私は、煮魚と鯛茶漬けの昼食を腹八分目まで食べてから、喫煙室でタバコを一本吸い終えると他家よりも一足はやく私は卓についた。
試合開始の10分前。主のいない3脚の椅子と緑の卓上を前にして目を閉じる。
誰が勝ってもおかしくないような点数状況。
1日目の最終半荘は、他家も死力を尽くして和了りにくるはずだ。
対戦相手はいつだって、私の麻雀を徹底的に死に物狂いで研究して対策をしてくる。
だから、全員……私の麻雀で倒してきた。
心を動かさず、いつも通りに。
園城寺さんのいる今日だって。
私の麻雀で全部。
倒す。
雀聖戦 1日目 最終半荘
東1局
東 天江 衣 50,000
南 園城寺 怜 50,000
西 宮永 咲 50,000
北 宮永 照 50,000
姉に衣ちゃん、そして最後に園城寺さんが卓について賽は投げられた。
衣ちゃんの重苦しい支配の力が卓上を包み込む。配牌から聴牌が遠く、ジワジワと上がっていく水位に対応できない。
リーチだ!!!
衣ちゃんは1000点棒を手に取って、決意を持って卓の中央へと置いた。海底牌を待つのではなく、積極的に仕掛けていく衣ちゃんの勝利への強い執念を感じて、私は安牌を切り出した。
手牌は和了からは遠い。それなら、安全策を選んでおいた方がいい。
打ち手の想いに引き寄せられるように、一巡で衣ちゃんは和了牌を手にした。
ツモ!!! 6000オール!
立直に一発もついた混一色の親跳満が卓上に晒される。
雀聖戦 1日目 最終半荘
東1局 1本場
天江 衣 68,000
園城寺 怜 44,000
宮永 咲 44,000
宮永 照 44,000
衣ちゃんの支配の力は継続していたが、配牌には恵まれた。
私は鳴くことはせずに、誰よりも早く一向聴に辿り着いた。ここまでくればあとはカンするだけ。
嶺上牌から有効牌を持ってきて、そのまま満貫手を仕上げきることができた。衣ちゃんのリードは私のリードでもある。
東2局でも衣ちゃんは、軽快に手を進めて積極的に立直をかけてきた。
2、3巡と衣ちゃんが牌をツモるたびに当たり牌が絞られていき、プレッシャーが強くなっていく。
リーチや!
回し打ちにも限界を感じて順子を崩してオリようかと私が考えた時、園城寺さんからの立直が入った。
園城寺さんの立直棒が真っ直ぐに立つ。
未来から逆算した回避不能の絶対的な和了。
姉が鳴いてズラしたが、そんなことはものともせずに園城寺さんは1巡で和了牌をツモってきた。
ツモ! 4000オール
一発もついていれば跳満の和了。姉の方をチラリと横目で見たが、顎に手を当てて考え事をしていた。
雀聖戦 1日目 最終半荘
東2局 1本場
天江 衣 58,900
園城寺 怜 54,900
宮永 咲 48,300
宮永 照 37,900
ポン!
東2局序盤の姉のこの発声で麻雀の流れが変わった。これまでの遅緩な麻雀を終わらせるように、牌が姉に集まっていった。
ツモ 1100、2100
30符3翻の和了。姉にしては珍しく高い打点から仕掛けてきた。最初の和了は打点が低ければ低いほど連続和了がかかりやすい。
姉はいつものようにポーカーフェイスで麻雀をしているが、この和了が苦渋の上での選択であることは私にはすぐにわかった。
20符4翻の5200点、それから満貫と連続和了を決められる。しかし、焦ることはない。
雀聖戦 1日目 最終半荘
東4局 1本場
宮永 照 59,400
天江 衣 52,500
園城寺 怜 47,500
宮永 咲 40,600
高い打点からはじまった連続和了は続かない。これは私の経験、そして他選手との牌譜からも整合する。
私は一向聴まで手牌をすすめて、その時が訪れるのをじっと待った。
リーチ!
姉のその発声に対応して、私は大明槓で嶺上牌を持ってきて聴牌をかけた。対々和、役牌、ドラ3の大物手。3萬と8索の双碰待ちで待ちはあまり良くないが、一応まだ3枚は残っている。
ドラが増えて姉の立直の価値が上がったがどのみちここを和了されるようでは、この半荘に勝ち目はない。
ポン!
園城寺さんの2回目の副露が入って、強い聴牌気配を感じた。第1半荘から、幾度となく繰り返してきた伸び切った姉の連続和了の最期の奪い合い。
ここは絶対に引けない。
小刻みに震える左手を肘掛けの下、膝の上に隠す。
危険牌を何度も切って聴牌を維持した先で、姉の手牌から8索が河に零れ落ちた。
ロン! 12300です。
牌を切った姉の右腕が止まる。
動揺、果然、諦念、怒り。
無表情の内に隠された姉の内面が、ひしひしと伝わってきて私の心を削る。私も姉も試合中は表情を隠すのが上手いから、他の選手に看過されることは少ないだろう。
でも、私にはわかった。
姉がこの試合に賭ける想い、そしてその想いを私が先の和了で断ち切ったこと。
心を落ち着かせるように、1度目を閉じてから目を開けると手の震えは止まっていた。
雀聖戦 1日目 最終半荘
南1局
宮永 咲 53,900
天江 衣 52,500
園城寺 怜 47,500
宮永 照 46,100
園城寺さんに競り勝って、トップに浮上した直後、牌に導かれるように、私の手牌は和了へと進んでいった。
あっという間に聴牌まで進んで、手なりで立直をかける。なんの工夫もない平凡な麻雀で他家を制する。完全に流れは私にある。
ツモ! 2000、4000です。
雀聖戦 1日目 最終半荘
南2局
宮永 咲 61,900
天江 衣 48,500
園城寺 怜 45,500
宮永 照 44,100
衣ちゃんの支配の力が弱まって、姉の連続和了もかからない。
変化した牌の流れに適応するために、一直線に和了へと向かう。
1副露、2副露と加速をつけて和了へと向かう私のことを追い抜いて、聴牌するよりもはやく上家の発声がかかった。
ツモ! 2600オールや
親番の園城寺さんが両手で優しく手牌を倒した。点差が一気に詰まって、私の右手に重圧が再度のし掛かってきた。
雀聖戦 1日目 最終半荘
南2局 1本場
宮永 咲 59,300
園城寺 怜 53,300
天江 衣 45,900
宮永 照 41,500
何が何でも園城寺さんの親番は、流さなくちゃいけない。リードを奪われれば圧倒的な守備力で逆転不可能な態勢に持ち込まれる。
園城寺さんの能力は放銃を避けられるというだけでなく、特定の相手の和了を阻止することにも有効に働く。
最速で仕掛けをいれて、一向聴からカンをして聴牌に持ち込む。火力を無視した速度勝負だって苦手な訳じゃない!
ツモ!!! 800、1400!!!
雀聖戦 1日目 最終半荘
南3局
宮永 咲 62,300
園城寺 怜 51,900
天江 衣 45,100
宮永 照 40,700
1日目の最後の親番。
私はこのタイミングで親になってしまったことを呪った。
私が和了出来ればいい。
和了出来れば良いが、もしも出来なければ親被りで点数を削られる。
点数が欲しい訳じゃない。守りたい、守りたいと気持ちが後ろ向きになっているのに、局面はそれを許してはくれなかった。
圧迫感は喉の奥の方まで迫り上がってきて、呼吸が浅くなる。
空気が薄い。
それでも止まることは許されずに、私は副露をかけて園城寺さんに先行しようと試みる。
園城寺さんからも鳴きが入って聴牌気配。
放銃だけは絶対にゆるされない。
でも、前に進むしかない。
ツモ! 1300、2600です。
南3局。壮絶なめくり合いの末に和了牌を掴んだのは園城寺さんだった。晒された手牌を見た時、私は胸を撫で下ろした。
まだ、逆転された訳じゃない。
小刻みに震える右手を眺めやってから、私は1つため息をついた。
もう、他家に動揺は悟られている。隠す意味もない。
弱気な自分の麻雀が招いた結果だ。
でも、次の1局だけは私が和了する。
私が、絶対に。
雀聖戦 1日目 最終半荘
南4局
宮永 咲 59,700
園城寺 怜 57,100
天江 衣 43,800
宮永 照 39,400
長かった最終半荘もオーラス。
手牌は悪くない。いや、三向聴だから悪くないどころか良いくらいだ。
衣ちゃんの支配の力は残っているが、大きな影響を受けるほどではない。
九筒をポンして一向聴まで進めてから、4枚揃った北をカンして嶺上から有効牌を引き当てる。4、7筒の両面待ちで聴牌。
しかし、園城寺さんも2副露していてまたもめくり合いを迫られる格好になってしまった。
実力の拮抗した大きな試合の最終盤は、いつもこうしためくり合いになる。
欧州選手権でもそうだった。
園城寺さんと私で交互にツモ切りを繰り返す。和了牌よりも先に、4枚目の九筒を引き当てた。
これを加槓して、嶺上牌の七筒を嶺上開花でツモってくれば私の勝ち。
だけど、園城寺さんの2副露した手牌と第2半荘の最後がチラついて思わず手が止まる。
槍槓は十分にありえる。
園城寺さんは試合前から、この形を想定している。
九筒は抱えて、安牌を切る。そんな考えが頭の隅をよぎった。園城寺さんの手牌を眺めれば眺めるほど、九筒は危険なように思われた。
空気が薄い。
ひたひたと後ろを歩む園城寺さんの刃の切っ先が背筋を撫でる。
でも、負けられない! 負けちゃいけない!
誰よりも、誰よりも強く!
高い嶺の頂に咲く花のように!
私はバクバクと鳴る心臓を押さえつけて、ツモってきた九筒を晒してカンをした。
時間が止まる。
園城寺さんから、発声はかからない。
嶺上牌に手を伸ばし、七筒を手牌の横に表向きにそっと置いた。
「70符、2翻は……1200、2300!!!」
清澄高校の部室。70符2翻の和了。
雀聖戦 1日目 最終半荘 〜終局〜
宮永 咲 64,400 +34
園城寺 怜 55,900 +16
天江 衣 42,600 ー17
宮永 照 37,100 ー33
これで……これで今日のところは勝てた。
私の勝ち。
和ちゃん、勝ったよ。和ちゃん!
私の心の声は、誰もいない部室の夕焼けの影に吸い込まれるように消えていった。
肩の力がすうっと抜けて、耐えようのない虚脱感に苛まれる。先程まで死闘を繰り広げていた目の前にある麻雀卓がずっと遠くに見えた。
園城寺さんと対戦して。
私の清澄高校のインターハイは終わった。
勝って、勝って、勝って。
幾重にも連なった山を乗り越えた先で伸ばした右腕は、虚空を彷徨った。
森林限界を超えた誰も訪れることのない高い山の上で、咲き続ける花。
でも、それが私の麻雀だから。
両の頬に雫が伝い落ちる。
声は出さない。涙で視界が塞がっているだけでも恥ずかしいのに、声なんて出したらしゃがれた声がみんなに聞こえてしまうから。
何故、泣いているのかはわからなかった。
でも、私は私自身のために泣いていた。
麻雀卓の上に投げ出した私の右手を、園城寺さんは両手でギュッと握りしめた。園城寺さんの手のひらは、小さな子供のようにとっても温かかった。
「宮永さん、諦めたらあかんで! 麻雀は楽しくするもんや!」
「麻雀が……楽しい?」
「せや、そらそうやろ?」
「ははは……そうでしょうか?」
麻雀が楽しい。そりゃあ……園城寺さんはそうなのだろう。
麻雀は楽しい。
そういう人もいる。だけど私は……私は……違うはずだ。
麻雀は楽しくなんてない。
麻雀は楽しくなんてない。
そう何度も言い聞かせてきた。
「こんなにすごい打ち手やのに、そんなに辛そうに麻雀してたらもったいないやん!」
余計なお世話だ。
私がどんな麻雀をしても、園城寺さんになることは出来ない。生まれ持ったものが違う。
私は園城寺さんになれない。
そんなこと、はじめからわかりきっているはずなのに。
涙で滲んだ視界をあげると、衣ちゃんと目があった。
「麻雀は楽しい! そう衣に教えてくれたのは咲だったじゃないか!」
卓の上に両手をつき小さな身体を精一杯に伸ばして衣ちゃんはそう叫んだ。衣ちゃんの真剣な眼差しと目があって……音もなく私の積み上げてきたものが、ガラガラと崩れていく。
「そ、そんなこと……」
「宮永さんもいて、お姉さんもいて、天江さんもいる……明日だって、ここで麻雀できるんや! こんな楽しいことあらへんやん?」
「だから、宮永さん! 明日も一緒に麻雀楽しもうや!」
嬉しそうにそう言った園城寺さんの笑顔が眩しくて、思わず目を逸らす。逸らした目線の先には70符2翻の和了。
清澄高校で麻雀を再開するきっかけになった手牌の文字は涙で滲んで、ぐしゃぐしゃに歪んで……ゆらゆらと揺れていた。どうして、こんなに歪んでしまったのだろう。
麻雀牌の形を確かめるように手牌をそっと指先でなぞると、背中越しにギュッと身体が抱きしめられた。
「咲、私たちは間違ってたんだよ。大切なことは……そうじゃなかった」
「お姉ちゃん……」
「駄目なお姉ちゃんでごめんね」
ぶわっと感情が溢れて……気がついたら、椅子から立ち上がって、お姉ちゃんの胸に顔を埋めて泣いていた。
「お姉ちゃんっ!…………お姉ちゃん……お姉ちゃんっ!!!」
何度も何度も名前を呼んでお姉ちゃんのことを抱きしめると、お姉ちゃんも負けないくらい強く抱きしめ返してくれた。
私は牌に愛されている。
麻雀を続けていて良かった。
だって、4人で打つ麻雀はこんなに心動かされて温かいものだったから。
塗り固めたペンキは涙で剥がれていって、私の麻雀が壊れていく。
でも、ちっとも残念じゃない。
何度だってやり直せば良い。それを私は知っているから。
麻雀の神様は時々残酷で、とっても慈悲深い。
涙で心が一杯になって、今日は言えなかったけど……
明日の私はきっと言えるはず。
麻雀って楽しいよね!
一緒に楽しもうよ!
あとがき
専業主婦、園城寺怜のプロ麻雀観戦記。無事、完結させることができました。
最後までお付き合いいただいた皆さまに、感謝申し上げますm(_ _)m
終わり方については27話付近で既に決めていて、本当は80話程度で終わらせる予定でしたが、いつの間にか150話近くになっていました(^◇^;)
結果としてほとんど伏線は消化してしまいましたが、後日エピローグを書く予定ですので、お気に入り登録はそのままにしておいて頂けると幸いです。
感想等、とても励みになりました。
次回作や他の場で会えることを楽しみにしております。
本当にありがとうございました。
すごいぞ! すえはら