今日は先鋒で和ちゃんが登板していた。
まだ勝ち星はない。今日の内容も決して良くは無かった。あの試合でもそうだったが、和ちゃんとダヴァンさんは相性が悪い。
神戸のAislinn Wishartも強かったし、赤土さんもしっかり対応していた。和ちゃんにとっては、実力の差を感じる試合展開だったように思う。
落ち込んでいないと良いんだけど……
Aislinn Wishartの活躍もあり首位に立った神戸を大宮が逆転したのも束の間、佐久フェレッターズの服部さんが一気に得点を積み上げ、1位に浮上した。
服部さんは堅実で代わり映えのしない麻雀をするイメージだったが、今日の麻雀は大胆で思い切りが良かったし、牌の流れを読み切っているように見えた。
ベテランの選手でも、急成長することはある。
次に対戦する機会には、注意が必要かもしれない。試合が終わったら家で、念入りに彼女の牌譜をチェックしておこうと思った。
中堅戦がはじまって横浜と佐久の得点差は3万点。展開次第だがおそらく今日の出番はないだろう。
点差をつけられてからのうちは、薄墨さんの一発に期待するくらいしかない。
でももう次鋒で、薄墨さんを使ってしまったので、ジワジワと点差を詰めていくしかない。
うちが一番苦手としている試合展開だ。
私は横浜の選手待機室を出て、4雀団が共同で使う選手ラウンジに行くことにした。
大将戦までは時間もあるし、何となくそこへ行けば和ちゃんがいるような気もした。
「なーんて、そんなことないか……」
試合中、選手ラウンジに人がいることは少ない。わざわざ試合中に他雀団の選手と会いたいと思う雀士はあまりいないだろう。
そんなラウンジで任意の雀士と偶然出会う。そんな偶然があるのなら、私たちはきっと仲直りできるんじゃないかな。
本拠地、マリンスタジアムの無機質な白色の廊下をコツコツと音を立てて歩く。
静寂の中で足音は、自分のものではないかのように閑散とした廊下に響いた。まるで、誰かに後ろから追いかけられているようだった。
立ち止まり慌てて後ろを振り返ったが、誰もいない。
足音が止まる。
ああ、やっぱりこの足音って私の靴音だったんだ。
安心した私は、後ろを向くのをやめて歩き始めた。
また、コツコツ、コツコツと誰かの足音が響き始める。でも、その足音をたてているのは、私。
本当に救いようがない。
選手ラウンジのドアを開けると、予想通り中はガランとしていた。
ラウンジと言っても空港のラウンジのようにご飯が食べられたり、お風呂に入れるわけではなく、小綺麗なカウンターの上にコーヒーメーカーと雑誌が置かれているくらいだ。
せっかく来たのだしファッション誌でも、めくってみよう。
雑誌の置かれたカウンターの上に近づくと、ラウンジの奥の方のソファーに、さらさらとしたピンクの髪の女性の後ろ姿が見えた。
どくんと心臓が跳ねる。
本当にいるとは思わなかった。
ど、どうしよう……
なぜ、ラウンジなんかに来てしまったのか。
猛烈な後悔に襲われた。
今日は登板する可能性が低いとは言っても、まだ3万点差、逆転などいくらでもありえる。
和ちゃんと話したりなんかしたら、絶対に麻雀が壊れることは間違いないし、そもそも何を話したらいいのかわからない。
はやく部屋を出た方がいい。
理性はずっとそう訴えて続けているのに、足がうまく動いてくれない。
私は立ち尽くしたまま。じっとその後ろ姿を、眺めていることしかできなかった。
和ちゃんの肩が動いて、桃色の髪が揺れる。
そしてゆっくりと、和ちゃんの両目が私の姿を捉えた。
「咲さん……?」
和ちゃんは、少し驚いたようにソファーから立ち上がって、私の名前を呼んだ。
「ひ、久しぶりだね……原村さん」
「……ええ」
なんと声をか絞り出すように、応対した。
これで、もう逃げられない。
ここで慌てて走り去ったりなんかしたら、和ちゃんの心を傷つけることになる。
「コーヒーでも、どうですか?」
「ありがとう……」
和ちゃんの問いかけに、頷いておくことにした。
和ちゃんがコーヒーメーカーを操作して、2人分のアメリカンコーヒーをマグカップに淹れて持ってきてくれた。
「どうぞ、座ってください」
私は立ったまま和ちゃんから、マグカップを受け取り、それから彼女の対面のソファーに腰掛けた。
安っぽい黒いソファーだが、座り心地はなかなか悪くない。
な、なにか話さないといけないよね……
「今日は残念だったね、悪くない内容だったと思うんだけど……神戸の外国人さんも強かったし」
私がそう言うと、和ちゃんは目を伏せた。
なんで、こんな話を振ってしまったんだろう? 負けたばかりの先鋒の選手に、麻雀の話題をするべきではないはずなのに。
気まずくなってコーヒーに口をつける。
ブラックコーヒーで、酷く苦い。
「そうですね……ダヴァンさんには負けたくはなかったんですけれど、やはり思い通りにはなりませんね」
「あの副将戦の時のことは、本当に申し訳ありませんでした」
そう言って、和ちゃんは頭を下げた。
最悪だ。
こんな話がしたいんじゃない。
「もう昔のことだし、全然気にしてないよ。そもそもあの試合に勝っても、姉と私の仲直りなんて、あるはずもなかったことだから」
姉と私の関係はインターハイの個人戦で完全に破綻したが、その前からそもそも終わっていたのだと私は思う。あの女に憎しみ合うよう意図的に仕組まれて、もう修復不能な程に壊れていた。
よくもまあ、高校時代の私は麻雀で仲直りなんて絵空事を本気で信じていたものだ。
「……原村さんが責任を感じる必要なんてないし、インターハイ団体は新道寺で花田さんと獲ったからね。アマチュアの大会の結果なんて、もうどうでもいいよ」
後半は嘘だ。
ずっと心残りにしている。
私は清澄高校で優勝したかった。和ちゃんや片岡さんと一緒に。
そして、部長を全国の頂まで、連れて行ってあげたかった。
「そうですか……咲さんは本当にすごい雀士になりましたね。欧州選手権もテレビで観ていました」
「あはは……ありがとう」
そうそう欧州選手権に比べたら、インターハイなんて、小さい日本のアマチュアの大会なんだよ。
だから、私は清澄高校で負けたことなんて気にしていない。そんなふうに和ちゃんには、思っていて欲しい。
「私は先鋒で、咲さんは大将ですけど……試合で当たることもあるかもしれません。その時はよろしくお願いしますね」
「うん、負けないよ」
ポジションの関係上団体戦で当たる確率は小さいが、個人戦で対戦することは、早ければ今年の秋にもあるだろう。
ふと、ラウンジのモニターを見ると中堅戦ももう終わろうとしている。
一応ベンチに戻っておいた方が、いいかもしれない。
「それじゃあ、私はベンチに戻るね」
「ええ、また」
「ああ、それと……」
言うべきか逡巡する。
でも、素直な自分の気持ちを伝えておきたかった。
「原村さんが、麻雀を続けていてくれて良かった。ありがとう」
最後にそう言って、飲み終わったマグカップをカウンターの上に戻してから、選手ラウンジを私は立ち去った。
廊下に出ると自分の心臓が痛いほど、悲鳴をあげているのが聞こえてきた。
色々な想いが錯綜する。
今日はもう麻雀はできそうにない。
本当にどうして、ラウンジなんかに来てしまったのか?
不注意な自分の選択を酷く後悔した。
私は逃げるように、足早に廊下を歩き選手控え室に駆け込んだ。
まだ、点差は三万点のまま。
それに、少ししたら私の心も落ち着くはずだから。
きっと、大丈夫。