「ふーん。咲がそんなことを……」
菫が咲ちゃんと話したことを言い終えると、二人がけのソファーの肘掛けに身体を預けながら、照はそう呟いた。
「直接話し合った方が良いんじゃないか? 咲ちゃんも心の底では、仲直りしたいと思っているようだし」
「んー……そう言う考え方もあるね」
照はローテーブルに置かれたティラミスをフォークで突き刺して、口に運んだ。照の頬が緩む。
「昔は仲が良かったと言っていたじゃないか。直接会って謝れば咲ちゃんも許してくれるさ」
菫の提案に否定も肯定もせず照はティラミスを口一杯に頬張ってから、紅茶に口をつけてふうと一つため息をついた。
「会ってくれないよ、咲は。雀聖戦で頑張るしかない」
照はそう短く言うと、またソファーの肘掛けに身体を預けた。姉妹の諍いなのだから、直接会って話をすれば解決するしかないと菫は思うのだが、咲ちゃんも照もどうやらそのつもりはないらしい。
「そ、そんなことないだろ」
「去年の牌王戦で咲と対戦したこともあったけど、その時も一言も言葉はかわさなかったよ。それにこれは、咲の意趣返しだから」
あれだけ仲直りしたいと話していたのに、冷たい目で妹のことを無機質な声で話す照からは、咲ちゃんへの愛情など欠片も感じられない。どうして、関係がここまで拗れてしまったのだろう。
「今まで聞かなかったが、過去に何があったんだ?」
菫がそう言うと照の眉が少しだけ動いたが、取り澄ましたような表情を作って、照はティーカップから口を離した。
「たしかに、菫には話しておいたほうが良いかもしれないね」
照がティーカップをソーサーの上に戻す音が、貸し切ったホテルのラウンジに響く。
「私の母はプロ雀士だったんだけど……」
「ちょ、ちょっと待て!? そんなこと一言も聞いてないぞ」
「うん、言ったことないからね」
あっさりと照はそう肯定した。10年以上の付き合いがあるにもかかわらず、ほとんど照のことを知らない自分に菫は寂しさを覚える。
「ちなみに名前はなんて言うんだ? もしかしたら知っているかも知れない」
「宮永愛だけど……お父さんと結婚する前はアイ・アークタンデって名前で……日本でもプレイしていたこともあるよ」
「は?」
「え?」
「い、いや……なんでもない」
唐突に出てきた外国人の名前に、菫は呆気に取られてしまった。照が嘘をついているようにも見えないので、菫は話を続けるよう照に促す。
「選手としては活躍していたのか?」
「それなりに。ハンガリーから出た世界選手権で8位タイが最高の記録だと思う」
「す、すごいじゃないか……流石、照と咲ちゃんのお母さんだな」
菫がそう感心すると、照はアフタヌーンティースタンドから苺のムースをとって自分のお皿に置いてから言った。
「菫が麻雀を始めたのは、いつぐらいからだったっけ?」
「ん? 私か? 小学校の……たしか1年生くらいだったかな。あまり記憶がはっきりしない祖母に教えられたのは、覚えているんだが」
菫が思い出せる範囲の情報を伝えると、照は小さく頷いた。
「じゃあ、7歳くらいかな? 母もそのくらいの時期に麻雀に出会ったみたいで、ハーフだったから、10歳までは日本で生活をしていた」
「でも、当時の日本だとそこまで強い対戦相手もいなくて、モスクワの養成学校の勧誘に応じて東側の選手団に入ったんだ」
「そのころのロシアは強かったからなぁ……」
ロシアという単語に、菫は時代の流れを感じながらそう呟いた。
今のロシアの麻雀は、米国や中国に比べて大きく遅れをとっている。しかし、当時の社会主義体制下では、間違いなく米国と並んで世界のトップを走っていた。
世界中の国々から才能のある子女をかき集めて、英才教育を施すためのアカデミーを設立し麻雀技術の粋を集めた。そしてその選手に、東側諸国の国籍を取得させ、代表選手に振り分けていく手法は当時、世界中から批判に晒された。
照のお母さんが、そうした環境下で育った選手だとは菫には全く想像できなかったが。
「世界選手権や欧州選手権を制することが、当時の母たち……東側選手団の悲願だったんだけど、その後はニーマンが出てきたから」
「な、なるほどなぁ……」
照の家庭のことを聞くはずが、想像を超えた大きなスケールの話になって、面くらいながら菫は相槌をうった。
「歳を重ねて代表の座を確保できなくなってから日本に戻ってきて、プロ麻雀をすることになった」
当時の日本麻雀と麻雀先進国の間には埋め難い溝があった。衰えていたとは言っても、日本ではそれなりに活躍したのだろうなと菫は思った。電子化はされていないかもしれないが、おそらくまだ残っているだろう。今度、牌譜でも見てみよう。
「そこで、お父さんと結婚して私と咲が生まれた」
「お、やっと照の登場か」
「うん」
照は、苺のムースを最後まで食べ終えるとクランペットとマカロンを自分のお皿に取り分け始めた。明らかに菫のぶんまで自分のお皿に乗せているが、いつものことなので菫は指摘することなくティーカップに口をつけた。
「菫は、世界選手権の活躍をすごいと言ってくれていたけど母はそうは思わなかった」
「ん? ああ、もっと上を目指せたと思っていたわけか」
「そう。世界選手権を優勝して、東側選手団にメダルを持って帰りたかった」
「ん? ハンガリーじゃないのか?」
「母はハンガリーとルーマニアの代表になったことがあるけど、選手時代ずっと生活の拠点はモスクワに置いてたから、国の代表という意識はないんだと思う」
「あくまで、東側選手団が活躍すれば良いということなのか……」
「そう、西側諸国を破って優勝する。それが母の青春。政治的な信条では全くないけどね」
「すごい時代だな……」
つい30、40年前のこととは思えない感覚に菫は驚くと同時に、今の日本の自由な麻雀環境に感謝した。
「世界のトップ層には及ばなかった母は、その理由を考えたんだ」
「才能だけじゃなくて、気持ちや環境のこともあるから難しいよな。勝とうと思っても勝てるものじゃないし」
今の話を聞く限り、照のお母さんが努力を怠っているようには思えない。精一杯努力しても結果がついてこない時期のことを思い出しながら、菫はそう答えた。
「そう。菫の言ったように、環境の部分が大きかったと母は考えたみたいだね」
「なるほどなぁ……たしかに、もっと麻雀を始めるのが早かったらと思うことはあるな」
「日本ではなく、ロシアでもっと早くから教育を受けていれば、もっと活躍できていたかも知れない」
「だが、それはたらればの話だろう? 過去に戻ることなどできないのだし、今を頑張るしかない」
菫がはっきりとそう言うと、照はお菓子を食べるのを止めて、無言で立ち上がって菫のソファーの横に座った。
「さすが、菫。いいことをいう」
「ま、まあな……」
手を頑張って伸ばす照に髪を撫でられて、菫は顔が紅潮していくのを感じた。他にお客さんがいないとはいえ、恥ずかしいのでやめてほしい。
「仮にそうだったとして、母がもっと上にいけたがどうかは全くわからないんだけど……母はそうは思わなかったんだ」
「否定的なことは言ったが……まあ、気持ちはわからなくはない」
「それと同時に、母は自分を育ててくれた養成学校には感謝していた。この環境でなければ世界で活躍することは出来なかったと」
「な、なるほどなぁ……」
照の声に麻雀をしているときのような若干の狂気が混じっているのを感じ取って、菫は思わず身構える。
「当時の世界のトップ選手に日本人はいなかったし、そのほとんどがアメリカ、西ドイツ、東側選手団の出身だった」
「母は仮説をたてた。最高の選手は偶然生まれてくるものではなく、環境によって作られるものだと」
菫は、背筋に冷たいものが伝っていくのを感じた。もう、話の流れからしてこの先はひとつしかない。
「自分の手で最高の雀士を育てることを夢見るようになった母は、2人の娘を使って仮説を実証することにしたんだ」