手なのだから、必然的にミラーマッチとなる以上難易度は高いのだが、それに見合った報酬が受け取れるかどうかと問われれば、その答えは残念なことにノーなのだ。

 自分だけのガンプラを使ってバトルするのが主流なGBNにおいては、同キャラ戦が発生するのは珍しくなっているが、それでもカジュアル層の間では例えば広く人気を博しているνガンダム、ストライクフリーダム、ダブルオークアンタ、キマリスヴィダール辺りの機体であればミラーマッチが起こるのはそうそう珍しくないことである。

 だが、その性質上ミラーマッチを苦手とするダイバーは多い。

 知っているキャラだからこそやられて嫌なこともわかっているため、どちらかが後手に回らされた時点で、どのような形であれ先を、アドバンテージを相手に取られた時点での巻き返しが中々難しいという問題もあれば、アドバンテージを取った側も取った側で一つのミスで捲られる選択肢を持っていることをよく知っているから気が抜けない、というゲーム的な面での話がまずその理由の一つとして挙げられる。

 もう一つ付け加えるのであれば、アイカと同じような心理的ハードルだろうか。

 同じキャラを使っていて敗北するのは、実際には色々な要因があったとしても勝ち負けが発生した時、負けた側に「腕負け」という印象を強く植え付けるために、自分の腕が足りないことと自分そのもののレゾンデートルは関係ないものの、そこを切り離すことができず苦悩するダイバーは多い。

 いわゆる「わからされた」というやつだ。

 だからこそ、そういう事態に陥ることを嫌ってミラーミッションを受けないというダイバーをアイカは責めることはできないし、それは月一で受けているチャンプや「ビルドダイバーズのリク」といった一桁の神々やFOEさんや「ユユ」といった二桁の魔物たちも同じだ。

 自分と戦うというのには、それ相応の覚悟が必要になるのだから。

 だが、敢えて行く者が勝つ(フー・デアーズ・ウィンズ)

 それは誰の言葉であるかはわからない。しかしながらどのランク帯であったとしても金言のように語り継がれるその言葉は今まで不可能だと言われていた「ロータス・チャレンジ」を突破した「ビルドダイバーズ」の勇気が、「終末を喚ぶ竜」を制限時間の半分で討伐したチャンプの華麗にして人間離れした技量が、初めてSSS級レイドボスをソロで全て削り切るという偉業を達成したFOEさんの執念が、それを証明している。

 臆病であることと勇気を出すことは矛盾する行いなのかもしれない。

 だが、矛盾を抱えてこそ人間であるなら、弱さを持っていてもそれを否定せず、弱いままでも前に行こうと踏み出した時点で、それは小さくとも大きな、偉大な一歩であることに違いはない。

 第三ウェーブのステージである、天井が開けている洞窟の最深部。

 アイカは事前情報通りに出現していた自身と同じ、いわば鏡の中の自分とでもいうべき、黒と赤という影を意識した色に染まったコメットコアガンダムと対峙していた。

 自分であったならまずどうするか?

 それを考えるよりも先に黒いコメットコアガンダムは横っ飛びに跳躍し、牽制射撃としてコアスプレーガンの三点バーストを、反応が遅れたアイカの機体へと叩き込んでくる。

 

「ぐっ……!」

 

 確かにこの行動の癖はあたしそのものだ。

 コアスプレーガンの一撃により先手を取られたことに少しばかり焦りを覚えながらも、よく慣れ親しんだ黒いコメットコアガンダムの戦闘機動からアイカは目を離さずに、次の攻撃を予測する。

 コアスプレーガンの威力は、手持ち火器としては低い方に分類される。

 キャプテン・ジオンの制作動画を、気が狂うほどの頻度で再生していたのだ。そこで彼が熱をこめて語っていたコアガンダム、その特性はアイカの頭の中に徹底して刻み付けられていた。

 本来、銃口先端のアタッチメントに別なユニットを接続することでその火力を補強するためのコアユニットとしての性質を持つのがコアスプレーガンだが、やはりキャプテン・ジオンが評した通り、その前座ではないなら、コアスプレーガンにはコアスプレーガンとしての強みがあることに他ならない。

 アイカの場合、それは機動力を活用して懐に飛び込むための布石、というのがその答えだった。

 咄嗟に引き抜いたビームトーチを保持する左手首を高速回転させることで、即席のビームシールドを作り上げながらアイカは黒いコメットコアガンダムが接近戦のレンジに飛び込んでこられないように、コアスプレーガンを応射する。

 自分のコピーが相手なら、やることにも予想がつく。

 そして自分が今距離を詰められることを嫌って、スプレーガンによる応射と即席ビームシールドによる防御を選んだ──バックブーストを噴かして、壁との距離を詰めてしまったのであれば相手は何を選ぶか。

 アイカが自問する脳裏に閃いた解答を、黒いコメットコアガンダムはノータイムで実践する。

 手に持っていたコアスプレーガンを思い切りアイカに向けて投擲すると、反射的にアイカがそれを頭部バルカンで撃ち落としたことを確認するなり、ビームトーチをビームサーベルへと出力増強させた上で、敵機は爆炎の中からクロスレンジに躍り出てくる。

 こういうレンジこそコアスプレーガンが生きる場所だ。

 だが、壁を背負っている以上無闇に射撃での迎撃を試みるよりは、距離を取りつつ格闘をいなすことがベターな選択肢だろう。

 初撃を回避するなりアイカは大きく後方に跳躍し、コアスプレーガンによる牽制射撃を加えながら、黒いコメットコアガンダムから徹底的に距離を取る。

 

「……クロスレンジに飛び込みたがる傾向が強い?」

 

 あのコメットコアガンダムは、アイカの目にはクロスレンジに飛び込むことをどこか焦っているように映っていた。

 確かに、コアスプレーガンの爆風を目眩しにして飛び込むのは悪くない。だが、残弾は潤沢だったはずだ。

 そしてそれは奇しくも、というよりは必然的にアイカの悪い癖と一致していた。

 コアスプレーガンはあくまでビルドボルグという必殺武器を叩き込むための布石。それが、無意識に作りあげていた、いわばルーティーンと化していた一種のパターンとでも呼ぶべきものだ。

 試合慣れしてきたからこそ、自分の中にパターンと呼ぶべきものが確立されてきたのは決して悪いことではない。

 勝ち筋を自分の中で構築することが、初級者から中級者へのステップアップとされている以上、そういう意味ではアイカは確実に腕を上げたといっていいだろう。

 だが、パターンが発生するのは、決していいことばかりではない。

 中級者から上級者が初心者と戦った時に意外と苦戦するケースが発生するのは、初心者の戦い方が無軌道だから、という理由があるためだ。

 つまるところ、確立されたパターンを読み合って試合をするのが中級者以降の戦いであり、その精度を詰めていくことがステップアップの道であるのなら、今のアイカが敗北を喫したり、活躍できていないと判断した試合で掴んだ負け筋は、「自分が無意識に相手へと押し付けようとした勝ち筋を読まれて、相手の勝ち筋を叩きつけられた」ことに他ならない。

 そういうことか、と、アイカは合点する。

 このミラーミッション、相手が常に「自分にとっての最適解」を叩きつけてくる以上その難易度は極めて高い。

 だが、そこにこそ本質はある。

 アイカはコアスプレーガンの残弾を確認しつつ、焦ってビルドボルグへと手を伸ばし始めた黒いコメットコアガンダムの影を縫いとめるように足元へと全弾を撃ち込みながら飛び込むと、左手に持っていたビームサーベルでの斬り上げで、敵機の右手を跳ね飛ばす。

 ビルドボルグは確かに強力な武装だ。

 だが、展開に僅かなタイムラグと、そして両手を必要とすることが欠点であり、アイカが撃墜されたり、今まで活躍できなかった気がしていた試合は、必ず敵はコメットコアガンダムの右腕ないし左腕を、肩ごと破壊していた。

 見事に「後の先」を取ることに成功したアイカは、敵のコメットコアガンダムがビルドボルグを展開できないことに動揺して動きを止めたのを見計らい、そのコックピットに躊躇なくビームサーベルを突き立てる。

 ──こういう時、スプレーガン持ってればよかったのかなあ。

 コアスプレーガンが真価を発揮するのは、射程的にクロスレンジだ。

 もしも目眩しとして早々に投棄せず、弾数を残したまま左手に保持していたのなら、黒いコメットコアガンダムは延命に成功していたはずだし、その黒いコメットコアガンダムこそが、今まで敗北し、活躍できなかったアイカの姿に他ならなかった。

 そうしてチャンプから受けた言葉の意味と、自身が抱いていた疑問への回答がぽつりと脳裏に浮かんで、凪いだ湖面に落ちて波紋を広げる雫のようにぱたりと落ちる。

 ああ、そうだ。

 コメットコアガンダムは──コアガンダムは、決して前座なんかじゃない。

 そして、自分はまだコメットコアガンダムを、いや、違う。コアガンダムを、その可能性を十全に扱えていない。

 そうして──ダイアログに通知されたのは、ミッションをクリアする通知ではなく、第四のウェーブへと、「冬」に当たるその場所へとアイカを導くものだった。

 ミラーミッションは、受けたダイバーによってその姿を変える。

 第三ウェーブとして認識されている自分自身とのミラーマッチがアイカの知らなかった第四のウェーブに配置されることもあれば、今、自身がそうしているように、第四のウェーブには何か別な、ダイバーの感情データから読み取ったことで最適解として導き出された何かが配置されることもある。

 地に倒れ伏しながらも、その顔は最後まで光の差す天を真っ直ぐに見据えていた黒いコメットコアガンダム。その姿もまた、アイカと、コメットコアガンダムの写し鏡に他ならない。

 

「……ありがとう、昨日までのあたし。ありがとう、昨日までのコメットコアガンダム」

 

 敗北してきたからこそ、無意識に重ね続けてきた勝利に慢心していたからこそ見えてきたものがある。

 そうしてそんな無様な戦いを重ねていても、決して自身の主人であるアイカを見捨てずに、膝をついても、星々の浮かぶ天を見上げることをやめなかった、星追いのガンダムはいつもアイカの傍にいてくれた。

 乗機から降りて、アイカは次のウェーブへの入り口となる扉へと手をかけて、意識を実り多き黄金の「秋」から「冬」の戦場へと転送していく。

 そうしてアイカが踏み込んだ戦場は、奇しくもあの──自殺未遂を起こした冬の音楽室を再現した空間だった。

 しかしそこにはあるべき楽器も何もなく、ぽつりと一つの机と椅子が置いてあって、コメットコアガンダムと同じような黒髪と赤い瞳に染まった「アイカ」のアバターがそこに腰掛けている姿がある。

 

「あたしは……あたしの未熟さを認められなかった、何が未熟なのかもわからないで、頑張ればなんとかなるって、いっつも思い続けてた」

 

 独白するアイカに、机に座っているアイカは答えない。ただ静かに、あの日と同じような茫洋とした瞳で、窓の外で重苦しい曇天に染まった鉛色の空を見つめているだけだ。

 

「……あたしが見たくなかったのは、あたしだったんだね」

 

 頑張っても上手くなれない自分をこれ以上見続けるのが嫌だから、陸上を捨てた。

 頑張っても上手くなれない自分をまた見せつけられたから、いや、違う。自分は頑張ってるのに周りがダメダメだから自分までダメにされたんだと逆恨みをして、吹奏楽を捨てた。

 アイカは、「愛香」は他人に頓着していないつもりだった。だがそれは、全頭も優しさでもなんでもなく、他人に期待したところで自分の役に立たないからと、自分の足を引っ張ってきた吹部の連中と同じだから何をしたって無駄だと思い続けてきたからだ。

 どこまでも、自分中心で、自分勝手。

 アイカはそんな泣き喚いて床を叩きつけるような子供じみた自分に苦笑しながら、茫洋と鉛色の空を見つめている「アイカ」に語り続ける。

 

「……でもね、そんなあたしでも、初めて誰かの為に頑張りたいと思った。そのおかげで、あたしは……頑張っても誰かの足を引っ張っちゃう人と頑張りもしないで誰かの足を引っ張ってる人を一緒くたに見下してて、自分がそうなることが怖くて怖くて仕方なかったんだよ」

「……」

「……それでも、あたしは……そこから、前に進みたい。未熟で、馬鹿で、行動をパターン化してることにだって気付かなくて、今も心のどこかで誰かを馬鹿にしてるのかもしれないけどさ」

「……」

「そんなあたしのことを、きっと心から好きだって言ってくれて、自分が一番傷ついて、今も傷つき続けてる心を曝け出してくれた女の子がいるんだ。うん……あたしが大好きな子。だからね、あたしは……」

 

 ──エリィちゃんの隣に、絵理の隣に立った時に恥ずかしくない自分になりたいんだ。もらっていたはずのものを取りこぼして、何にもないって嘆き続けてきた自分を、もうやめたいんだ。

 

 エリィとコメットコアガンダムに背中を押されたような感覚と共に、アイカははっきりと「アイカ」の目を見据えて、そこに眠って今も血の涙を流し続けている「愛香」を心臓の棺に押し込むのではなく引っ張り上げた上でその目を見て、力強く断言する。

 

「……汝、鏡に映る顔を見よ。道は開かれた」

 

 無機質な機械音声でアイカの声を再現したような抑揚のなさで茫洋としていた「アイカ」はそう告げると、鏡の中を巡る春夏秋冬から、アイカの意識をロビーに向けて解き放っていく。

 

「ありがとう。帰ったら……ううん、ごめん。見るより先にやることあるから、そのあとね」

「汝のなしたいことをなすがよい、挑戦者……鏡を乗り越えたあなたに、祝福と賛辞を。そして迷った時はまた、この鏡をのぞきこむといい──」

 

 黒い「アイカ」がそう告げると同時に、ミッションクリアの通知がダイアログへとポップする。

 見えてきた課題はある。自分の立ち回りの癖と、そして、「コアガンダムは前座じゃない」という言葉に囚われ続けてきたことで見失ってきた、「コメットコアガンダム」の弱点。

 アイカは解けてゆく意識の中で、それらを切り分けて考えを巡らせる。

 一つは自分がこの世界で、一つは……やっぱり自分が、あの世界で。

 そして指折り数えた二つを畳んで、アイカは意識が解け切るその瞬間に、もう一つだけ指を立てる。

 ──でも、それより先に一つ、何より先に一つ、やらなきゃいけないことがある。

 それこそがきっと、アイカの目線で見えたもの。

 そしてきっと、一昨日、いや、それより前からずっと、やり残してきたアイカの、「愛香」の宿題に、他ならなかった。

 

 

 

 机の上が段々汚くなっていくのに女子としては複雑な心を感じるけれど、指先に巻く絆創膏の数が増える度にやっぱりおんなじことを考えるけれど、それも含めて今の自分は、GBNを、ガンプラを楽しんでいる。

 いつかのお泊まり会の時と同じように、よそ行きの中でも一番気合を入れた服を見繕って、メイクを丁寧に施して、愛香はそんな、すっかり汚くなってしまった机以外はぴっちりと整頓されたのだが、ガンプラの箱がその隅に並んでいる事実を一瞥して苦笑した。

 

『絵理、ごめん。今から会える?』

 

 時刻はもう夜の九時だ。絵理にも彼女の事情があるから、断られた場合は明日に回そうと思っていたが、高鳴る思いを抑えきれずに、愛香はそんな文言をメッセージアプリに打ち込んだのだ。

 まあ、返事はこないだろう。

 そう思って机の整頓でもしようかと思っていたら、『ぜひ、よろしくお願いします』と、絵理らしく肩の力が入った文面が即座にレスポンスを返してきたのだから、慌てて休日全開だった身嗜みを整えて、こうして愛香は家から出かけようとしていたわけだった。

 誰の帰りも待っていない訳ではないけど、一人ぼっちの家だ。

 海外で銀行員としてその辣腕を振るっているであろう父と、きっと世界で一番の神ゲーと称されるゲームを支えるアイテムやモンスター、武器や素材のグラフィックを今も必死に作り続けているのであろう母の姿を脳裏に描きながら、そこに一抹の寂しさを感じつつ、愛香は部屋の鍵を閉めて、いつも通りの学校へと向かった。

 母の使っている自転車は、勝手に使っていいと言われていた。

 鍵を差し込んで、長らく駐輪場で放置されていたことでほとんど空気が抜けていたけれどまだ乗れなくもないそれを全力で、それこそ汗をかくのも厭わずに愛香は走らせていく。

 夜の街が漂わせる、ネオンと、東京が不夜城たる証であるビル群によって瞬き続ける地上における灯火の星が作り出す退廃的な空気は嫌いじゃない。

 だけど、それを満喫している余裕なんてどこにもない。

 ペダルを漕いで、漕いで、漕いで。

 愛香は一心に、学校へ向けて自転車を走らせた。

 そして。

 

「……絵理?」

「……あ、愛香さん……えへへ、来てくれる、って……信じて、ました、から……」

「もう、絵理!」

 

 遅れてくるかと思いきや、絵理は自分が着く頃にはもう校門にその背を預けて、あの日と同じ服装で愛香のことを待っていたのだ。

 夜の街が危険なのは言わずもがなだ。なのに、近くに交番があるとはいえずっと、きっと何時間も待ち続けるなんてどれだけ怖かっただろう。

 相変わらず義理堅く、そしてちょっと冷や冷やするほどの勇気に満ち溢れた大好きな親友を抱きしめながら、愛香はその思いに寄り添うように、眦に滲んだ一雫の涙を零す。

 待ってくれている人がいる。そこに、きっと何を差し置いてでも大好きだといえるひとがいる。

 こんなに嬉しいことがあるだろうか。

 愛香は自転車を放り出して駆け出すなり、待っていてくれた絵理に抱きつくなりしばらく、その温もりを互いに確かめ合うように抱きしめ合っていた。

 夏の足音が近づく季節ではあったが、触れ合った互いの体温やしっとりと濡れた肌が不快感を覚えさせることはない。むしろこのままずっとこうして溶け合っていたいような、そんな甘美で幸せな、そしてどこか胸を刺すようなちくりとした痛みのようなものを、二人に感じさせる。

 

「……あ、あの……愛香、さん……」

「ん、何、絵理?」

「……その……クリア、しましたか?」

 

 愛香さんの、ミッションを。

 眼帯を解いてそこにある傷痕と義眼を曝け出しながら、絵理は静かに、GBNで見せたのと同じ柔らかな微笑みを満面に浮かべて、控えめにそう問いかけてくる。

 あたしのミッション。

 絵理から問われた言葉を噛みしめるように心の中で繰り返すと、愛香は二つ、そして今は何より優先すべき現実に残された課題の内の一つをクリアすべくして、小さく息を呑むと、真っ直ぐに絵理の瞳を見据えて言葉を紡ぎ始めた。

 

「……うん。あっちのミッションはクリアしたけどさ、こっちのミッションはクリアしてないんだ」

「……こっちの、ミッション……?」

「……まずはごめんね、絵理。ボーッとしててさ、馬鹿みたいなことに悩んで、絵理のことをおざなりにしてた」

「……い、いえ! そんな……だって、わたし……」

「ううん、悪いのはあたし。それとね、一つだけ……伝えたいことがあるんだ」

「……伝えたい、こと……ですか……?」

「うん。絵理……あたしね、一回自殺未遂してるんだ」

 

 夜とはいえ、街の灯が照らす人通りがそれなりにある高校近くで眼帯を解いた絵理の勇気を見習って、愛香もそこに、胸の奥が引き裂かれるような思いを、痛みを覚えながらも、己が立てた誓いに恥じることがないように、あの鏡を覗き込んで見えてきたものを見失わないように、一語一語を噛みしめながらそう言った。

 

「……じ、自殺……? 愛香さん、まさか……!」

「ううん、今は全然。でもね、あたし……中学の頃吹奏楽やっててさ。一人で死に物狂いで頑張ってたけど全国行けなくて、皆使えないって、クズだって……だからあたしもクズなんだって死のうとしたんだ。そう思ってたから……きっと最初の頃は絵理のことを気にしないフリして見下してたんだと思う。だから、ごめんね」

 

 自分のことを好きになれない人間が、どうして他人を好きになれるのか。

 多くの作品で問いかけられ続けてきたその言葉は、「機動戦士クロスボーンガンダム」の劇中で文面こそ微妙に違えどキンケドゥ・ナウが叫んだその言葉は、奇妙な縁で過去の愛香にそのまま突き刺さっていた。

 これで、絵理から嫌われても文句は言えない。そこに伴う痛みに怯えながらも、凛と背筋を伸ばして愛香は、その裁定が下るのを待つ。

 

「……しも……」

「うん?」

「……わたしも、最初は……愛香さんのこと、怖い、って思ってました……GBNに行くのも、だから、その……おあいこに……できませんか……?」

「絵理……」

「……だってわたし……今は、愛香さんが、大好きですから……えへへ……あ、でも、その! もし……愛香さんがわたしのこと、今も……きらい、なら……」

「……ううん! あたしは……今のあたしは絵理が大好き! だから、ごめんね……それと、ありがとう……あたし、きっと……絵理がいなかったら、どっかで死んでたから……」

 

 絵理と愛香は再び抱き合って、互いが曝け出した過去の傷と今の恐れが杞憂だったことに、悲しみと喜びが入り混じった涙を溢し続ける。

 それらは等価交換じゃない。悲しみも喜びも常に人と共にあって、途切れて消えてしまった足跡だって、間違いなく辿ってきた旅路であって。

 愛香と絵理は、引き寄せられるように、双子星が回り続けるかのように涙に濡れた互いの顔を見つめると、夜が見せる酩酊に呑まれたことにして、互いに何度目かの、それでも初めての時と同じ味がするキスを交わした。

 視線で促した愛香の問いを、距離を近づけようと右足の踵がコンクリートに擦れる音で聞き取って、絵理は深く息を吸い込むと、慎重に、それでも大胆に唇を割って差し込まれた愛香の舌先が自身の輪郭をなぞるのを、そして引っ込めた自身の舌と絡み合っていく甘美な感覚にぞくりと背筋を震わせる。

 そうして、愛香も同じように押し寄せる感覚に脳髄を痺れさせながらも、灼けつくような甘さに二人は身を任せ、二つの意識が溶け合って曖昧になっていく錯覚と共に、同じことをその脳裏に描くのだ。

 ──ああ。

 このひとを、大好きでいて。このひとを、好きになって。

 本当に、心の底から幸せだったと。

 絵理は、いつか自身にそのバレッタをくれた少女の言葉を、愛香はいつかどこかで放っていた、自分自身にも向けられていたその言葉を脳裏に浮かべながら、深く結んでいたベーゼを解いた時につぅ、と重力に惹かれて落ちる銀の糸を熱のこもった瞳で見届ける。

 ──生きていれば、きっといつかいいことがあるから。

 それは、その言葉は放った時こそ一時の気休めだったのかもしれない。

 それでも言霊というものが存在するなら、それは確かに二人の間に、愛という形で、恋という言葉で、帰ってきてくれたことに他ならない。

 

「ねえ絵理、今から家来る?」

「……実は……少し、期待してて……えへへ、着替え……持ってるんです……」

「あはは、そっか」

 

 二人は一頻り笑うと、愛香は自転車の後部座席ではないのだが、後部座席みたいに扱われているそこに絵理を乗せて、しっかりと自身の腰に腕を回させながら、今度はゆっくりと、絵理を振り落とさないように、そして夜の酩酊に身を任せるように。

 鏡の中から課せられた問いを乗り越えて得た幸せに包まれながら、今は自分だけではなく、絵理の帰りをも待っている家を目指して、ゆっくりとペダルを漕ぎ出すのだった。




鏡の答えとキマシの光

【ミラーミッション・四季を超えて】……GBNまとめWikiに全3waveと誤記されているのが直されていない程度には不人気な、「自分との戦い」をテーマとしてランダムに構成された春夏秋冬をモチーフとした全4waveで構成されるミッション。通常の場合4wave目に「自分との戦い」が配置されることが多いのだが、ダイバーの感情データを読み取ってミッションを構成する都合で4wave目にエクストラミッションのような形で特別な何かが配置されることも多く、ただでさえめんどくさい仕様なのに加えて検証班も匙を投げたユニーク要素があるため、おそらくGBNで一番気合の入ったプログラムで書かれたそのミッションは今日も不人気であり続ける。報酬は「卒業の証」のみでBCの獲得もダイバーポイントの上昇も見込めないことが、不人気ぶりに拍車をかけている。
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