専業主婦、園城寺怜のプロ麻雀観戦記   作:すごいぞ!すえはら

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おまけの設定集です。

追伸
はじめは項目がなかったのですが
末原さんに関する感想が多かったので末原さんを足しましたm(_ _)m


専業主婦、園城寺怜のプロ麻雀観戦記 その後の設定

宮永 咲

ドラフト1位  個人戦最高順位 1位

清澄→新道寺女子→横浜

日本麻雀史上最強の魔王。

欧州選手権を制覇後六冠を独占した状態から、名人位、十段位を残した二冠に退いたことから、故障説が囁かれ始める。

団体戦においても天江衣に2連続でセーブ失敗を喫するなど精彩を欠いたが、守護神として横浜ロードスターズのリーグ優勝へと導いた。

翌年には壊れた麻雀を組み直し、小鍛治健夜以来となる七冠制覇を達成。天江衣に勝てないとの前評判を完全に覆した。

その後、麻雀団体日本代表の守護神として、史上初となるアジア圏からのW杯制覇を達成し、個人としても世界選手権優勝の実績を残した。

主な獲得タイトルに、欧州選手権優勝(3回)、世界選手権優勝(個人)、W杯優勝(団体)、日本七冠。

 

 

天江 衣

ドラフト1位  個人戦最高順位 1位

龍門渕→松山

プロ麻雀トップリーグの最優秀選手を4度も獲得した日本雀史に残るポイントゲッター。

宮永咲六冠(当時)から雀聖位を奪取するとその勢いのまま鳳凰位、山紫水明位を獲得して三冠を達成する。

その後、全盛期を迎えた宮永咲に七冠達成を許すも、数多くの好試合を残し現役の間、トッププロとしての風格を示し続けた。

 

 

姉帯 豊音  

ドラフト1位 個人戦最高順位 1位

宮守→松山→恵比寿

高い身長から繰り出される角度のある闘牌が持ち味の松山の守護神。

無名の宮守女子高校から単独ドラフト1位指名を受けて松山フロティーラに入団を果たし、1年目から守護神に定着。

松山でキャリアを終えると見られていたが、藤白七実の引退にあわせてFA権を行使。恵比寿ウイニングラビッツに入団した。

移籍後も安定した成績を残し、恵比寿の守護神として優勝を経験。優勝請負人と呼ばれた存在感を遺憾なく示した。

 

 

園城寺 怜

プロ編入試験入団  個人戦最高順位 3位

千里山→フリー→大宮

高校インターハイ屈指の実力を持ちながら、病魔に倒れプロ入りはならなかった。回復後はプロ編入試験を経て、ハートビーツ大宮の守護神として華々しいデビューを飾った。

初年度から規定登板回数を達成し、新人王そして最優秀防御率のタイトルを獲得し存在感を示した。

 

園城寺怜は37年ぶりとなるプロ編入試験の合格者となったが、その後編入試験の合格者は現れていない。規定の勝ち数達成に加えて、挑戦者決定戦への進出又はそれに並ぶ実績が、暗黙の了解となっている。

 

タイトル挑戦者に数多く選ばれるも天江衣、宮永咲らに屈し、個人タイトルには恵まれなかったが、プロ入り後3年目にして宮永咲からフルセットの末、名人位を奪取し初タイトルを獲得した。

名人位獲得後は雀聖、山紫水明と三冠を達成し順風満帆に思われたが、病気の再発により1年間の休場を余儀なくされる。

 

懸命なリハビリと妻の献身的な支えによって復帰を果たすも、その麻雀に全盛期の冴えはなかった。一軍と二軍を往復する日々。麻雀ファンの期待する園城寺怜と、現状のギャップに苦しんだ。

中継ぎでの起用がメインになったプロ入り後9年目のシーズン、後輩の二条泉の引退を知り、フリフリ衣装の渡辺監督とも相談して、プロ麻雀最終シーズンとすることを決意する。

 

団体戦では、中継ぎでたびたび炎上しながらも、結果を残し2年ぶりのセーブも記録。個人戦では鳳凰位の挑戦者決定戦に駒を進め、タイトル戦に期待がかかるも惜しくも敗北した。

 

引退試合は、シーズン最終戦の副将戦。1万点のビハインドからの登板となり、大宮だけではない多くの麻雀ファンがスタジアムを訪れた。

試合序盤に立直、一発の跳満和了でトップに立ったものの第二半荘にて失速。最後は恵比寿の若手選手の満貫に放銃し、マイナス収支で卓を降りた。

試合後の記者会見で、心残りにしていることはあるかとの記者の質問に『一切、あらへん』と笑顔で語り会場を後にした。

 

全盛期の短さや、フリー期間を経てのプロ入りで稼働期間が短いため、ファンの間の評価は分かれる。

その活躍は、記録よりも記憶に残る選手として今も語り継がれている。

 

 

松実 玄   

ドラフト1位  個人戦最高順位 1位

阿知賀→大宮→NY→恵比寿

園城寺怜の加入によって、守護神から先鋒に転向した初試合に完封勝利を達成。

 

その後もW杯団体予選Bブロックで1人で試合を終わらせるなど、日本チームの優勝に大きく貢献した。たびたび炎上することはあるものの、完封勝利数の世界記録保持者となり、名実共に日本麻雀界のエースに成長した。

 

3年連続先鋒2桁勝利の実績を引っ提げ、『世界を見てきますのだ!』という迷言を残してFA権を行使。

2年50億という超大型契約でニューヨークと契約合意に至った。

 

しかし、メジャーデビュー直前3月、ワールドクラスのおもちを前に風呂場でコケて故障者リスト入りを果たすと、ズルズルと初登板が長引き、8月上旬に5万点を失う大炎上でメジャーデビューを果たした。

その後もアメリカでは精彩を欠き2年目のシーズンも3勝6敗に終わったことを受けて自由契約となった。

 

日本に帰国後は3年40億で恵比寿ウイニングラビッツと契約。ファンの間では終わった選手と思われていたが、日本麻雀界では何事もなかったかのように格下から点棒を毟り取り、15勝6敗の好成績を叩き出し最優秀先鋒のタイトルを獲得した。

チームでの優秀な成績とは裏腹に、個人タイトルには恵まれず無冠の帝王、米国式プロリハビリストと掲示板で煽られ続ける存在へと成長した。

 

 

大星 淡

ドラフト1位  個人戦最高順位 2位

白糸台→大宮

高校卒業後からすぐに大宮のポイントゲッターとして活躍。

FA権は使うものではなく、見せるものという先輩の言葉を忠実に守り、引退まで行使することはなかった。

高い得点能力とは裏腹に、麻雀に不安定な面があったが、恋のキューピッド清水谷竜華のアドバイスもあり弘世菫(横浜)と結婚すると成績が安定。大宮のリーグ優勝に大きく貢献した。

 

 

渡辺 琉音

ドラフト2位  個人戦最高順位 18位

白糸台→大宮→大宮(監)

高校時代に和製大砲と言われた高火力は息を潜め、プロ入り後は安定感のある中継ぎとしてモデルチェンジした。

大きく勝ちもせず、負けもしない麻雀から公務員雀士と呼ばれ広くファンに親しまれた。

選手会副会長を長年にわたって勤め、引退後はGMに退いた瑞原はやりの後任として、ハートビーツ大宮の監督に就任した。

 

 

原村 和   

ドラフト1位  個人戦最高順位 49位

清澄→渋共→帝都大→大宮

帝都大学からハートビーツ大宮にドラフト1位入団した正確なデジタル打ちに定評のある先鋒選手。

3年目のシーズンに先鋒で4勝をマークするもそこがキャリアハイとなり、以降は一軍と二軍の往復生活が続いた。

プロ雀士として大成することは出来なかったが、私生活では高校時代の同級生である宮永咲(横浜)と結婚。

女としての幸せを勝ち取った。

自由契約後、大宮は彼女にフロント入りを打診していたがこれを拒否し、専業主婦として幸せに暮らす道を選んだ。

 

 

花田 煌

ドラフト1位  個人戦最高順位 7位

新道寺女子→恵比寿

新道寺女子高校黄金世代の一人で宮永咲(横浜)らと共にインターハイ団体を制覇後、恵比寿へドラフト1位入団。

怪我に悩まされるも、持ち前のスタミナで次鋒戦まで繋げ切る麻雀が評価され恵比寿のエースへと成長。

FA権は行使せず、引退まで恵比寿の顔として活躍し続けた。

口癖は「すばら」。素晴らしいの意である。

 

 

藤白 七実

ドラフト1位  個人戦最高順位 3位

千里山→恵比寿

プロ入り時から大阪最強の怪物と噂され、恵比寿からドラフト単独1位指名を受けて入団。

恵比寿は、高校インターハイを制した戒能良子(松山)を1位指名するという下馬評だったが、指名を受けたのは千里山の藤白であった。

プロ入り後は十段、山紫水明、名将と複数タイトルを獲得し、戒能良子(松山)、三尋木咏(横浜)と覇を競うトッププロの一角へと成長した。

その後、宮永咲(横浜)、天江衣(松山)ら宮永世代の台頭もありタイトルを相次いで失冠するも、現役引退まで恵比寿の守護神の座を守り続けた。

公私ともに折り目正しい人物であり、あの園城寺怜(大宮)をして「麻雀面、人間面ともに素晴らしい先輩」と言わしめており、後輩からの信任も厚い。

 

 

宮永 照   

ドラフト1位 個人戦最高順位 1位

白糸台→恵比寿

高校インターハイを熱狂の渦へと引き込んだ天才雀士。新道寺女子高校の宮永咲(横浜)は実妹であり、姉妹共にインターハイ団体、個人同時優勝を成し遂げている。

5雀団競合の末、恵比寿に入団するも、プロの環境になかなか馴染むことが出来ず、怪我に泣き一軍と二軍の往復を余儀なくされた。

しかし、6年目のシーズンでポイントゲッターに転向すると17勝を挙げて完全復活。個人タイトルの挑戦者にもなった。

その後、不仲であった宮永咲とも和解。個人タイトルの獲得こそならなかったが、個人戦1位の実績を残し、日本代表にも選出。トッププロの一角を担った。

引退後は恵比寿への入閣の打診もあったが、これを拒否。

東京郊外でこども麻雀教室の先生として、麻雀の楽しさを教える活動に励んでいる。

 

 

三尋木 咏

ドラフト1位  個人戦最高順位 1位

妙香寺→横浜→恵比寿→佐久

小鍛治健夜以降の麻雀界を牽引し、1時代を築いたポイントゲッター。主な獲得タイトルは名人位(3期)と永世牌王。

FA権を行使し、4年60億という超大型契約で恵比寿と契約した。恵比寿でも順調な成績を残し、2年35億での延長契約が行われたが宮永照(恵比寿)に第1ポイントゲッターの座を奪われ、起用法が安定しなくなったことから2度目のFA宣言を行い、佐久フェレッターズに移籍した。

佐久フェレッターズでは最ベテランにして終盤の切り札として活躍した。

引退後は、佐久フェレッターズで和了コーチを1年間務めたのちに、恵比寿ウイニングラビッツのヘッドコーチに就任した。

 

 

清水谷 竜華

ドラフト2位  個人戦最高順位 7位

千里山→神戸→大宮

最下位をひた走る神戸の守護神として活躍するもシーズン終了後に、配偶者(園城寺怜)と同じチームを希望しFA権を行使。ハートビーツ大宮と4年25億円で契約合意し電撃移籍を果たした。

また、引退した野依理沙の後任として選手会会長に就任。

 

大宮では主にセットアッパーとして活躍。松実玄、大星淡、清水谷竜華、園城寺怜と全てのポジションでスター選手を配置する瑞原監督の銀河系軍団計画が成功し、2年連続優勝に大きく貢献した。

 

4年契約満了後に配偶者の病気の悪化を理由に引退。全盛期でのトッププロの引退は、麻雀界を騒がせた。

 

 

二条 泉

千里山→明明大→神戸

ドラフト4位  個人戦最高順位 27位

エミネンシア神戸の名誉ドラフト1位として明明大から入団。

先鋒初登板で恵比寿の花田煌を破り勝利雀士に選ばれる。加治木ゆみ、椿野美幸の復帰後もローテーションの一角として活躍。5勝6敗の好成績を残した。

2年目のシーズンは清水谷竜華の移籍により、不在となった守護神の座を埋めるために、守護神に大抜擢。5試合に登板し0勝4敗1セーブという記録を残し無事、先鋒に戻ることとなった。

その後は小鍛治健夜の『積極的に使いたくもないけどいないと困る選手』との評価どおり、裏ローテ、中継ぎで奮闘。暗黒期の神戸を支える代表的な選手として、神戸ファンから親しまれた。

 

 

加治木 ゆみ  前年度成績

ドラフト1位  個人戦最高順位 14位

鶴賀→伊稲大→神戸

六大学のプリンスと呼ばれ、即戦力ルーキーとして伊稲大からドラフト1位指名を受けて入団した。

期待どおり入団1年目から新人王を獲得するも、2年目のジンクスにつかまり徐々に成績が悪化。3年目には「気力を使い果たし引退も考えた」と本人が語るほどの怪我により、牌が持てなくなってしまう。

後輩の二条泉(神戸)や友人の園城寺怜(大宮)の活躍を見て再起を決意。4年目のシーズンにカムバック賞を獲得している。

タイトル戦に絡むなど麻雀選手として突出した成績を残すことはなかったが、怪我に悩まされながらも長く現役を続け、神戸ファンから親しまれ、FA権取得後も神戸を離れることはなかった。

現役引退後は、母校伊稲大の監督に就任し、後進の育成に励んでいる。

 

 

江口 セーラ  

ドラフト3位  個人戦最高順位 13位

千里山→横浜→神戸

横浜の第3先鋒としてチームの躍進に貢献するも、シーズン終了後FA権を行使。

江口は人的補償を伴うBランクの選手であったことから、積極的に獲得したいチームは少ないと思われていた。しかし、下馬評を覆し恵比寿、神戸、大宮、佐久の4雀団から声がかかり最終的には、エミネンシア神戸と4年10億円で契約するに至った。第3先鋒の単年あたりの年俸が、2億円を突破したのははじめてのことである。

なお、FA宣言会見時に『横浜のことが好きだから……辛いです』などと意味不明な発言を残し、横浜ファンから袋叩きにあった模様。

 

移籍後は常にローテーションの一角を担い神戸4年目のシーズンでは、自身初となる10勝をマークした。

神戸の精神的支柱として活躍する一方、横浜にいる妻子との二重生活に悩んでいる。また、全日本小学生名人の最年少優勝記録を更新した江口レーコは実娘。

 

 

弘世 菫

ドラフト2位  個人戦最高順位 9位

白糸台→家慶大→横浜→恵比寿→横浜

2勝7敗とほろ苦いデビューとなった六大学のエースも、経験を経るごとに尻上がりに成長し5年目には自身初となる先鋒2桁勝利を達成。

 

FA権を行使し2年8億円で恵比寿ウイニングラビッツと契約するも、移籍先では結果が残せず中継ぎ転向を余儀なくされる。

契約満了後に内容面で折り合いがつかず、恵比寿を自由契約となったものの横浜ロードスターズと再契約。中継ぎで結果を残し最終的にはセットアッパーとして定着した。

なお、恵比寿へのFAはファンの間ではなかったことになった模様。 

また、清水谷竜華の後任として選手会会長に就任。

 

引退後は横浜ロードスターズのヘッドコーチを1年務めたのち、監督に就任した。

 

 

末原 恭子  

ドラフト5位  個人戦最高順位 31位

姫松→佐久→横浜→神戸

姫松高校からドラフト5位指名を受けて同高校の愛宕洋榎と共に佐久フェレッターズに入団するも、戦力外通告を受けた。

その後トライアウトにて横浜ロードスターズに入団し一軍に昇格。中継ぎの一角を担いリーグ優勝にも大きく貢献した。

亦野誠子、岩館揺杏ら1枚目の中継ぎ陣を温存したい愛宕監督の方針から、リード時、ビハインド時、敗戦処理全てで末原恭子を登板させるという酷使無双采配により、3年間で160試合に登板する大車輪の活躍を見せ無事、故障者リスト入りを果たす。

その後は環境を変えるため、神戸へ金銭トレードにより移籍するも、なかなか麻雀の調子が上がらず2年間の2軍生活の末、自由契約となった。

現役引退後は、母校姫松高校でコーチを務めるかたわら麻雀解説者としてもテレビに出演している。

麻雀解説者としては実績不足ではあるが、初心者にもわかりやすい丁寧な解説が持ち味としている。また、彼女が解説する際には宮永咲が高確率で解説席に同席することから、ファンからの評判も上々である。

 

 

岩館 揺杏  

ドラフト3位  個人戦最高順位 20位

有珠山→東北服飾大→横浜→デュッセルドルフ(欧)→クラーゲンフルト(欧)→横浜

高校時代は有珠山高校からインターハイに出場。それほど目立つ選手ではなかったが、名門、東北服飾大でエースを務めるまでに成長し横浜ロードスターズに入団。

横浜中継ぎの主軸を担ったが、国内での成績は一流とは呼べない内容であった。

しかし、宮永咲の欧州選手権制覇の際に共に遠征しベスト16の好成績を残したことが評価され、欧州リーグの名門デュッセルドルフとポスティング制度を利用し契約。

ドイツ最優秀新人賞を獲得するなど、欧州にてその才能が開花。世界の岩館の実力を見せつけた。

 

 

愛宕 洋榎   昨年度成績

ドラフト2位  個人戦最高順位 17位

姫松→佐久

プロ麻雀史上最高の名将として名高い愛宕雅枝監督の実娘。妹に愛宕絹恵(大宮)がおり、麻雀のサラブレッド一家で育つ。

アマチュア時代から確かな技術力に定評があり、高校麻雀でも優秀な成績を残しプロ入り。

プロ入り後は、先鋒起用されるも結果を残すことが出来ずローテーション落ち。

次鋒や中堅では安定した成績を残すが、セットアッパーとして起用されると不安定になることから、渡辺琉音の後継者と呼ばれているが打点よりも守備を重視するタイプで雀風は大きく異なる。

 

 

上埜 久

ドラフト5位  個人戦最高順位 10位

清澄→信濃大→フリー→DS石油→帝国新薬→

佐久→松山

清澄高校、信濃大学とアマチュア時代に在籍したチームがことごとく廃部になったことから、雀界の問題児との評判であったが、プロ入り後は特に問題を起こすこともなく新人王に選出された。

タイトル戦に顔を見せるような選手ではないが、佐久の第1ポイントゲッターとして長くに渡って活躍。

FA権取得後は松山フロティーラに移籍した。

 

 

辻垣内 智葉

ドラフト1位  個人戦最高順位 12位

臨海→佐久

宮永照の外れ1位として佐久フェレッターズに入団するも、プロ入り後はメキメキと頭角をあらわし三尋木咏を撃破する大金星をあげて名将位を獲得。

姉帯豊音と並んで宮永世代を代表する雀士として将来を嘱望されたが、過登板がたたったのかFA権取得間近にして成績が急速に悪化。調子は戻ることなくそのまま引退となった。

引退後は麻雀解説者として公共放送の中継によく顔を出している。

 

 

赤土 晴絵   

ドラフト1位  個人戦最高順位 8位

阿知賀→博多→阿知賀(監)→DS石油→ 佐久

阿知賀高校の監督を務めた後、27歳でプロ入り。プロデビュー年に雀聖位を獲得し鮮烈なデビューを飾った。

その後は、最優秀先鋒にも輝くなど佐久フェレッターズのエースとして活躍。宮永咲ら下の世代の台頭もあり再びのタイトル獲得こそならなかったものの、個人戦でも挑戦者決定戦を勝ち抜くなど存在感を示した。

ファンからは園城寺怜と並んで、プロ入りがもっと早ければと惜しまれることが多い雀士である。

引退後は佐久フェレッターズの監督を2年務めたものの結果は残せず解任された。その後は麻雀解説者として小鍛治健夜と一緒に、テレビに出演することが多い。

小鍛治健夜、宮永咲と世代を代表する怪物に2度も破壊された雀士だが、2人との関係は良好らしい。

 

 

藤田 靖子

弓振→大岡山→富山→佐久→佐久(監)

日本人史上、最もサカルトヴェロの選手を応援した女。麻雀解説者としてもお馴染みの元プロ麻雀選手。

現役時はまくりの女王との異名を持つポイントゲッターとして活躍した。

赤土監督の後任として、佐久フェレッターズの監督に就任。

宮永咲、天江衣、上埜久、加治木ゆみは「わたしが育てた」との言葉通りの指導力と采配を見せ、就任1年目から恵比寿とのシーズン終盤の死闘に競り勝って、佐久フェレッターズ悲願の優勝を勝ち取った。短期決戦の鬼。

 

 

瑞原はやり

朝酌女子→神泉→大宮→大宮(監)→大宮(GM)

ハートビーツ大宮を率いる名監督。

監督としてのイメージが強い人物ではあるが、現役時代は超高速麻雀で一時代を築いた名選手である。またの名をあへあへ断么九マンの親玉。

プロ麻雀ストライキ事件の際に選手会会長を務めた高い政治力は、現役を退いた後も健在であり麻雀関係に多方面のコネクションを有している。

大宮の黄金時代を築き上げた後、監督を勇退しチームのゼネラルマネージャーに就任した。

なお、誰から何を言われようとフリフリ衣装を着ることはやめない模様。

 

 

愛宕 雅枝

佐久→神戸→クラブチーム(監)→千里山高校(監)→横浜(監)→W杯日本代表(監)

千里山高校の選手酷使問題の責任を取り1度は麻雀界を離れたが、横浜ロードスターズの監督として復帰。

 

トップリーグ監督就任初年度からAクラス入りを果たし「愛宕マジック」を存分に発揮したものの、チームの主力選手である三尋木咏の流出もあり低迷期に入る。

その間、大規模な補強も行われなかったが、ドラフト1位ルーキー亦野誠子の加入をきっかけにチームが成長。奇跡のリーグ優勝を果たした。

 

その後は、麻雀団体日本代表の代表監督に就任。麻雀に関する意見は一切述べず、代表キャプテンの宮永咲を中心としたボトムアップ型のチーム運営を行い世界制覇を成し遂げた。

横浜でのリーグ優勝そして、麻雀団体世界制覇と監督として他に並び立つ者がいないほどの実績を持つにも関わらず、麻雀ファンから采配能力を疑問視されることが多い。

主な教え子に宮永咲(横浜)、園城寺怜(大宮)、藤白七実(恵比寿)、清水谷竜華(神戸→大宮)など守護神の育成に定評がある。

 

 

エピローグ、物語時点での獲得タイトル等

シーズン順位   

横浜ロードスターズ    優勝

松山フロティーラ

ハートビーツ大宮

恵比寿ウイニングラビッツ

佐久フェレッターズ

エミネンシア神戸

 

鳳凰    天江 衣

名人    宮永 咲

雀聖    天江 衣

牌王位   姉帯 豊音

十段    宮永 咲

山紫水明  天江 衣

名将    獅子原 爽

 

最優秀雀士   天江 衣

個人戦首位   天江 衣

最多勝     天江 衣

最優秀防御率  園城寺 怜

最優秀獲得素点 松実 玄

首位打点    天江 衣

最優秀先鋒   松実 玄

最多セーブ   宮永 咲

最優秀中継ぎ  服部 叶絵

新人王     園城寺 怜

 

作中でのキャラランク

Sランク(30年に1人の怪物)

宮永咲、小鍛治健夜

 

Aランク(怪物)

天江衣、Nelly Virsaladze、姉帯豊音、園城寺怜、戒能良子、松実玄、三尋木咏

 

B1ランク(トッププロ)

宮永照、大星淡、獅子原爽、藤白七実、花田煌、清水谷竜華

 

B2ランク(一流麻雀選手)

野依理沙、赤土晴絵、雀明華、Megan Davin、エイスリン、辻垣内智葉

 

C1ランク(レギュラー確定)

福路美穂子、友清朱里、亦野誠子、鶴田姫子、椿野美幸、荒川憩、小瀬川白望、高鴨穏乃

 

C2ランク(一軍麻雀選手)

服部叶絵、愛宕洋榎、片岡優希、弘世菫、上埜久、江口セーラ、加治木ゆみ、渡辺琉音、岩館揺杏、安福莉子、薄墨初美

 

Dランク(一軍半の麻雀選手)

二条泉、白水哩、原村和、臼沢塞、新子憧、小走やえ、上重漫

 

Eランク(クビ^^)

末原恭子、愛宕絹恵、霜崎絃、対木もこ


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