机の上に置かれたガンプラを眺める時がある。
そこにはいつだって始まりがあって、そして、いつだってそこにはかけがえのない思い出が横たわっている。
愛香が、花嫁の控える部屋にもフェアライズガンダムを持ってきたのは、始まりを確かめたかったからだ。
第三次有志連合戦──「アルス」との戦いが終結を迎えてから、実に八年という時間が経過していた。
その間にもガンダムの新作は放映されて、そしてGBNは大規模だったり小規模だったりと様々だが、色々なアップデートを重ねる形で、さらにアクティブユーザーを取り込む形で今も存続している。
その間に起きた出来事や思い出を語り合えば、枚挙にいとまがないのはきっと素晴らしいことなのだろう。
愛香は優しく、直立させていたフェアライズガンダムをくつろいでいるような姿勢に変えてディスプレイさせながら、ヴェールと純白のウェディングドレスに身を包んだ自身の姿に苦笑する。
「まさか、ビッグサイトが学校になっちゃうなんて思わなかったよね」
停滞してこのまま滅んでいくと誰もが心のどこかで思っていても、時代は決してそうはならなかった。
愛香が語った通り、長年お台場の守護神を勤め上げてきた実物大ユニコーンガンダム立像が立っている場所から程近く、というほどでもないけれど、モノレールで行ける駅の近くに佇む別な聖地は今や巨大なマンモス校の校舎となって、そしてGBNの内外を問わずして、様々なムーブメントが今日も巷を席巻している。
『それでは、新婦二人のご入場です! 皆さま、拍手でお出迎えください!』
変わった、というのなら、それは世界の決まりとか、そういうものだって少しずつ変化していったのだろう。
スタッフがマイク越しにそう宣言するのを聞いて、ウェディング・ドレスに身を包んだ愛香はゆっくりと立ち上がり、そしてフェアライズガンダムを手にしてヴァージンロードへと向かっていく。
桜宮家が、というよりは凛音が政治の世界に飛び込んだことで、ELダイバーにはまだ課題こそ残っているがある程度人権が認められた。
けれどきっと、課題なんて即座に解決するようなものばかりじゃないということは愛香にもわかっている。
だから、皆日々その最終解答を探してもがいている。
いくつもの「ハテナ」に頭の中を埋め尽くされながら、その海を泳ぎ切ろうと、必死にもがいて、あがいて。
それはなんだか人間関係そのものなんじゃないかということを、アイカは思ってしまうのだ。
知りたいと願うことだって間違ってないのに、知ってしまうことで傷ついて、知らないままでいることが間違いなのに、その方が傷付かなくて済んだりして。
そんな風に意地悪に世界を作った神様の気紛れで、あるいはどこかで、何かが噛み合うことで、出会うことができたのだ。
──ねえ、そうでしょう。絵理。
同じように愛香の控えていた部屋の隣から出てきた絵理も、純白のウェディング・ドレスに身を包んでいた。
もうその右目に刻まれた傷痕を彼女が隠すことはない。
差し伸べてきた手を取ってヴァージンロードへと続く道を歩めば、きっとそこに言葉はいらないのだろう。
「変わったよね」
「……はい。わたしも、愛香も」
「この世界も」
──あたしたちが籍を入れられるようになったことだって、多分世界がどこかしらで前に進んだことで、その裏にはいくつもの悲しみだとか苦しみだとか、涙だとかがあって。
愛香はそこにある痛みのことを想う。そうして結実した願いを手に取って口に含むことができた喜びのことを想う。
結婚式なんて、どうせ儀礼的なものだなんてことはわかっている。
それでもこれから大人として生きていくのに、絵理が同居人ではなく配偶者として扱われることは色んな面で大きくて、愛香はその違いに辟易してしまいそうになるけれど、それでももう、大人になったのだ。
一概に大人といっても、いつだってなれている気はしない。
初めて迎えた成人式で酒を口に含んだ時、こりゃダメだと頭痛に襲われたからなのか、タバコを吸おうとして盛大にむせかえって、やっぱりダメだと諦めてしまったからなのか、それとも、生き方の指針がいまだにブレているからなのかはわからない。
それでも、愛香がこうして絵理と籍を入れると判断したのは、その責任であり覚悟を負うことを決めた選択は、間違いなく子供にできるものではなかった。
同じ一歩を歩むのにも歩幅が違う。
同じ場所にたどり着くのに、まっすぐ最短経路で進む誰かがいるなら、迷走に迷走を重ねて、いくつも足跡を要する誰かがいる。
だけど、そのどちらもきっと間違いじゃない。
そういうものだと、今の愛香ならば、ただ一つの「正解」などないと、理解することができる。
そうして、聖堂へと連なる赤絨毯を歩んで、スタッフの人が両開きの扉を開け放ったときに愛香と絵理を出迎えたのは盛大な拍手だった。
参列者の席にある姿は、愛香と絵理の親族や家族だけではない。
今や立派なキャリアウーマンとして名を馳せる秋乃が柏手を打って、そしてその胸ポケットから大人びた素体に現実での躯体を変更したチィとイリハが顔を覗かせて、吹けもしない口笛で、ひゅーひゅーと囃立てる。
そして、なんの縁なのかはわからないけれど、GBNを通じて出会った仲間たちだけではなく、好敵手と呼ぶべきキョウスケやユユ、果てはクオンの姿まであるのだから、愛香は自分の合縁奇縁とでもいうべきものが導いてくれたその結末に小さく苦笑する。
思えば、キョウスケやクオンとも随分戦った。
第三次有志連合戦は、確かにGBNの歴史に刻まれるような出来事ではあったけれど、それでもGBNという電子の海が今も存続しているように、それは一つの区切りでしかない。
大学時代にハイランカーと呼ばれる領域まで愛香たちが足を踏み入れたときに待っていた死闘はそれはもう散々なもので、結局七年間、トータルの戦績を鑑みれば、アイカたちが四人でキョウスケ一人に勝てたのはたったの一回で、クオンとの戦いだってそれは同じだった。
それでも彼らは自分たちを好敵手と呼んでくれて、こうして結婚式にも参列してくれているのだから、義理堅いというべきなのか優しいというべきなのか。
まだ泣くには早いはずなのに、それを意識するだけで眦に涙が滲んでくるのを愛香は感じていた。
自分の人生にはなんの価値もないと思っていた、十五歳の冬。
そこから十年が経って、自分の人生と向き合った今、最高の瞬間がここにある。
だから神様っていうのはいつだって意地悪で、捻くれていて。
牧師の人が聖書を読み上げるのを聞きながら、愛香はそんなことを考える。
そんな捻くれ者でヘソと根性がねじ曲がっている神様だからこそ、こうして自分たちのところに奇跡を落っことしてくれたのかもしれない。
そうして、愛香がちらりと横目で絵理を一瞥すれば、彼女もまた苦笑を堪えられない様子で、ひくひくと薄い唇の端が引きつっているのが見える。
ああ、きっと。
たまに忘れそうになってしまうけれど、自分たちはこうやって──いつだって誰かに支えられてここに立っているのだ。
名前を知っている誰かや仲間たちと笑い合って、名前を知らない人たちと一緒に世界の歯車を回して。
「新婦朝村愛香、貴女は互いに互いを捧げることを誓いますか?」
「はい、誓います」
「新婦悠陽絵理、貴女は互いに互いを捧げることを誓いますか?」
「……は、はい。誓います……!」
「それでは、誓いのキスを」
促されるまでもない。
それでも牧師の人の指示に従って、愛香と絵理は互いに互いのヴェールをめくり上げて、情熱を、情愛を、言葉では言い換えられない思いを乗せて、とっておきのルージュを引いた、互いの唇を触れ合わせた。
きっと魂はいつだって叫び続けていた。
どこかで出会うべき誰かに、巡り合うべき誰かに出会って、一緒にいたいと。
そうして愛香が絵理に出会った時、絵理もまた愛香に出会っていた。
やがて巡り合って、お互いの隣で今日も呼吸をして、心臓が動いていて。
そんな奇跡を、そんな軌跡を、愛香は、絵理は、心の底から愛おしく思う。
だからこそ、思い返すのだ。
電子の海を彷徨った、小さな冒険譚のこと。
勇気と愛というにはちょっと物騒で気恥ずかしいけれど、確かに歩み、綴り続けてきた御伽話のこと。
そこに名前をつけるのならば、きっとそれは。
──リビルドガールズ。
誓いのキスを終えて、互いの瞳に映る答えを確かめ合って、愛香と絵理は小さく笑う。
もう、ガールズなんて歳じゃないのかもしれないけれど。
それでも、ここまで歩んできた道に名前をつけるならそれしかない。
湧き起こる歓声と拍手に包まれながら、愛香と絵理は文字通り互いをニコイチにする、そんな儀式の壇上から去っていく。
そうして、放り投げるブーケはどこかに、誰かに届いて、新たな物語になるのだろうか。
その答えはわからない。
それでも、きっとそうであればいいな、と、愛香は願ってしまう。
誰かの紡いできた物語の果てに今の自分があるのなら、自分の紡いできた物語の果てに、誰かの物語があることを、傲慢かもしれないけれど、願ってしまうのだ。
「ねえ、絵理」
「なんですか、愛香……?」
「あたし、絵理でよかったよ」
「……わたしもです、愛香」
キスをするのが誓いの証なら、今交わしたものは、何に立てるものなのだろうか。
──多分それは、記念碑みたいなものなんじゃないだろうか。
愛香はそう、静かに懸想する。
こうしてここに辿り着くまでに、電子の海から始まって、キスから紡がれた御伽話を忘れないための、そんな碑文に代えて愛を刻む。
だから、それでよかったと愛香は思うのだ。
挫折だらけの人生も、途絶え続けた足跡も、今全てこの瞬間のためにあったのだと、心の底からそう思うから。
そして自分の隣で、最愛の人が心の底から楽しそうに笑っているから。
そんな特等席に自分が座っている。
きっとこれ以上の結末なんて望むべくもない。
ライスシャワーを浴びながら、愛香と絵理は互いに顔を見合わせながら、お互いに持っていたブーケを空高く放り投げる。
それはいつか、重力に惹かれて地に落ちるのかもしれない。
だけど、我先にとそれを手にしようとする誰かがまた放り投げれば、推進器のない花束だって、何度でも空を飛ぶことができる。
それが、あたしたちのリライズ。
リビルドガールズが、リビルドガールズという名前で紡ぎ続けてきた物語の結末。
放り投げたブーケが秋乃の手に渡ったことに、神様の悪戯にしてはできすぎていると、愛香と絵理は互いに顔を見合わせて苦笑しながら。
もう一度、そのかけがえのない瞬間を、互いの脳裏に刻みつけるようにベーゼを交わすのだった。
それは、小さな愛と勇気の御伽話。