暴食――【亡霊聖女】と【悪食悪魔】   作:小手毬 秋桜

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『七章:悪意の天敵』

 彼の周囲に音は無かった。

 意識を失う刹那まで轟いていた哄笑の混じった咆哮は欠片も聞こえない。

 ああ、此処は地獄か煉獄か。護るべきモノを護りきれなかった人間が行き着く先はその辺りだろう。

 しかし、それならば責め苦に苦しみ喘ぐ者達やあの悪魔達の、羽虫の羽音のように背筋のざわつく声も聞こえないのもおかしいような気もする。

 等と半ば以上混濁した意識の中、彼が目を瞑ったまま考えていると脇腹に軽く何かが当たった。

「――立――い。――ジャ――ティ――ドゥ――」

 それに続き、静寂を壊して何か聞こえる。地獄の獄卒か? 等と考えるがどうでも良くなり、瞼を開けるのも億劫なので気にしないことにする。

「立――さい。ジャ――ティス――サドゥシュ」

 また脇腹に硬い感触。それと何となく聞き覚えのある声で紡がれる聞き覚えのある単語? 地獄に落ちるような知り合いは果たして居ただろうか。と思案する。しかし思い浮かばない。あの黒衣の悪魔ならば地獄に落ちるだろうが、そもそも名前を知っているかも定かではない。

 ……名前?

「立――なさい。……聞――てる? ジャン=バティスト=カサドゥシュ?」

 ああ、この女性は自分を呼んでいる。その事にようやく気がつく彼。

 そして、呼んでる女性の声にも思い当たる。何故忘れていたのかわからない。自分はずっと彼女の背中を追いかけて来たのではなかったか。

 気が付いた途端に彼が瞼を開けるのと、

「立ちなさいって言ってるのが聞こえないの? ジャン=バティスト=カサドゥシュ!」

 若干語気の強められた彼女の声と共に地面に仰向けに転がる『若騎士』ジャン=バティスト=カサドゥシュの脇腹が蹴り上げられるのは同時だった。

 ゲフ、やら、ギャンッ、やらと言いながら地面を削り結構な距離を滑り続けるジャン。

 馬を繋いでいた大木へとぶち当たりようやく止まる。その衝撃にジャン同様に今まで気絶していた馬達が気が付き(いな)いた。

 衝撃によってクラクラと星の散る視界。そして打ち付けた背中に鈍く走る痛み。いきなりの事だったので咳き込むのを止められずにいると、

「おはよう。そしてお疲れ様。貴方は立派に戦った。二体(ふたり)分のお礼を言うわね。街を護ってくれてありがとう。一匹も逃さないでくれてありがとう」

 そう彼を蹴り飛ばした彼女が優しく言葉を紡いだ。

 その頃にはもう咳も収まり、ぼやけた視界も焦点を結び始めてきていた。ジャンは頭を軽く振りよろめきながらも立ち上がり、彼女の方を向きながら苦く笑いながら言葉を返す。

「お礼と今の蹴りは何の関係があるのか訊きたいんですが。……まぁ僕は貴女にお礼を言われるような事は何一つ出来ていないんですけ――どぉぉ?!」

 そして、視界に彼女の姿を収めた瞬間、驚愕に絶叫した。

「いや、ちょッ、一体何があったんです?!」

 何に驚いたか。何がそんなに変わっていたか。

 彼女の後ろに広がる光景か。悪魔達が蠢いていた平原は今は何も無い空間となっていた。草木も悪魔の成れの果てである灰すらも綺麗に空虚に完全に何も残さずに、焼かれたわけでは無いはずなのに焦土と化していた。丁度彼が『壁』を創りだしていた場所を境界に、生と死が分かたれている。

 しかし違う。そうではない。

 彼女が変わっていた。

 白銀の甲冑を(よろ)っていたはずの肢体は天に広がる夜闇よりも濃い黒衣に覆われ、右手で巨剣を担ぎ、左手には漆黒の湾刀(シミター)

 赤い髪は変わらず彼女を彩るが、青空よりも湖の水面よりも青かった双眸の左が銀色に。そして何より肌理の細かった白い肌が褐色に色づいていた。

 それを見、狼狽するジャンを見ながら薄く笑う女騎士。その口元に覗く白い歯は若干鋭く獣じみたものになっているようにも見て取れる。

 

【挿絵表示】

 

「何が。というと、そうねー、あの莫迦な下種が素敵に最低な置き土産を遺して逝っちゃってねー。私に魔王の魔法が収められて、半分人間で半分悪魔になった、って感じかしら。差し詰め、『悪魔人間』ってところ? まぁ、私は亡霊だから特に困ることも無いんだけれど」

 そうケラケラ笑いながら答える彼女。

 それを聞いて彼は、「嗚呼、あの悪魔は逝ったのか」等と考える。そして、その事実に若干の空虚を感じている自分に気が付き慌てて否定する。

 そして、崇拝に近い感情を向けている彼女が、完全では無いとはいえ憎悪すべき悪魔の姿となってしまった。これは悲観すべきだろう。悪魔を屠る聖女であったのだから。

 しかし――

「なんだか、語呂が貴女に合っていないような気がするので『魔人』でお願いします」

 ――そう返していた。

 自身を『亡霊』と呼称する彼女。今までの付き合いで幾度か聞いたそのフレーズ。何故そう自分を呼ぶのかはわからない。しかしジャンを含め殆んどの人間と自ら接する事はなく、只々あの『悪食』と共に昼も夜も天候も関係なく魔獣や悪魔を鏖殺していたその鬼気迫る働きに畏怖を込めて、皆が呼ぶようになった『悪魔憑き』というその呼び名。それが気に食わず『悪魔使い』等と呼んでいたこともあったか。

 皆が皆、そう呼ぶので気がつかなかったがそういえば、彼女の名前を誰も知らない。

「あら、格好いい。じゃあこれから私は『亡霊』で『暴食の魔王』で『魔人』なのね。ふふふ、嗚呼ややこしい話」

 虹彩異色の目を細めクスクスと笑い、微笑む彼女。

 童女の様に屈託なく微笑し、発せられる鈴の音の様な笑声が耳に心地よい。しかしどこか現実味を感じ無い。まるで彼と彼女の間には圧倒的な隔たりでもあるかの様に。

 目の前に確かに佇んでいて、絶対的な存在感を漂わせている彼女へと視線を向けたまま逸らせない。瞬きすら(はばか)られる。

 刹那でも目を逸らせば、その合間に彼女が掻き消えてしまうのではないか。そう考えてしまったから。

「じゃあ、そろそろ私は行くわね?」

 しかし、それとは全く関係なくさらりと彼女は言い放ち、そのまま踵を返して歩き始めようとする。

「んな――何処へッ」

 そう叫んでいた。慌てて追いかけようと踏み出すが、それに膝が耐えられずガクリ、とよろけてしまう。

「私は『亡霊』で『悪食』なのだから、吐き気のする程に美味しそうで憎々しい悪意のある所に決まっているじゃない」

 そう言いながら肩越しに手を振ろうとしたのか左手を上げるが、黒い湾刀を握っている為に上手く出来ず眉をひそめる彼女。

 次瞬、紫の燐光が散った。包まれた湾刀(シミター)は紅茶に溶ける角砂糖の様に空気に溶けてしまう。続いて右の肩に担いだ巨剣も紫の光の粒に包まれて溶けるように消えていく。

 それを見て彼は、彼女が自分の思っていたよりも遠い存在であったことに気が付いた。

 彼女が魔法を使ったからではない。

 つい今しがたに群勢と言うべき悪魔の群を葬り去ってなお、まだ別の『悪魔』と戦うつもりであることが、だ。

 否、『悪魔』でなく『悪意』。そう言った彼女は――一体何と……

 彼女は――何時から戦ってきた?

 彼女は――何時まで戦う?

 彼女は――何時から彼女なのだ?

 彼女は――何なのだ?

 わからない。わからないわからない。黒衣をはためかせながら進む長身の女。

 わからないわからないわからない。瞬きの刹那の暗転の内に、背筋の真っ直ぐ伸びた彼女の背に巨大な二対の薄翅が。

 離れていても耳障りな羽音が鼓膜を揺さぶる。

 (おお)きな蠅の翅を震わせて宙へと浮かんだ彼女。

「待って!!」

 動けない。故に叫ぶ。しかし引き止めてどうする? ただでさえ腫れ物に触るように接していた人々は『魔人』となった彼女にどう接する?

「きひひ。嫌よ?」

 振り返った彼女がニィ、と唇を歪めて返してくる。

 その美貌を歪めて表される、空腹の獣の如くギラついた笑みは、あの『暴食』の悪魔の浮かべるそれによく似ている。褐色の肌に色味の違う両の瞳、口元から覗く鋭く鋭利な真白い歯。あと他に共通項と言えば端正で整っていることか。しかし似ているだけだ。品無く、軽薄に五月蝿く呵々大笑するあの悪魔のそれとは別物だ。

 しかし彼の笑いに似ているのも事実。嗚呼、ならば、勝手気ままに振舞う事が相応しい。そう思う。

 だから、次に彼女へと向けて発する言葉はこうなる。

「はぁ……お元気で。最後に、貴女の名前を僕は知りたい」

 誰も呼ばぬならばせめて、自分だけは彼女を名で呼びたい。心の底からそう思った。

 それを聞いた美しき魔人は苦く笑いながらこう返した。

「名前、か。久しく言っても聞いてもいないから懐かしいわね。確か……私の名前は、『シャルロット=ダルク』。だから今の私はシャルロットの遺した憎悪の残響ってところ?」

 そう小首を傾げてケラケラと笑う彼女――シャルロット。

 その言葉の意味はわからない。そして、どうでもいい。

 彼女は彼女だ。『聖女』で『悪魔憑き』で『自称亡霊』で『魔人』。それがどうした。彼女は誰よりも強く、誰よりも最前線に立ち、誰よりも悪魔と戦うのだ。そして恐らく、これからは人も悪魔も関係なく、自身が憎悪する『悪意』を喰い散らかしていくのだろう。

 神代の悪竜でも悪魔でも暴君暴徒の類でもない、それらを動かす動機『悪意』の敵。

 伝説、実在を問わずジャンの知るどの英雄よりも格好良い。

「そうですか。じゃあ、シャルロットの残響さんに御武運を。貴女がもし大国を滅ぼしてたった一匹の飢えた子猫を救っても、魔王を屠り大国の住人を救っても、変わらず僕は貴女の味方ですので」

 立っているのが辛く、よろけながらも肩をすくめてそう宣言する。

 それを受けて彼女は少しの間、目を丸く見開いてジャンを見つめると、途端に噴きだした。

「ふふふ、ありがとう。嬉しいわ。でもそれじゃあ悪魔崇拝と同じゃない? あんまりお勧めしないわよん。……じゃあ今度こそ行くわね」

 クスクスと破顔しながら彼女はクルリと旋回する。薄翅の振動音は更に細かく耳障りに。

「あ、そうだ」

 唐突にそう言い首だけで振り返る彼女。

「へ? どうし――」

「嬉しいことを言ってくれたジャン=バティスト=カサドゥシュに、シャルロット=ダルクの残滓から絶対無敵の祝福よ」

 どうしたのか彼が聞き終わる前に、彼女はそう言いながらジャンへと向けた右手の先から紫の光の帯を飛ばす。

 幾本にもなるその帯は音も無く静かに彼の身体へと巻きつき、そしてそのまま溶け入るように消えてしまった。

 そして異変。精神力を磨り減らせ、命までも削り疲弊しきった身体に活力が満ちてくる。万全、いやそれ以上の聖性が満ち充ちている?

 知らぬ間に青い燐光が漏れているような気がして自分の両手を凝視するジャン。

 しかし満ちた聖性は完全に自身のものとなっているようで、彼の意思を逃れて零れ出すことは無かった。

 そして――

「――あ」

 そして気がつけば耳障りな羽音は止んでいた。

 はっと、顔を上げ辺りを見回すが繋がれた馬達がヒヒンと嘶くだけ。

 ――何一つ残さずに彼女は消えていた。

 小さく溜息を一つ吐き、先程まで彼女が居た場所に向かって最敬礼する。

「さようなら。そしてもし、貴女があの街へと悪意を喰い散らかしに来たときは、それを全霊の力をもって防ぐことを約束します」

 何故なら彼は彼女の味方だから。彼女がその身を賭して護った街を、彼女自身の手で壊させるなどあってはならぬ。例え今後『魔人』の彼女が自身が救った国をその手で滅ぼす事があろうとも、『聖女』で『悪魔憑き』であった彼女が護ったあの街だけは何がなんでも護り抜く。

 あの絶対的な『悪意の天敵』程には力は無いかもしれないが、それでも自分が、あるいは他の『悪意の敵』が必ず自浄することを声なく宣言する彼。

「あははッ。これでは革命を計画しているようだな」

 そこまで考えて、思考を振り返ると支離滅裂で意味が分からない。いつの日か起こるかもしれない腐敗に対して、先んじて革命することを計画しているようにも感じてしまい、思わず大きく笑ってしまった。

 ゴチャゴチャとした装飾は必要無いのかもしれない。ただ彼はあの美しく強い女に憧れて、悪意を振りまく悪魔共が大嫌いで、それでいてあの美貌の悪魔は憎からず思っていた。

 悪意も善意も無関心も内包した不出来な生き物。でも、だから光り輝くものもあるのかもしれない。

 例えば――善も悪もなく、諦めずに挑戦し続けること、とか。

「さ、帰ろう。……馬が多すぎるのはどうするかな……」

 そんなことを取り留めもなく考えながら、大樹に繋がれた馬達へと向かう彼だった。

 

 

 

 

 

 

 この日、『銀獅子』と呼ばれる騎士団の成員であった一人の女騎士がその命と引き換えに、数千の悪魔の魔の手からこの街を救った。

 彼女と共に死地へと赴き、生還した一人の若騎士によって事の顛末と彼女――『悪魔憑きの聖女』とそれに憑いていた悪魔『悪食』の死亡が告げられた。

 死んだ彼女は英雄となり共に居た悪魔も同様に数多の伝説となって語り継がれていくこととなる。

 生還した若騎士はその後『悪魔憑きの聖女』にも比肩すると言われる程の聖性の量を有し、後に騎士団長となった。幾多の悪魔の討伐、戦争、果ては上層の腐敗が原因で引き起こされた革命の際にも極力流血の少なるよう尽力しこの街を護り抜いた彼もまた、後の世に語り継がれている。

 そして、彼の生還と同時期に奇妙な悪魔の話が世界中で飛び交い始めている。

 大規模の騎士団を単騎で壊滅に追い込む程の悪魔を、その奇妙な悪魔が湾刀で切り刻み喰らう話。

 暴君の支配する国で、その奇妙な悪魔が黒い炎で王宮を焼き尽くす話。

 村々を襲う山賊を巨大な剣で斬り潰し食い散らかす話。

 その奇妙な悪魔は『暴食』の魔王だという話。

 等々様々な悪意を喰らう奇妙な悪魔の話は広がった。

 そして幾年か流れ、悪戯をした子供に「そんな悪い子は『悪食』の悪魔に食べられちゃうよ」等と言う程にその奇妙な悪魔の話は人々に浸透していった頃。

 その奇妙な悪魔の話が流れ始めてから凡そ二〇〇年。最後に加わった話を最後に、その悪魔は忽然と歴史の舞台から姿を消してしまう。

 その最後の話。

 ある大国の中心部に生じた穴より出てきた悪魔――『傲慢』の魔王『ルシファー』。

 尋常でない力を有する彼は半日もかからずにその国を『支配』してしまう。周辺国が連合を組み討伐に乗り出すが、魔法によって文字通りの異界へと変えられたその国を攻め落とすことは至難であった。

 逆に魔法によって生み出された異形の兵達の侵攻を防ぐことになる国も出始め、戦火は更に拡大していくものと思われた。

 しかし、プツリとその侵攻が止まった。

 その少し前、その異界と化した国へと向かい空に散る紫の光を見た者が多数出ている。

 そして訝しんだ国々の送った斥候が見たものは――

 ――全身が黒ずくめの長身の男と、黒衣を翻す褐色の肌の女が人知を超えた速度と膂力で斬り結んでいる姿だった。

 長身の男は黒いセミロングの髪を揺らしながら一振りの豪奢な長剣を繰る。

 褐色の女は背に二対の昆虫の薄翅を持ち、右手で鉄塊とも思える巨剣を振り回す。

 周りでゆらゆらと揺れている黒い炎。散る赤と紫の激光。

 狂った笑い声が響くその剣舞は一七日間続いたという。その間、刹那の休息も睡眠もとらずその二体の異形は戦い続け、そして終わった。

 最後、互いの力の全てを放ちその結果『傲慢』は核を残し消滅。その核は強固な封印を施され、某所に死蔵されたという。

 そして『暴食』は巨剣のみを残し、消えた。

 これ以後、悪意を喰らう『暴食』の魔王は姿を消す。

 生きていて傷を癒している。既に死んでいる。様々な憶測が飛び交ったがそのどれにも信憑性は無く、全ては歴史の闇に埋もれていった。

 尚、神出鬼没に世界中で目撃されたその『悪意の天敵』であった奇妙な悪魔だが、ある偉大な騎士の遺志が残るある街には一度も現れていない

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