試合前、一人きりの調整ルーム。
じっと牌と向き合っていれば、心も晴れるかとも思ったが、一向に光明は見えない。
『あの副将戦の時のことは、本当に申し訳ありませんでした』
選手ラウンジで和ちゃんから言われた言葉が、頭にこびりついて離れない。ラウンジで直接会って、話した時よりもずっと心が掻き乱される。
『ごめんなさい、ごめんなさい、私が台無しにしてしまって…………咲さん、ごめんなさい』
その謝罪の言葉が昔の光景とリンクして、清澄高校のインターハイ敗退が決まった時の、和ちゃんの嗚咽が聞こえてくる。
和ちゃんは、自分のせいで私と姉との仲直りを台無しにしてしまったと、今でも思っているのかもしれない。そうでなければ、久しぶりに再会してあの言葉は出ない。
でも、私と姉との関係に、和ちゃんは関係ない。
あのインターハイを勝っていても、負けていても姉との仲直りなど出来なかった。だから、和ちゃんが気に病む必要など、これっぽっちもないのに……
どうしたら、わかってもらえるのだろう。
私と姉との関係が破綻したことを知ったあの女の慰めの言葉と、心の底からの笑顔を私は生涯忘れない。
ああ、でも……
あのインターハイ勝ってたら、和ちゃんと片岡さんとあと二年間。
清澄高校で一緒に麻雀出来てたんだ……
麻雀卓から、上がってきた配牌を裏向きに倒す。清一色が狙えそうな勝負手だったが、調整で出ても仕方がない。
牌が濡れている。そのことに気がついた私は、慌てて、目元を拭っていつもの顔を作った。
付け入る隙は与えない。
感情の揺らぎは、技術でカバーできる。今までずっとそうやって勝ってきたのだ。
気を取り直して、試合中継のモニターに目を向けると、岩館さんの跳満和了が炸裂していた。ベンチで大きなガッツポーズをする愛宕監督の姿が映し出される。
「ああ……やっぱり逆転しちゃったか」
なんとなく、そうなるような気はした。
それにしても、どうしていつもは2万点のリードさえ守りきれないのに、今日に限って3万点近くを荒稼ぎしてしまうのか……
岩館さんに怨み言の一つでも言ってやりたくなる。
気分があまり優れない旨を、中堅戦の終了時に監督には伝えておいた。しかし、こうなってしまっては、私が登板するしかないだろう。
私と明日先鋒予定の弘世さんを除くと、ベンチには亦野さんと小走さんがいる。亦野さんに大将を任せるのは、少し荷が重そうなので、これは仕方がない。
そこまで考えた時、調整ルームのドアが控えめな音をたてて開いた。
「宮永、大将戦いけそうか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
不安そうに問いかけた愛宕監督は、私の返事を聞くと安心したように笑った。
「それは良かった。後ろには誠子もいるし、気負わずにいってくれ」
「ありがとうございます」
眼鏡を拭きながら愛宕監督は、そう軽口を叩いた。
監督は口ではそう言っているが、私が負けるとは欠片も思っていないだろう。亦野さんを今日は休養日にして、牌を触らせないようにしようと算段しているはずだ。
いつもなら、なんでもないような言葉にプレッシャーを感じてしまうあたり、今日は本当に駄目なのだろう。
牌周りは悪くないのに、振り込むイメージしかない。
それから、スコアラーさんと二言、三言ほど話してからリリーフカーに乗り込んで、試合会場へと向かった。
❇︎
プロ麻雀トップリーグ 大将戦
第1半荘 東1局
横浜 宮永 咲 121,300
佐久 高鴨 穏乃 112,300
大宮 福路 美穂子 106,600
神戸 二条 泉 54,800
「宮永さん、お久しぶりです。よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ……」
試合前に、福路さんと軽く挨拶を交わしてから、各選手に一礼して卓についた。
得点差こそ1万点差だが、面子がなかなか厳しい。
福路さんは、長野時代からかなり上手で相手をするのに気を使う技巧派の選手だし、神戸の二条さんも、花田さんと対戦した時の牌譜は洗練されていて、高い実力を持っているように感じた。神戸とは点差があるので、それほど脅威にはならないだろうが、対戦経験のない選手はあまり得意ではない。
そして、高鴨穏乃。
快活そうな栗色のショートカットの高鴨さんを眺め下ろす。
彼女には絶対に負けたくない。その感情が自分を縛る枷となり、牙を剥くことは自覚していても、抑えることは出来なかった。
大きいため息をついてから、サイコロが回るのを眺めていると、自動卓から配牌が上がってきた。
配牌は悪くない。
早めの和了が欲しい。このまま、早めに仕掛けをいれていこう。火力は今でなくても良い。
鳴きを入れて断么九の形をつくったが、福路さんに先に和了されてしまった。
東一局でチャンスを逃してしまったからなのか、そこから急に牌回りが悪くなった。
東2局、東3局と続けて四向聴の配牌。
早い巡目で二条さんのリーチが入ったので、そのまま現物をあわせる。この手牌では戦えない。
流れの悪さに焦りを覚えながらも、いつものペースで牌を切っていく。出来るだけ一定にすることで、調子の悪さを同卓者に悟られないようにしなくちゃいけないし、リズムの悪さからくる失点は避けたい。
ツモ! 1000、2000!
二条さんの手牌が開けられる。裏も乗らず結果的に安く済んだ。
プロ麻雀トップリーグ 大将戦
第1半荘 東4局
横浜 宮永 咲 118,500
佐久 高鴨 穏乃 111,700
大宮 福路 美穂子 109,300
神戸 二条 泉 55,500
やっと回ってきた親番だが、この僅差で親被りを貰うと逆転もあり得る。
配牌が良かったので面前のまま、索子に染めて一向聴まできた。
この大きい手は何としても和了したい。
今日負けてしまうと、和ちゃんが自分と会ったから、麻雀が崩れたと考えてしまうかもしれない。事実だけど……和ちゃんには、そう考えてもらいたくなかった。
対面の二条さんから僅かに聴牌気配がするので、二条さんの河の七萬にあわせて四萬を切り出す。
ロン 8000です
福路さんの綺麗な事務的な声が聞こえてきて、さっと血の気がひいた。
なぜ気がつかなかったのか?
天井がゆらゆらと揺れている。
点棒を受け渡す際に、自分の手が震えているのを見て私はタイムアウトを申告した。
椅子に深く腰掛けてため息をつくと、その様子をじっと福路さんに観察された。
あはは……こんなしょげてるところ、そんなに見ないで欲しいなぁ。
もう動揺が、他家に悟られているのは、仕方がない。
ゆっくりと目を閉じて心を落ち着かせる。
まだ、負けたわけじゃない。岩館さんには悪いが、逆転されて追う側になったことでとれる選択肢も増えた。
目を開けると視界の隅に監督と岩館さんがチラチラと映り込んできたので、椅子から立ち上がって歩み寄る。
「なんでしょうか?」
「いや、特になにもないが、間をとりにきたんだ」
そう言って愛宕監督は、メガネを外してメガネ拭きで拭いた。
なにもないなら出てこないで欲しい。そう思ったが、監督なりに気を遣っているのだろう。
私は岩館さんの方に向き直って、小さく頭を下げた。
「すみませんでした、せっかくの勝ち星だったのに」
「いやいや、そんなことはどうでも良いんだけどさァ」
岩館さんは私の謝罪を気にするでもなく、後ろに回り込んできて、私の肩を揉んだ。
「な、なんですか……いきなり……」
「いやー肩凝ってそうだなーと思って」
「え?」
「そんな背負いこんでたら、肩凝っちゃうだろ。負けても良いんだよ、負けても! 咲と違って私なんていつも負けてるし」
自信満々に岩館さんはそう言った。
言っていることは滅茶苦茶だが、その姿がとても眩しく見える。
「プロ麻雀ですし、負けたらだめでしょう?」
「いやーたしかにそうなんだけどさァ。負けちゃうこともあるじゃん? 私も負けた後は人並みに落ち込むし、一人で泣くこともあるよ? もう、終わりだあああって」
それは知っている。
岩館さんは飄々としているが、チームの誰よりも責任感が強い。
「でも、そうじゃないんだ。挫けてもまた、立ち上がればいいんだよ。そう思えない精神状態がおかしいんだ。何度だってやり直せば良いんだから。背負う必要なんてない」
私は岩館さんのように、麻雀には向き合えない。
麻雀は勝負事で、勝ち負けが全て。
この考えを変えるつもりはない。
でも、少しだけ気持ちが楽になった。
「ありがとうございます。良い言葉ですね」
岩館さんの肩を揉む手が離れたので、向き直り丁寧にお辞儀をしてお礼を言った。
「あ、コイツおちょくってやがるな」
「おちょくってないですよ!?」
岩館さんは笑って私の肩をポンポンと2回ほど叩いてから、監督と一緒にベンチに戻っていった。
だいぶ気持ちも落ち着いた。
雀卓について、タイムアウトの終了のブザーを聞く。
もう、手の震えは止まっている。
何度だってやり直せば良い。
岩館さんのその言葉に勇気を貰った。
森林限界を超えた高い山の上。そこに花が咲くこともある。
私もその花のように——強く。