「それでは、定刻になりましたのではじめてください」
立会人の小鍛治さんの落ち着いた声が試合会場に響く。私はゆっくりと卓の中央に手を伸ばして賽を回した。
牌と牌の擦れる音に、報道陣の無数のシャッター音が降り注いだ。
少し背筋をピンとのばしてから、私は綺麗に整列した山と手牌を眺めやった。
「報道の方は退席してください」
小鍛治さんの事務的な声に合わせて大勢の報道陣が部屋を後にする。ここで第一打を打ってしまってもよいのだが、暗黙の了解で報道陣の退席が完了してから始めることが多い。
上家の園城寺さんはグラスに入ったオレンジジュースをストローでちゅーっと飲んでから、1度目を閉じてから卓に向き直った。
ここで私が勝てば、清澄高校で目指したインターハイのライバルはいなくなる。勝って、勝って、勝って、その先に今があった。
負けるわけにはいかない。
私の麻雀で園城寺さんを倒す。
雀聖戦 1日目 第1半荘
東1局
東 宮永 咲 50,000
南 宮永 照 50,000
西 天江 衣 50,000
北 園城寺 怜 50,000
立会人の前にあるテーブルのモニターを横目でチラリと確認する。純和風のこの対局室で全自動卓とモニターが浮いている。
会場ごとの差を無くすために、コミッショナー主導で統一卓制度が導入されてからは、麻雀卓や麻雀牌、そして腰掛ける椅子に至るまで全て運営委員会からの持ち込みでタイトル戦は実施されるようになった。
卓と麻雀牌の影響が安定するのは素直にありがたい。
手牌は三向聴。悪くない配牌だ。
報道陣が全て退席したのを確認してから、私はほぅと息を吐いて手牌の左端から不要牌の北を手に取って河に切り出した。
東1局、照魔鏡は使われていない。数多く対戦している私や衣ちゃんはともかくとして、姉と対戦経験の遠い園城寺さん相手なら使ってくれるかもしれないと予想していたが、予想が外れた。
——まあ……でも、それもそうか。
インターハイで照魔鏡が姉の敗因になったことを考えれば、園城寺さんの底を覗き見るリスクは取りたくないだろう。
溶鉱炉、あるいは麻雀を喰らう狼。
愛らしい容姿や行動とは裏腹に、園城寺さんの心の内には闘志と好奇心がグツグツと煮えたぎっている。そして、飢えた獣のように麻雀を貪る。
彼女と心のやりとりはしない。
インターハイでも、そう決めていたはずなのに——徹底できなかったのは私の甘さ。
だから、今日は機械のように正確に。
配牌には恵まれたが、手牌は一向に進まない。
一向聴地獄。
衣ちゃんの支配が、卓を包んでくれたことにまずは安堵する。このペースなら園城寺さんは安全。序盤は、スローならスローな程良い。
ツモ! 2000、4000!!!
衣ちゃんの気合いのこもった発声が部屋に響く。親被りは痛いが、昼間の衣ちゃんならいくらでも対応ができる。
雀聖戦 1日目 第1半荘
東2局
天江 衣 58,000
宮永 照 48,000
園城寺 怜 48,000
宮永 咲 46,000
ジリジリとした衣ちゃんの重苦しい支配の海を切り裂いて、親番の姉が2副露して形を作る。それに呼応するように園城寺さんもポンを入れて、卓の流れをハイペースに傾けた。
ツモ! 700オール!
綺麗な両面待ちをツモあがり、姉の連続和了のスイッチが入った。
過去の牌譜を見ても姉の能力と衣ちゃんの支配力は拮抗している。姉に流れがいくこともあれば、衣ちゃんの支配力が上回ることもある。でも、今日は拮抗しない。
なぜなら、園城寺さんがいるから。
雀聖戦 1日目 第1半荘
東2局 5本場
宮永 照 73,800
天江 衣 49,400
園城寺 怜 39,400
宮永 咲 37,400
700から始まって、1100、1500、2300、3000とツモ和了が続いてあっという間に5本場。姉が完全に試合の主導権を掴んだ格好だ。
姉も園城寺さんの手のひらの上で転がされていることには気がついているだろうが、前に行ける時には前にいかなくっちゃいけない。
打点向上が苦しくなってきたのか、姉は3巡目にリーチを打った。衣ちゃんの支配は一応は効いている。
私の手牌では、姉の速さには届かない。
だけど、そのリーチをずっと待っていた人が上家にいる。
リーチや。
園城寺さんはそう言ってから、1000点棒を卓に真っ直ぐに立てた。
このリーチからは逃げられない。誰も鳴くことなく一巡して、綺麗に和了牌は園城寺さんの手の中に入った。
立直、自摸、一発、三暗刻、ドラ3。
4000、8000の5本場は4500、8500。
園城寺さんは、何事もなかったようにおしぼりで指先を拭ってから、目を閉じてほうと息を吐いた。
雀聖戦 1日目 第1半荘
東3局
宮永 照 64,300
園城寺 怜 57,900
天江 衣 44,900
宮永 咲 32,900
続く東3局は配牌にも恵まれて、私が先行できる形になった。
連続和了も止まって、姉の手牌からは勢いを感じられない。そうなれば卓の雰囲気も落ち着いて、一向聴まで進められれば私が有利。
ツモってきた八萬をカンして、嶺上牌を引き当てて強引に聴牌する。
ツモ。2000、4000です。
満貫の手牌を倒してそう申告する。
これで、少しは追いつくことが出来た。
このまま、緩慢な展開が続いてくれれば良いと思った私の期待を裏切るように、姉が高速和了を決めてあっという間に南入した。
雀聖戦 1日目 第1半荘
南1局
宮永 照 64,300
園城寺 怜 54,900
天江 衣 40,400
宮永 咲 40,400
第1半荘の最後の親番。
ここで和了して、トップを狙いたいが手牌に恵まれない。
園城寺さんの鳴きが入って、姉の鳴きも入る。
この親番は仕方がない。姉の連続和了が大きくなって、和了するのが困難になったところで園城寺さんと競り合うのがセオリー。しかし、それでは点数的に厳しい。
ツモ! 1000、2000
姉は短くそう言ってから、私の方をチラリと確認した。
目と目があう。
私が視線を外そうとするよりも早く、気まずげに姉は手牌に目を落として、卓の中央へ投げ入れた。
雀聖戦 1日目 第1半荘
南2局
宮永 照 68,300
園城寺 怜 53,900
天江 衣 39,400
宮永 咲 38,400
リードがあっても手を緩めることなく、姉は2巡目から鳴きを使って、場の雰囲気を加速させる。園城寺さんも鳴きを入れて追従する構えをとった。
ここで、止めないといけない。
ここで和了るのは園城寺さんじゃない。ここで和了るの私だ。
大明槓で強引に聴牌して勝負をかける。これで他家が上がるのは許されない。園城寺さんの思惑通りでも、その思惑ごと叩き切ってやる。
そう決意して園城寺さんのことを睨みつけるとツモ宣言は予想外のところからかかった。
ツモ 3000、6000
衣ちゃんは優しい手つきで手牌を倒して、筒子の清一色を卓に晒した。予期せぬ一撃に思わず背筋が強張る。
「力足らざるものは中道して廃す。衣は勝ちを諦めない。倒れても何度だって、立ち上がるんだ!」
衣ちゃんの眼差しは強い決意を持って、真っ直ぐに私のことを見つめていた。
手の甲が震えているのを気取られないように、私は目を閉じてからサイドテーブルのガムシロップのたっぷり入ったアイスティーに口をつけた。
試合中の疲れた身体と頭のはずなのに、それは酷く甘く感じられた。
雀聖戦 1日目 第1半荘
南3局
宮永 照 62,300
天江 衣 51,400
園城寺 怜 50,900
宮永 咲 35,400
衣ちゃんの親番。
姉の連続和了も止まり、衣ちゃんの支配の力は、今までに見たことのない冴えを見せていた。
一向聴からが遠い。
少しずつ水位が上がっていき、海の底へと誘われる。
海底撈月。
ばらばらに散らばった牌が14枚集まって、卓上に満月を映す。
その光をすくい集めて。
衣ちゃんの麻雀は輝いていた。