とくん、とくんと心臓が脈打つ。
横浜ロードスターズの調整ルームで恭子は、青いチームタオルを肩から下げて、じっと試合状況を伝えるモニターを見つめていた。
プロ麻雀トップリーグ副将戦。横浜ロードスターズは先鋒の江口セーラが好闘しトップに立ったものの、次鋒の初美が恵比寿に三倍満を放銃し大減速。その後の継雀でも思うように噛み合わず拙攻やミスが目立ち最下位に転落した。
横浜ファンのリビングのテレビが1台、また1台と消えて行くような試合展開。その舞台にあがる日を恭子は、血をたぎらせて待っているのだ。
最初で最後のチャンス。
緊張感で背筋を汗が伝い、胃がキリキリと締め上がって吐き気が込み上げてきても、恭子は不思議と試合が楽しみで仕方がなかった。
試合は怖くない。
恐怖は常に自分の内にある。
無機質な試合中継だけが響く室内。パタンと扉が開く音が聞こえた時、恭子は心の中で小さくガッツポーズをした。
愛宕監督は恭子に近寄って短く言った。
「恭子、いけるか?」
「はい」
「それは良かった。この試合展開やし、気楽に頑張ってきてや」
「いえ……今日は、プレッシャーを背負って登板したいと思います」
恭子は真っ直ぐに監督の目を見てそう言った。
一瞬驚いたように愛宕監督は眉を上げたが、薄く笑って言った。
「そうか、麻雀選手なら常にトップを目指せ」
「はい」
愛宕監督はポンポンと恭子の肩を叩いてから、特に何も言うことなくリリーフカーまで送り届けるとベンチの方へと戻っていった。
満員のスタジアムのステージの麓に到着した恭子は電光掲示板を見上げた。
プロ麻雀トップリーグ大将戦
恵比寿 藤白 七実 140,600
松山 天江 衣 113,200
神戸 片岡 優希 92,300
横浜 末原 恭子 53,900
プロ麻雀のトップ選手たちの一番下に記載された自分の名前を見て、恭子は居心地の悪さと湧き上がる闘争心を感じた。
インターハイの時と同じ。怪物たちの中に凡人が1人。
——上等やないか。思考停止したらほんまの凡人! 私は、末原恭子や!
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますだじぇ!」
神戸の片岡からだけ、恭子に挨拶が返ってくる。
天江衣は恭子の挨拶の言葉を一瞥して切って捨てると、足早にステージへと上がってくる恵比寿の金髪の暴君に強い視線をぶつけた。
「おう、天江また会ったな。よろしく頼むわ」
白いレースのドレスに身を包んだ藤白さんは、そう言うと乱暴にどっかりと卓について、椅子の肘置きに体重を預けた。
首をポキポキと鳴らす動作と上品な服装が全く噛み合っていないにも関わらず、それは不思議とスタジアムと調和した。
肉食動物に狙いを定められたような薄寒さが恭子の背筋を伝い、昨シーズンでなす術もなくやられた記憶がフラッシュバックする。
——ビビったらあかん……こいつの能力はわかっとる。タネのわかった手品に引っかかるような真似はせーへん。
卓の中央でサイコロが回る。
上がってきた配牌は三向聴。今日の面子、天江衣の支配の力を遮るものは何もない。
今日は月齢が若く月がまだ満ちていないことがまだしもの救いだろうか。
支配の輪から脱却するため、恭子は第1巡で手牌から無作為に切って捨てた。
非科学的なようにも思えるが、初手をランダムに切ることは、各チームの対天江衣の必須戦略にまで昇華していた。
片岡も藤白さんもほとんど手牌を見ずに、第1巡目を終えている。
天江衣の麻雀にはストーリーがある。恭子はそう結論付けた。卓上の牌の山の並びは天江衣がデザインした物語。
その世界で4人の演者が相争い、最終的には天江衣の勝利で終わる。
素直な道を選んでいたら、勝ち目などないのだ。
少しずつ、少しずつ天江衣の支配に綻びを生じさせ、一瞬のスキをついて和了に結びつける。同じスタート地点からの瞬発力勝負なら、恭子にも分がある。
一向聴を継続させる天江衣の能力に、恭子が足踏みをさせられていると予想外の演者から声が上がった。
ツモ!!! 2000、4000だじぇ!
片岡の満貫ツモ。
8巡目の和了は他の面子であれば、特筆するほど速くもない和了だが、天江衣と藤白さんと同卓してこの速さは異常である。
清澄高校の先鋒、片岡優希。インターハイで東風の神と言われたその実力を、プロでも遺憾なく発揮している。
続く東2局でも片岡はスルスルと先行して、天江衣の支配の輪を打ち破り、最速で和了してみせた。
わかりやすい武器に、適切なポジション。恭子にないものを全て持っている選手だ。
その様子を見た天江衣が口を開く。
「疾風迅雷。士別れて三日、即ち更に刮目し期待すべし」
「衣ちゃんの話は何言ってるかわからないけど、褒めてくれているみたいで良かったじぇ」
「衣ちゃんって言うな! 衣は優希よりお姉さんなんだぞ」
「高校の時よりも、見た目年齢は開いた気がする」
天江衣の容姿を恭子は頭のてっぺんから胸元まで恭子は眺めやった。まるで、高校時代から歳を重ねることがなくなったかのよう。
——これは、麻雀上手くなる代わりに歳を取ることが出来ない呪いをかけられたんやろなぁ……
プロ麻雀トップリーグ大将戦
第1半荘 東2局 1本場
恵比寿 藤白 七実 136,600
松山 天江 衣 107,200
神戸 片岡 優希 106,300
横浜 末原 恭子 49,900
片岡の親番が継続する一本場。勢いに乗って鳴きを入れてくる片岡のことをいなすように、藤白からも鳴きが入った。
想定外のハイペースの様相は収まって、試合開始前に予想していたようなスローの麻雀に突入する。
天江衣の河と自身の牌の彫りを慎重に確認しながら、恭子は安牌を捨てていく。
ツモ! 3000、6000!
天江衣が手牌を倒すと、混一色の跳満が晒された。リーチをかけなくても充分に火力を出すことができる点が天江衣の持ち味だ。
プロ麻雀トップリーグ大将戦
第1半荘 東3局
恵比寿 藤白 七実 133,500
松山 天江 衣 119,500
神戸 片岡 優希 100,200
横浜 末原 恭子 46,800
第1半荘、最初の親番。
ジリジリと重たい展開の中、恭子はじっと手牌を回して、高めより高めへと手作りをしていた。
白二枚の特急券で速攻の狙える配牌だったが、素直に打っていったら和了には繋がらない。
一枚目の白が河にでても無視して、面前で手を進める。これで一向聴。
——私の打牌を決めるのは天江衣やない! 他の誰でもない、自分自身で決めるんや!!!
ポン!
面前を主線に検討していたが、三索を鳴いて並びかけてきた片岡の様子を見て、恭子は動くことを決めた。
瞬発力勝負なら誰にも負けない。善野監督から受け継いだ超高速麻雀で、片岡を置き去りにしてやる!
二枚目の白が落ちたのを見て恭子は、1鳴きして聴牌をとると、良形三面張が残った。
この牌型で和了しきれないなんてありえへん。
——速く、誰よりも速く。駆け抜ける。
ツモ!!! 4000オール!!!!!
絶望的な点差。それでも、今日の麻雀の主役は私だ。
今日だけじゃない、明日も明後日も。
緑の卓上を、私の銀幕に変えてやる。