専業主婦、園城寺怜のプロ麻雀観戦記   作:すごいぞ!すえはら

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第140話 オプション契約と大宮ナポリタン

 鉄道のまち、大宮。

 関東の鉄道の分岐点として交通、物流の要衝として栄えてきた。そんなクソ田舎の鉄道員や工場労働者に長年愛され続けてきた味。

 

 それが、大宮ナポリタンである。

 

「ときー? おいしい?」

 

「ん……まあまあやな。おいしいけど……普通のナポリタンやから、竜華が家で作ったやつのがおいしいで」

 

「ちょ!? あんま、失礼なこと言うたらあかんで」

 

 がらんとした大宮駅郊外の喫茶店。

 貸し切りの店内で怜と竜華の2人は平和にコーヒーとナポリタンに舌鼓をうっていた。

 試合日程も少し落ち着いてきたので、ハートビーツ大宮入団時に結んだ清水谷竜華さんとのオプション契約を少しずつ履行している次第である。

 

「たしかに、せやな。おいしいことはおいしいし。すまんな」

 

 怜は、竜華が店内に入ってきた時に驚きの声を漏らした喫茶店のおばちゃんの店員さんに一言、謝罪の言葉を呟いた。それから、フォークでくるくるとナポリタンを巻き取ってスプーンの上に乗せて頬張った。

 家庭的なケチャップの味と玉ねぎのハーモニーが口の中に広がる。

 

「それにしても、この前の末原さんすごかったやん?」

 

 怜がそう問いかけると、竜華はコーヒーのマグカップから口を離して言った。

 

「もう少し片岡が絡めると良かったんやけど……ベンチの他の選手も驚いとったで、藤白さんと天江さんの一騎打ちになるやろと思ってたから」

 

「最後押さなかったのは残念やったけど、藤白さん相手にあそこまで頑張るとは思わへんかったわあ」

 

 怜は嬉しそうに座っているソファーの脇に置いたブラウンの大きめのショルダーバッグからA4の牌譜を取り出して、机いっぱいに広げた。

 

「惚れ惚れするええ牌譜や! さすが末原さんや。うちはずっと末原さんは出来る女やと思ってたんや」

 

「うーん……でも、これどこまで見えてるんかな?」

 

 芸術的な掌返しを決める怜とは裏腹に、竜華は牌譜を一枚手に取って、その実力に疑問を呈した。

 末原さんに大きなミスこそないものの、深い谷底に平均台の橋をかけたような闘牌が牌譜に記されている。一本踏み間違えれば転げ落ちてしまうような危うさ。

 ぞくぞくと震えるような恐怖や、牌が揃っていく喜びと期待感。そして、勝ちたい勝ちたいと嘆く末原さんの声が、この牌譜には詰まっている。

 

「たぶん、ほとんど見えてへんで」

 

「それなら、もっと違う打ち方したほうがええやん?」

 

「それじゃあ藤白さんに届かへんと思ったんやろ」

 

「まあ、それはそうかもしれへんけど……」

 

 キラキラと輝く瞳で牌譜を眺める怜とは対照的に、竜華は懐疑的な目で眺めやってから末原恭子という名前の書かれた欄を、人差し指で2回ほどなぞった。

 

「精神的な強さっていうのは、プレッシャーを感じへんことやないやろ?」

 

「うちは、心を動かさずに勝てるならその方がええと思っとるで」

 

「竜華はドライやなぁ……」

 

 怜はナポリタンを食べ終えてふうと一息つくと、コーヒーの入ったマグカップを口をつけた。こてこてのトマトケチャップと油の味がリセットされる。

 

「口元にケチャップさん、ついとるで」

 

「あ、ほんま? こっち?」

 

 竜華は怜が口元を拭こうとするのを手で制してから、白いナプキンを手に取って優しく怜の口元を拭った。

 

「サンキューや」

 

「しょうがあらへんなぁ、もう」

 

 竜華は幸せそうに白いナプキンを角がズレるように軽く畳んでテーブルの上に置いた。

 

「大宮ナポリタンも食べられたし、次はどこに行こっか?」

 

「せやかて、大宮の街とかアオンモール行くくらいしかあらへんやん。」

 

「アオン好きすぎやろ……神戸いる時もよう行っとったやん」

 

「神戸にいる時は色々あったはずなんや……でも、もううちにはアオンしかあらへん。アオンがうちを呼んでいるんや! アオンに観光しに行くで!」

 

 誠に遺憾ながら、チームの事情で大都会神戸を離れて、さいたま県民という哀れな地域の住民になってしまい怜は落胆していた。

 しかし、嘆いてばかりいても仕方がないので、気持ちを切り替えて平凡なナポリタンを食べたり、クソ田舎特有のプレイスポットであるアオンを訪れたりして、田舎ライフを楽しんでやろうと怜は思っていた。

 

「わざわざアオン行かんでもええやろ。ドライブにしとこうや。人混みに行って囲まれても面倒やし」

 

「たしかに……人に取り囲まれるのは嫌や」

 

 怜がそう同意すると、竜華は苦笑いをしながら言葉を続けた。

 

「それとも、もうおうち帰ってゆっくりしよっか? 大宮のおうちまだ1回も行ったことないやろ?」

 

「そうしよかな、行くとこあらへんし」

 

「ふふっ、そうしよっか。あ、お会計お願いします」

 

 竜華はそう言って店員さんを呼んで、マネークリップから10枚ほどお札を取り出すとトレイの上に置いた。

 

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 

「そ、それと……」

 

「ん? どうしたん?」

 

 おずおずとおばちゃんの店員さんは、サイン色紙を取り出して怜の前に差し出した。お店に飾りたいということらしい。

 断るのも面倒なので、怜は渡されたマジックを手に取り

 

『大宮ナポリタン 優勝 園城寺 怜』

 

 と記入して、店員さんに手渡すとご満悦で店内の一番目立つところにかけてあった瑞原はやりのサインの横に色紙を置いてくれた。

 

「それじゃあ、失礼させてもらいますわあ」

 

「ありがとうございました。応援してます」

 

 怜はにっこり笑顔を作って店員さんに手を振ってから店を出て、竜華の運転する黒塗りのレンタカーの助手席に乗り込んだ。

 怜は助手席の窓から、流れては消えていく風景をぼうっと眺めやった。田舎のわりにゴミゴミとした街並みである。

 

「大宮の生活にはもう慣れた?」

 

「せやなー、何もないところやけど」

 

「その割には、家に全然帰ってきてくれへんのやけど?」

 

 竜華の冷たい声が車内に響く。

 先程まで平和にナポリタンを食べていた雰囲気が、急に一変したことに怜は戦慄した。心の中のリトル竜華も全力で危機を伝える警報を鳴らしている。

 

「誰かの家泊まったりとかしてるん? 大星さんとか? 原村さんとか……親しいやんな?」

 

「そ、そんなんしてるわけあらへんやろ……」

 

 身に覚えのない浮気疑惑を向けられて怜は驚いたが、本当になにもないので冷静に声を絞り出した。

 

「じゃあ、なにしてるん?」

 

「い、いや……スタジアムにベッドあるし帰るの面倒やったからずっと泊まってたんや」

 

「あ、ほんま?」

 

 怜がそう伝えると竜華はハンドルを切って、少し考え込んでから言った。

 

「雀聖戦も近づいてきたし、牌に触っていたい気持ちもわかるけど……うちは大宮に遠征してる時はおうちにいつもいるから、いつでも頼ってね?」

 

「え?」

 

「ん? どしたん?」

 

 ニコニコと優しく微笑む竜華の表情を見て、怜は背筋から汗が吹き出て助手席のシートにぺったりと張り付くのを感じた。

 

——あ、あかんやろ……何回、竜華大宮に遠征来てると思ってるねん。

 

 3回だろうか? それとも6回?

 そうだとすると、竜華は帰ってこない自分に連絡もせず、ずうっとお部屋で待っていたということになる。

 自分が知らず知らずのうちに地雷を踏み抜いていた事を知って、怜は恐怖に慄いた。

 

「わ、悪かったわぁ……怒らんといてや」

 

「ん? 全然怒ってへんよ?」

 

「そ、そか……」

 

 気まずい空気の中、怜を乗せた車は大宮の街並みを進んでいく。

 クソ田舎の爽やかに晴れ渡った青空に、梅雨の訪れを匂わせるのっぺりとした灰色の雲がポツポツと浮かび始めていた。

 

 雨の季節はもうすぐだ。

 

 

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