Ex.01:「割と平穏なGMの一日〜プラスチックの雨が降る」
他の人から見たらどうかはわからないが、愛香はバイト先に知り合いが来ても動じることはあんまりないと思っている。
実際、ガンダムベースシーサイド店にひょっこり顔を出した恵美にも「なんかGBNに使うやつ以外でガンプラ組みたいからいいの教えて」とか定番のことを聞かれたから、迷わずEGガンダムを勧めた経験があった。
さりとて例外があるというのが物事の常だ。
シーサイド店の制作ブースに長身を丸めて入り浸っている、どことなく疲れたような胃を痛めてそうな、目つきの悪い男性客を一瞥して、愛香はなんとも言えないような気持ちを抱く。
「あのお客さん、ガンダイバー好きなんだねぇ」
「そうですね店長、あははー」
ほっこりとした店長の言葉に返した愛香の笑いは乾いていたし、それはもう見事なまでの棒読みだった。
どことなくほのぼのとした顔で、日曜日だというのに、ぴっちりとスーツを着こなしている彼は閉店時間ギリギリのいまも制作ブースに入り浸っている。
そしてガンダイバーとガンチョッパーをそれぞれ三機ずつ組み上げて塗装までやってのけている彼は、店からすれば間違いなく上客であることに違いはない。
自前で大きなエプロンだって完備しているし、エアブラシを使う時には常に使い捨て手袋を嵌めて、吹き返しがないような距離を保ち、塗料の扱いに細心の注意を払っている辺り制作技術もガチ勢のそれだ。
しかし、世界でそんだけガンダイバーが好きな人、という条件で脳内のデータベースを探れば、愛香の中で心当たりがあるのはたった一人なわけで。
(あれ絶対GMだよね……なんか声も似てるし……)
その隣で黙々とEGガンダムの肉抜き埋めと一部パーツをHGUC、REVIVE版のそれに置き換える工作をしているヒロトが気付かないふりをしてるのか単に本当に気付いてないだけなのかは、愛香にはわからない。
しかし、とにかく異様に気まずい。何かやらかしたというわけではないのだが、目の前にいる目つきの悪い人がGMだと思うと、謎の緊張感めいたものが愛香の心に差し込んでくるのだ。
「……やはりガンダイバーはいいな、癒される」
そんな愛香の事情はつゆ知らず、トップコートを吹き終えたガンチョッパー三体を、先に仕上げていたガンダイバーたちと一緒に並べて眺めながら推定GM──確かにカツラギその人はすっかりご満悦といった風情の表情を浮かべていた。
「SDガンダムフォース、好きなんですか」
「うむ……子供の頃の思い出でね」
「わかります、俺も……小さい頃はファーストガンダムを子守唄がわりにしてましたから」
その隣で黙々とHGUCガンダム、リバイブ版の脚部を幅増し──幅詰めとは逆に切断してプラ板を挟み込むことでボリュームを増す作業を指す──をしていた少年、クガ・ヒロトは気づいているの気づいていないのか、ほっこりしているカツラギを一瞥すると控えめにそう問いかけた。
そしてカツラギは少し照れ臭そうにしながらも、己の若かりし頃、テレビの前でシュウトと共にキャプテンガンダムへと声援を送っていた自分を思い返しながら、彼の問いを肯定する。
愛香たち、「リビルドガールズ」がGBNを巻き込んだどったんばったん大騒ぎなあの「ELダイバー奪還戦」から何ヶ月という時間がたった。
電波障害の原因となった三十光年先の惑星──エルドラから、「アルス」と名乗る電子生命体なのかそうでないのかはわからないがインベーダーが現れて、あの奪還戦に勝るとも劣らない戦いが繰り広げられたのだが、それを何とかした、否、ずっと何とかしてくれていたのが愛香の目の前にいるヒロトと、もう一つの「ビルドダイバーズ」だった。
あれから一週間、久しぶりの長期休暇ということもあって、目の下に隈こそ浮かんでいるが、カツラギの表情は非常に明るい。
胃薬の世話にならないで済んだのはいつ以来か。
ガンダイバーたちの隣で整列するガンチョッパー、そしてヒロトが組み立てている彼だけのEGガンダムを見て、カツラギは満ち足りたようにふっ、と短く笑う。
マニア同士は多くを語らないとはどっかの有名な漫画の格言だが、二人の会話はまさにそれを体現するものだった。
ヒロトが何となく熟練した雰囲気を出していたことはわかったのだが、作り込みの腕前もさながら、短く返した言葉の中に大きな感情を封じ込めたあの声音はガチだ。プロのそれだ。
そしてそれはカツラギも相当なものだった。
彼らは多分、愛する作品か各話の台詞とか全部暗唱できる人種に間違いないと愛香は確信する。
「……平和、なのかなぁ」
「平和だよ、愛香ちゃん」
「平和の中にあたしの平穏がないってなんだか皮肉みたいですね……」
向こうが楽しそうなら、バイトのあたしには関係ないし幸いなことなんだろうけど。
愛香は自嘲するが、その顔からは微かな笑みが溢れている。
そうだ、何も問題はない。ただヒロトとSDと初代談義で盛り上がっているカツラギの笑顔と冷徹なガンダイバーの姿が重なり合わなくて脳が処理落ちを起こしそうなだけなのだ。
「……まあ、いっか」
そもそも誰がどこで何してても、どんな過去を持ってても気にしないのが「リビルドガールズ」だ。
ならば自分がそれを気にするのも野暮に違いない。
ここにチィちゃんがいたら相当渋い顔してるんだろうな、と、誤魔化すようにそんな他愛もないことを考えて愛香は苦笑する。
だけど、生憎彼女は今日、ようやく人と会話できるまでに回復した愛する姉──イリハと一緒に本店の方に出張している。
サラが休みだからだ。たまにヒロトたちと一緒に行動しているELダイバー、「メイ」もシーサイドベース店で接客をしてくれるが、彼女はバトルがしたいという感情から生まれたらしく、緑色のゴシックドレスに身を包んだその姿を見られるのは稀だ。
「早くバイト終わんないかなぁ」
別にこのアルバイトが楽しくないわけではないのだが、どうしてもこの後に待ってることを考えると気が抜けてしまう。
モップの柄に顎を乗せながら、無意識にそんな言葉を愛香の唇は出力していた。
「聞こえてるよ愛香ちゃん」
「す、すみません……」
やんわりと咎めるマツムラ店長の言葉に恐怖しつつ、愛香はカツラギとヒロトの観察をやめて与えられたタスクに戻っていく。
あの推定GMにとってのガンダイバーは、このいつも殺伐として退屈な日常の掛け替えない癒しなのだろう。
そう、それは丁度愛香にとって世界でただ一人の彼女にして大事な人、例える言葉が見つからないその名前と同じように。
──絵理。
退屈を誤魔化すように、そして会いたいと願って、愛香は小さくその名前を口ずさむ。
もうすっかり二人の家になってしまった自分の部屋で帰りを待つ彼女の姿を思い描きながら、愛香はただ、無心でガンプラコーナーの床にモップをかけ続けるのだった。
「……ってなことがあってさぁ」
パチン、パチンとニッパーでゲートからパーツを切り出す音を響かせながら、バイトから帰ってきた部屋でサボった分のサービス残業として、という店長のジョークと共に渡された、元から作る予定だった店頭展示用のサンプルである「HGUC Ex-Sガンダム2号機ブルースプリッターカラー」を愛香は組み立てる。
ベッドの隣に腰掛ける絵理に今日の一部始終を面白おかしく語りつつ、現代の技術で蘇ったその複雑極まる分割に、心理的な面で苦戦しながらも慣れた手つきでEx-Sガンダムを組み立てていく。
「……GMも、やっぱり人なんですね……」
「むしろ、今まで人じゃないとか思ってたの?」
ほっこりとした笑顔を浮かべて答えた絵理に、作業に飽きてきたのもあって少し意地悪な笑みを浮かべて愛香はそう問いかける。
「……あ、いえ、その……ただ、ガンダイバーと、その……愛香から……教えてもらった人の特徴が、重なり合わなくて……」
「うん、間近で見てたあたしも脳がバグりそうだった」
いや、本当にGMを人間扱いしてないわけじゃないんだけど。
ブチギレたのか、あの「アルス」との最終決戦に直接ガンパンツァーでエントリーしてきて修正パッチ砲をぶっ放していたGMの「不正アクセスは許さない……!」という言葉に込められた凄絶な怒りが、昼間のちょっと目つきが悪いだけでほっこりした笑顔を浮かべる壮年の男性とどうしてもコンフリクトする、それだけの話だ。
愛香は嘆息しつつ、ぱちん、ぱちんとパーツを一度、ほんのちょっとゲートを残す形で切り出して、残ったゲートをもう一度、今度は奮発して買ったちょっとお高い青い柄のニッパーで丁寧に切り出していく。
素組みで綺麗に見せるというのは、塗装で仕上げるのとはまた違ったベクトルでの難しさと緻密さが要求される。
二本のニッパーを目まぐるしく持ち替える手間に心が折れそうになりながらも、愛香は会話が途切れてもどこか上機嫌に、鼻歌まじりに愛香に頬をすり寄せている絵理の存在をモチベーションにして、Ex-Sの胴体と両腕を完成まで導いた。
「なんだか上機嫌だね、絵理」
「……はい……なんだか、愛香がニッパーでパーツを切り出す音、落ち着くので……」
雨みたいで、と、絵理はどことなく風情を感じさせる言葉を残して再び、急かすように、愛香の肩へとその頬を擦り付け、腰に手を回してしなだれかかってくる。
──誰の帰りも待っていなかった部屋に、プラスチックの雨が降る。
物理的に降られたら降られたで掃除に困るからと箱の上でゲートを切り出していたのだが、その音を雨に例える感性は、きっと絵理にしかないものだ。
彼女が見えないリアルで見ているものに触れた気がして、愛香はどこか気恥ずかしさと愛おしさが綯い交ぜになったような感情を抱く。
温かな綿で心臓をそっと包み込んで締められているような、心と心のどこかが触れ合う感覚は、繋がりあってもまだ気恥ずかしさを覚えないかと言われれば嘘になる。
しかし、それは自分のことのように愛しいからで、慈しいからで。
絵理が傷痕と義眼を曝け出しても笑っている、それだけのことを愛おしく思う。
それはきっと、世界でたった一人、自分にだけ許された権利だと思うのは傲慢だけれど、それでも彼女の頬に触れられるのは、彼女が頬に自ら触れようとするのは、愛香しかいないのだ。
ぱちん、ぱちん。
プラスチックの雨を静かな部屋に降らせながら、愛香はその時間を噛みしめるように、作業へと戻っていくのだった。
それはそれとして、ガンダムってなんで手足が二本あるんだろうと、この後に控えている両脚の組み立てにげっっっそりするような感じ、ガンプラの組み立てに慣れた者であればこそ覚える想いを抱きながら。
よかった、胃痛に苦しむカツラギさんはいなかったんだ