こいつは、強力すぎる。
映像作品「機動戦士ガンダムF91」の劇中で、ビームシールドごと相手をぶち抜く威力を持った武装である「ヴェスバー」を放った主人公、シーブック・アノーが無意識に呟いていた言葉だ。
ヴェスバー……ヴェスパーだのベスバーだのとよく間違えられるそれは「Variable Speed Beam Rifle」の略称であり、出力調整で射出するビームの速度を変えられるからヴァリアブルのVでヴェ、ビームのBとライフルのRでバーなのだと一部の熱狂的なファンが鼻息を荒くするほど名前を間違えられやすい代物なのだが──今はそれは置いておこう。
アイカが試合後に抱いた雑感は正しく、シーブックが呟いていたことと同じものだった。
フェアリィ・ストライク・ブライドは確かに強力だ。
相手もやたらとデカい光の槍を構えてくれていたことがビーコンになってくれたおかげで方向を見失わずに済んだが、これがコロニーという密閉空間かつ狭い場所であることを鑑みれば、一種の奇跡だといっても差し支えがないほどに、パワーゲート通過後のフェアライズガンダムは速い。
もし迂闊に要塞内部など、破壊不可能オブジェクトがある場所でおもむろにぶっ放していたら、アイカは、恐らく壁の染みになっていたのではないかと不安を抱いていた。
真に恐れるべきはフェアリィ・ストライク・ブライドに近いスピードやそれ以上のスピードを常時制御した上でハリケーンの如く周囲に災害をもたらしている英傑や魔物、そして現人神たちなのだが、彼らは最早例外なので考えない方が精神衛生に良い。
ただ、エリィとの連携をより強固に、そしてそこからの必殺技を更なる規模へと拡張するというフェアライズガンダムのコンセプトを考えれば、デビュー戦の戦果は上々だったといっても過言ではない。
だが、その代償は大きすぎた。
「……っぷ、ごめんチィちゃん、あたしちょっと吐きそう……」
「まああんだけGがかかってりゃあな、とりあえずグラウカッツェの旦那にはチィが話つけとくからその辺でエリィと一緒に休んどけや」
華々しい勝利をその手に納めたのにも関わらず、アイカは擬似感覚のフィードバックによってほぼグロッキーになっている。
あの速度を制動するためにかかる負荷はほぼフィードバックが切られてログアウト措置が取られる限界域に近く、それをいきなり慣れていない初心者……からはだいぶ飛んで中級者と呼んでも差し支えなくなったとはいえ、初めてのアイカが完璧に御せるかといわれればその答えは今、青ざめた顔でロビーの壁に体重を預けて、エリィに甲斐甲斐しくその丸まった背筋を撫でられている姿こそだろう。
正直ここまできついとは思わなかった。
アイカはエリィが涙ぐんでなんども「大丈夫ですか」と問いかけるのにあー、とも、んー、ともつかない返事をするのが精一杯で、一つ壁を乗り越えたとはいえまた新しく壁が現れてきたような感覚に、呆れるような楽しみなようなそんな複雑な感情を、覚える。
確かに今も絶え間なく吐き気が押し寄せていて、ここで吐いたらログインしてるのが自宅ならともかく今日はガンダムベースだから色んな意味で洒落にならない。
全身全霊で吐き気を堪えつつ、アイカはエリィに大丈夫だよ、と与えるために口元を覆うのに忙しい右手ではなく、ぷるぷると震えながらも空いていた左手で親指を立てて答えてみせる。
「いいやその必要はないぜ、チィ……そしてアイカは上級者に仲間入りする最初の壁にぶち当たったか」
「お、グラウカッツェの旦那。ご足労いただいてわりぃですな、まあ見ての通りうちのリーダーはグロッキーなんで不肖チィとアキノが戦後交渉は代理人を務めさせていただきまっせ」
「なぜしれっと私を巻き込むのですか……」
しれっと姿を現したグラウカッツェと、自分もブリューナクを制御する時に似たような感覚に陥っていたなと、飲料水をインベントリから取り出しながら、アイカの吐き気が落ち着くのをそっと見守っていたアキノだったが、チィから飛ばされてきた火の粉にその表情は呆れに変わっていた。
「ははは、構わねぇぜ、オレもイグナイトフリーダム、そのレボリューションを使い始めたときはグロッキーになっちまったもんだからな。それじゃあ改めて……いいギグだったぜ、『リビルドガールズ』。報酬の50万はちゃんと振り込んだから確認しといてくれよな」
「ひーふーみーよー……確かに確認しましたぜグラウカッツェの旦那、そんじゃあリーダーに代わっての挨拶ってことで……グッドゲームでしたぜ」
「良き試合でした。また何か機会があればもう一度剣を交えたいものです」
「ははは! そう言われるとちょいと悔しいけどな、だからこそもっかいやりてぇって思えるライバル……いや、ダチと出会えたんだ。オレも普段は『ハイウィンド・エリア』のメガロポリスで流しの歌歌いをやってるんだ、よけりゃ見にきてくれよな」
最後まで爽やかに笑うと、グラウカッツェは報酬を振り込んで踵を返して、恐らく彼が拠点としているのであろうあの不夜城へと戻るべく、雑踏へとその姿を溶け込ませていく。
──ぜってーやだ。
恐らくアキノを除いて、グロッキーになっている方と介抱している方の、
別にグラウカッツェが嫌いではないしむしろ好感すら抱いている良い男なのはアイカもエリィもチィも認めるところだったが、何せあのディメンションのあのエリアにはロクな思い出がないのだ。
ゲーミングに発光しながら襲いかかってくる鳥型のガンプラとそれを駆る全身タイツに鳥頭という紛れもない変態の編隊にして最速を追求する紳士たちのことを思い返しながら、チィはそっと溜息を吐き出した。
一応、アイカの提案もあって放送されたあのバエルお嬢様と「パロッツ・パーティー」の決戦はそれなりにあの狂った最速の世界へと身を投じるレーサーを呼び込んだらしく、中でもリーオーを改造したレーシングモデルを駆るダイバーは有望株で、一回敗北を喫したという報告が文面の時点でうるさいメッセージで、「リビルドガールズ」にハートから送られてきたのを覚えている。
蓼食う虫もなんとかかんとかと人間はいうらしいが、それにしたって偏食が過ぎるだろうと、チィは再び脳裏をよぎる記憶に頭を抱えるのだった。
「……まあとはいえ旦那への義理もあるんだ、行かなきゃいけねーんだろうな……」
「珍しいですね、チィがそのような話をするのは」
「あ? いや50万BCなんて金額出してくれたのなんて、アイカたちへの何かしらもあったんだろうけどふつーに考えたら自分たちの名前を売りたいからっしょ、なら受け取った金額分のことはすんのがチィたちの義理ってわけ」
「なるほど、確かに一理ありますね」
とはいえ以前のチィならそれを無視して絶対にあのメガロポリスに近寄ることはなかったのだろうと、アキノは静かに微笑む。
基本的には金勘定と金額に応じた行動しかしないと思っていたチィだが、今も口こそ悪いものの、初めて出会ったときのどこかやさぐれていて隙あらば自分たちを道具にしようとする剣呑さは薄れているように、アキノには思えた。
あの「パロッツ・パーティー」の人々も悪い人々ではないし、この機会に以前の雪辱を果たすのも悪くはないかもしれない。
それでも渋い顔をしているチィと、グロッキーなところを追い打ちされたかのように鳥の幻影にうなされ始めたアイカと、それで目の幅涙を流しながら彼女に抱きついて「死なないでください、アイカさんが死んだらわたしも死にますから」と繰り返しているエリィのことは視界に入らず、アキノは一人でふんすふんすと待ち受ける再戦の予感に気合いを入れているのだった。
やっぱこいつ底抜けの鈍感女だ、と、チィが呆れたように肩を竦めて呟いていることにも、気付くことなく。
「あー……死ぬかと思った……てか仮想の世界で死んだら人間どうなるの……? 仮想と現実の違いって……?」
「……あ、愛香さん……変な扉、開きかけてます……おねがいです、戻ってきて……」
ガンダムベースを出ても尚頭の中がぐわんぐわんと唸りを上げて高速回転しているような感覚に苛まれながら、愛香は変な扉を脳内で開きかけながらも、いつも通り絵理とその帰り道を共にしていた。
普段であれば目が見えない絵理を先導するべく、愛香は彼女の目になって歩いているのだが、今日はふらふらと足元がおぼつかないために、申し訳ないが絵理には一人で、なるべく転んだ時に巻き込まれない程度の距離を保って、埠頭にかかる巨大な橋、その歩道部分を歩いていた。
バージョン1.78は神アプデと名高いものの、この高速戦闘によるGのフィードバックに関しては今も賛否が分かれている。
曰く、それまでの環境でトランザムやNT-D、土星エンジンのような機動力を上げるパーツが強すぎたから腕が伴ってないと使えないようにするのは妥当だとか、曰く、いやいくらなんでもこれはやりすぎだろうだとか、そんな意見がスレッドを蹇々諤々と飛び交うことは珍しくない。
そうしてアクティブ二千万もいる以上、その仕様に抗議する過激派からの怒りのメールボムは運営に日々叩きつけられ、ガンダイバー姿のGMは頭を抱えているのだが、それは愛香たちの知るところではなかった。
「あー、目が回る……っと、うわっ!?」
「あ、愛香さん……っ!?」
油断をしていた。
おぼつかない足元が愛香の左と右でそれぞれ絡まり合って、愛香は車道の方へと倒れ込みそうになる。
だが、絵理は距離が離れているためにそれが見えなかった。かろうじてびっくりしたような愛香の悲鳴で、何かがあったことは察せられたのだが、声のする方に行こうにも車道との距離感を白杖で測りながらでなければそれもままならないために、出足が遅れてしまっていた。
だが。
「……その、大丈夫ですか」
死んだと、そう思っていた。
死の予感に対して愛香の心臓がばくばくとブラストビートを刻む中で、その淵から掬い上げるかのように、どこかぶっきらぼうながら優しさを感じさせる声音が彼女の耳朶にそっと触れる。
「ああはい、すみません……って、あれ?」
「あ……」
「なになに、ヒロト? 急に走ってどうしたの?」
いわゆるお姫様抱っこのような姿勢で気がつけば、同じ学校の制服に身を包んだ少年に、愛香は転んでもつれたその体を抱き留められていた。
そして少し遅れて、少年──クガ・ヒロトを追いかけるように、今日は愛香と入れ替わりでG-Cafeのシフトに入っていた同じ学校の少女、ムカイ・ヒナタがぱたぱたと駆け寄って来る姿が視界に映る。
愛香が話したこともなければ名前しか知らないクガ・ヒロトと、簡単な業務についての話や引き継ぎ、そして当たり障りのない会話をしたことはあるムカイ・ヒナタだが、彼らも同じ方角からやってきたということは、バイトがあったヒナタはともかくヒロトもガンダムベースにいたのだろうか。
まだ耳鳴りの残る頭で、ようやくたどり着いた絵理を心配させまいと立ち上がりながら、愛香はヒロトに頭を下げる。
「助けられちゃったね、ごめんなさい。そして……ありがとう。クガ君でいいんだっけ?」
「……ヒロトでいいよ、クガって呼ばれるの、慣れてないから」
「じゃあありがとうヒロト君」
「えっと……朝村さんが助かったならよかった、行こう、ヒナタ」
ヒロトの言葉は相変わらずぶっきらぼうで、愛香のことも助けた瞬間しか見えていないようなその茫洋とした視線はしばらく宙を彷徨って、ヒナタの瞳に固定される。
彼がどうしてそんな瞳をしているのか、どうして彷徨い続けているのかは愛香にはわからないし、そこに踏み入る資格もきっと持っていないのだろう。
心配そうに大丈夫でしたか、と愛香に声をかけつつも彼を追ってぱたぱたと走っていくヒナタと、歩き続けるその背中から哀愁を漂わせるヒロトのそれに、愛香はどこか中学三年生の自分を重ねていた。
今の自分なら、ヒロトに対して何かしてあげられることはあるのではないか。
そう思う心がなかったかといえば嘘になる。
彼の問題はきっとヒナタにしかわからないのだから、いつも通りに放っておけばいい。
そう思う心もなかったかといえば嘘になる。
優しさと冷たさ、冷淡と温情。背反する感情が愛香の胸中で渦を巻いている間にも、二人の背中は遠ざかっていく。
「あの! ヒロト君!」
「……朝村さん?」
「ヒロト君も、GBNやってるの!?」
気づけば、叫んでいた。
遠く離れていく黄昏が地面に落としたその影を縫いとめるように、愛香はただ一心に、彼の名前とGBNという、細く、途切れてしまいそうな自身との接点を問いに乗せて、言葉を紡ぐ。
「……ああ、うん。朝村さんは……」
「ヒロト?」
「……何か見つかったみたいで、良かった」
困惑するヒナタをよそに、短く、ぶっきらぼうに、それでも決して突き放すのではなく、そこに何かあるものを、否、何かそこにあったものを愛香の瞳の中に見つけ出したかのように呟くと、ヒロトは微かに笑みを浮かべ、踵を返して家路に戻っていく。
見つかって良かったと、愛香にそう告げたということは、彼の探し物はまだ、見つかりそうにないのだろう。
クガ・ヒロトという少年が今もあの電子の海を彷徨い続けている理由の一端に触れたような、触れてしまったような気がして、愛香はそこにそれ以上の言葉を見出すことはできなかった。
「……愛香さん」
「……きっと皆、いろんな理由があってあの世界にいるんだね」
心配そうに、立ち上がった愛香がまた倒れてしまわないように制服の裾を左手で掴んだ絵理が、消え入りそうな声でその名前を呼ぶ。
ああ、そうだ。
きっと皆いろんな理由を抱えて、あの電子の海を彷徨って、仮想郷の中ではダイバーとして理想を叶えたり、叶えられなかったりして、楽しんで、苦しんで、そして現実に帰ってくる。
あの架空のソラは電子の世界に貼り付けられたテクスチャで、今も回り続けているこの地球のそれとは物理的に繋がっているわけではない。
それでも、姿を変えようがロールプレイをしていようが、この世界とあの世界を繋いでいるのは自分たちに他ならない。
寂しげに俯く絵理の頬に愛香はそっと右手を添えて、絵理がぴくりとその感触に反応し、給餌を待つ雛鳥のように震えながら薄い唇を微かに突き出してくるその仕草を返事として、自分のそれを重ね合わせた。
悲しいほどに自分たちという存在は弱くて脆い。
一人で何でもやろうとして、何でもできると信じて、壊れかけていた愛香の心には今も無数のヒビが走っているけれど、こうして絵理と一緒の時間を過ごして、すっかり癖になってしまったキスを交わしている間だけはそれを忘れられるような気がするのだ。
今度は絵理が愛香の唇を割って入れてきた舌でその輪郭を飾っているのは、不透明なこの世界で愛香が消えてしまわないようにつなぎとめるためであり、そしてその証明であり燃料に、自身の愛がそこにあると示すために。
返して絵理の舌と絡めあった愛香のそれは、どこにも行かないと、決して絵理以外の誰かを好きになることなんてあり得ないという、同じ傷を見せあった同士の、文字通りその舐め合いであり、人がきっと道化芝居だと皮肉に笑うのかもしれない行いだった。
だが、幸せに本物と偽物などどこにもない。あったとしてもそれを決めるのは他人じゃない。
「……っぷ、愛香、さん……」
「っぷぁ……大丈夫。あたしは絵理以外のことなんて絶対好きにならないよ」
恐らくは駆けつけてきた彼に対する嫉妬でむくれていたのだろう。
そんな彼女の欲深く、独占的で危うい、自分との繋がりが切れてしまえばその命まで断ちかねない一面まで含めて、愛香は絵理を愛しいと思っている。
だって立場が逆だったら、あたしも嫉妬してたし絵理に大嫌いですもう二度と近づかないでください、なんて言われたら、今度は迷わずに窓から飛び降りて死を選ぶだろうから。
愛香は微かに苦笑を浮かべながら、まだ少しむくれている絵理の額にそっとキスを落としてみせる。
「……よかった、です……えへへ……」
「あたしも……絵理が彼女でよかったよ、絵理が彼女じゃなかったら、きっとあたしは……多分、探し物をずっと見つけられなかったのかなって。まあその探し物がなんなのかはわからないんだけどね」
見つかったけれど名前がない。映画に出てくる行方不明者のようだと愛香は笑う。
ならばこれからもGBNに潜り続けるのは、絵理と一緒の時間を過ごすため、もっと楽しく、強くなるためが最優先になるのだろうけれど、ジェーン・ドゥなその感情に名前をつける旅路になるのかもしれない。
そして、きっと。
「そうだ絵理、ラムネ買って帰ろうよ、うち今日もお母さんいないから」
「……い、いいんですか……? わ、わたしも、お母さんが、お仕事なので……」
「そっか、じゃあどっちの家に行く?」
「……愛香さんで!」
「即答かぁ」
「……え、へへ……愛香さんのおうちと匂い、だいすきなんです……」
「そっか」
なんだか匂い、という言葉を使われると複雑になってしまうのが乙女心というものだが、絵理はきっと純粋にいい意味で褒めてくれているのだから、それはきっと喜ぶべきことなのだろう。
家の匂い。
ずっと、無味無臭で、愛香以外に誰の帰りもなく、たまに母が帰ってきては疲れたその体を休める棺のように使っているだけの空間だった。
それでも絵理と付き合いだしたその時に、家は愛香の中で帰るべき場所として確かにその定義を再構築されたのだ。
あたしも絵理のいい匂いが好きだよとばかりに、その牛乳と石鹸が溶け合ったような香りを脳裏に刻み付けるように、愛香はもう一度絵理と無言で深いベーゼを、夜の約束を刻んで、同じ家路に戻っていく。
きっと、一人じゃ生きていけないから。
名前はわからなくとも、最終解答が導き出したその結論を、二人でその胸に分かち合いながら、これから待つ楽しみに心を踊らせて少しだけ足早に、二人は駅を目指して歩いてゆくのだった。
五里霧中のヒロト、ジェーン・ドゥのアイカ、再びの邂逅
──ヒロトとイヴが守った世界のソラに、架空の惑星の名を冠したガンダムはきっと明日も翔び続ける。