「わりぃけどさ、これでチィはお別れだから」
銀の亡霊たちに勝利を収めたアイカたちを出迎えたのは、歓声でも喝采でもなく、背中を向けたチィが放ったそんな冷たい言葉だった。
聞き間違いかと思ってアイカはまだGのフィードバックが残っている軽い吐き気に耐えながら小さく首を傾げたが、それを冗談だと言い出せるような空気でもなければ、言い出すようなチィでもないということはすぐにわかる。
「……え、あ……あの……ど、どうして……」
「どうして? おいおいエリィ、忘れちまったのか? チィとエリィたちは……『リビルドガールズ』はフォースメンバーであってフレンドじゃねえ」
「……で、でも……! フレンドワープを……」
「ありゃフォース画面のメニューからメンバーにも使えんだ、嘘だと思うならそこの受付に聞いてみな」
「あ、ああ……うぅ……っ……」
エリィが真っ先に食い下がってチィを引き止めようとしたが、取りつく島もないといった冷たい態度に気圧されて、ぽろぽろと涙をこぼしながら、力なくロビーの床にへたり込んでしまう。
「ちょっとチィちゃん! どういうつもりなの!? エリィちゃん泣かせたのもだけど、フォース戦の条件にチィちゃんの脱退なんて入ってないでしょ!?」
アイカは傷付き頽れてしまったエリィを抱き抱えてチィへと叫ぶが、彼女は後ろを向いたまま振り返る気配もなく、全てを拒絶するその背中には、理論武装も曖昧に当惑のままにぶつけた言葉が通じるはずもない。
「言ってねーからな、それにあの『ノイエ・シルバリィ』みたいに抜ける時なんやかんやってルールもこのフォースにゃねーだろ? だから……潮時ってこったよ」
「このっ……!」
「やめなさい、アイカさん。チィ……本気なのですか」
怒りのままに立ち上がって、チィへと平手打ちを放とうとしたアイカを静止しながら、シルバリィの制服を脱ぎ、よく似たデザインながら赤と金を基調とした新たなダイバールックに装いを改めたアキノが、毅然と去っていく彼女の姿を睨みつけながら問いかける。
「本気じゃなきゃこんなこと言わねーよ」
「だったら……だったらなんでアキノさんの時にあんなに熱くなってたの!? わかんないよ! あたし、チィちゃんがわかんない!」
「アイカさん!」
アキノに引き止められながらも、アイカは感情のままに雑踏へと溶けて消えていくチィの影を縫い止めようと精一杯に引き留めるための言葉を投げつけるが、その全てはロビーに溢れるダイバーたちに踏み砕かれて、届く前に消えてしまう。
わからない、と叫んでいたのは本当だ。
確かにチィはELダイバーだったという事実を隠してこのフォースに所属していたが、それこそ彼女自身が言ったようにアイカたちは、チィ個人の過去や事情など関係なしに四人が集まっていることこそが重要であり、そこに生物としての在り方の違いなど関係ないと思っている。
それとも、ELダイバーと人間、その在り方には致命的な断絶があるだけで、自分たちが理解できていないだけなのか。
アイカは混乱する頭を整理しようと考えを巡らせていたが、思考回路が発した命令は同じところを走り回るだけで、脳を疲弊するだけ疲弊させて結論にはたどり着いてくれなかった。
それでも、アイカが公衆の面前でチィが秘密にしていた、彼女自身がELダイバーであるということを叫ばなかったのはその良心が、或いは事情こそ違えど心の傷や秘密のようなものを抱えているだろうか。
アキノは発奮するアイカを取り押さえながらも、微かにチィの言動に引っ掛かりを感じながらも、このフォースに拾われた、そしてアイカについて行けた理由をそこに見つけられたような気がして、複雑な面持ちでもうすっかり小さくなってしまったその背中を見つめることしかできずにいる。
「……チィ! ならばどうしてかぐらいかは教えてくれませんか!?」
「……どうして、ね。もう500万稼いだからかな、まあこれからも金はいるからぼちぼち他んとこてやってくつもりだけどね」
「だったら! 私がもう500万稼ぎます、それでは不足ですか!?」
「……チィは即金以外認めねーよ。じゃあな、アイカ、エリィ、アキノ」
──稼がせてもらってありがとうよ。
それを最後の言葉にして、チィの背中は完全に雑踏へと溶けて消えてしまった。
ELダイバーであるというのは、彼女があの店でこぼしてくれた言葉よりも重いのだろうか。
とうとうエリィと同様に泣き出してしまったアイカを見て、アキノはただ途方に暮れながら考える。
それとも、あの言葉も自分の身柄のためにあんな、秘密を晒す危険があるほどの賭けに打って出てくれたことも含めて、全て金を稼ぐための方便であり嘘だったのだろうか。
アイカとエリィの二人が人目も憚らずに泣いているから多少歳上として冷静になれているだけで、アキノ自身も当惑し、頭の中ではあれこれと用をなさない推察や考えが、感情が渦巻いていてどうしようもない。
かといって、二人にかけるような言葉が思いつくでもなく、ただ自分がこうして黙って歯噛みすることしかできない自分に心底嫌気がさして、アキノは右の拳を固めながら、自己嫌悪からくる怒りに震える。
アイカにも、エリィにも、チィのことがわからない。
そしてアキノにもわからないしチィも語らずに去っていくのであれば、何をしようにも八方塞がりだ。
光が走ったのは、このまま「リビルドガールズ」が空中分解していくのをただ黙って見ているしかないのだろうかと、三人がそれぞれに途方に暮れて黙り込んでいたその時だった。
「……っく、ぐすっ……何……?」
「……」
「これは……ガードフレーム?」
転移してきたと思しきGBN-ガードフレーム四機がアイカたちを取り囲んだかと思えば、モーセが海を割ったかの如く人混みが左右に割れて、ロビーを悠然と歩いてくる存在がアイカの視界に映り込む。
ガンダイバー。SDガンダムフォースに登場するキャラクターをそのアバターとしている存在など、GBNには一人しかいない。
「じ、GMだぞ……」
「あいつら何やらかしたんだ……?」
「確かあいつらって、『リビルドガールズ』じゃあ……」
それは他でもない、このゲームの運営、それを統括するゲームにおける最高責任者にして会社における中間管理職たる男であるゲームマスターだ。
そしてGMが降臨するということは、何か特大の問題が発生している、というのがダイバーたちにおける共通認識であり、彼が現れた時に人々が道を譲ったのは決して純粋な敬意だとか崇拝だとかそういうものがさせたことではなく、ひとえに「目をつけられた奴らが俺たちだったら堪ったもんじゃない」という忌避の感情に尽きる。
運営など憎まれ役だとわかっていても、ガンダイバーのアバターを使う男──カツラギとしては複雑なのか、ダイバーたちには聞こえないように小さくため息をつく。
そうしてカツラギはガードフレーム四機から送られてきた情報にきりきりと胃の辺りが痛み出すのを、仮想空間だというのにも関わらず明確に感じる。またも、一足遅かったらしい。
涙をこぼして途方に暮れている少女二人とどこか宙を見たまま魂を投げ出したかのような抜け殻の目をしている少女を取り囲むガードフレームとゲームマスターという構図は悪役そのもので、今もひそひそとカツラギの行動を咎める声がロビーを飛び交っていることは彼自身も理解していた。
だがこれは会社と国に関わる問題なのだ。いうなれば、カツラギもまた、一年前から現在進行形で押し付けられている問題の被害者に他ならないのである。
そんな事情はつゆとも知らず、悠然と歩み寄ってくるガンダイバーに恐怖してか、エリィはアイカに抱きつく力を強めてその胸に顔を埋めながらがたがたと震えだした。
ガードフレームが飛んでくるというのが何か重大な事態で、その銃口とまではいかなくとも無機質なカメラアイが自分たちを見据えている、つまり問題の発生源が自分たちであることはエリィにも理解できたし、だからこそ見覚えがないのに囲まれている、という状況に恐怖しているのだ。
「すまない。君たちが……フォース『リビルドガールズ』で間違いなかったか?」
「はい、GM……申し訳ありません、リーダーとメンバーの二人は今とても話せる状況にないので、何かお聞きしたいことがあって足労いただいたなら私からお話しいたします」
「君も大分参っているように見えるが……すまないね、これも仕事なのだ。さて、いきなり本題に入らせてもらうが……察しているとは理解している。君たちのフォースに先ほどまで加入していたELダイバー、『チハヤ』について聞きたいことがある」
桜宮家の令嬢経由で突きつけられた処分済みの深層ファイルについて思い返して胃を痛めながらも、カツラギは泣いているアイカとエリィではなくアキノを見据えてそう言った。
「チハヤ君は……一年前から『失踪』していたELダイバーだ。バックログを漁って行動を追っていたのだが、ログイン日時が一年前から更新されず、ログインし続けていたというのは妙な話でね……君たちが何か知っているのであれば是非とも協力してもらいたい、任意なので強制はしないがね」
静かに腕を組んで瞑目するカツラギの言葉は事務的で圧力の強いものでこそあったが、そこには確かに上から言われただけで、付けた目星そのものが間違っているという自覚と、そんな間違いにいたいけな少女たちを巻き込んでしまったことへの後悔が含まれている。
カツラギ自身も勿論、「リビルドガールズ」がチハヤ失踪事件に何か、重要な形で関わっているとは思っていない。
悪用こそしないものの、GBNはダイバーのログイン履歴や場所、GBN内での行動といった逐一の情報をバックログから常に監視しているため、例えばGBN内の掲示板において、私怨から敵対したダイバーの個人情報を晒し上げる、といった書き込みを発見した場合即座にIDからダイバーギアに紐付けられた情報を特定して、該当する書き込みを強制削除した上でのアカウント永久停止といった措置を可能にしている。
そういう意味ではバックログにも履歴を残さない二年前のブレイクデカールは凶悪だったが、まさか目の前にいる少女たちは、アキノというダイバーを除いて初心者だ。それに匹敵する技術を生み出せるはずもあるまい。
加えてアキノが元シルバリィであるならそういったチートコードに近いものを忌避していることは明白であり、カツラギにとってこの聞き込みは何か一つでも知っていることがあれば御の字、以上の意味など持ち合わせていなかった。
「失踪……? いえ、心当たりがありませんね、そもそもELダイバーが失踪することなど可能なのでしょうか?」
ELダイバーは、生まれた時点ではGBN内におけるデータの異物として認識されてしまうため、ビルドデカールを定着させた躯体へとデータを転送した上で再ログインを行わなければ、バグとして認定されて削除されてしまうというのが公式見解だ。
だからこそ、ELダイバーの世界──GBNと現実というある種二つの異世界が共存を余儀なくされていることへの善し悪しは横に置いておくとしても、確実にここで一年以上も活動するのならチィはELダイバーの登録を行う施設、ELバースセンターでの洗礼を受けただろうし、現実に躯体を、アバターと似たモビルドールを持っていることは確かだろう。
だが、モビルドールには活動限界が存在している。
明確にそれを測るのはELダイバーの死に繋がりかねないためにタブー視されているが、モビルドールを覆っているプラネットコーティングは定期的に充填されねばならず、丸一日充填なしで行動することならともかく一年単位でコーティングを補給せずに活動し続けることはほぼ不可能であるもいってもいい。
「考えられる可能性は二つある。君たち三人の誰かがプラネットコーティングを常に充填できる環境を持っていてそのまま彼女が……チハヤ君がログインし続けているように偽装していたか、或いは彼女が一度ログインした場所からずっとログインしたまま、つまりログアウトすればELダイバーとして死を迎える状況を是認した上で活動していたか……或いはその両方の複合だ」
一応、かかる電気代を是認するなら、肉体の都合上定期的な食事や休息を必要とする人間とは違い、電子世界をこそその産土としているELダイバーをログインしっぱなしにすることは可能である。
ただ、プラネットコーティングは動かなくても漸減していくため、ログアウトすることを死ぬこととする覚悟がなければ、ELダイバーであれど丸一年ログインし続けた上で潜伏するなどという真似はできない。
そうなると現実的な線として考えられるのはアクセス情報の偽装、欺瞞ないし、自宅にGPD筐体を用意してプラネットコーティングに繋ぎっぱなしにして更にダイバーギアに接続するという電気代がいくら飛んでいくかわかったものではない荒技だ。
GPDの筐体は生産停止になったため、ELダイバーの保護観察者になった人間は必ずプラネットコーティングマシンを購入しなければならないのだが、GPD筐体と違ってオフラインでのスタンドアロン、つまりダイバーギアとの接続性を意図的に排除しているから後者が不可能となると、犯人は自然とGPD筐体を持っている存在に絞られる。
「いえ……残念ながら私たちも困惑しているのです。アイカさんとエリィが初めて間もない初心者であることはそちらも確認されているかと思いますが」
「うむ、公表はしないが彼女たちのログイン履歴から、チハヤ君の失踪に噛んでいる確率は極めて低いと思っている。そうなるとアキノ君、君を疑っているようで申し訳ないのだが……」
「……気を悪くしたなら申し訳ありません。私も……チハヤが、いえ、チィがELダイバーであるという事実を知ったのはつい先ほどでした」
「そうか……こちらこそあらぬ疑いをかけて申し訳ない。彼女の身柄については運営側が全力で捜査した上で確保する。君たちも彼女を見かけたら連絡してくれ」
ガンダイバーことGMはそう言って、アキノに小さく頭を下げるとガードフレームを携えて、そのまま去っていった。
何がなんだかわからない。アイカは混乱で頭がどうにかなってしまいそうだったし、Gの残滓に耐えることをやめていっそここで吐き出してしまったらどれだけ楽になるだろうかと打ち震えていた。
「……勘弁してよ……」
「……アイカ、さん……」
「……勘弁してよぉ、やめてよぉ……っ、あたしが何したっていうの? あたし、チィちゃんのこと怒らせてたの……? ねえ、エリィちゃん、アキノさん……」
チィが突然フォースを抜けたというだけでも訳が分からないのに、急に彼女が一年間失踪し続けていただの、GMが現れてGPDがどうのこうのだのELダイバーがどうのこうのだのと喚かれたところでわかるはずもない。
あのガンダイバーだって仕事でやっているのだろうから、好んで自分たちを死体蹴りしに来たのでないことぐらいはわかっている。
だが、吹奏楽部の冬を想起したトラウマと吐き気にアイカの顔は青ざめて、ダイバーギアが深刻な体調不良を検知して彼女を強制ログアウトさせてしまった。
取り残されたエリィとアキノは顔を見合わせると、お互いに無言でログアウトを選択して、現実に解けていく。
いつもであれば、きっとそれをニヒルに笑いながら指先でコインを弾き飛ばしている快活な少女の笑顔がそこにはあったはずだった。
だが今はもう、どこにもない。
何かの事情を察した、パトリック・コーラサワーの姿を模したダイバーが、どことなくお通夜のような空気の漂うロビーで、さっきまで「リビルドガールズ」がいた場所を一瞥して去っていく。
そしてきっと三十分も経てば、ロビーはいつも通りに活気を取り戻して、回り続けるのだろう。
GBNとは良くも悪くもそういう場所だった。誰かが泣いていたとしても、その横で誰かは笑っていたり怒っていたりする。
アクティブ二千万の中の四人を気にしていたら、このゲームなどやっていられない。
誰も敢えて語ることはしないが、それこそがダイバーたちの本音であり、この電子の海における暗黙の了解なのであった。
ただし、ごく、一部を除いては。
「うっ……お、えええええっ……」
「……あ、愛香、さん……」
「げっほ、ごほっ! っえっ、う、おええええ……」
なんとかガンダムベースを出るまでは持ってくれたが、耐えきれずに愛香はそのあたりの電柱に、胃の中身を全てぶちまけてしまっていた。
Gの残滓といなくなったチィとトラウマと自己嫌悪、その他諸々をミキサーにかけて脳味噌をかき混ぜられているような感覚に、吐くものがなくなっても愛香は胃液をコンクリートに吐き出し続けて、咳き込みながら悶え続ける。
絵理はその背中をそっとさすりながらも、自分もどこか気を抜けば吐いてしまいそうで、涙だって溢れているのが止まらなくて、パンクしてしまいそうな心地だった。
あの愛香がここまで追い詰められていることそれ自体が絵理にとってはある種のショックだったし、友達だと思っていたチィから裏切られたかのような言葉をぶつけられたことを思い出せば、胃の辺りから喉を灼くような熱さが込み上げてきて。
「……ご、ごめんな、さい、っぷ……うええええっ……!」
声と手の感触で愛香の位置を探りながら、吐瀉物がかかってしまわないように配慮こそしたものの、絵理も頽れて地面に胃の中身を吐き出してしまった。
遠くで立ち込める黒雲が、目蓋の裏を横切った閃光に遅れて雷鳴を轟かせる。
「絵理……絵理ぃ……っ……あたし、あ、あたし……」
「……あ、愛香さ……あいか、さん……」
声を揃えて慟哭する二人の嗚咽を掻き消すかのように土砂降りの雨がコンクリートの地面を叩いて、雷鳴が周囲に轟く。
無事に勝ったはずだった。アキノもチィも含めた四人でカフェに行っていつも通り楽しく話すつもりだった。
アキノが残ってくれただけ良かったのかもしれない。だが、500万BCなんてチィと過ごした日々を考えれば端金もいいところだ。
「……勘弁してよぉぉぉ……っ……!」
こんな端金で良ければくれてやるから、頼むからチィちゃんを返して。
天の向こうでバケツをひっくり返したような雨を降らせる神々に向けて、愛香は血反吐を吐くように慟哭する。
だが、それが届くはずもないことなどわかっていた。
それが届くのであれば、自分の人生なんてとっくにどうにかなっていたことなど、愛香も、絵理も、わかっていたのだ。
汚れた服で抱き合い、涙を流し続ける愛香たちを嘲笑うかのように都市を覆い尽くす黒雲はけたたましい音を立てて雫の礫を頭上から投げつけ続ける。
どうせ時が経てば忘れてしまうと、一時ばかりのこの雨と似たようなものだと、その冷たさに震え続ける愛香と絵理を嘲るように、通り雨がシーサイドベースを駆け抜けていくのだった。
さらば銭ゲバ戦士チィ〜金の戦士たち〜