専業主婦、園城寺怜のプロ麻雀観戦記   作:すごいぞ!すえはら

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第141話 宮永咲と暗闇の少女

 

 ぽつり、ぽつりと雨が降る。

 アスファルトに滲んだ雨粒は灰色を深く染め上げて、土の匂いを立ち登らせた。

 

 雨の日は、きらいじゃない。

 

 タバコの箱の淵をトントンと叩いてから、一本取り出す。ライターの炎をゆらゆらと動かして、タバコの火が熱くなりすぎないように。

 時間をかけて。

 湿気った空気と一緒にタバコの煙を口の中に取り込んで、ほうとため息をつくように吐き出した。

 

「雨の日のほうが……タバコっておいしいのかな」

 

 旅館の離れのテラスから見える日本庭園の草木がざわざわと揺れる。小ぶりに降り始めた雨にあわせて、風も少し強くなった。

 

 今週は園城寺さんも出場する雀聖戦。

 試合会場である箱根の旅館に早めに入って、離れで誰とも会わない時間を過ごす。

 手に持ったタバコの煙は、灰色の空に昇っては消えていった。

 

 灰皿にタバコの灰を落として、再び口元に持っていくと、先ほどまでの甘い香りは消え去って酷く辛く感じた。ゴシゴシと手を拭うようにタバコを灰皿に押しつけて火を消す。

 

 私はテラステーブル上に広げた牌譜が風で飛ばされないうちに、手早くクリアファイルの中にしまった。雀聖戦挑戦者決定戦の姉帯さんと園城寺さんの牌譜。

 園城寺さんはペースに乗って勝ちをもぎ取りにくるプレイヤーで、ゲームメイクの能力はそれ程でもない。姉か衣ちゃんの2人が主導権を握ろうとする展開になる。

 衣ちゃん特有のスローペースの麻雀になれば、園城寺さんは怖くない。しかし、姉のハイペース展開で麻雀を進められると途端に存在感が増してきそうだ。

 

「まあ、でも……」

 

 いつも通りの麻雀をすれば勝つ。

 一時の感情に流され、敗北したインターハイと同じ轍は踏まない。

 

 私は麻雀をする機械。

 

 園城寺さんは守備の上手い一人の雀士で、衣ちゃんは試合でよく顔を合わせるだけの松山の雀士。そして、私に家族はいない。

 大丈夫。

 感情は技術で切り離せる。そうやっていつも勝ってきたじゃないか。園城寺さんに勝って、私は全てを手に入れる。

 

 私は麻雀をする機械だ。

 機械に感情はいらない。

 

 何度も繰り返してきた自己暗示。

 個人的な感情は1つづつ丁寧に塗り潰して、負けに繋がる要素は全て排除する。

 

『ごめんなさい、ごめんなさい、私が台無しにしてしまって…………咲さん、ごめんなさい』

 

 小ぶりだった雨はいつの間にか強くなって、ざあざあと音をたてて降り注いでいた。雨の雫が葉を濡らし、そのこうべを垂れさせる。

 屋根付きのテラスの内側に吹き込んできた雨が右手の甲を濡らすのを感じて私は我に返った。

 

「あ、こんなところにいたら風邪をひいちゃうよね」

 

 せっかく雀聖戦に向けて準備しているのに、風邪をひいてしまったら元も子もない。

 お風呂に入って、おいしいものを食べてのんびりする。

 タイトル戦の前にする大切なこと。

 テラスの横の露天風呂も良いけど、この天気だし内風呂にしておいた方が良いかな。

 

 バスタオルで少し濡れてしまった髪を拭ってから、レトロモダンなソファーに腰掛ける。部屋に備え付けられた優秀な空気清浄機から、騒音の歓迎を受けた。

 

「少し、喉が渇いたかも……」

 

 ダイニングテーブルの上に置かれたウェルカムシャンパンを無視して、冷蔵庫からみかんジュースの瓶を取り出してグラスに注いだ。

 口をつけると、特産品のみかんの甘酸っぱい香りが口の中に広がった。もう少し甘くてもいいかもしれないけど、これはこれで悪くない。

 

 グラスの中身を半分ほど飲み終えたところで、ソファーの上に置かれたベージュのポーチの中から、スマートフォンのバイブレーションの音が聞こえてきた。

 この着信パターンは部長からだ。

 

「はい、宮永です」

 

『あ、もしもし咲? 繋がって良かったわ。今なにしてるかしら?』

 

「みかんジュースを飲んでます」

 

『……相変わらずね。今、横浜に来ているんだけどまだいるでしょ? ご飯でもどうかしら?』

 

「あー……もう、雀聖戦の会場に入っているので箱根なんです」

 

『それは残念。咲にすき焼きでも奢ってもらおうと思ってたのに』

 

「普通逆ですよね……」

 

 プロ麻雀のパーティーで再開してから、部長とは何度か一緒に出かけている。主導権を握ってくれる部長と出かけると色々と楽だ。タバコを目の前で吸っても、何か言われることもない。

 

『そ、そうかしら? 貰っている人が払うのが1番良いと思うのよねえ』

 

「まあ……そういう考えもあるかもしれません」

 

『それはともかくとして……雀聖戦がんばってね。応援しているわ』

 

「ええ、ありがとうございます」

 

『じゃあ、切るわね』

 

 それだけ言って部長は電話を切った。

 部長からの応援で少し心が温かくなる。

 いつもはもっと長く話すので、もう試合会場にいるということを聞いて、気を利かせてくれたのだろう。

 

「あーあ……失敗したなあ」

 

 渇いた土に水を落とすと、余計に渇きを感じるようになる。だから、部長との電話は出るべきじゃなかった。

 

 機械に油はいらない。

 

 勝って、勝って、勝って……勝ち続けて、ブリキのおもちゃは最後にパタリと動かなくなる。そうでなくては救いがない。

 高校時代の話も大学時代の話もしない部長とのぬるま湯のような関係が心地よくて、つい何度も会ってしまう。

 

 でも、それは自分の麻雀を駄目にする。

 

 勝つためには、鮪のように止まることなく前へ前へと進んでいかなくちゃいけない。私は目を固く閉じて眉間にシワを寄せてから、スマートフォンの電源を切った。

 

 これで安心。

 

 試合の日まで、心を動かされることもない。時間だってある。今日、部長に応援してもらったことも、和ちゃんの嗚咽も全部塗り潰して試合に臨める。

 私は牌に愛されている。

 みかんジュースを飲み終え、部屋の隅の自動卓上に無造作に置かれた牌を、卓の中央に投げ入れてから、先程まで腰掛けていたソファーへと戻った。ほとんど新品の青々とした畳の感触が足裏に伝わってきた。

 

「そういえば……昔」

 

 高校時代は、素足で麻雀をしていた時期もあったなあ……

 なぜ、そうしていたのかは覚えていないが、恐らく気持ちを切り替えるルーティンとして使っていたのだろう。

 効果的なルーティンは緊張をほぐして、プレーの確実性を高める。でも、いつの間にか使わなくなってしまった。

 少し勿体ないことをしたかもしれない。

 

「ま、いっか……もう、高校生の時みたいに麻雀をすることもないだろうし」

 

 しとしとと降る雨音をかき消すように、自動卓の洗牌の音が部屋に響いた。

 

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