神戸の高層マンション。園城寺怜のおうちのダイニングルームのテーブル上に、書類が一面に並ぶ。
「な、なぁ……竜華。年俸は1500万円までにするとかいう話あったやん……あれどうなったんや?」
「ん? だから全雀団、年俸1500万円契約金1億5000万円になってるやん?」
「…………せやな」
たしかに、全雀団額面は運営委員会から示された金額どおりになってはいる。しかし、インセンティブとオプションを大量につけた結果、契約書の案文の内容が辞書のような厚さになってしまった。
インセンティブ契約とは所謂、出来高払いのことで基本給部分とは別に、選手の成績や出場機会に応じて報酬が支払われる契約のことである。
1登板につき200万円、先鋒1勝ごとに1000万円、1セーブごとに500万円……といった具合に算定されていくのだが、問題はこの項目が多すぎるため、ほとんど暗号のような文章になってしまっていることだ。その上、各雀団で書式が異なるので、暗号の解読手順が異なるというとんでもない代物が出来上がってしまった。
もちろん怜は、3分で読むのを諦めた。
「こういう契約ってプロ麻雀では一般的なんか?」
「んーせやなぁ……今回は変に基本給部分に上限つけてもうたから、他の部分がめっちゃ読みにくくなったわあ……弁護士入れて読んでも理解するまでだいぶ時間かかったし」
「……具体的にどんなこと書かれてるんやこれ」
怜は、恵比寿の契約書案を両手で持ちながら竜華にそう問いかけた。
「んー恵比寿はわかりやすい方やったけど、例えばココやな……ここに、オプションで怜のことを一軍確約するって書いてあるやん?」
「うんうん……せやなあ」
「で、一軍登録時のインセンティブとして4000万円ってここに書いてあるんやな」
「は?」
一軍確約した上で、一軍登録にインセンティブを設けるという予想の斜め上をいく契約内容に、怜は度肝を抜かれた。
「そ、そんなん……基本給5500万円って書けばええやんけ」
「プロ麻雀はクリーンな世界やから、年俸制限は努力目標とはいえ、運営委員会が危惧してるマネーゲーム化は避けなあかんやろ」
「…………せやな」
外観上を綺麗にするために、明らかにダーティな手法に手を染める事になってしまっている気がするのだが、ツッコむと面倒くさそうなので怜は竜華に聞くのをやめた。
竜華が芸術作品と呼ぶ学術論文のように注釈だらけの松山の契約書や、なぜか契約書が3セット用意されていて、関連企業の契約を見ずに雀団との契約書だけをみると年俸制限を完璧に満たしているように見える大宮の契約書。
はっきり言って、今のプロ麻雀の契約は異常だ。
「プロ麻雀名鑑に記載されてる年俸の欄あるやん? あれって、どの金額のことなんや?」
「ん? あの金額は想像や」
「はい?」
「だから、あの金額は記者の想像や。(推定)って後ろに書いてあるやろ?」
「…………じゃあ実際には貰ってる金額、全然違ったりするものなんか?」
「当たっているものもあるから大丈夫や。年末の選手名鑑には、怜の年俸は1500万円ってちゃんと記載されるし」
「……そら、良かったわあ」
清水谷竜華の清水谷チャンネルで色々と議論してチームづくりをしていた企画は、なんだったのだろう。しかし、そのあたりの事情を踏まえた上でトークをしている竜華と小鍛治さんは大人やなと怜は思った。
「結局……全然内容わからへんけど。これどんな契約になっとるんや?」
「そう言われると思って、うちがまとめておいたから参考にしてな」
竜華はクリアファイルから、A4の用紙を1枚取り出して怜の前に優しく置いた。
恵比寿
年俸2億3000万円、契約金5億円
一軍確約、選手年金、2年目契約条項、代理人特約
神戸
年俸1億8000万円、契約金4億円
一軍確約、先鋒ローテ確約
大宮
年俸1億8000万円、契約金5億2000万円
一軍確約、選手年金、2年目契約条項、代理人特約
松山
年俸1億円、契約金2億8000万円
一軍確約、2年目契約条項
横浜
年俸8000万円、契約金3億円
一軍確約、先鋒ローテ確約、2年目契約条項
佐久
年俸1500万円、契約金1億5000万円
オプションなし
「……ほとんど全チーム、年俸制限守ってないやん。あと、この2年目契約条項ってなんや?」
「ああ、それは単年契約で契約を結ぶけど、来年も同じチームと契約することになるやん? だから、2年目の年俸に上乗せして契約するってことや」
「なるほどなぁ……」
わかるような、わからないような……困惑してしまう竜華の説明に怜はとりあえず相槌をうっておくことにした。
このA4の用紙に書いてある内容が正しいのかは怜には判断出来なかったが、竜華に嘘をつかれたことは数えるほどしかないため、おそらく本当なのだろうと怜は思った。
「ふふっ、どこにしよっか?」
優しく微笑む竜華の表情を見て、怜は背筋に冷たいものがつたうのを感じた。
夫婦生活も7年目に突入するともう、わかるのである。
これは試されているなと。
「これって……どのくらいの成績で試算されてるんや?」
「先鋒で5勝もしくは、後ろなら10セーブくらいの成績で作ってみたで」
「5勝でこんな貰えるんか!?」
「うち、頑張ったからな〜」
破格の高待遇を獲得してきた竜華に感謝しながら、怜は少しずつ探りをいれていく。
「竜華と一緒に麻雀できるし、神戸がやっぱり安心やろか? まだ迷ってるんやけど……」
「ふふっうちと一緒に麻雀したいん? ありがとう、とき。でも、神戸以外のチームでもええんやで?」
「ほんまか? それなら……どうしようかな」
一応、何がなんでも神戸でなくてはいけないという訳ではなさそうなので、竜華にそっと希望雀団を伝えてみる。
「それなら、松山————」
怜がそこまで言いかけると、部屋の空気が一気に凍てついて、竜華の目が犯罪者のそれに変わった。
このままいくと、竜華にプロ入りの話そのものを滅茶苦茶にされることを本能的に察した怜は、慌てて言葉を付け足した。
「は条件が微妙やから……やめるとして」
「うんうん、それがええと思うで」
嬉しそうに頷いた竜華の表情を見て、間一髪のところで、自分が人生が終わる地雷を回避したことを怜は悟った。
——あ、あかんやろ……唐突に空気変えるのやめーや。
「それなら……条件のええ恵比寿か大宮がええと思うわ」
怜は2チームの名前を挙げて、竜華にお伺いをたてた。本当は大宮と言いたかったのだが、1チームだけを挙げると、回避不能になる恐れがあるので保険をかけた次第である。
「怜の言う通りその2チームは条件ええな。どっちにしよっか」
この2チームは竜華の中でOKらしいということを、感じ取った怜は志望チームの名前を告げた。
「ハートビーツ大宮行きたいで!」
ハートビーツ大宮の瑞原監督は、プロの関係者の中で一番最初に会いにきてくれたし、大宮は恵比寿や神戸と違ってチームの雰囲気も良さそうである。
少し生意気だが表裏のない大星さんや、絹恵ちゃんをはじめとして良い人が多そうだ。ついでに玄ちゃんもいる。
福路プロが怖そうなのが玉に瑕だが、同学年だし、恵比寿のアレより怖いということもないと思うので特に問題はない。最悪ほとんど関わらないという選択肢もある。
「大宮でええん? じゃあ、話進めていくけど大丈夫?」
「大丈夫や、よろしくたのむで!」
嬉しそうな竜華に確認されて、怜は自分が賭けに勝ったことを知ったが、念には念をいれて竜華のお気持ちに配慮しておく。
「でも、大宮行ってまうとしばらく竜華に会えなくなるから寂しいわあ」
怜がそう言うと思いっきり竜華に抱きしめられて、一瞬呼吸ができなくなった。
「ときいいいいいい、怜に寂しい思いは絶対させへんよ! 毎日、一緒にお話ししようね」
「いや……大宮行ってる時は無理やろ。オフシーズンに一緒に過ごすわ」
天然全開の竜華の発言を聞きながら、怜はようこれ神戸以外のチーム行くこと許可して貰えたなと思った。
「テレビ電話とかあるやん?」
「え?」
「テレビ電話でホテルで毎日お話しして、遠征先でデートして、それから試合会場に入る。こうすれば、寂しくないやんな!」
「え、えっと……」
「怜が寂しくないように、試合終わったら毎日電話するようにするからね」
「う、うん」
「あ、それから遠征の時は一緒に大宮の喫茶店でナポリタン食べようね」
「せ、せやなー」
特に否定も肯定もしていないにも関わらず、竜華とのオプション契約が勝手に結ばれていく。迂闊に寂しいと言ったことを怜は本気で後悔し始めていた。
「ふふっ、寂しい思いはさせないから安心してね」