という事で京極回です。
幼い頃の思い出
お祖父様に料理を振る舞いたいと思い立った私は、母や兄様の手を借りて生まれて初めて炊事場に立った。
あの時、お祖父様はどんな顔をしていたのだったか。
サンラクによる龍宮院富嶽の模倣を目撃してから、私はお祖父様との日々を思い返すことが多くなった。
私との鍛錬にも一切手を抜かなかったお祖父様は、しかしながら日常では私を大層可愛がっていた。お菓子はいるか本は読むか一緒に遊ぶか、としきりに話しかけてくれたお祖父様は私にとって尊敬する師であると同時に大好きな祖父であったのだ。
昔の彼、獣のような感の鋭さを持ち全戦全勝、無類の強さを誇った現代の剣豪である龍宮院富嶽を知るものからは想像できないような牙の抜けて弛緩した姿であったとは後から聞いた話だ。
加えて、私が知るお祖父様は偶に辛そうな顔をしていた。病状の悪化というよりは何かに後悔しているような悲痛な表情。
「自分の制御に執心するのみで相手を見ていない」
とはサンラクの語るお祖父様の流儀の感想であった。中々不躾な言い草ではあるが、なんとなく納得できる。
あの表情は、お祖父様が己の戦い方を後悔していたのだろうか。己しか残らないその生き方を、悔いていたのだろうか。
そう、確かあの時は敬老の日だった。
日頃から世話になっていたお祖父様に何か恩返しをしたいと口では言っていたものの、実のところ大御馳走を作って皆から褒め称えられたかったのだ。昔のことながら、今思い返しても少し顔が熱くなってしまう。
当時の私は見栄張りというか、凄いことをして褒められたいという欲望に塗れていた。小学生になるかどうかの子供に克己心を求めるのも酷なのだが、それでもやはり周りの人にこれしたあれした、褒めて褒めてと言ってばかりだったのだ。
当時もその一環で大きな事をして目一杯褒められたい一心であり、料理のりの字も分かっていなかった。料理する!と口で言うのみであり、それが意味する行為をよく理解していなかったのだ。下手に台所に向かわせるとどんな怪我をするかわからない。周りの人は大層恐々としていただろう。
見かねた母が作ろうと言ってくれたのは、簡単に作れるおはぎだった。
炊かれて荒く潰された餅米と茹でられて味付けされた小豆は既に準備され、私の仕事といえば餅米を俵形に丸め、小豆で包む事。
御膳立てを受けやる気に満ち溢れた私はそれでも力いっぱいギュッと握るもんだから、作ったおはぎはカチカチになり、両手はドロドロになってしまっていた。
2.3個作ったところでお皿に盛り付けお盆に乗せ、大慌てでお祖父様の下へ持っていった。もう少し早足だったならどこかの出っ張りに足をぶつけて転んでいたであろう。そんな急ぎ足だったと記憶している。
以上が私の初めての料理。不格好で、不細工で、お祖父様の在り方とは真逆の位置にあるようなそれを見て、龍宮院富嶽はどう思ったのだろうか。
今となってはお祖父様の心を知ることはできない。当時の心境を知るのはお祖父様のみだ。
しかし、確かに、ありがとう、と。
そう言ったお祖父様は笑っていたのだ。
今でも喜んでもらえたと思っているのは、私が未熟な証かもしれない。